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妖美なるこの世界  作者: 桂馬
始まりは突風のように
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忘れられぬ者


「ただいま」


 雫から逃れ、厄除けの意味を持つ狐の銅像が左右対称に置かれている門を抜け、片道三十分弱を掛けて家に辿り着いた龍樹は横手式の玄関を開けながらそう言い、中に這入る。 


 家屋は二階建ての一軒家で彼の部屋は二階にある。

 玄関で靴を脱ぎそれを丁寧に揃えると、迷わず自分の部屋を目指す。

 古式ゆかしい木製廊下を渡り、二階に上がるための階段へと差し掛かる直前、その手前にある居間から遅れた返事があった。


「あら、龍ちゃんお帰り~」


 眠気を増幅させるようなのんびり口調には、毎度の事ながら力が抜けそうだ。

 畳の上に仰向けで転がるその声の主に龍樹は視線を落とす。


 空野十與(そらのとよ)

 漆黒の長い髪を中間で結んでいる彼女は、龍樹の母親だ。


 もう昼過ぎだというのにルームウェアで寝転びテレビを鑑賞する母という図式。

 別に他の家庭でも珍しくはない光景なのかもしれないが、これで昔は巫女だったというのだから、元神職者としての品格というものを重んじていただきたいものだとだらしない姿を見る度に龍樹は思う。


 まあそれはそれとして、母がその服装の場合は基本的に外に出ていないという事になる。開いているのかいないのか分からない糸目の下には、いつも通りの笑顔が携わっていた。


「……ただいま」


 母の口ぶりだと多分先の挨拶は聞いてなかっただろうから、龍樹はもう一度挨拶した。


「あら? どうしたの、その傷」


 仰向けだった姿勢を反転させそれを確認し、十與は首を傾げる。

 どうやら今朝の一件で負った頬の掠り傷に気付いたようだ。


「いや、別にどうってことないんだけどさ」

「えー本当にぃ? なーんか怪しいなあ」


 まるで友達みたいに勘ぐってくる母。

 一見してのんびりとしているが、洞察力は意外と鋭い。


「なあ。今朝この辺りで変な事件が起きたっていうニュースやってなかった?」

「? さあ、特にはやってなかったと思うけど……」


 記憶が曖昧らしく、思い返そうとしているらしい十與。

 龍樹もしばらくの間だけそれを待った。

 だが何分マイペースな母である。

 回想の時間をたっぷり五秒ほどを経て、なぜかテレビのチャンネルを変えてちゃぶ台の上の御煎餅を手に取ってから、ようやく口を開く。


「でも、どうしてそんな事訊くの?」


 結局思い当たるふしはないらしい。

 もちろん龍樹がなぜそんな事を聞いたのかと言えば、朝方会ったあの連中が何者なのかを探る為。

 雫には気にするなと言われたし龍樹自身深入りするつもりはないが、その被害を被った身としては概要を少しぐらいは知りたい。

 だがその事情を母に話す気は無かった。

 龍樹としてもそれはあくまで興味本位からくるだけであって、何よりも母にいらぬ心配をかける必要性は無いからだ。


「いや、ちょっと気になって。まあ無いならいいや……そういや、今日の晩御飯ってなんなの?」

「ばんごはん?」


 と言って時計を見る十與。

 現在の時刻は十六時半だ。


「あら大変。もうこんな時間なのね。それがまだなのよ。お母さん居眠りしちゃってて、お買い物も出来ていないの」


 頬に手を当て、そんな事を言った十與。

 言葉こそ聞けば切迫感がありそうだが、実際のニュアンスは穏やかそのものだ。

 というか、やはり外には出ていないらしい。


「今日は何にしよっかなー」


 言葉とは裏腹に、母は起き上がろうともしない。

 しまいにはテレビショッピングのタオルを五十枚干せるという物干しに目を奪われたらしく、御煎餅を齧りながら無言になった。

 それを見てはあーと呆れる龍樹。

 どうやら献立すら決まっていないようなので、こりゃまた崇子頼りになるなと空野家唯一のしっかり者の妹に期待する。


 

 階段を上り終えると、その背面側に回り込むような形で対面的に並んだ部屋が二つあった。

 一つは龍樹の部屋で、もう一つは妹の部屋だ。


 当然目指すは自分の部屋。

 ドアを開け中に入ると、まず学ランを脱いだ。それを床に投げ置いてからネクタイを解き、靴下を脱ぎ、宮付きベッドへと身を投げる。

 仰向けで大の字になった龍樹。

 本来ならシャワーの一つでも浴びるべきなのだろうが睡魔には勝てず、ひんやりとした温度が全身越しに伝わり、ふんわりとした生地が眠気を逆撫でる。

 チクタクという時計の音がメトロノームのように響き、空間全体が眠るのを後押ししているように思えた。


 新学期という事もあり今日は色々と忙しかった。

 中でも印象的だったのは何といっても今朝方の出来事だろう。突如現れた褐色の大男の馬鹿力に、なぜか彼を追い掛けていた女。

 事情はさておき見た目から考えれば立場は逆であるべきのような気もするが、最後に彼女の手から放たれた何かをふまえるとその限りではないのかもしれない。


 一体彼らは何者で、あの一幕は何だったのか。

 龍樹としてもあれこれと考察はして見るもののどれも信憑性に欠けるようなものばかりで、それが益々探究心に拍車を掛ける。

 首を突っ込むべきではないと、頭は理解しているはずなのに。


(……まあ考えても仕方がないか)


 無理やり自分にそう言い聞かせる。

 だがあながちその心持ちも間違っていないだろう。

 彼らが何者かは分からない。

 分からないが、今後はもう会わない可能性の方が高いはず。


 だから、ここであれこれ頭を巡らせても仕方がないのだ。


 そう考えると随分と気持ちも楽になった。

 悩みが薄れると脳は単純なものですぐさま眠気を思い出したようだ。


 瞼が、次第に落ちていく。

 ゆるりゆるりと、上方からの暗がりが視界を侵略し始める。

 意識が段々遠のいていき、底知れぬ心地よさが身体全体を包み込む。


 やがて境地へと達すると雑音は消えうせた。

 半開きの瞼は夢うつつの新たな世界を彷徨い、別の意識が向こう側からやってくる。

 

 それでも混濁する世界の中、最後にやはり気になってしまう。

 広い映画館で一人、スクリーンに映し出された映像を見るかのような感覚で件の場面が広がっている。


 金髪碧眼ツインテールの女。

 呆気に取られ尻もちを付きながら見上げていた龍樹に手を差し伸べ、どこかへ走り去っていった美少女。


 恋心でもない。

 畏怖や憧れのようなものでもない。

 ただ単純にどこか儚げな印象を与えてきた女の顔が忘れられなかった。


 あれは一体誰だったのだろう。


 最後にもう一度だけそんな疑問を抱くと、ようやく龍樹は深いまどろみの中へと落ちていった。

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