↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖美なるこの世界  作者: 桂馬
始まりは突風のように
5/261

まさかの再会

 どこからともなく漂ってくる芳香に眼を覚ます。匂いはどうやら一階から放たれているようだ。


 晩御飯。

 もやが掛かっているような感覚の脳でそう推測すると、龍樹は身体を起き上がらせる。


 寝ぼけ眼で時計を見る。

 午後八時。

 約三時間くらい寝た計算だ。

 腹の具合も頃合で、起きたばかりの今でも食欲が無いという事はなかった。

 むしろ減っているくらいだ。


 頭を掻きながら立ち上がると、カッターシャツのまま一階へと向かう。

 父方の親から受け継いだという築五十年の家は結構な古株で、階段を下りる際ぎしぎしという軋み音がした。

 家族が食卓を囲むリビングダイニングに通じるドア前へとたどり着く。

 入る前にもう一度頭を掻き、遮断しているドアを開け――龍樹はそこに這入り込んだ。


「あ、おはよう」


 食卓に小鉢を運ぶ少女がそう言った。

 

 空野崇子(そらのたかこ)

 今年小学五年になった龍樹の妹だ。

 

 彼女は普段ポニーテールをしているのだが、今は晩御飯の用意を手伝う為かカチューシャのようなもので髪を留めていた。

 顔付きは似て無くもないが性格は似つかない妹。

 おっちょこちょいでマイペースな母や兄とは違い、しっかり者で気が強い。

 きっと父親に似たのだろう。


「あら、起きてきたの? 丁度起こしにいこうと思っていたところよ」


 円筒状の箸入れを食卓の上に置いた十與。

 その表情は相変わらずほんわかとしている。

 寝起きという事あってか、龍樹はうんと適当な返事をするにとどまる。


 いまだ眠そうな表情のままいつも座っている指定の席へと向かい、腰を下ろす。

 食卓に広がっているのはハンバーグに野菜というありふれたものだった。

 キッチンのシンクに目をやれば肉塊がへばり付いたボウルが頭を覗かせており、それが意味するのは手作り。

 献立も決まっていなかったマイペースな母が三時間ちょっとで買い出しからこんな手間のかかるものを作れるはずが無いので、やっぱり妹に手伝ってもらったのだろう。

 手伝いもしない長男にことそれについて触れる権利はないのだろうが。


「……」


 ぽりぽり、と龍樹はもう一度頭を掻く。


 なんだろうかこの違和感は。

 起きたばかりの脳が何かを訴えかけてくる。


 食卓の上に並べられていく夕飯達をぼんやりと眺める。

 やがて並べ終えたのか、皆が席に付く。


「さあ、それじゃ食べましょうか」


 両手を合わせ、促す十與。

 宗派とでもいうのか、神に仕える仕事を肖っている我が家は挨拶などの礼儀作法は少しばかりきびしい。

食事中にテレビを点けていないのもその為だ。


「手を合わせて――いただきます」


 母が言ったそれに合わせお辞儀し、命に感謝する。

 それを合図に、崇子が、母が、ご飯を食べ始めた。


 静かな空間に響く、茶碗と箸が奏でる小さなソノリティ。

 この辺りになると龍樹の脳も立ち上がり寸前だ。

 自分の為に用意されているご飯に手を伸ばし、食べ始める。

 ハンバーグを一口。手造り特有の温かみのある芳醇な味が口の中に広がった。

 そしてもぐもぐ、もぐもぐ、


「……ん?」


 ふと、龍樹は何かがおかしい事に気付く。

 先程からずっと感じていた違和感。

 脳が立ち上がってきたという事もあり、ここでようやく気付く事が出来た。


 ぱちぱちと眼を瞬かせてから、横を見た。


 あまりに当たり前のように居たので、それが不思議な事だと気付くのにたっぷり五秒ほどを要した。


 知らない誰かが、隣の席に座っていた。

 ――いや、知っている。

 この女は、今朝目前に現れた女だ。


「おわ!?」


 その事実に気付いた龍樹は、思わず椅子から跳び上がった。


 一気に目が覚めた。

 心拍数がとんでもない事になっている。

 先程まで閑散としていた思考回路は渋滞を起し、危険信号となり警告を促していた。


 発作的に立ち上がった息子に母はどうしたの? と不思議そうに訊いてくる。

 当の本人からしてみれば、どうしたのではない。


「な、なんであんたがここにいんだよ」


 率直な疑問が口から飛び出た。

 咀嚼中という事もあってか、女は口を開こうとはしない。ただその眠たそうな猫目の焦点を、龍樹へと向ける。

 

「あら、顔見知り? 何でもお父さんの知り合いみたいでね。日本に用事があって、少しの間滞在させてほしいらしいの」


 返答はなぜか母である十與からあった。しかしその内容はとてもではないがすんなりと受け入れられるものではない。

 だが母はそれ以上説明する気はないらしく、明らかに訝しむ息子を他所にご飯をぱくり、食事を再開させていく。

 天然は今に始まった事ではないので今さら驚くほどのものではないが、なぜこの母はここまで冷静でいられるのかが本当に不思議だ。


 それに女と面識があるという点にもさほど驚く様子はない。

 相変わらずのマイペースっぷりだ。


「滞在させてほしいって……」


 母の頼りないヒントから推測するに、ホームステイという事なのだろうかと、龍樹は勝手に解釈する。


「いや、待てよ」


 やっぱり色々と訳が分からない。


 龍樹は脳内で状況を整理する。

 朝方に奇天烈な出来事に遭遇してちょっとしたトラウマを植え付けられたが、それでも滅多に起こる事ではないと無理やり割り切って学校生活を終え帰ってきた。

 そして眠気に勝てず寝てしまい目を覚まし飯を食おうとダイニングに来るとその元凶である女がいる。


 うむ。

 益々分からなくなってしまった。


「えーとちょっと待てよ……今ご飯中で見知らぬ女がいて他の皆は知っていて……てかそもそも父さんの知り合いって、あの男は今どこにいるんだよ」


 様々な感情を押しのけて浮上した疑問。


 龍樹の父は、二年前から行方不明だった。

 原因なんて分からない。

 なにせ父は母に断りもなかったどころか、置手紙一つ残さないでいなくなったのだから。


 それは文字通りの蒸発。

 何の前触れもなくある日突然大黒柱がいなくなったのだから、残された家族は堪ったものではない。

 

 予期せぬ展開に、忘れかけていた怒りと切なさがこみ上げてくる。

 今朝の出来事と行方不明になった父というまさかの結びつきに混乱する頭を何とか整理しようとする龍樹。

 だけどやっぱり関連性が分からなくて、難しい顔をする。

 そんな彼に対し、女は伏し目がちのまま、ここまで噤んでいた口を開いた。


「心配しなくても大丈夫よ。彼、ちゃんと元気に生きているから」

「……いや、それはそれでいいんだが」


 消え入りそうなか細い声は、やはり朝に聞いた声と同じだ。

 ただ彼女の放ったそれは答えとしては間違っている。

 龍樹は先程の質問に答えるよう促した。 

 

「……言えないわ」


 だが女はそれに応じようとしなかった。

 え? と戸惑う龍樹に、女は更に続ける。


「正確に言えば知らないの。あなたのお父さんがどこで何をしているのか。詳しい状況なんかはね」

「知らない、って……」


 いくらなんでもそれはないだろうと龍樹は思った。

 なにも知らないのにここを紹介されただなんて、あまりにも虫が良すぎる。

 だが厄介な事に、龍樹は決して気が強くない。

 知らないと言い張る初対面――実際は朝方に会ったのだが――の人間にそんな訳ないだろうと食って掛かる度胸は備わっていなかった。

 何よりも今朝の一連で突飛な事を仕出かした彼女に、龍樹はいまだ警戒心を覚えている。


「お父さんとは仕事上での付き合いなんだって」


 そう発言した崇子の方を龍樹は見た。

 崇子は対面側に座り、すでにご飯を平らげかけていた。


「仕事上って……なんの?」

「さあ、よく分かんない」


 父の安否など最早気になっていないのか、お茶碗の白米を流し込むように食べ、なんとも素っ気無い態度を取る崇子。

 それが強がりからくるものだというのは兄の龍樹にはすぐに分かった。

 何せ父が居なくなった際に一番悲しんだのは、他ならぬ崇子なのだから。


「なんだかお父さん、今はある慈善活動団体に所属しているらしくてね。そこで日々生活を送っているらしいんだけど……何にせよ無事で安心したわ」


 龍樹の斜向かいに座る母もそこまで気に掛けていた様子ではない。

 安心したといった以上、一応心配はしていたようだが……どこか薄いその反応に、龍樹も腑に落ちない感は否めない。


 ついで謎の女を見る。

 先程から全く人間らしい素振りという素振りを見せない。

 黙々と箸を進めている姿は、こう言っては失礼だがロボットのようだ。

 なによりも彼女は今朝自分に会った事を覚えているのだろうかと、龍樹は疑問に思った。


「……」


 まあ、考えるだけでは何も解決しない。

 表情が読み取れない以上、本人に聞いてみるのが一番だろう。

 そう思い至ると龍樹はとりあえず着席し、女へと向き直った。


「えっと……君、名前は?」

「……アテナよ」


 相変わらずの無機質な感じで、女あらためアテナは言った。

 かと思えば、眼球だけで龍樹の方を見て、


「あなたは?」


 そう訊き返してきた。


「俺は……龍樹。なんかどっかのお偉いさんが読み方が違うだけで同じ漢字らしいけど、その辺はスルーしてくれ。俺はよく分かんないから」

「……そう」


 呟いた後、アテナの眼球はまた一点へと戻った。

 それから咀嚼を再開。

 興味は元々無かったといった具合に、次の言葉を発する気配もない。


(……いかんいかん)


 なんだか話が逸れてしまいそうだ。

 朝の件はさておくにしても、薄情な家族に代わり父親の事を自分が聞いてやらねばと、長男である龍樹は妙な使命感に見舞われる。


「それで、アテナ。父さんと仕事上の仲間って事は、具体的にはどういう事なんだ?」

「そういう事よ」

「……………………」


 続きがあると待っていた間、静寂ともいえる空間には箸を進める音だけが響いていた。

 え、終わり? と驚く龍樹はすかさず訊く。


「いやいやいくら何でもそりゃないよ。他にももっと何かあるだろ、父さんについて知っていること」

「何かと言われても困るわ。さっきも言ったと思うけど、あなたのお父さんについてはあまり知らないの。それに私、あまりお喋りが得意じゃなくてね。聞かれた事には出来る範囲で答えるつもりだけれど、自分から率先して話す事ができないの。ごめんなさい」

「……ああ、そうなの」


 まるで感情の読めないトーン。

 原理としては分かるが……とはいえ喋る事が苦手な奴の滑舌ではなかったと思うのだが。

 なんにしても、謝られたとあってはどうしようもない。

 なるほど。

 崇子がよく分からないといったのはこういう事かと、龍樹は妙に納得した。


「じゃ聞くけどさ。なんで父さんがどこでなにをしているか知らないんだよ。それだとあんたがここに来た原因があやふやになる」

「別にあやふやにはならないわ。私はあなたのお父さんの事は知っているけれど、あなた達の事はなにも知らなかった。それと同じ事で、例えその人物を知っていようと、どこでどういう在り方をしているかだなんて、そんなもの他人の私が分かる訳ないでしょう?」

「そりゃ、まあ……そうなんだけどさ」


 正論なのかどうかよく分からない。

 それでも返す言葉が見付からない龍樹は、早くも押し黙ってしまった。  

 元々その辺りの駆け引きみたいなものは苦手なのだ。

 とうのアテナは、駆け引きだとすら思っていないのかもしれないが。


「ただ」


 と、相変わらずこちらに振り向きもしなかったが、ここでアテナが自発的に言葉を発した。

 これには自然と耳を傾ける龍樹。

 かくして、アテナは父親を心配する少年に対して、


「無事だから、安心して」


 それだけは伝えたかったのか、優先事項の如くもう一度だけ、そう述べた。


「……」


 どこか申し訳無さそうだった、アテナの口調。

 口数が少ないからそれと決め付けるのもなんだが、恐らくは不器用であろう彼女なりに、気持ちを汲もうとしてくれたのかもしれない。

 そう考えると悪い奴では無さそうだが、まだ良い奴と判断するのも時期早尚だろう。


 気が付けばダイニングにはまた沈黙が生まれていた。

 なんだか気まずい雰囲気になってしまっている。


 何か話題を振らなくてはと考える龍樹。だが具体的ななにかが浮かんでこない。

 

 聞かれた事しか答えないという彼女に、天気の話しなんかしても仕方なかろう。

 何より先程も述べたが、龍樹はこういう駆け引きのようなものは苦手なのだ。

 だからといってこのまま何も聞かない訳には――


 こほん、と咳払いしたのは崇子だった。


 初めは喉にご飯でも詰まったのかと思った龍樹だったが、どうやらそうではないらしい。

 だらしない兄を見て入られなかったのか、彼女は私が行くと言わんばかりに兄に目配せする。

 そして友好的な笑みを浮かべると、アテナへと話し掛けた。


「ねえ、アテナさんはどこの出身なの?」

「こら崇子。どこの、じゃなくてどこなんですか、でしょ」


 敬語を使おうとしない娘に、注意する母親。

 まさかの敵に出鼻をくじかれる。敏感過ぎる気がせんでもないが、そこもやはり一種の職業病みたいなものなのだろう。

 口うるさい親にう、と唸る崇子。

 しかし当のアテナが構わないと言うと、流石に口を挟む訳にはいかない。

 そお? と心配そうな顔をするト十與に、ありがとうと笑みを浮かべる崇子。

 許可が出たとはいえ敬語を使おうか悩んだのか妙な間は空いたが、結局タメ口で先ほどの質問を続けた。


「それで、出身国は?」

「イタリアよ」

「へえー、じゃイタリア語とか喋れたりするんだ」

「公用語だからね」

「それなのにそんなに日本語がうまいなんて……もしかして英語とかも喋れたりする?」

「ええ、まあ」

「凄い! 私英語って憧れちゃうんだ」

 

 満面の笑みで尊敬の眼差しをアテナに当てる崇子。

 英語に憧れているというそれは、決して嘘ではないだろう。


 崇子は昔、家族で海外旅行へと行く際に乗った旅客機の中で見た金髪ナイスバディのスチュワーデスが色んな国籍の言葉を話すのを見て憧れを覚えたらしい。

 本気で目指しているらしく、最近では暇さえあれば勉強もしているとの事。


「今度塾のテストに出るっていうし。あのね。嫌じゃなかったらなんだけど、後で教えてもらってもいいかな?」

「それは構わないけれど……あいにくと今日は駄目なの。まだ色々とする事があって。後日でいいなら」

「ほんとに? やった。じゃ都合がついたら言ってね」


 友好的な笑みで締めた。

 なるほど。いきなり懐に入り込まず、足回りから固める作戦か。

 流石は崇子、やり方がうまい、と龍樹は我が妹ながら感心した。

 ただ単に、本人は本当に教えてもらいたいだけの可能性もあったが。


「で、結局日本に来た用事ってなんなんだよ?」


 一方で、何の工夫も凝らしていない素朴な疑問。

 感心はすれど実践はしない龍樹。結局足回りからだとか器用な事は、彼には出来ないのだ。

 しかし全くの考え無しという訳ではない。

 遠路遥々イタリアから来たというのなら、その原因は何か。

 ここを聞け出せれば、恐らくは朝方の出来事に一定の解釈は得られるはず。

 それに対してのアテナの返答はこうだった。


「ちょっとした情報収集よ」

「情報収集?」 


 瞼を瞬かせる龍樹。

 とはいえここでも、アテナは口数を重ねる事はなかった。

 箸で摘んだハンバーグを口元まで手を添えて運び、咀嚼。外国人の見事な箸捌きに情景を覚えなくも無いが、今は他に気になる事があると、その感想を脇に置く。


「情報って、なんのだよ」

「それも答えかねるわね。だって、まだ情報を収集していないのだから」

「……そうなのか」


 喋ってる最中も黙々と箸を進めるアテナ。

 情報を収集していないからと言って、その根幹の何かは分かっているであろうに。

 龍樹はなんだかあしらわれている気になり、不満そうな顔をした。

 なんだかんだで、欲しい情報は全然得られていない。


 どうしたものかと顎に手を沿え悩んでいると。

 ぐぅ~と、腹の虫が鳴った。

 それにより腹を空かせていた事に気付く。

 アテナにはまだ色々と訊きたい事があったが、


(まあとりあえず、先にこっちを満たすか)


 腹が減っては脳みそだって回らない。

 思えば最初の一口から全然食べていなかったので、すっかり冷めたハンバーグに手を伸ばし、龍樹はとりあえず食事を平らげる。


 それから特に大した会話もなく、色々と波乱だった夕食は終了し、各々は自室へと戻っていく。


 なぜかアテナは龍樹の部屋へと付いてきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。