07/25/08:30――仕事の頼み
その日、夏休みに入っていたこともあり、俺は朝から寮生に外へ出るなと伝え、起きて来た連中と一緒にリビングでお茶を飲んでいた。
どうしてと、そう問われたが、説明は後だと言っておき、雑談で時間を潰す。とはいえ、残念ながら金代と桜庭は早朝から学校へ向かってしまったのだが、実のところそれは知っている。知っていて放置した。あの二人ならば問題ないとの判断であるし、問題があったところで金代は学校へ向かっただろう。あれでも教員なのだ、それなりに仕事があるはずだから。
「――ん? おいルイ」
「どうした蛍。便所か?」
「ちげーし。じゃなく、携帯端末の通信エラー出てるんだけど、お前のどうよ」
「エロサイトの閲覧が途中で不満なのはわかるが――」
「見てねえし! おいちょっと待て津乗、なにドン引きしてんだよ! 見てねえっての!」
「いや蛍先輩、そういうの部屋で一人でこっそりやってて。マジで。……あ、でも私の方もだ」
「通信障害だろう、よくある話だ」
それほど難しい技術でもない。もっとも範囲に比例して難しくはなるのだが、既存のレベルであったところで、この町一つを覆うくらいは制作されている。もっとも、逆に抜け道もあるのだが。
さて、随分とのんびりしているなと思った頃、平時ではない顔のカゴメが降りてきた。こちらに一瞥を投げると、迷わず玄関の方に向かったので、俺が声をかける。
「おいカゴメ、どこへ行く」
「――、どこへ行こうと私の勝手だ」
「その通りだな、何一つとして文句はない。だったら止めるのも俺の勝手だ。自殺は勝手だが、俺の知らないところでやれ」
「……」
「――おい」
既に立ち上がっていた俺は、リビングから出ようとするカゴメの腕を掴む。
「離せ!」
「いいから落ち着け」
「貴様に何がわかる! 離せ、私は行かねばならんのだ!」
「はあ……ったく――」
まったく、損な役回りである。
右手を離し、そのまま襟首を掴むと、強引に振り向かせ、額が触れ合うほど近くにまで顔を寄せた。
「落ち着けと言っているだろうカゴメ・風祭!」
「――っ」
しん、とリビングが静まり返る。意志を込めた言葉だ、そのくらいの影響はあろう。
「それとも、このままキスでもしろと、そういう催促か?」
「……、――離せ」
「落ち着いたか?」
「ああ、落ち着いた。わかったから、離せ」
「だったら、まずは椅子に座れ。おい天来! 珈琲でも淹れてやれ。状況もわからず、そうかもしれない――なんて情報の欠片を片手に、自殺志願者でももっとマシとも思えるような特攻を、どうにかやめた女が休憩するそうだ」
「……貴様は私を怒らせたいのか?」
「事実だろう、馬鹿が。いちいち俺に怒鳴られんと落ち着きもしない女だと自覚しろ」
「ふん」
「つーか、そっちの事情もさっぱりだ」
「あーうん、というか、本当になんなのルイ先輩。私の胃に穴をあけたいの?」
「俺だって全部知っているわけじゃない。まあいい、とりあえずは状況確認だ。まずは――」
まずは、どうしてこいつらに外出を禁じたのか、その理由を話そうと思ったら、携帯端末が音を立てた。
「へ? おい……こっちの、相変わらず通信エラーなんだけど?」
「ちょっと待ってろ。おい蛍、そこの馬鹿女が出ようとしたら無理にでも止めろよ」
「振り払ってまで、外には出ない。落ち着いているとも」
「言ってろ」
ポケットから取り出した携帯端末に表示されている番号を見て、俺は軽く目を伏せ、インカムを取り出して装着しつつ、リビングにある柱に背を預けた。
六三○七。
その番号が表示される相手は、少ない。
「俺だ」
『私だ。挨拶もそこそこに、少し頼みたいことができてな』
「すぐに本題とは、珍しいな」
『そうやってお前を困らせるのも面白いがな。そこには貴様の身内もいるんだろう? 説明の手間を省いてやる。黙らせてスピーカーを入れて聞かせろ』
――まったく。
この人は、俺の上官は、いつだって変わらないから困るのだ。
「お前ら、ちょっと黙って話を聞いてろ」
ため息を落とした俺は、インカムをそのままに、携帯端末をテーブルの上に置いた。ちらりと、天来がこちらへ来るのを確認しておく。
「――それで?」
『状況はどこまで理解している?』
「今朝がた、五人乗りジープが五台、学校方面へ向かったのを確認して、寮生の足止めをしている最中だ。うちの組織で使ってた新式だったからな……念のためってところか」
『慎重さを失っていないことは褒めてやろう。組織関連で面倒ごとを引き受けていてな。そちらに狩人を向かわせた、到着までは多く見積もっても九十分といったところか』
「なるほど? 俺はそれを待てばいいわけか」
軍人よりも性質が悪いとされる狩人は、いわゆる依頼の引き受け人であり、何でも屋だ。年に一度ある試験には受験者が――日本だとせいぜい五千人くらいだと聞いた覚えもあるが、合格者は多くて五人。依頼の代行者として基本的には単独として動く彼らには銃器の所持も認められているし、戦闘専門ともなれば、俺よりもよっぽど腕も経験もある。ただし、軍人ではないので、国のために動くことは禁じられているため、敵になったことはない。
『空港の受付に転職したのならば、それも良いかもしれんな。本来ならば私が向かう予定だったのだが、追い込みの網にかかったのは、そちらだけではなくてな。別件で行動中、まあこちらはすぐに終わって、そちらへ行くが、いかんせん九十分以内には到着できん』
耳を澄ませば、僅かに銃声が聞こえてきている。終わって、なんて気楽に言うこの女は、未だ作戦行動中であるのにも関わらず、こうして呑気に電話連絡などしてきたのだ。
『――仕事だ、六三○七』
「イエス、マァム」
俺は短い返事と共に、階段をのぼって自室へ向かう。
「情報は?」
『こちらで確認しているだけで十七名。お前の確認情報で、学校に向かったということは、拠点として間借りして休むつもりだろう。その間に、次の移動場所を探すはずだ』
「俺が来たんだ、あんたは学校の情報も仕入れているんだろう? あの狸がいるのに、トラブルが起きるとでも?」
『言っただろう、これは私の仕事だ。狩人や前崎なんぞの部外者に解決されたのでは、問題がある』
「なんの問題があるんだ」
『――貴様ら、私の部下が役立たずだと証明されることを、この私が好むとでも?』
「失言だった、忘れてくれ。逆の立場なら、とっくに動いている」
『だからこその〝忠犬〟だ』
自室に戻った俺は、クローゼットの中にある、一番大きなケースを取り出して、六三○七の番号と指紋認証でケースを開いた。
『詳細は、そちらの寮母にでも聞けばわかる』
「あのクソ女狐にか? 俺が犬であることも見抜けなかった間抜けが役に立つのかよ」
『あれでも二○一、百足の頭をしていたんだ。そう言ってやるな』
「うちの組織の電子戦闘専門部隊だったのか……道理で、あんな間抜けでも尻を磨いていられるような部隊だ、潰されて当然だな」
『犬が特殊過ぎるだけだ。うちだけだぞ、三桁も四桁も関係なく現場に投入されるのは』
「あんたの仕事を奪ったことはない」
『そうとも。私にしかできん仕事は、私がやる。だが、私にもできる仕事ならば、貴様らが片づける。忠犬とは群れだ。しかし、隣には誰もいない。目に見えない繋がりだけが、私と貴様の関係だろう』
「ああ」
その通りだと頷いて、俺は服を脱ぐと、ケースの中にあったボディスーツへと着替え、その上からジャケットを羽織る。そして。
愛用の狙撃銃を組み立てた。
『確かお前は338ラプアだったな。いくつある?』
「保持弾薬は二十発だ。九ミリは十一発」
『終わったら補給してやる。――ああ情報がきたな。そちらへ向かった十七名は、元ハヤブサの残党だ』
「おい……同じ寮に、エリートちゃんがいるのも知ってるんだろう」
『ああ、あれもハヤブサだったな、四○八か。同僚かどうかは知らんが、寮にいる方はきちんと縁を切っているので、何も問題はない』
「面倒だな」
『なんだ貴様、まだ女に甘いのは治っていないのか?』
「病気みたいに言うな」
『ははは! 女は殺したくないと泣きついて来たころが懐かしいな!』
「全員聞いているからって、余計なことを言うな。泣きついていない、後味が悪いと言っただけだ。それに仕事なら、ちゃんとやる」
『そうだな。生死は問わないが、一応は学校という場所だ。あまり血で染めるのも悪いだろう』
「夏休みだから生徒はほとんどいない」
『判断は任せる。後片付けは後続の狩人に任せておけ』
狙撃銃を肩に提げ、腰裏のホルスターに拳銃。そして右側の腰には海兵隊のナイフを装備した俺は、部屋を出た。
「それはいいとしても、事情は?」
『簡単に説明するが、うちの組織で使っていた身体活性薬があったろう』
「ブースタードラッグか? 犬は使っていなかったはずだ」
『あんなものに頼る二流は、うちにはいない。だが軍の受けは良くてな、利権を争ってゴタついている。それが理由だ。奪って逃げたのが今回の連中だ。一部ではあるが』
「それで、あんたの仕事は、その後始末か」
『損な役回りだろう?』
「同情はしない」
『結果を示せば文句はないとも。――すまんな、のんびりしていたところだろう?』
「俺は」
リビングへ、戻る。全員の視線を受ける。
「――どうあっても犬だ。忠犬とは、そういうものだと教えてくれたのは、あんただろう、六○一」
『そうだ。私たち忠犬には、スイッチなど必要ない。どのように過ごしていようとも、そのままで戦場に出られる。そして、必ず生還しなくてはならない。結果を出せ、成果なんぞいらん。無理なら成長しろ、頭を使って考えろ。失敗は許す。だが死は赦さん』
「わかっている」
『もっとも、今回の頼みなんぞ、貴様が今までやってきた〝標準〟の仕事だ。難易度も低い。欠伸をしながら片付けろ。終わったらまた、のんびりする元の生活がやってくる。ハッピーか?』
「文句は全部、あんたが来た時に、全部終わらせた後で伝える」
『ははは! そうでなくてはな、ルイ。――では頼んだ』
「頼まれた」
そうして、電話は終わり、俺はゆっくりとテーブルに近づいて、携帯端末を回収した。
「事情は以上だ」
「あいよ」
「……気楽だな、蛍」
「知らないのか? ここに来て、元軍人っていう連中が口を揃えて言うんだよ。なんにせよ、それが戦場だと思ったのなら、絶対に近づくな。死ぬなら俺たちが先だ――ってな」
「なるほどな。俺はその方が楽だから、それでいい。おいクソ女狐、情報を寄越せ。仮にも百足のファーストだったというのならば、それを証明して見せろ。どうなんだ?」
「酷い物言いですねえ。十七名は確認してますし、学校に滞在中までは追っています。ただ、さすがに配置まではわかりません」
「……言っていいのかどうか迷ったが、役立たずだな貴様」
「本当はそれ一切迷ってませんよね!」
「何故わかる⁉」
「わかります!」
「――本当なのか。ハヤブサが……四○が関わっている、というのは」
「それを確認してどうするつもりだ? お前みたいな間抜けが、翼もない現状で、どうにかするとでも?」
「……――ルイ」
「なんだ」
「頼む。せめて、……見届けさせてくれないか」
「譲歩案か? 俺としては御免だ、足手まといが増えて喜ぶ馬鹿はいない」
「――」
「だが、まあ、感情はわかる。俺の指示に従うというのならば、ついて来い。だが命の保証はしない」
「ああ、それでいい」
「――馬鹿が。〝命の保証〟という言葉の意味合いを、きちんと考えろクソ空軍。イリノイのスコット空軍基地で、輸送や補給しか仕事がないから、そういう間抜けな答えが出る。まあいい……行ってくる」
「――あの! ルイ先輩!」
「どうした、津乗」
「あの……帰ってくるんだよね?」
我慢があった。
そして、悔しさと、――悲しみが見える顔だ。
「当然だ。言っていただろう? 俺にとっては、戦場も、今までここで過ごしていた時間も、同じだ。学校へ行って戻ってくる、夏休み前はいつもやっていた。だが今回は多少疲れることだろう、たまにはお前がドーナツを作っておいてくれ」
「――、……はは、変わらないなあ、先輩は」
「俺は俺だ」
〝そう〟でなくては、ならんのだ。
外に出た俺はぐるりと周囲を見渡してから、足を進める。制限時間はあり余っているくらいだ、走って現場に向かう必要もない。
「おい、ボードを使えばいいだろう」
「おもちゃを現場に持ち込むな馬鹿。――道具になり下がれば、普段遊べなくなるぞ」
「それは……そうかも、しれないが」
「急ぐ旅路じゃない、いいからついて来い。お前には何も期待しちゃいない、せいぜい状況把握に努めろ間抜け。これは俺の仕事だ」
「十七名だとわかってはいるが、それだけだ。武装も、元ハヤブサの誰かすらわかっていない。学校にいる理由だとて曖昧なものだ」
「俺に与えられた仕事は全員殺すか、後続の回収車が来るまで足止めをして無力化をすることだ。これ以上を望んでどうする」
「お前はこんな仕事を続けて来たのか」
「二年ぐらいは、そうだ。一ヶ月に二度のペースでも、たかだか五十くらいなものでしかない。いいか、俺の傍から離れるな。俺の言葉を聞け。邪魔をするな。手に負えないようなら、まずはお前の足を撃ってから、片づけを始める。いいな?」
「……ああ」
「空を飛んでる連中は呑気でいいな、現場のイロハを知らなくとも、操縦さえできりゃ充分か。そもそもハヤブサの内部はどうなっているんだ?」
「基本的には三桁が状況の指示、四桁が実働だ。貴様も言う通り、世界情勢そのものも理由にはなるが、油の輸送や空爆支援が基本となっていた」
「つまりお前は、命令を出す側だってことか。道理でエリート臭いわけだ」
「私だとて操縦くらいはできる!」
「できるからなんだ? そんな当たり前のことを言うから、間抜けと言われるんだ。それしかできんヤツの苦労も知らんし――できないことを、やれと言われるヤツに親身になることもない」
「くっ……だったら、忠犬はどうなんだ?」
「俺たちは戦場に向かう一単位の駒だ。仕事を貰った覚えはあるが、命令を受けたことはないし、出した覚えもない。完全実力主義で、ナンバーなんぞ関係ない。あるとすればトップの六○一と、四桁のトップである六○○九だけだ」
「なんだと? 階級も関係なしで同列? そんな部隊がまとまるはずがないだろう!」
「だから馬鹿だと、俺は再三言っているだろうが……わからないか? 想像しろ間抜け。全員一列で平等だということは、それは、隣の野郎に投げられた仕事が、俺にも同じく回ってくるということだ。ともすりゃ、俺の行動が六○一と同じになることだってある」
「――」
同列で扱われる、平等であるなんてことは、それだけ〝過酷〟だ。同じことを要求され、その成果を出さなくてはならない。
「だから俺たちは一単位だ。個人として、そこに在る。部下もいない、上司は組織のトップだ。上官は二人だけ――だったら? やるしかないだろうが。どんな仕事でも、止めて逃げるなんて選択肢はない。誰かに押し付けることもない。現場に出るのは常に俺だ。俺は俺でしかない。俺以外に仕事を投げるのなら――」
それは。
「――俺なんていらないという証明じゃないのか?」
だから。
俺はさんざん、カゴメのことを間抜け扱いしてきたのだ。気付けと、そう思いながら。
お前が見て来た現場など、ほんのうわべに過ぎず、戦場に出ればすぐ死ぬような間抜けだから、気を引き締めろと。
まあ俺の性格が悪いのもあって、通じていないのは承知していたし、だからこそイラつくのだ。
そんなクソ女だろうが、何だろうが、――俺の知る範囲で死なれたくはない。
「ルイ、お前は……」
「海兵隊からの引き抜きだ、お前よりゃよっぽど戦場を知ってる。仲間の死にも触れてきた。その俺がこう言っている――こいつは楽な仕事だ、とな。電話でも言っていたが、標準の仕事だ。お前が馬鹿をしなけりゃ、すぐに片づけられる」
「……私は、いらないと、そう言っているのか」
「ようやく理解できたようで、俺は嬉しいな。そして、――それがどれほど悔しいのかも、俺は知っている。カゴメ、これでようやくスタートラインだ。せいぜい頭を使え」
もっとも、退役した身にとっては酷な物言いになるだろうが――しかし。
「退役したのなら、軍であったことを忘れて馴染め。その努力もしない中途半端な女だから、間抜けと言われるんだ、クソッタレ」
胸元の勲章を見せびらかすなら、鏡にでも向かってやってりゃいい。
「どうしてお前は――そうして、いられるんだ……?」
「……さあな」
どうもこうもない。
――〝こう〟でもしなければ、俺は、生きていけないだけだ。
町に到着したが、雰囲気はそう変わっていない。だが、あまり人通りはなく、商店は開いているが、ただ開いているだけ、といった感じだ。
「ん? おう、どうしたルイ、殴り込みか?」
茶葉屋のおやじが俺に気づき、声をかけてきたので、一度立ち止まった。
「見ての通りだ。安心しろ、こっちに被害はないし、すぐ片づける。どうやら後始末が完璧だと思っていたのは、間抜けな部署だけだったらしくてな。のんびり生活を送ってた俺も、仕方ないとこうやって重い足を引きずっているわけだ」
「銃声は緊張するんだけどなあ、仕方がねえか。念押しだ、こっちに被害出すなよ」
「足を洗って退屈してるお前らの手を借りようなんざ、最初から思っちゃいない。一般人を巻き込むようなクソ連中なら、もっと手早く済ませるさ。そういえば、あんたのところは三階建てなんだな」
「茶葉の保管は地下よりも環境が良いからな。一番上で保管、真ん中が住居だ」
「屋根を借りるが、いいな?」
「おいおい、どういう冗談だ。こっからだと最低でも千五百ヤードはあるだろ」
「俺にとって千五百なら、女の胸をもみながらでも当てられる」
一度横側に回り、足場を三ヵ所軽く蹴って跳躍した俺は、上空で一回転するようにして足から屋根へ着地する。手で掴んでも良かったのだが、その方が屋根を壊しやすいのは経験上知っていた。
提げていた狙撃銃を手にして、屋根に寝転がる。こんな陽光の高い時間に動いてくれて助かるな、なんて思いながらキャップを外し、照準器を覗き込んだ。まずやるべきは、狙いをつけるのではなく、相手の位置を確認することだ。
照準器越しの視界が一気に黒くなり、それらは無数の数字となって視界情報を作り上げる。狙撃時における俺の特性、つまり術式による補正だ。イメージではなく、周辺状況そのものの情報を投影、または推測して、まるでゲーム映像のような射線ラインを照準器内で描かせるのだ。もちろんそれは、俺にしか見えないものである。
魔術。
特定の術式構成を、魔力を使って具現する式。しかし、俺自身は魔術師だと胸を張って言えるような使い方をしていない。
狙撃時に補正をつけるのだとて、厳密には俺の脳が計算していることだ。それを照準器越しに、いわゆる投影させて、視認するのに術式は使っているが、分類としては内世界干渉系と呼ばれるもので、つまり、俺の中で発現している術式に過ぎない。
この射線を、現実に干渉する外世界干渉系の術式として確立するのに一年。更にその射線を強引に変更させ、射線の通りに弾丸が移動可能になるまでに、更に一年を要した。けれどそれも、研究の成果ではあるものの、俺にとってはあくまでも仕事で必要だからと研究したに過ぎず、探求の結果ではないのだから、やはり魔術師とは違うだろう。
使えない人間にとって、魔術とは脅威ではあるが、それほど特別なものではない。
たとえば、真理眼と呼ばれる魔術品がある。これは瞳の代わりとして機能する魔術品で、特定の物体や人物などの弱い部分、あるいは破砕点を見抜く瞳だが、これは内世界干渉系のものだ。対峙すれば、所持者が有利――と、そう思われるが、そうでもない。
朝霧さんに言わせれば、所持者が見えていて、自分には見えないところで、現実には、つまり世界法則の内部には確実に存在しているものであり、だとするのならば、それは〝ある〟のだと定義できる。それを大前提に思考すれば、相手の狙いもトレースがしやすくなり、対処は可能だ――と、俺の目の前で、術式を使わずに対処して見せた。
俺の術式もそうだ。千五百ヤード先にいる朝霧さんをいくら狙ったところで、どのように弾丸が飛ぼうとも、それは障害物を避け、朝霧さんに当たる射線を確保してのものになる。極論を言えば、千五百どころか、二千以上離れれば当たることはないし、躰のどこかに当たることが前提ならば、それを避ければいいだけのことだと、それもまた、見せてくれた。
――ん? というかこれは、朝霧さんがただの化け物だってことじゃないのか?
まあ結局のところ、いくら魔術と呼ばれるものであっても、現実における世界法則そのものが改変できるわけじゃない。そして、一つのことしかできないようなら、対策されただけで何もできない間抜けになる。だから、基本はそれこそ、走って穴掘って埋めるようなものなのだろうけれど。
さて。
こちら側から、射線が通る位置には十四人を確認した俺は、一度目を瞑って深呼吸を一つ。それから息を止めて、連続射撃を開始した。
一発を撃てば、空薬きょうが自動排出され、次弾が装填されるので、タイムラグはそう多くない。ないが、反動の抑制がやや甘いので、受け流してやらなければならないのが、この狙撃銃が速射に向かない部分なのだろう。もっとも、狙撃で速射を求めるなんてのは、過酷な現場以外にはそうないが。
二十発を使い切り、当たったのもまた二十発。内、五発は駐車場にあった車のエンジンを抜いておいた。
最後の一人、屋内にいた馬鹿の足と腕を撃ち抜いたが――照準器越しに、しっかりと俺は見ていた。
傍で座り、無抵抗の様子の桜庭が、あろうことかその口元を、笑みに変えたのを。
――俺の術式に気づいたのか?
術式を、そこに含まれる魔力を察知する、なんてのは魔術師には当然のように行えることだ。魔力波動と呼ばれるものは、個人差があるけれど、であればこそ、自分と違うそれを敏感に察することは、魔術師にとって必須とも呼ばれるものだ。何故ならば、――魔術師だとて頭を吹き飛ばされれば死ぬからだ。
俺の場合は、射線に沿って飛ぶ弾丸、その射線そのものに術式を使っている。現実に干渉している。つまり、桜庭にとってそれは、術式に触れるも同然のことで――いや。
詮無いことか。タイミングが合えば、話すこともあるだろう。
戻る時は二か所を足場に速度を落として、着地。間抜け顔をしたカゴメと合流する。
「どうだ?」
「射撃を想定せずに配置された馬鹿十四名の足を封じた。言っただろう、簡単な仕事だ。おいおやじ、うるさくして悪かったな」
「いいさ、とっとと終わらせてくれ」
「ああ。――行くぞ、カゴメ」
「わかった……」
と、その前にと、俺は移動先にあるすずの店に入った。
「いらっしゃ――うおっ、なんか物騒な人がきました! 警察!」
「電話は繋がらないだろう……狙撃銃をここへ立てかけておく。空薬きょうも置いていく。触るなよ、弾はないが整備の時に面倒だ」
「こんな物騒なモン、頼まれても触らないっスよ! 金代先生と瑞江さんが学校に行ってるっス。大丈夫ですかね?」
「ああ、問題はないだろう。出る前に片づけてくる」
「はあい。いってらっしゃい。お姉さんも気を付けて」
「……お前も、随分と軽い対応を、するんだな?」
「あたしにとって、戦場なんて知らないものですよ、お姉さん。関わりたくもないし、きっとお兄さんも、関わるなって言うんでしょう。だったらあたしは、知らないままでいいんです。知ろうともしなくていいんです。知っておくのは、お兄さんとお姉さんだけで充分じゃないですか。そんだけのことですよ」
「そう、か」
二人の様子を見て、俺はふんと鼻で笑って外へ出る。
すずの判断は正解だ。そうでなくてはならんし、そうあるべきだ。だからこそ、カゴメの中途半端さに、俺はイラつくのだが、まあ、今はとりあえず放置の方向である。
身軽になった俺は、携帯端末のタッチパネルを叩く。
「……? 何をしている?」
「通信妨害の解除と、学内システムへの侵入」
「なに? 貴様、そんなこともできるのか?」
「お前はこんなこともできないのか――と言いたいが、忠犬ならこれくらい、誰だってやる。やれと言われずとも、教えを受けるのでもなく、できなくては現場でただの役立たずになるからだ。立ち位置としては、まあ、狩人に近いと言われることもある。連中ほどの腕はないと思っているがな」
既に用意してあったプログラムをいくつか走らせれば、ハッキングは完了する。この事態だ、俺の行動に気づいても、学校側は無理をしないだろう。そう考えながら、町のはずれで足を止めて、俺は携帯端末を耳にあてた。
「――警告する」
おそらく、俺の声は放送室から学校全体に流れていることだろう。
「忠犬の一人、六三○七が現場へ介入した。抵抗するなら殺す。一般人に手を出せば殺す。武装放棄しなければ殺す。以上だ、五分やる」
俺は手近な自販機でお茶を二つ買い、一つをカゴメへ放り投げる。
「飲めよ」
「ああ……なんだろうな。わかってはいるんだが、お前が本当に変わらないから、ここが現場であることを忘れてしまいそうだ」
「お前が銃を持ってるわけじゃない、忘れたままでいろ。お前が銃を持たない限り、俺にとっては民間人と同様に、守る相手だ。その方が楽でいい」
「……複雑だが、な」
「元同僚だからか?」
「わかっている。いくら同僚であっても、反旗を翻したのならば、それは敵だ。そしてきっと、先にそうしたのは、私の方なんだろう」
「連中にとっちゃそうかもしれないが、だからといってカゴメがその決断に引きずられる理由にはならない。同僚の死を見たくなければここに残れ」
「――いや、いい。そうならばせめて、見送りたい」
「傷になるぞ」
「それでも、だ」
「まったく、面倒な女だ。もっとも、お前の同僚なんか、俺たちの仲間とは違って、それほど深い絆があったわけでも、ないんだろうけどな」
「なんだそれは」
「生死を共にする時間を、一ヶ月も続ければ、絆も深まると言っている――時間だ、持ってろ」
飲みかけのボトルを押し付け、俺はのんびりと正面から入る。俺が撃ち抜いた正面入り口の二人の姿はないが、血痕はあった。屋内に逃げ込まれていれば面倒だと思っていると、学校の玄関からふらりと女が――桜庭が姿を見せる。
「ルイー、駐車場に向かったよー」
「そうか。一応聞いておくが、手を出してないだろうな?」
「私? うん、してない。殺していいのかどうかも、わかんないし」
「それでいい。満足したか?」
「ちょっと不満だけど、まあいいかなって。じゃあ先に帰るね」
「ああ」
「お、おい、それでいいのか?」
「うん? だいじょぶ、平気」
「勝手にさせろ、管轄外だ」
こんなヤツを相手にする方が面倒だ――と思っていると、ヘリの音が聞こえたので頭上を仰ぐ。
「輸送ヘリか……!」
「増援じゃない、迎えの手配だろう――と、おい」
「なんだっ」
傍にいたカゴメの手を引っ張れば、ヘリから狙撃した銃弾が地面に穴をあけた。
「攻撃⁉」
「落ち着け、ただの挨拶だ」
「避けなければ当たっていただろう!」
「当たらなければ問題ない」
俺は軽く手を振り、校庭の方を示す。こっちはこっちで、駐車場に向かって残党処理だ。
「――カゴメ、十秒待ってから来い」
そう言って俺は角を曲がり、駐車場に顔を出しながら〝不意〟を狙ったであろうナイフの一撃を回避する。妙に手足が長いヤツだ、と思った直後には既に腕の〝内側〟へ踏み込んでおり、引き抜いたナイフが喉に突き刺さっている。どうせ、手を振り回して間合いを誤魔化す手合いだろうが、内側が広いというデメリットに気付かなかった間抜けだ。
蹴り飛ばしながらナイフを引き抜けば、車の傍に蹲った者も多く、その中で拳銃を持っていた馬鹿を一人、頭に二発を撃ち込んでおいた。
かける言葉はない。運動場側に着陸したヘリから数人がこちらに来るのを確認し、後ろからきたカゴメに一瞥を投げ、片手を挙げる――ん?
「シィーじゃないか」
「よう、ネイ。お前だったのかよ」
「そっちは回収業者に転職か? 十七名だ、数は数えられるようになったんだろうな?」
「問題ないさ、十七までは数えられる。それ以降はよくわからねえと、お前に聞きに行くさ」
「おう」
お互い、すれ違いざまに背中を叩き合う。カゴメは何かを言おうとしていたが、視線を切って、俺のところへ合流した。
「知り合いか?」
「海兵隊の頃のな。――狙撃した女は、お前か」
「ハイ、お疲れさま。狙撃の文句は朝霧に言っておいて」
「わかっている。どうせあの人のことだ、狙撃して避けたら自分の部下だ、とでも笑いながら言っていたんだろう?」
「当たり。ラルよ、狩人。掃除屋はもうちょい遅れて到着する。こっちの仕事が減って助かった」
「手柄はいらない、結果だけあればそれでいい。俺の仕事はここまでだ」
「人質を取って立てこもってたら、屍体しか残らなかったでしょうし、良い選択をしたねえ、こいつらも」
「二人は屍体袋だが」
「その程度で済んだんだからいいじゃない」
「――ラル、ハンターにとってはこの程度の仕事は、楽なものなのか?」
「うん? ――ああ、あんたがハヤブサの……まあそうね、楽かどうかはともかく、よくある仕事。回収と掃除の手配だけしとけばいいしね」
「そうなのか……」
「私はこういう生き方をしているだけ。まあこの子もそうなんでしょうけど?」
「どうした、ヘリでこっちに来る時に自分の年齢を指折り数えていたのか、お前は。子供扱いとは恐れ入ったよ」
「この減らず口、朝霧そっくりで嫌んなる」
「ラル殿、彼らはどうなる……?」
「狩人専用留置所に入れられて、もう外に出ることはないんじゃない? まあ私も、ロクマルの仕事の事後処理を回されただけだから、詳しくは知らないけど」
「……そうか」
「同情するだけ無駄だと思うけどね。さあって、あとはこっちに任せていいよ」
「最初からそのつもりだ。次にツラを合わせる時、敵にならないことを祈る」
「そりゃこっちの台詞。じゃ、お疲れ」
「ああ。校長にはひと声かけておけ」
「はいはい」
俺は、面倒なのであの狸とはあまり逢いたくないので、そのまま背中を向けて学校を出た。状況終了だ――もうカゴメも放っておいて良いだろうと思ったが、そのままついてくる。
まったく。
貧乏くじを引くのも、芋を掘るのも、俺にはよくあることだが――面倒なことに変わりはないな。