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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
いざ、イタリアへ
62/261

ちょっとした裏話

 しりとりはやはり盛り上がらなかったが、それでもなんだかんだで結構続いた。

 最早どちらが勝ちかも分からないほど繰り返すと、流石の雀も飽きてきたのか、最初のハイテンションではなくなってきていた。

 困り果てたような表情で次へ移ろうとするそれはまるで強いられているような感じだ。

 そんな顔をするのなら、やめればいいのに。

 と、

 次のしりとりが龍樹の勝利で終わった、その時。

「……やりますね龍樹さん。まさかここまでとは思わなかったですよ」

 弱々しい賞賛。

 そこに先程までの悔しさは皆無だ。

 多分、今は本当に惰性的に消化している状態だろう。

「龍樹さん」

 そしてついに、雀が言う。

 絞り出すように。

「すみません、正直飽きました。もう龍樹さんの勝ちでいいですから、やめさせてもらってもいいですかね?」

「……」

 いや、やめるというそれは一向に構わないし、むしろこちらとしても願ったり叶ったりなのだが…… 

 その言い方だと、まるでこっちが付き合ってくれと言ったみたいじゃないか。

 本当に勝手な奴だ。

「ああいいよ。俺もそろそろやめたいと思ってたところだしな」

「そうでしたか、じゃあこれを持ってお開きで……ふぅ、遊びに付き合うのも、結構骨が折れる」

「そりゃこっちの台詞だよ」

 全く。

 時折こいつはわざとこういう言い回しをしているんじゃないかと本気で思う。

 最後のは敬語じゃなかったから、自分自身に言ったのかもしれないが。

 ともあれ、なんだかんだで結構時間は潰れた、と思う龍樹。

 しかし、そうでもなかった。

 目前のモニターに表示されている時計を見る。

 時刻は丁度正午。

 離陸してまだ一時間しか経っていない。

 しりとりと手遊びで一時間潰れたのはある意味凄いことなのかもしれないが、まあ、だからなんだと言われればそれでお仕舞いだ。

「……先は長いな」

 ぽつりと呟く龍樹。

 その言葉を聞き取ったようで、

「そうですねぇ」

 シートに背を預けた雀も、同感する。

「DSやPSPとか持ってきてないんですか?」

「ないよそんなもん。ああでも、持ってくれば良かったな」

「ふふふ、そう言うと思って持ってきたんですよ」

「え? そうなの」

 雀のまさかの宣言。

 とんだサプライズである。

 というか、そもそもサプライズのくだりは要るのだろうか?

 持ってきてるんだったら『チッチ』する前に出せ。

 いや、でもちょっと待てよと龍樹は思う。

「おい雀。それってどこのDSやPSPだ?」

「いやだなぁ、龍樹さんの家のやつに決まってるじゃないですか」

 屈託のない笑顔で、そういった雀。

 しかしながら、

「お前それ、家の誰かに言ったのかよ?」

「? 言う訳ないでしょ。言ったらサプライズにならないんですから」

「ああそうか。そうだよな。はははっ、野暮な質問ってやつだったな」

「ええ野暮です。愚問と言っても過言ではありません」

「過言だろ」

 と言って、雀の頭にチョップした龍樹。

 雀はチョップされた頭を摩りながら、

「いったぁ~い。何するんですか」

 と言った。

 何するんですかじゃない。

「人様の家の物を無断で持ってくるなんて、どういう神経してんだお前は」

「そんな……別に盗む訳じゃないんですから」

「それでも駄目な物は駄目なの」

「……はい、すみませんでした」

 しゅん、とした様子の雀。

 どうやら本当に反省したようだ。

 本人は盗む気がないと言ったのでここで怒るのは大人気ないのかもしれないが、しかし、こういうのは誰かが注意してやらねば手癖が悪い子になってしまう。

(……まあ、いいか)

 嘆息一つ。

 前向きに考える事にした龍樹。

 勝手に持ってきたとはいえ、この際あったほうが良いし。

「いやちょっと待て、お前の事だ。どうせ本体は持ってきたけどカセットは忘れました、とかいうオチじゃないだろうな」

「ちょっと龍樹さん。いくらなんでもそれは人を馬鹿にしすぎです。ちゃんとカセットだって持ってきていますよ」

「……あ、そう。ならいいけど」

「ちゃんと対戦できるように二機持ってきていますよ」

「おお、やるなお前」

「更にいうなれば、ACアダプターも持参済みです」

「おお、抜かりがない。見直したぞ雀」

「ええ、天然間抜けな雀と呼ばれていた過去とはおさらばです。今日から私は大空へと飛び立つ燕なのです」

「言ってる事がよく分からなくて、お前が天然間抜けな雀と呼ばれていたというのも初耳だが――安心しろ。もう誰もお前を馬鹿になんて出来ないよ」

「ふふふ、もっと褒めてください」

 おだてられて、なよなよし始めた雀。

 ほんと単純だよな、という感想を龍樹は抱いた。

 ……本来なら、怒らなければいけないのかもしれないが。

 もともと柄じゃないしな、と適当に龍樹は区切りをつけた。

「じゃさっそくやろうぜ。カセットって何持ってきたんだ? 桃鉄とかか?」

「いえいえ、ホルダーに入ってるやつ全部持ってきましたよ。龍樹さんも結構なゲーム好きの様で」

「ホルダー毎持ってきたのか……まずいなそれは」

 え? どうしてですか? と少し驚く雀。

 龍樹はその理由を言う。

「いやな、俺自体そんなにゲームとかしないからさ。それきっと、たまたま暇だったから借りてた崇子のやつだと思う」

「え? そうなんですか。……それは悪い事をしてしまいました」

「……まあいいか」

 後の祭りだし、この際気にしても、どうする事も出来ない。

 ここは大人しくそれで遊ぶのが、恐らくは崇子の慨嘆(してるかどうか分からないけど)の供養にもなるってものだ。

「で、ゲーム機はどこにあるんだ?」

 本体を要求するように、手を差し出した龍樹。

 すぐにその意味は分からなかったのか、しばし、差し出された龍樹の手を不思議そうに見た後、雀はようやくその意図を汲み取ったようだ。

「ああ、ちょっと待ってください。えーと鞄鞄」

 言いながら、足元に置いてあるハンドバッグ(これまたご丁寧に茶色使用。龍樹の家のを借りた)を漁り始めた雀。

 しばらくの間漁った後、なにか重大なミスを犯したかのように、雀は屈めていた状態を起こした。

 そしてしばらくの間固まった。

 ……なんとなく、龍樹には予想が出来た。

 それでも一応は訊いてみる。

 十中八九、間違いないと思いながら。

「雀。もしかしたらお前……」

「……え、えへへ」

 苦笑いを浮かべ、頭を掻く雀。

 そして彼女はこう言った。

「すみません。龍樹さんのキャリーバッグに入れたのを忘れていました」

「……はは」

 呆れるというより、むしろ笑ってしまった龍樹。

 そういえば荷物を受け渡す時に、雀はキャリーバックの中に何かを入れていた。どうやらあれがゲーム機達らしい。機内への持込が許可されているのは割かし小さなサイズの荷物鞄のいなので、もちろんキャリーバッグなどの大きな鞄は持ち込めない。

 ではどこにあるのか。

 荷物置場である。きっとコンテナに積まれ、また別のコンテナたちと共に広い空間に集積されているのだろう。

 もちろん、取りにいくだなんて不可能だ。

 結局こういう結末になるのか、と龍樹は嘆息して、

「全く、お前は想像を超えてくるな」

「……すみません」

 己でも恥じているのか、膝を摺り寄せ、どこか小さくなる雀。

 やがて何かを閃いたような顔になった。

「あ、でも丸っきりの無駄、って事もないですよ。向こうに行けば出来るじゃないですか。皆で楽しくやりましょうよ、桃鉄」

「……向こうでねぇ」

 そんな暇があるのだろうか、と龍樹は思う。

 今のところそこまで――というか全く緊張感がないなごやかな感じで進んでいるけど、彼は今から悪魔を祓いにイタリアに向かっているのだ。

 正確にいえば、イタリアのローマ市内にあるヴァチカン。

 約束なんて取り決めていない。現地交渉という、無鉄砲極まりないプラン。

 通俗的な手順なんてものは分からないにしても、それでもここまで体当たりではないだろう。

 どこの教会とか、どんな牧師さんとか、多分ちょっとぐらい決めていくものなんだろうが……

(まあ裏の世界の住人が要るんだし)

 最早安心の拠り所はそこしかない。

「ところで雀」

 ふと、龍樹は雀に訊く。別に忘れていた訳ではないが、雀のペースに乗せられて機を失ってしまっていた、その疑問を。

「アテナはどうなってんだ?」

 アテナ。

 喧嘩がめちゃくちゃ強い、金髪碧眼の女。

 無口で愛想が悪い風貌をしているが、とても頼りになる女。

 彼女とは空港で別れてそれっきり――一度も会っていない。

 後ほど向こうで会いましょう、とは言っていたから、どうなっても向こうで会えるのだろうが、やはりそこは気になってしまう。

 もしかしたらセスナ機でもチャーターしているのかもしれない。

 それとも、海とか何か他の交通手段で移動しているのか。

 下手をすれば泳いでくるという可能性も、あの女なら無くは無いと思う。

 いや、最後のは絶対無いだろうけど……

 しかし、それら浮かんだ意見を、

「いえいえ、それは違いますよ」

 と、雀は笑顔で否定した。

 ……となってくると、残る手段はおおよそ後一つだ。

「その口振りだと知ってるみたいだな、アテナがどこにいるのかが」

「ええ、もちろん。ちゃんと私達と同じ便に乗っていますよ」

「……って事はやっぱりそうなのか?」

 苦い顔をして、雀を見る龍樹。

 雀は少し困ったような笑みを浮かべ、えぇ、まぁ、と龍樹の推測を酌み、返事をした。

「あの人、私達から見ても色々と謎が多いんですよ。基本的に人との交流は避けているようですから」

「……まぁな」

 どっからどうみても、人付き合いがうまいようには見えなかったし、と龍樹は彼女の言動を思い返す。

「それだけじゃありませんよ」

 雀は女子の専売特許、お喋りをし始めた。

「他にも色々とあるんですよ、都市伝説じみたものみたいなものが」

「……何だよ、都市伝説って」

 はい、とどこか慎重に、雀は語り始める。

「例えばあの風の力。どうやらあれは悪魔や憑依によるいわゆる憑きもの(’’’’)を拝借しているのではなく、中に要れる事で一体化し、より巨大なパワーの享け賜りを可能にしているらしいです」

「中に要れる……って何を?」

「天使や女神ですよ」

「はあ? 天使?」

 突飛もなく現われたワードに、眉根を寄せる龍樹。しかし考えても見ると、悪魔がいるんだから、当然それの対となる天使や女神がいてもおかしくはない。

 おかしくはないのだが。

「天使と悪魔の具体的な違いってなんなんだよ? 良い奴か悪い奴か?」

「これまた際どい質問ですね。まぁ、一概に正解でしょう。ただ、対価としては同じです。美徳か悪徳か、悪魔と天使達の違いはそこなんですよ」

「……悪ぃ。もうちょっと分かりやすくして」

「うーんとですね。レビ記……って言っても分かりませんね。要するに神の法に則った契約をするのが天使や女神で、それとは逆に、法を侵してまで契約を交わすのが悪魔なんですよ」

「……早い話が、天使ってのはサラリーマンみたいなもので、悪徳商法をするのが悪魔、って事か」

「具体例が適切じゃない気もしますが……まぁ、そういう事です」

「ふーん」

 と、分かったような、分からない様な返事をする龍樹。

「でも神の法って具体的にどういった記述なんだ? 名前からして凄そうだけど、日本国憲法とかそういった感じのものなのか」

「いえいえ。まぁ法とはいっても、どちらかというと摂理そのものを説いているようなものですかね。秩序を守る憲法や条約なんかとは、また別物です」

「摂理……また随分と大仰なもんが出てきたな」

 改めて、今までそれとなく生きてきた龍樹に取っては、考えれば考えるほど無縁の話だ。

 遠い世界の話だと思っていたのに。

 決して降りかからない訳ではないと、頭のどこかでは分かっていたはずなのに。

「じゃあの褐色の男がああなったのも、悪徳な契約の末、って事になるのか」

「ええそうです。悪魔達は己の利のために力を与えます。その目的はつまり」

「……つまり」

 急に言葉を止めた雀の言葉を、思わず反芻する龍樹。

 やがて雀は、龍樹の胸元に人差し指を付け、

「肉体です」

 と言った。

「悪魔達の目的は人間の身体。いいえ、この際贅沢を言わなければ、豚などの動物でも構わないんです。とにかく、なんでもいいから動くための媒体を手に入れる必要が出てきます。彼等にはおよそ実体というものがありませんからね。もし現世にそのまま干渉できてしまったのなら、それこそ地上の頂点に君臨するのは人間ではなく、悪魔になってしまいますから」

「……なんで直接干渉できないんだ?」

 神様に逆らったからですよ、と雀は答え、またシートに背を預けた。

「神様の意思に反したから堕されて罰を受けたんです。私達が今こうして生きているのも、そこには神様の何らかの腹積もりがあると言われていますからね」

「腹積もり? なんだそれ」

「さぁ、それは分かりません。神のお考えになる事は、人間では到底行き着けない、って奴ですよ」

「……ああそうなんだ」

 とにかく、と、雀はそこで語気を強くした。

「それが、悪魔が悪魔と謂われる由縁なんですよ。神の姿をかたどって創造されたとされる人間の身体を乗っ取り、支配する。それは悪魔達の充足行為であると同時に、神への冒頭にもなるんです」

「……なるほど」

 妙に納得する龍樹。

 神様。

 またどえらいものが出てきた。ただ、そんなものを信じてるなんて、とは思わない。各々の中にある神様の人物像(神様なので人物ではないのだろうが)はそれぞれにしろ、やっぱり形云々、地球という惑星が誕生した時、もしくは宇宙そのものが誕生したときに、そういう超越的な何か(’’’’’’’’’’)は絶対にあったのだ。

 何事にも端緒はある。

 何もないところからは、何も生まれない。

「まあ、アテナの強さの秘密は分かったよ。そりゃ強い訳だ。なにせ天使なんて超人的な存在の力を借りてるんだからな」

「ええ。ただ補足を加えさせてもらうと、あの人、天使の力なんか無くてもかなり強いですよ」

「……そうなの?」

「さっき言ったと思いますけど、天使と悪魔の違いはあくまでも美徳の違いなので、それに付随する対価は同じです」

 そういえば、さっきそんな事言ってたっけ、と龍樹は話を辿る。

 そして、生まれた疑問をぶつける。

「それがどうしたんだよ」

 疑問を受けた雀は少し驚いたように、

「どうしたんだよって……つまりはですよ。軽度なものならともかくとして、おいそれと天使や女神の力は使えば代償を払わなければいけませんので、多分褐色の男との戦闘も力の三分の一も出していなかったと思いますよ。直接その場に居合わせなかったので断言はできませんけど、私が褐色の男と戦ったときの強さから逆算しても、とてもアテナさんには敵いませんから」

「……ふーん」

 つまり、雀は何を言いたいのか。

 龍樹さん達の目前で繰り広げられた強いアテナさんというそれは、まだまだ彼女の強さの序の口の部分でしか無い、と、そう言いたいのだろう。

 序の口。

(あれで?)

 あの褐色の巨体を打ちひしげていたあれが、まだまだ序の口だって?

 全く。

 冗談であってほしい、と龍樹はなぜか思い、軽く息を吐いた。

 しばらくすると。

 龍樹はその疑問を振り払うかのように、雀に訊く。

「悪魔は現世で動き回る肉体が必要だから契約を結ぶ、って言ってたな。そしてそれは神への冒涜だと。だから悪魔が悪徳なんだろ? って事はもちろん、天使やら女神はまた違った合法的な契約を結ぶ、って事になるんだろ」

「そういう事になります」

「して、その契約の内容は?」

「はい、天使や女神、それらと交わす契約内容とは」

 ぐい、と目を尖らせ、真剣な顔付きで迫ってきた(といっても、基本小動物のようなくりっとフェイスなので全然怖くない)雀は、その真剣な表情のまま、天使や女神の契約内容について、こう言った。

「分かりません」

「……」

 身構えていた自分が馬鹿みたいだった。これが初めてでもないので、馬鹿にされていると思った龍樹はその想いを堪えるように一度目を瞑り、

「おちょくってんのかお前は」

 と言った。

 その言葉を受けた雀は、半ば狼狽しながら弁明する。

「いえいえ、そんな馬鹿にするだなんてとんでもない。合法と言っても、天使や女神との契約内容は多岐に渡ります。そしてそれらの内容は契約者――つまりは当事者にしか分からない事なんですよ」

「……そうなの」

「ええ。もとより、それらは力を受け賜る度に勝手に献げられているらしいので、内容によっては本人も後になって気づく事が多いようです」

「……例えばどんなの?」

「例えば……腕、とか」

「うぇ」

 思わず、渋面になる龍樹。

 そんな彼の気持ちを配慮したのか、雀は半ば強引に話を進ませる。

「天使と女神の契約について分かるのは二つあります。まずはそれ相応の代価を支払わなければいけないという点。これはなかなかどうりで厳しいですよ。天使達の力なんて、本来人間では持ち得ない力なのですから」

「……そりゃそうだ」

「そしてもう一つは、それを入れ込むだけの容器」

「……容器?」

 言葉の意味が分からず、思わず反芻してしまった龍樹に、つまりは身体です、と雀は言った。

「天使なんていう並外れた天外の力を収める身体。これは先の問題よりも難しいですよ。なにせ人間の身体なんて、元々はそういう風に創られていないんですから」

「……どういう意味だ? アテナが人間じゃないって事か」

「いえ、誰もそこまでは言ってません。天使が乗り移った人間、なんてのも昔の話には出てきますし」

「待て待て。話が紆余曲折してるぞ。普通の人間だったら天使を収められないんだろ。だったら、それを収めているアテナは普通じゃない、って事になるじゃないか」

「もお、龍樹さんも固い頭してますね。――要するに種族間の問題ですよ。あの人が概念的に『人類』としてカテゴリされているのは間違いありません。ただ、他とは少し異質なだけ。あるいは――異質になった、といったところでしょうね」

「……後天的、って事か」

「そういう事です。まあだとすればその内容は見当も付きませんが、可能性としてはそっちの方が高いでしょう。もし端から天使なんてもの背負い込んで世に足を着けていたとしたら、イエス・キリストしかり、何らかの業績みたいなものの一つや二つあげるのが筋、ってものですから」

「……そうか」

「それと逆に」

 話に追い付くのがやっとの龍樹になど構わず、雀は話を進める。

「誰でも契約できて、うまくいけばなんの代償を払わなくても良い可能性があるのが、悪魔との契約なんです。いわばギャンブルですね。悲しい話、悪魔にしろ天使にしろ、それほどの力を欲する人達というのは、人生に追い詰められた人が大半ですから。後先考えないというか、道徳とか世間体とかもうどうでもよくって、生きる事に投げやりになっているんです。非人道的であれなんであれ、少しでも希望が見出せる道を選ぶのが常、という訳なんですよ」

「……希望を見出す」

 悪魔と契約するほうが、天使達と契約するよりも光に満ちている。

 皮肉なもんだと龍樹は思う。

 正しいから安楽という訳ではない。

 間違っているから厳しいという訳ではない。

 そんな風に世の中がぐちゃぐちゃだから、貧困や犯罪、傲慢や絶望などが無くならないのだろう。

 それもまた、神の腹積もりだというのか。

「じゃあ、アテナがなんらかの形でピンチになって天使の力を使った時は……」

 ええ、と雀は真剣味を帯びた口調で言う。

「それ相応の代価を支払うとき、という訳です」

「……」

 二人の間だけに生まれた、わずかな沈黙。

 その間、龍樹はこう考えていた。

 なぜアテナは天使や女神などと契約したのだろう?

 彼女の事だ。その代償のシステムを知らなかった訳ではないはず。

 雀の話を真に受けて考えると、彼女は素で充分すぎる強さを身につけている。にも拘らず、巨大な力が必要な訳とは、一体何なのだろうか。

 今度もし、機会があれば訊いてみたいと思った。

 断られるんだろうなと、予想しながらに。

 やがて、

「とまぁ、そんな感じです」

「?」

 気持ちの持ちようを暗から明へと百八十度転換させ雀はそう言い、背筋を伸ばす運動をし始めた。

 そして、その運動を終え、

「なんにしても、あの人は謎だらけなんですよ。名前だってアテナだなんてへんてこな名前ですし」

「怒られるぞお前」

 いいんですよ、本人はいないんですし、と雀は言った。

 というか、お前の名前の方がよっぽど変だと、龍樹は思う。

 ここからの雀は、愚痴を聞いてもらうような口調だった。

「なにせ、アテナという人物を洗いざらい探ってみてもまるで何も出てこないんですよ。幾ら闇に包まれた裏世界といえど、あそこまで不透明な人はそういません。生い立ちだとか、どういった経緯で裏世界と関わりを持ったのかとか、なんでお肌があんなに綺麗なのか、とか。疑問を挙げれば切りがありません」

 最後の疑問は明らかに雀個人の意見なのだろうが、しかし、考えてみると確かに矛盾点が多い、と龍樹は感じる。

「そうだなぁ……百三十歳であの肌はどう考えても何かやってるだろ」

「え? アテナさんって百三十歳なんですか!?」

 かなりの衝撃を受けた様子の雀。

 意外な反応だった。てっきり知っているものだと思っていた。

 となると、もしかしたら話しちゃいけなかったのかもしれないが、

(……聞いたときも特に隠す様子は無かったし)

 大丈夫だろ、と龍樹は結論付けた。

 雀はいまだ感心しているようで。

「へぇー百三十歳か。ほぇー居るんだな世の中にはそんな人が」

 等と、独り呟いている。

 しばらく、そんな調子の雀だったが、やがて龍樹へと振り直り、顔を少々赤らめて、彼女は言う。

 およそ今は、どうでもいい事を。

「百三十歳って……あれくるんでしょうか?」

「……知らねーよ」

 突飛の無い年齢を聞いて、すぐにそっち方面に考えを持っていく辺り。

 残念な事に、やっぱり雀はむっつりスケベなのだろう。

 そういう話は女子同士やってもらいたいものである。

「やっぱり謎ですよね、アテナさんって」

 先刻の恥じらいはなんのその、雀は半ば強引に話を進めた。

 いきなりだったので反応に少し遅れながらも、龍樹は応える。

「ああ、ほんとだよな。俺も生まれて此の方色んな人間を見たり接したりしてきたけど、ああいったタイプは初めてだよ。似たような奴はいたけど、なんて言うんだろうな……」

 言葉に詰まる。

 具体的な引用を挙げられていないわけではない。それを口にするのが、どうにも躊躇われる。

 儚げではなく、すでに壊れ、薄まったような、そんな不思議な状態。

 それが、彼女に対しての、龍樹の印象。

「……ほんと、変なタイプだよ」

 あまり聞かれたくないそこは独り言のように小さく言う、龍樹だった。

「とはいえ、謎めいているといっても、別にあの人に限った事じゃないんですけどね。他人なんてものはどこまでいっても謎のまんまなんですし。それは死ぬまで変わりません。考えるだけ無駄、というものですよ、龍樹さん」

「……」

 他人を探る様な言動をこれだけ取っていて、雀のこの言い草。

「俺はお前の脳味噌の構造が一番謎だよ」

 代わり映えしない景色を窓から眺めながら、龍樹は心の底からそう思った。

「……で、その肝心なアテナは?」

 始めの方で雀に景色について偉そうな事をいった手前、代わり映えしない風景にもう飽きたなどとは到底言えない龍樹は、なんの事無く平常心を取り繕って、雀に振り向いた。

 鈍感な雀はそれに気づく事無く、

「さぁ。何分連絡手段なんて持ちえていないですからね。それでも元気にやってるんじゃないですか。幸運にも、コンテナに忍び込めば後は無警戒で構わないですし」

「……やっぱりそこにいんのか」

 もしかしたらもまさかも無く、予想通りだった。

「なんでそんな方法を選んでんだあいつ」

「選んでなんているわけ無いでしょ。そこも謎な分野なんですけど、あの人、人権を取得していないらしくパスポートが発行できないらしいんですよ。ただ本人は、そっちの方が都合良いとかなんとか言ってましたけど」

「人権を取得してない? なんだよ、それ」

「世間的に生きていると認知されてない、って事ですよ。別にそこまで珍しいものでもありませんけどね」

「……ふーん。そうなんだ」

 世界にどれほどの数がいるのかは知らないが、確かに、テレビでは何度か耳にした事がある。

 無戸籍者。世間ではそう呼ばれている人々。

 確かにそこにいるのに、いないことになっている人間。

 自然的には生きていて、社会的には死んでしまっている人間。

 アテナのようにパスポートやらの公文書が発行されなかったり、公然の資格などが取れない不備がある。

 もちろん、そこには何かしらの事情がある。

(……ふーん)

 また窓から外の世界を眺める龍樹。ただ、景色の感想などは今更抱きもしなかった。

 喋る鳥をペットとし、冠を被り、無口で、厳しくて、そのくせ優しくて、美しくて、常に薄まっている感じで、強くて、天使を容れてて、百三十歳で、無戸籍者ときた。

 中でも、

(……後天的に異質になった、か)

 ピックアップすべき疑問点は、そこだろう。

 一体なにがどうなったら異質になるのだろうか。

 たまたま道を歩いていたら天使に遭遇して力を授けようとでも言われたのかもしれない。

 はたまた、自らが望んで、神にそう望んだのかもしれない。

 そして。

 そのどちらでもないのかもしれない。

 ただ、ゆくゆく考えてもみれば、それは他人のお話だ。

 どこまでいこうと、さっきの雀の言葉を拝借するわけではないが、他人は他人。謎のままなのだろう。 本人が絶対にそうだといっても、それを確実な意見だと定める事なんて出来やしない。

 他人の内面なんてものを窺うのはほぼ不可能。どれだけの偉人が没しようと、どれだけの多くの人が亡くなろうと、間接的な影響はあっても直接的な影響は無い。

 それと同じ。

 世界なんてものは、目の前に広がってなんぼ。自分中心に展開されているのだ。

 なので。

 お気楽者の龍樹は今回もまた物事を、

(まあ、気にしてもしょうがないか)

 そうやって、安閑的に片付けたのだった。

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