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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
いざ、イタリアへ
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穏やかな旅客機の中で2

「……ごめんなさい」

「いや、その、こちらこそ……」

 つい三十分前まではあんなに和気藹々としていた雀と龍樹だったが、くすぐり事件を機に、なんだか気まずい空気になってしまった。

ちなみに周りの目があるという事も忘れていた。金属探知の件といい『チッチ』の件といい、そろそろ本気で怒られるかもしれない。

「でも龍樹さんが悪いんですよ。止めてって言ってるのに強引に……」

「……ああ、だから悪かったって言ってるだろ」

「悪かったで済んだら裏世界は要りません」

 雀のその言葉を最後に、また訪れた沈黙。 

 龍樹は雀の方をちらっと横目で見る。彼女は膝の上で手を揃え、いまだ恥ずかしそうに顔を赤らめている。

 何がそんなに恥ずかしいのかが分からない。

 変なところで繊細なんだよな、こいつ。

「……」

 重苦しい空気に、はぁ、と龍樹は息を吐いた。息を吐いて――雀に殴られた時に発生した鼻血も止まっているだろうと思い、詰めていたティッシュを抜く。

 案の定、鼻血は止まっていた。

 龍樹はティッシュを足元のダッシュボックスに捨て、

「……なんか喉渇いたな」

 そう言い、おもむろに立ち上がった。そして雀を跨いで通路側へと出る。セルフサービスのドリンクをギャレーまで取りに行く為だ。

「おい雀、お前もジュースかなんか要るか? 今から取ってくるけど」

 雀はハッとしたように、

「え? ジュース? ……あ、はい。それじゃお願いします。えーと、じゃレッドドラゴンフルーツジュースを」

「ねーよそんなもの――もう普通にオレンジジュースでいいな」

「え? ああ、別に構いませんけど……」

 結局、そうして雀の意見を半ば強引に決め、龍樹はギャレーへと向かっていった。

 そして。

 ギャレー。 

(……あんのかよ)

 どこの国から仕入れているのかは分からないが、ピンク色の350mlの容器に入っている飲み物は、ドラゴンフルーツジュースと書いてある。

 ちらっと聞いた話だと、この便は日本からの折り返し便――つまりは外資系の航空会社のようなので、あっても別段不思議は無い。

 そう考えてみると、逆に日本語で明記されているコーラやオレンジジュースなんかの方がよっぽど不自然だ。

 多分、折り返しとはいえ、一応書類上は日本からの出発となるので、そこに合わせたのかもしれない。

 今は昼休みなのか、乗務員の姿は見当たらず、変わりに『ご自由にお飲みください』と、日本語や英語、中国語やアラビア語など様々な言語で書かれたプラカードが置いてある。

 とにかく。

 ここでドラゴンフルーツジュースを持って行った時の雀にどや顔をされるのは癪に障るが、まあここは年上として変なプライドは捨てないとな、と、龍樹はドラゴンフルーツジュースの缶をポッケに入れた。

 今度は自分のを調達する。

 懲りずにコーヒー。

 さっきはなんだかんだいちゃもんを付けていたが、やっぱりコーヒーという以上、その味を舌が欲している。

 こちらは缶の様なタイプではなく、ドリップ式の自分で淹れるタイプだった。

 恐らくは安物のマグカップにティーバックをはめ込み、全体的に行き渡る様に優しくお湯を注ぐ。納得のいくコーヒードームが出来るまでニ~三十秒蒸らす。コーヒーの匂いがギャレー一杯に広がっていった。

 そんな最中だった。

「ん?」

 気配を感じ、振り向く龍樹。

 ふと気づけば、ギャレーの中には別の人がいた。

 身長はやや高めの百七十センチ中盤くらい。東南アジア系の男だった。肌は薄い褐色。少し散らかったように髭を生やし、服装もなんだかあちこちが絹切れしていてボロボロだ。

 闇に染められたように真っ黒な瞳も、芯を得すぎていてどこか不気味さを感じさせる。

 その人物は無言のまま、じーと龍樹を見据える。

(……なんだ? 気味悪い)

 と思ったが、

「……あ、」

 謎の人物から視線を外し、また現在作成中のコーヒーに向き直った龍樹は声を漏らした。よくよく考えてみれば、その人物が立ち尽くしている原因は自分にあるのだと、ここで気づいたのだ。

 ギャレーに来た以上――東南アジア系のこの人もジュースやおつまみやらを取りに来たのだろう。

 それらが置いてある机の前に、いま龍樹は立っている。

 つまりは邪魔なのだ。

「すいません」

 日本語は通じないんだろうなと思いながら小さく会釈して、コーヒーを淹れ終えたカップを取り出す。

 それからそそくさと龍樹は席へと戻っていった。


 PM3:00。

 離陸して四時間。そろそろ時差などの関係が顕著になって来るのだろうが、正直詳しい事は分からないので、時報は日本基準で。

 ここでようやく三分の一を消化した。

 周囲の方々は常連なのか、カードやゲームをして遊んだり、到着に備えて睡眠をとる人々など、とても効率の良い時間を過ごしている。

 そして、隣にいる雀も。

 すやすやと眠りこけている。

(……寝るなんて時間の無駄じゃなかったのかよ)

 まあこの女は自分の発言に対しての重みなんてものは皆無だろうから、もう何も言うまい。

 口やかましい奴が寝てくれれば、助かるし。

 と、思ったのだが、それは浅はかというものだった。

 この隙に乗じて、自分も睡眠をとっておこうと考えた龍樹だったが、

「いてっ」

 目を瞑った矢先、左頬に痛みが奔った。何事かと思い目を開け、上体を起こす。原因はすぐに判明した。

 隣にいるこの女だ。

 おそらくは熟睡モードに入っているであろう雀。さっきまでは背中を向けていたのに、今は真正面からこちらを向いている。

 寝返りを打ったのだ。その際に腕を振りかぶり、それが龍樹の頬を直撃した。

「……ったく」

 どうやらこの女、寝相が悪いようだ。

(しょーがないな)

 膝もとのブランケットを掛け直してあげ、詰め寄ってきた分、手を使って雀を押し返す龍樹。ちょっとうまくいかなかったが、とりあえず、半分は元の状態に戻せた。

 そして。

 もう一度睡眠を試みようと、龍樹は雀に背を向ける。

 が。

 十分くらいは何事もなかったのだが、

「あいでっ」

 ようやくうとうとしてきたその矢先。また、痛みが奔った。今度は背中からだ。

 振り返る。そこには再度こちらを向き、距離を詰めてきた女がいた。

 やはり雀だった。 

(……この野朗)

 せっかく寝かけていたのに。

 起こされた事とこれが二度目という事で、龍樹も少々ご立腹だ。

 それでもここは我慢する。

 だって、本人に、悪気はないのだから。

「……う~ん」

 突然、雀は唸り声を上げた。どんな夢を見ているのかは分からないが、その渋い表情を見ている限り、あまり良い夢ではなさそうだ。

 ハンバーグを食べ損ねたとか、怪獣と戦っているとか、この女の場合そんな感じのへんてこな夢だろう。

(……全く)

 こんなどこにでもいるような普通の少女が裏世界の住人だなんて、誰が信じる。

 そう思いながら、雀のうなされた寝顔を見ていると、

「う~ん」

 また唸りながら、雀は距離を縮めてきた。というか距離なんてものは無い。完全にこの女はスペースを占領する気だ。その寝返りは龍樹をぐいぐいと押し退けようとする。

(……ああ、鬱陶しい)

 堪らず、龍樹は行動に打って出る。

「おい雀。おい雀起きろ」

 雀の身体を揺さぶる。

 二、三回揺すっただけで、割かし早く起きた。ただし、とても良い寝覚めには見えない。眼を擦り、今まさに起きた感丸出しの不機嫌な顔。

 ちょっと可哀想な事したかな、と龍樹は悪い気持ちになる。

 でも、起きてしまったのならついでだ。もしかしたらこれで解決するかもしれないし。

 龍樹はいまだ眼を擦り寝ぼけているであろう雀に、言う。

「いいか雀、よく聞けよ。確かにより広いスペースで寝たいお前の気持ちも分からないでもない。でもな、席に座ってるのはお前だけじゃないという事を認識しろ。もし自分がされてみろ、嫌だろ? 別に半分こしようって言ってる訳じゃない。必要最低限のスペースさえ空けてくれてればそれでいい。だから、分かったら――」

 ぐちぐちねちねちと、器量の小さい龍樹は雀に問い掛けていたのだが。

 なんの前触れもなければなんの容赦も無く、喋り続ける龍樹の顔面に――寝ぼけ眼の雀の右ストレートが放り込まれた。

 しかも今度のは正中突き。

 人体の急所点に、見事なまでのクリーンヒットだった。

「――――ぐぬうおうぅ」

 まじかよこいつ、と、悶絶する龍樹。せっかく止まった鼻血が、また再発した。

 当然。

 キッ、と、涙目ながらも怒った表情で雀を睨み付ける龍樹。しかし、雀はすでにシートに身体を伏せ、また夢の中に戻ってしまっていた。

 身体を微かに上下させ、小さな唇からは吐息が漏れている。まるで子供のような雀のその寝顔を見れば、起こす気も削げてしまう。

「……くそ」

 怒りの捌け口が見付からない龍樹はつい愚痴った。

 しかし、こうなっては仕方ない。

 起きていよう。そうすれば雀の寝相の悪さに怯える必要も薄れるし、考えてもみれば、向こうに着くまでにはまだ結構な時間がある。睡眠の時間だってそこから捻出すればいい。

 それに、実をいうとそんなに眠たくも無い。

 住めば都だ。

 そうやって自分に言い聞かせた龍樹は、また窓からの景色を望む。

 現在通過している地域では雨でも降っているのか、陸地は雲で覆われて何も見えない。

 世界に広がる白と青の世界。

 それは確かに幻想的で、似合わないのは承知だが綺麗だな、と龍樹は感じた。

 と同時に、段々怖くなってきた。

 悪魔祓いとは一体どんな事をするのだろう。そもそもそこまで事態を持っていけるのだろうか。

 この雲達のような軽い疑問だったのなら、どんなに楽だろう。

 なんて、ちょっとした詩人みたいな事を龍樹は内心で詠んだ。

 そこまで大それたものでもないだろうけど。

(……ま、何とかなるだろ)

 そんな訳で。

 悪魔に取り憑かれた少年を乗せた飛行機は、着々と目的地へと向かう。

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