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少女の困惑


「そこの小さい天使、二人の話がどうなったか教えて」


 トワはこの場で唯一ヌネグ語を解するキャルロットに向けて言った。

 義利はその言語を理解できていないため、助けを求めるようにキャルロットを見る。


 ティアナもヌネグ語に関してはあまり得意ではない。

 ある程度――三文節以内でできている文――は聞き取れるが、彼女からは単語でしか返事をできない。

 そのためキャルロットを頼った。


「小さくないの。キャロはトワより大きいの」


「そんなことはどうでもいいから」


「……話って言われても、トワがなんなのかをティアナがアダチに教えただけなの」


「取り引きをしていたんじゃないの?」


「取り引き? なんのなの?」


 会話が噛み合わないトワとキャルロット、そして会話の内容が全く理解できていない義利とティアナも合わせ、馬宿にいる人の形をした生物は全員が頭の中に疑問符を浮かばせる。


「とぼけないでよ。私の所有権に関する商談をしていたんでしょう?」


 少しの間を置いた後に、トワが口火を切って会話を進めた。


 話のすれ違いは、義利とティアナの雑談とも取れるそれを商談であると断定していたことが原因だったのだ。


 今までに幾度となく目の前で自身を取り引きされてきたために、そんな勘違いもまた仕方のないことだが、であればなぜ足枷を外されたのかまでを、彼女は考えるべきだった。

 取り引きの前に足枷を外すなど、あり得ないのだから。


「ティアナもアダチもそんなことはしていないの」

「じゃあなんの話し合いだったのよ」

「簡単に言えば雑談なの」


 キャルロットは先程までのティアナと義利の会話を、覚えている範囲でトワに伝えた。


 まず、純粋な魔人がどんなものなのかを知らない義利に説明をしたこと。

 トワがその純粋な魔人であり、魔人の修復力が備わっていないこと。

 そして魔人の見分け方と、今後の住まいについて話し合っていたこと。


 それらを聞かされて、さらにトワの疑問が積み重なる。

 説明は確かに上手なものではなかったが、しかしそれが直接的な原因ではない。

 ただ、義利に関する情報を伝え損ねていただけなのだ。


「この人は異邦人か何か?」


 それを、トワは探り当ててしまったが。


 キャロから会話のあらましを聞き、義利が常識を知らないために、そう当たりを付けた。


 魔人の瞳の形など、子供ですら知っていて当然なのだ。

 そして奴隷の鎖を壊すなど、見つかれば殺されてもおかしくない事までも平然とやってのけていた。


 元はその行動から、義利が新たな所有者であると予測を立てていたのだが、そうではなかった。

 故に、可能性としては無に等しいが、唯一残された結果を訪ねたのだ。


「そういえば、言い忘れてたの」

「………………」


 最後に残された可能性を投げやりに問いかけただけのつもりが、まさか正解することは想像しておらず、トワは思わず言葉に詰まった。


 善良な一般人、という可能性は端から考えもしなかったが、後になればまだその選択肢があったことに気づく。

 だが、そう言われたところで信用はしなかっただろう。

 善良な人であればこそ、魔人の足枷を外すはずがなく、魔人の見分け方を知らないはずもまたないのだ。


「そうか……。異邦人か」


 義利の正体を知り、トワは彼に対する警戒心を緩めた。


 しがみついても振り払わず、それどころか衣服を貸している。

 奴隷に対する侮蔑の感情が薄いことは明白だ。


 それゆえ無用な暴力を振るわれることはないだろうと、今までは打算的に彼を頼っていたのだが、彼女は考えを改めた。


――この人は信用できる。


 異邦人は珍しいが、稀少ではない。

 年に二、三人程度は現れる。


 そのため別の世界について触れている書物もないわけではない。

 奴隷として働く中で書庫の整理を命じられた際に、そういった文書に触れたことがあったために、身分の差が少ない世界があることを知っていた。

 それまではあくまで知識としてのそれでしかなかったが、義利の存在と振る舞いにより、実感を得る。


「本当にあるんだ……。平等な世界……」


 思わず本音を漏らす。

 そんな世界があることは、彼女からすれば羨ましく思うと同時に憎らしかった。


 誰もが誰をも虐げない世界に行ってみたいと思うが、人間として扱われない人間の苦悩など知りもせずに生きている者の存在が、殺したいほどに憎かった。


 だがその憎しみを義利に向けはしない。

 たとえ無知が故の行為だとしても、救われたことに違いはないのだ。

 命の――とまでは行かずとも――恩人なのだ。

 感謝こそすれ、憎む筋合いなどない。


「あれ? そういえばこの人――、アダチさん、だっけ?」

「アダチで合ってるの」

「アダチさんは魔人なんだよね?」


 トワが少しだけ刺の抜けた口調になる。

 警戒で塗り固めた鎧を、義利の存在が少しずつ染め直しているのだ。


「そうなの」

「この人の目、丸かったけど……」


 義利がトワの目を確認できたということは、逆もまた然り。

 洞察、そして考察力が抜きん出ている彼女がそれを見逃すなど、まして忘れることなどあるはずがない。


 瞳の形状から融合状態ではないことが確定する。

 だがそのことによりトワの困惑が深まった。


 この小さな天使が嘘を吐いたのだろうか? トワは真っ先に浮かんだ考えを即座に否定する。

――騙す理由がない。


 魔人であると嘘を吐くことによってどんな得があるのだろうと、少女は魔人を捕らえる者の気持ちを想像する。


 魔人――、それも純粋な魔人を捕らえる上で、まず留意すべきはその逃走だろう。

 混乱を防ぐためにも、その存在を外部に知られてはならない。


 逃走を防ぐのに最適なのは『逃げ出す』という選択肢を消すことだ。

 その手段の一つとして足枷がある。

 重りによって物理的に逃走を妨げるのだ。


 壁などに固定をすると拘束感が強すぎるために、反抗心を持たせてしまう。

 だから適度に遊びを作るのは重要だ。


 最低限の身動きをさせることで、逃げ出した際に生じるリスクと、現状に甘んじる事を天秤に乗せた時に、二つが極端に偏らないようにするのだ。

 トワならばそうする。


 では、警戒心を解くためか? これも違うだろう。

 トワは心の中で首を横に振った。


 その嘘が発覚した時のリスクを思えば避けるべき危険だ。

 それがわからないような考えなし、という訳でもあるまい。

 加えて、少なくともトワから見てのキャルロットは、損得勘定で相手を騙すような輩ではなかった。


 そう考えると『アダチが魔人である』という嘘を何者かがキャルロットに吹き込んだ、という線が濃厚となった。


 しかし何故? こうして混乱させるためだろうか? だとすればその作戦は成功している。

 が、だからなんだという話だ。


 混乱している隙に捕らえるつもりだったのならば今がその時だ。

 だが、そんな気配はない。


 時間にすればわずか数秒、その間にトワはこれだけのことを思考した。

 その際に見せた、相手の立場に立つなどの想像力の高さもまた、彼女の特筆すべき点だ。


 推察し、考察し、洞察し、それから暗殺する。

 そういう風に生きてきたために自然と身についたのが、思考という名の、トワの一つの武器である。

 それが通じない相手が現れ、しかもそれが異邦人であったことは、トワの自信を大きく揺らがせた。


 そんな時に返されたキャロからの言葉は、トワの揺らいだ心をさらに動揺させることとなる。


「ああ、アダチの悪魔は変わりものなの。今は外で寝てるの」


 いくらトワといえど、そんな常軌を逸したアシュリーの行動までは理解できなかったために、思わず思考が停止する。


「わけがわからないわ……」


 そうとしか言葉がなかった。



「まずはアダチさんにはコッチの生活に慣れてもらわないとだから、しばらくはウチで生活をして、それから国務兵の試験を受けてもらって、頃合いを見計らって自立してもらうってことで」


 キャルロットからトワとの会話の内容を聞いたティアナは、全員に伝わるように切り出した。

 そしてティアナの言葉をトワにも伝えるべきだと判断し、キャルロットがヌネグ語で通訳をする。


「あ、そうなるんだ」


 と、馬宿を出ようと動き始めたティアナを、義利の声が引き止める。


「てっきり僕は宿暮らしかと思ったよ」


 振り向いたティアナに、義利は足りなかった情報を付け加えた。


「まさか」


 そんな義利をティアナは鼻で笑った。

 何を馬鹿なことを、と。


「あなた、ココでの通貨も、その価値もわからないでしょう?」


 彼女の言うように、義利はラクスで使われている通貨を知らない上に持っていない。

 例え持っていたとしてもそれで何がどれだけ買えるのかが分からないのだから鉄くずと同価値だ。


「そりゃそうだけど」


 しかしそんなことは彼も重々承知している。


 通貨とその価値の問題に関しては、アシュリーに頼れば問題にならないのだ。

 買い物をする時には霊態になって同行してもらえば良い。

 それですべては解決する。


「いいの?」


 義利が遠慮がちな声でティアナに問う。


「何が?」


 意味がわからないことを問われ続けるのが不快なのか、わずかに苛立ちを見せながらティアナは言った。


「いや、同棲っていうの? ティアナも年頃の女の子だし……」


 同棲とは多くの場合は恋愛関係にあるひと組の男女が住居を共にすることを指すので、合計五人での生活をより正確に言い表すのならば同居である。

 しかし、改めて見れば人間は男女のひと組しかないので、義利の表現もあながち間違いではないのかもしれない。


「本当に大丈夫?」

「…………」


 義利の指摘を聞いた途端に、ティアナの表情はうすら笑いを浮かべたまま固まってしまった。


「そんなこと、考えてなかったって反応なの」


 ティアナの内心をキャロが代弁する。


 キャロやアシュリーやトワもいるために、同棲うんぬんはティアナからすればそこまで気にするようなことではなかった。

……なかったのだが、それは『義利は年下である』という間違った認識が抜けきっていなかったからだ。

 中性的な彼の容姿は、ティアナから見るとどうしても幼く見えてしまうのだ。

 ちょっと手のかかる弟ができるような気でいたのだが、年上であると認識を改めることにより躊躇いが生じ始める。


 襲われたところで腕力勝負で負ける気など全くないが、視線などは防ぐことができないのだ。


 尤も、義利にはそんなつもりは毛頭ない。

 しかし女性であるティアナからすればそのくらいの危惧は当然とも言える。


「でもティアナ。トワとアダチを一緒にしておかない手はないの」

「どうして?!」


 キャルロットの言葉に希望の光を見つけたように、ティアナは食いつく。


「もしもアシュリーの気配を察知されたとしても、トワを見せれば誤魔化せるの」

「なるほどね……」


 合理的な判断にティアナは唸らされる。


 これで義利とトワを迎え入れることに対して利益が生じる事が判明したのだ。

 仮に義利をどこかの民宿に押し込め、そこを聖人に感知されて襲撃されれば、間違いなくアシュリーが暴れだすだろう。


 その際の被害は計り知れない。

 一人の聖人を相手取るだけならば問題ないが、騒ぎを聞きつけて何人もの兵が集まるだろう。

 そしてどれだけの人員を投じようとも、その全てを嬉々として屠るアシュリーの姿は簡単に想像できた。


 国務兵として、ラクスを守るという責務を背負う者として、ここは頷かなければならない。


 だが、僅かな抵抗がどうしても残ってしまうのだ。


「あの、アダチさん。あなたって年上と年下、どっちが好み?」


 唐突に、彼女はそんな質問を投げかけた。


「年下」


 それに義利が即答する。


 ティアナはがっくりと肩を落とした。

 話の流れからして、ここは嘘でも年上好きであると答えてもらいたいものだったが、義利は望み通りの返事をしてはくれなかった。


 あくまで体裁を取り繕うための言い訳が欲しかっただけなのだ。

 年上が好きな男の子を迎え入れたところでなんら問題ないと、そう自分に言い聞かせたかったのだ。


「……まぁ、いいわ。一応とはいえ助けられたことに変わりはないし、その恩返しよ。うん」


 結局、新たな言い訳を見つけてティアナは無理やり納得した。


「いきなり三人も増えて大丈夫?」

「もともとキャロと二人で暮らすには広すぎるくらいだったし、部屋は大丈夫よ」


 そう言ってティアナは話題を切り上げようとする。


「お世話になります」


 今度は空気を読んだ義利が素直に頭を下げる。


「アダチはご飯作れるの?」


 会話が途絶え、今度こそと動き出したティアナは、またも足を止めさせられる。


 キャルロットは、どこか好奇に満ちた目を義利に向けていた。


「簡単な物なら……、と言っても元の世界の食材があればだけどね……」


 牛とか豚はあんなバケモノじゃないといいなぁ……、などと遠い目をしながら漏らす義利を他所に、キャロはさらに瞳を輝かせる。


「お菓子は?!」

「同じく。趣味の域だよ?」


 それを聞いたキャロは義利に近づき、小さく囁いた。


「実はね、ティアナはご飯もお菓子も作れないの」

「で、できるわよ、失礼ね!」


 聞き耳を立てていたわけではないが、静かだったために聞こえてしまったのだ。

 ティアナは真っ赤になりながら慌てて否定した。

 怒り、ではなく羞恥による赤さだ。


「でも、いつも買ってきたものなの」

「それはほら……、い、忙しいから仕方ないのよ……」


 しどろもどろになりながら唇をとがらせる。


「シチューはとっても美味しいの」


 すると機嫌を戻すためにかフォローを入れた。


「シチュー『も』でしょ?」


 その態度には思うところがあるキャロは、少しムッとして、それから小さくため息を吐いた。


「せっかくだから言っちゃうの。ラクレットを料理って言い張るのはずるいの」

「なんで?!」

「あれはパンとチーズを買って焼くだけなの」

「…………野菜を茹でたりもするもん」


 落ち込んだり、調子に乗ったり、憤慨したかと思えばすぐにしぼんだりと、感情の起伏が激しい辺り、アシュリーとティアナは似た者同士なのかもしれない。

 そんなことをぼんやりと考えつつ、義利は間を持たせるために質問をした。


「ラクレットって?」


 すると、うつむいていた顔を勢いよく持ち上げたティアナと目が合う。


「チーズをね、炙って表面を軽く溶かすの。それをナイフでそぎ落として、パンとか茹でた野菜に絡めて食べるのよ! チーズを温める時に表面を軽く焦がすのがオススメね! パリッとした食感と口の中に広がる香ばしい香りは格別よ!」


 簡素な説明で良かったものを、そこまでの熱意で語られてしまい、義利は少々引いていた。


「……へえ、美味しそうだね」


 しかし聞いたからには何かしら返事をしなければ、とその熱烈なラクレットの紹介に相槌を打つ。


「ええ、とっても!」


 彼にしてみればただの相槌であるところのそれを、ティアナは肯定的に捉えた。


「そうだ! 晩ご飯までの繋ぎでどうかしら! お腹、すいてるでしょう?」

「ティアナが食べたいだけなの……」


 もはや圧倒されつつある義利に、キャロがボソリと耳打ちをする。


「そ、それじゃあご馳走になろうかな」


 結局、押し切られてしまった義利に、キャロから恨むような視線が送られる。


 押しに弱い性格であるがゆえにこうして押し切られて損をすることも多いが、それが人付き合いにおいては役に立つこともあるのだ。


 今回の場合、ティアナからの好感度が上昇しているので損はしていないだろう。

 義利はそう思うことにした。


「じゃあさっさと帰りましょう。そうしましょう!」


 満面の笑みで、今度こそティアナは馬宿を出発した。

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