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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
休日の訪問者
40/261

急な展開

 四月七日 土曜日 午前八時


 あれから雫は家に帰る事無く、龍樹の家へとその身を寄せ一泊した。やはり狙われた以上、彼女一人にしておく訳にはいかないとの事だった。

 もちろん、家の者には連絡――ではなく、雫はなぜかそちら側でなく、

『すみませんが、今日は友達の家に泊まるので祖母を見て欲しい』

 と、顔が広い彼女は、どこかの誰かに、そう頼んでいた。

 そこだけを切り取ればわがままで身勝手な発言とも取れるかもしれないが、電話の相手は特に渋る訳でもなく快諾したようだった。

 きっとそれは千石雫という女がどういう人間かを理解しているからだろう。

 で、一夜明けた現在。

 幸運というべきか。

 今日この日土曜は休日であり、ゆとり教育に則して普及したそのお陰で、基本的に学校という場所はお休みである。

 それなら、朝からじたばたとせずに――というほどのんびりは出来ないが、それなりに手順が省け、気兼ねなく準備に取り掛かれる。

 準備。

 それは――


「いぎりす?」


 壁に寄りかかり座り込むアテナが雫に言ったその言葉を、なぜか龍樹が反芻した。

「いぎりすってあのイギリスか?」

「……ええそうよ」

 歯切れが悪そうに、アテナは言う。

 そしてベッドに腰掛けている雫へと向き直り、

「あなたにはそこまで付いてきて欲しいの。というより、付いてこなければならない」

「なんでなんだよ」

「そうする方が安全だからよ」

「安全? おいおいじゃ逆に言えばこのままだと雫はまた狙われるって事か?」

「まあ……平たく言えばそうね」

 悪気は無いのだろうが、横からやたら質問してくる龍樹に、アテナはちょっと疎ましそうだ。

 えてして、話の中心であろう人物はと言えば、

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 急な展開に、どもる雫。 

 いかに適応能力のある彼女といえど、今回の件はあまりにも特殊すぎた。

 混乱する頭をどうにか落ち着かせてから、

「どうにも不確定要素が多すぎる。『あなたの身体の中にある物を取り出さなければならないから』などといきなり言われても、正直困る。悪いがもう少し緻密な説明をしてくれないか」

「……そうね」

 それは当然の見解だろう。

 アテナの事を知りえない雫。そんな彼女からすれば、初対面の女にいきなり一緒に渡英してくれ、なんていわれたところで素直に首を縦に振れる訳が無い。

 博愛主義だろうとなんだろうと、それは別に人間完璧だと思っているわけではない。

 むしろ逆だからこそ。

 その温情と醜さを全部ひっくるめての、博愛主義。

 決して、怪しいものには手を出さない。

「龍樹」

 と、アテナは回転椅子に座っている龍樹を見た。

 なんとなく、その内容は彼にも分かっていた。

 それでも一応は聞いてみる。  

「何だよ?」

「悪いけど、少し外してくれないかしら」

 やっぱりな、と予想が当たった龍樹は軽く頭を掻いた。

 ようは二人きりで話がしたいから出て行ってくれという事だろう。

「分かったよ」

 その重い腰を上げる。

 不満が顔にこれでもかというほど滲み出ているが、もちろん、アテナにはそれについてなんらかの処置を施す気はないだろう。

 そして。

 バタンッ、と、部屋の隔たりを担うドアの扉が閉まった。

 数秒、部屋に残る二人は視線をドアに向けた後、

「さて、」

 アテナが雫に向き直り言葉を放つ。

「どこから話せば良いのかしら……」


 

     

 丸っきり信用されていないみたいだった。


「……見張り役か?」

「そういう事だ」

 3LDKの部屋で、長方形の大きな食卓に頬杖を付く龍樹。その目前には無作法な事に、あろうことか机の上に立つパードリッジがいた。

 が、特にそこについてはふれる気はない。

 いまだ不満が顔に残っているまま、龍樹はまた溜め息を吐く。

「まあ、しょうがないっちゃ、しょうがないんだけどな。前科があるし」

 しかも二犯。

「でも驚いたよ。まさかお前らが日本に来た理由が雫目当てだったなんて」

「いや、別にあの譲ちゃん、って訳じゃないんだけどな」

 なんだその言い回しは、と龍樹は渋い顔をする。

 嘘をつけないという点では良心的だが、かえって気になってしまうという点では性悪である。

 ひょっとしてわざとなのかな、と勘ぐってしまうのは最早仕方のない事。

 龍樹は更に質問してみる。

「昨日降ってきたあの変な奴が、お前らの言ってた増援なのか?」

「多分な。ありゃ増援って言うより、一緒に潜伏してた奴だろう」

「なんだよ。まだうじゃうじゃあんなのが居んのかよ」

「う~ん、難しいな」

 人間っぽく、顎に羽を添えるパードリッジ。

「そこはやっぱ価値観の問題だろう。地域規模で見てみれば多いかもしれないが、世界規模で見てみれば少ないんじゃないのか。それに数だって増えたり減ったりしてるだろうし」

「? あいつらが人間じゃないみたいな言い方だな」

 あながち間違ってないんじゃのか、と、パードリッジはそんな事を言う。

「まあここも価値観の隔たりがでてくるだろうが……なにを持って人間とし、なにをもってそうじゃないとするか、だ」

「人間?」

 そもそも人間とはなんなのだろうかと龍樹は考える。

 手足が二本あって、脊椎があって、二足歩行で、言語を喋って、泣いて、笑って、怒って、恋をして、憎んで――

 きりがない。

 というか、答えが出そうに無い。

 雫辺りなら答えられるかもしれないが、今は別の話をしている。

 その内容はきっと、原因不明の客死を遂げた両親の事が、少なからず関係しているのだろう。

「お前らはあいつの両親の事を知ってるのか?」

「いや、直接は知らねぇ。ただその筋では有名だったんだよ」

「有名?」

「そうだ。有名っつーより――危険、って言った方がいいのか」

「危険?」

 話が読めない。龍樹はさっきからパードリッジの言葉をオウム返ししているだけだ。

「どういう事だよ。なんかやばい商売でもしてたのか」

 なんとかそこを掘り下げようとはするものの、

「まあ、そんなところだ」

 と、パードリッジは無理やりとってつけたような句読点を付けたらしかった。

 もちろん、そんな答えじゃ納得はいかない。

「やばい商売って……どんなだよ」

「察してくれよ。それは俺の口からは言えねえんだよ」

「なんだよお前まで……」

 もしかしたらと期待した龍樹だったが、やはり駄目なようだ。

 中々のお喋りなようなのでうっかり口を滑らせればと思ったのだが、その辺りはきっちり教育されているらしい。

 流石アテナ、と言ったところか。

 そしてパードリッジは話を逸らすかのごとく、

「そんな事よりも龍樹。なんか食わせてくれよ。まだ時間があるから腹ごしらえがしたい」

 と要求してきた。 

「なんかって、……なんだよ」

 話をはぐらかされたと思った龍樹は、どこか納得がいかないながらも言葉を返す。

 この辺りは消極的な性格の名残だろう。

「家にミミズなんてないぞ」

「おいおい、まるで鳥扱いだな」

 いや、そうだろ。

 違うのか? と頭を悩ませる龍樹。

 そして、パードリッジは言う。

「本当になんでも構わねぇよ。基本的に食うもんは人間と同じだから」

「ふーん、そうなのか」

 言って、立ち上がった龍樹。

 冷蔵庫の中に何かないのかを物色しに行ったのだ。 


 いつもの事ながら、冷蔵庫の中にあるもの達は苦しそうだった。

 統一性も活用性もあったものではない。あの母親は卵ポケットの窪みを付属調味料の区切り板と勘違いしているらしい。

(あーもう、よくこんなんで結婚できたよな)

 もしかしたらそれで親父は出て行ったんじゃないのか、とちょっと本気で思いながらも、龍樹はどうにかパードリッジが食べられそうなものを探す。

 焼きそば麺の束と調理が簡単な大量のミートボールが織り成す瓦礫の山を掻き分けたその時、あるものを発見した。

(ん? これは)

 ビンだった。

 一般の家庭ではおよそ冷蔵庫のドアポケットに収納されているであろう、そうでなくとも専用の場所を設けられているであろう、決して、冷蔵庫の奥に身を潜めていないであろう存在。

「……酒か」

 本格焼酎と書かれているので、まず間違いないだろう。

 だとすれば、酒は基本的に冷蔵しないと思うのだが……

(あの女には一般の常識という概念は通用しないからな)

 酒好きの母はそれ故、国内はおろか海外からも取り寄せるほどの愛酒家だ。

 それもかなり質が悪い。

 酔っ払うと手が付けられない。

 それでも、適度に呑んではいる様だが、基本、今は控えているらしい。

 もしかしたら、これはその戒めのつもりなのかもしれない。

 本人は口に出さないが、それはきっと、父が――旦那がいない寂しさの丈を、思わず酒の力を借りて露呈するのを防ぐためだろう。

 推測すれば推測するほど、鬱になってくる。

 それに今探してるのは食べ物であって飲み物ではない。

 なので、手にしたビンを元あった場所へと戻そうとした訳だったのだが、

(……まてよ)

 皮肉にも、ここである閃きが咲いた。 

 これをあの鳥に飲ませたらどうなるのだろう?

 もしかしたら……

 龍樹はその酒の銘柄を確認する。お洒落な外装に描かれた否が応でも眼にはいってくる大字は『百年の孤独』と書かれている。

(……なんだかなぁ)

 やっぱり憂鬱な気持ちになる龍樹だが、ここで感慨に浸っても仕方が無いのでその焼酎を観察に徹する。

 アルコールは四十度。

(高いのか?)

 正直お酒の事は全く分からないが、まあそうはいっても、所詮は人が飲めるくらいのもんだろうと結論付けた。

 あの鳥も、摂取するものは人間と同じだと言っていたし。

(問題はこれをどうやって飲ますかだ)

 龍樹はどうにか混入できるようなものを探す。

「おい、無かったらいいぞ。別に食べなきゃ死ぬって訳じゃないんだから」

 結構な時間冷蔵庫を漁る龍樹に気を使ったのか、パードリッジがそう言った。

 心成しか警戒心を解いている気がした。

 そして隙のないアテナがいない現状。

 ここを逃せばチャンスはないとさえ龍樹は感じた。

 雫の性格上事細かな質問もしているだろうから、話も結構時間が掛かりそうだ。

「まあもう少し待ってくれよ。もうちょっとで見付かりそうだからさ」

「いや、ほんとにいいぞそこまでしてくれなくて。よく考えたら姐さんにダイエットしろって言われてるの思い出したし」

「大丈夫だよちょっとぐらい。なんだったら黙っててやるよ。腹減ってんだろ? うまいもん食わせてやるからさ」

「……お前良い奴だな」

 漁りながらも聞こえたその言葉は、龍樹の心を軽く抉った。

 だが屈してはだめだ。お前がやらねば誰がやる、とそう自分に言い聞かせ、探索を続行する。

 なにも食材があるのは冷蔵庫だけではない。

 龍樹はレトルト収納用のバスケットに視点を変えた。

 そしてすぐに。

(……これは)

 手にしたのは、レンジでチンよし、お湯で温めるもよしのレトルト式のカレーだった。

「パードリッジ、お前カレーは食べられるのか?」

「カレー? おいおいまた随分と渋いの出してくるじゃねーか」

 渋いのかどうか定かではないが、しかし、パードリッジは、 

「結構好きだぜ」

 そう言った。

「じゃこれ作ってやるよ」

 おう頼む、とパードリッジは元気に返事した。

 レンジで温めるために、カレーを容器に移す。そしてラップ――を掛ける前に、

「ん、何してんだそれ?」

「ああこれか。隠し味みたいなもんだよ。これ入れるとまた一段とうまくなるんだよ。それこそもう酔いしれるぐらいにな」

「へぇーそうなのか」

 もちろん、口実である。日本語が読めるかどうか分からないが、パードリッジにこのラベルを見られたら全てが水の泡だ。

 パードリッジに背を向け、琥珀色の液を隠すように注いだ龍樹は、

(これでオーケーだ)

 ラップを掛け、レンジへと投入。

 そしてダイヤルを回した。

「ほんと悪ぃな。いや、実を言うと理解力のない難儀な奴だなって思ってたんだ」

「なんだよそれ。まあ普段から言われ慣れてるから今更って感じだけどな」

「いや恐れ入ったぜ。それを見抜けなかった俺の眼力が恥ずかしいくらいだ。それにしても味付けまでしてくれるなんて……お前めちゃくちゃ良いやつだな」

「いいっていいって」

 その言葉を、龍樹は聞かないことにした。




「絶対守護衛星?」

 その単語に、逞しい眉を寄せる雫。

 アテナは続きを述べる。

「ええ、もしかしたらだけど、思い当たる節はあるんじゃない? そういう境遇に立たされていたらの話だけれど。致命傷を負うと判断された場合に高フィールドを展開、施された人間をその危機から守る。あなたの身体の中にはその軍事衛星の恩恵を享け賜るチップが入っているの」 

「……なんでそんなものが」

「あなたのご両親よ」

 その言葉を言い終わるかどうかの時にはもう、雫はアテナへと詰め寄っていた。

「両親の事を知っているのか!」

 腰掛けていたベッドから立ち上がり、必要以上の声を出す雫。鼓動が高鳴っていた。比喩抜きに喉から手が出そうだった。

 それでも、アテナの代わり映えしない無表情を見て、ふと、自分が取り乱している事に気付く。

「いや、すまない。つい熱くなってしまって……」

 落ち着けと、自分に言い聞す雫。

 そして。

 そんな彼女の動向の意味を察したのだろう、アテナがこう告げる。

「残念だけど、あなたの両親とはほとんど喋った事はないから、あなたが欲している様な人柄や境涯に付いての情報は話かねるわ」

「……そうか」

 ここでも、駄目だった。

 しかし。

「それでも会った事はあるのか?」

 無理に作った笑顔で、友好的に問い掛ける。それは彼女の得意分野でもあった。

 雫の質問に、その心境を汲み取っているであろうアテナは、

「……ええ」

 どこかやりにくそうに、返事をした。

「そうか、……元気そうだったか、二人とも」

「……ええ」

「そっか、それは何よりだった」

 と、あえて過去形にする雫。それからは沈黙だった。普段の彼女なら有り得なかった。どんな状況だろうと、決してしみったれた空気にはならないよう、いつも心がけていたのだが……

 それほどまでに、この件は特例なのだ。

「……いつか分かるわ」

 意外や意外、この重い空気を打破したのはアテナだった。

「私からはなにも言えないけど、向こうに行けばその手の情報は数多く寄せられる。もしかしたらそこにあなたが知りたがっている情報も含まれているかもしれない」

 彼女は、雫の眼を見なかった。その仕草は人見知りによく見られるものだと、雫は思った。

「……どうやら気を使わせてしまったみたいだな」

 考えても見れば、これはどこまでいこうと、どこまで不幸だろうと、それは所詮自分の問題だ。他者にまでこの暗鬱を伝染するのは、それこそはた迷惑というものだろう。

 雫はこの件に拍手を打ち、打ち切る事にした。

「悪かった。さて、続きを言ってくれ。一体私はイギリスにいってなにをどうすれいいんだ?」

 その天真爛漫に感服したであろうアテナも、雫の心意気に乗じ、先に進む。

「あなたは何もしなくていいわ。基本的に付いてきてくれればいい。中のチップを取り出させてさえくれれば、すぐに帰れるから」

「チップ? それがその衛星の証なのか? それは初耳だな。まぁ私にしても、そんな得体の知れないものが体内にあって、それで狙われるとあっては堪ったものではないからな。うん、こちらこそよろしく頼む」

 と、雫は手を前に差し出した。

 それを数秒、目を瞬かせて見たアテナ。

 その意味は分かっているのだろうが、ご察っしの通り、アテナの苦手分野である。

「握手は嫌いか?」

 雫が訝り始める。

「そういう訳じゃないけど……」

 言葉を濁すアテナ。

 まどろっこしいと思ったのか、

 言い淀むアテナの手を、雫は無理やりに掴んだ。

 更に片手を添えて、

「嫌いじゃないけど、苦手か?」

 淡く微笑む雫は、絡まるその手を優しく見ていた。

「迷惑だろ、本当に嫌がっているのかもしれないのにこうやっていつも強引に関わりを持とうとするんだ」

 独り言のようにそうぼやいた雫。

 彼女自身も、その性格が決して好まれる事でないのは承知だ。

 それを理解した上での行動。

 だがこれが彼女のやり方なのだ。

 人当たりの良い千石雫という女の、処世術。

「とにかく」

 と、雫はアテナを真正面から見据えた。

「短い期間だろうがなんだろうが、一緒に居る以上、仲良くやっていきたい。これはそのための握手なんだ。だからどうか毛嫌いせず、受け取って欲しい」

 返事はすぐには返ってこなかった。

 アテナは雫の力強く輝いている眼を見据えている。

 そして何を思ったのかは分からないが、

「……えぇ、」

 そう言って、支えられていただけの手に、若干の力を込めた。

 それを感じ取った雫はさらに微笑んだ。

「よろしくな、アテナ」

 これが彼女達の第一歩だった。

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