魔人の証明
昔むかし、あるところに、一人の魔人がいました。
その魔人はとても若く、色んなことに興味津々です。
ある日、魔人は人間の恋心に興味を持ちました。
恋ってなんだろう、愛ってなんだろう、好きってなんだろう。
悪魔は契約を交わした人間に聞きました。
『なぜ人間は番いになろうとするの?』
悪魔には結婚という文化がありません。悪魔の子どもはいません。
世界が必要だと感じた時に、何処かで自然に発生するのです。
だから悪魔には、恋や愛といった感情がわからないのです。
『繁殖が目的なら、不特定多数の男女が第一次集団を形成した方が効率的なのに』
そんな悪魔を、契約者の人間は可哀想に思いました。
『愛というのはね。特定の誰かと一緒にいたい、その人とすべてを共有したい。そう思うことなんだよ』
『共有って……、財産とか?』
悪魔はふざけている訳ではありません。本当の本当にわからないのです。
『違うよ。嬉しいこととか、楽しいこととか』
『ふーん。そういう訳』
結局は利益のためなのか、そう納得した悪魔でしたが、人間の言葉はそれで終わりではありませんでした。
『苦しいことや悲しいことも、本当に、全部を共有したいって思うことなんだ』
『何それ。他人の苦しみや悲しみまで共有なんて損だよ』
悪魔はつまらなさそうに呟きました。
『大切な人が悲しんでいるのに何もできないのは、とっても悲しいことなんだよ』
人間は悪魔に愛情を教えてあげるために考えました。どうすれば伝わるのだろう、と。
悪魔も、愛情を知るために考えているのです。でも、愛情を受けたことのない悪魔には、どうしても理解できませんでした。
『君が今、一番大切な人は誰?』
『僕だよ』
悪魔に迷いはありませんでした。自分よりも大切な人なんて、この世界のどこにもいないと思っているのです。
『……自分以外で』
『えー……、うーん……。となると、君かな』
人間はにっこりと笑うと、悪魔のことを抱きしめました。
『何をするんだよ。急に』
悪魔は人間にされるがままですが、少し期限が悪そうです。
『君は今、どんな気持ち?』
『なんだろうね、落ち着かない』
人間は悪魔の体を離し、それから両肩を掴んで、腕の長さの分だけの間を開けて、悪魔の目を見ました。
『私は、君のことを愛しているんだ』
悪魔は目を逸らします。
『なんだよ、藪から棒に』
『そうでなければ契約なんてしていない。すべては愛しているからなんだ。最初に会った時から、ずっと』
そう、人間は悪魔を愛してしまっていたのです。でもその気持ちを、ずうっと隠していました。人間のルールで、悪魔を愛してはいけないと決められていたからです。
それでも、愛することの素晴らしさを伝えるには、その気持ちを言葉にしなければならないと、人間は決心したのです。
『なんだ……、これ? 落ち着かない。でも、嫌な気分じゃない……』
悪魔は困りました。それは今までに経験したことのない感覚だったのです。
困惑している悪魔を、人間はもう一度抱きしめました。
『今度は、どんな気持ち?』
『……悪くない』
悪魔は顔を真っ赤にしながらそう答えました。
『それが愛情だよ。私の愛情が、君に伝わっているんだ』
『これが……。そうか。人間はこんな素敵な心を持っていたんだね』
その日から人間は街を出ました。そしてその姿を見た者はいません。
その日から悪魔は、人間を殺すことをやめました。
その日、二人は結ばれたのです。
それからしばらくして、二人は子どもを授かりました。
◆
「それが――、この子?」
義利の問いに、ティアナは首を縦に振って答える。
あれからトワは、義利の服を握って離れなかった。
懐いたわけではなく、敵意が無いと思われる人物の側に居ることで身の安全を測っているのだ。
出会ってまもなくの少女ですら――、いや。だからこそ、義利の無害さを理解できた。
今までに出会ってきたどんな人物よりも、とりあえずは危険性がないことが。
現在、馬宿の一角は人間に占拠された状態にある。
縦長の小屋の最奥、右に藁の山、左に工具の吊るされているそこで、彼らは語らっていた。
ティアナは壁に寄りかかり体重を預け、キャルロットは唯一のイスに腰掛けている。
義利は、藁の山に背中を預けて床に座っていた。
彼の履いているジーンズが掴みにくいためにトワは上着の裾を握っていたのだが、そうすると常に腕を持ち上げていなければならず、それが辛そうに見えたため彼は気を回したのだ。
しかし座り込んだことにより腕にしがみつかれてしまい、結果的に身動きを封じられたような状態にさせられる。
少女を振り払うこと自体は容易いが、それを行うほどの非道さを持ち合わせていなかった。
「ところで、なんで絵本語りだったの?」
義利が余計な点に疑問を挟む。
「それは気にしないでいいから」
ティアナはさらりと受け流した。
二人の会話が進んでゆくにつれ、トワは義利の腕を掴む力を強めた。
共通語がわからないために、たとえば今、この瞬間に自身の身を金銭でやり取りされているとしても、それがわからないのだ。
だからこそ、少しでも同情を集めようと弱者のフリをしているのだ。
本来の力を発揮すれば、瞬時に三人を殺害できるというのに。
「悪いけど、おふざけをしている精神的余裕がないの」
ティアナの眉間にシワが寄る。
「純粋な魔人、って言ったでしょう?」
「言ってたね」
義利は頷きつつ相槌を打った。
「その子は単身で能力を発揮できるの。融合の必要もないし、肉体を変化させる必要もない。いつでもどこでも、好きな時に」
「それは――」
すごいことなのか? と口に出すことははばかられた。
確かに融合の必要がないのであれば、融合をし始めた時に攻撃を受けることも、就寝中に攻撃を受けることも警戒する必要はなくなる。
だがそれらの隙が発生するのは義利とアシュリーのように、常には融合していないペアでの話だ。
一般の魔人は融合状態を恒常に保っているのだから、そもそも同じようなものではないか。
義利の疑惑を読み取ったように、ティアナは言葉を続けた。
「より問題なのは肉体変化のほうよ。悪魔の中には肉体の変化を抑えることのできる個体もあるらしいけれど、その状態でいるには多大なエネルギーを消費するの。余程のことがなければ、まずそんな事はしない。でもその子はなんの代償もなくそれができる」
それでもその重大さを、義利は理解できない。
はぁ、とティアナは深いため息を吐く。
「隣人が魔人かもしれないだなんて、考えたくもないでしょう」
「なるほど」
代償なくして人間の姿でいられるのならば、すべての魔人がそうするだろう。
命を狙われる機会が格段に少なくなるのだから。
そしてそんなことをしている魔人の存在を知れば、誰もが疑心暗鬼に陥ることとなる。
『今、目の前にいる相手が魔人かもしれない』
そんな恐怖を常に受け続けなければならなくなるのだ。
それは問題だ。大問題だ。
誰もが誰をも信用できないのであれば、社会生活が崩壊してしまう。
家から出ることも、いや、家族と顔を合わせることすらも危険を孕んでいることになってしまう。
この少女の存在が、そこまで危険なものであるとは……。
「いや、待てよ」
そこまでの考察をしたことにより、さらに義利は疑問を見つけ出した。
「この子、本当に魔人なの?」
「どうしてそう思ったの?」
彼の質問を、ティアナは喜ばしく思っている。
義利の疑問は尤もで、当然の物だ。
それを彼女は、ある種の確認のために問い返した。
「身体の傷だよ。魔人の修復力があればミミズ腫れなんて、たぶん一秒もかからず消えるんじゃないかな?」
魔人の修復力。義利はそれを直に体験している。
擦過傷と小さな火傷は一瞬で、骨折は五秒もかからず、腕の消失であっても一分とかからずに元通りに修復される。
そんな修復力があればミミズ腫れなど残るはずがない。
それこそ瞬く間に、跡形もなくなっているはずだ。
一から十まで、すべて説明しなければ何もわからないような思考停止人間を相手にするのは骨が折れる。
それが異邦人ともなれば、面倒は見きれない。
一を聞いて十を理解することまでは望まないが、一を聞いて三は理解して欲しいと、ティアナは望んでいる。
そして、彼は一を聞いて五は理解できていることが確認できた。
「トワは悪魔の修復力を持たないの。人間の性質が強く現れているからだと思うわ」
「思う? 確かな情報じゃないの?」
「そりゃ貴重な検体ではあるけれど、その筋の専門なんていないからね。認知されてる混血は三体だけだし」
「……この子の存在は伏せられていたんだよね? じゃあティアナはいつ、この子の事を知ったの?」
「ついさっきのこと。あっちの屋敷で」
母屋の方向を指し示して言う。
「噂っていうか、さっき話した民間伝承みたいな程度なら、国務兵のうち結構な数の人間が知っているわよ。実物を見たのはここに来てからが初めてだけど」
「じゃあこの子が――、トワが魔人じゃない可能性もあるってことだよね」
名前を知っているのに『この子』と呼び続けることに抵抗を覚えた義利は言い直した。
伝聞での情報では嘘が混ざり込むことは大いに有り得る。
何者か、トワに恨みを持つ者が腹いせに魔人に仕立て上げたのではないか?
そんなことを彼が考えたこともまた、当然と言えば当然のことだ。
しかし義利の言葉を、ティアナは即座に否定した。
「それはない。絶対にない」
「どうして言い切れるのさ」
「目を見れば分かる」
いわゆる女の勘ということだろうか。
そうだとしたら義利としては幻滅ものである。
もちろん、そんな訳はない。
ティアナは壁から背を離し、義利に歩み寄った。
それによりトワが服を握る力を強めるが、気にも止めない。
そして義利の顔を両手で挟み固定し、彼の目を覗き込んできた。
「私の目を見て」
言われるがままされるがままに、義利はそうする。
鳶色の、綺麗な瞳に吸い込まれそうになっていた。
ティアナは幼さがわずかに残っているが、それでも端正な顔立ちをしている。
義利とて男だ。
呼吸が感じられるほどに接近すればそういうコトを意識せずにはいられない。
「あ、あの、ティアナ……、さん?」
わずかに香る花の匂いに心拍数が上昇するのを感じつつ、義利はどうにか震わせることなく発声することができた。
「どう?」
「どう、と言われましても……。綺麗だと思いますとしか……」
しどろもどろになる義利の反応を見て、ティアナはハッとして離れた。
「とりあえず、次にトワの目を見て」
頬をわずかに赤く染めつつも、彼女は平静を装って指示を出す。
義利はティアナの言葉に従って、隣にいるトワの瞳を見た。
トワはキョトンとした様子で、小鳥のように首を傾けながら義利の目を見つめ返す。
「瞳の形、変じゃない?」
瞳を注視して、気づいた。
「何、コレ……」
トワの瞳の中、瞳孔の形は円ではなく、逆三角形だった。
「それが魔人の特徴。機会があれば魔人化したまま鏡を覗いてみるといいわ」
ティアナは元の場所に戻り、背中を壁に密着させる。それから大きく肩をすくめた。
「人間の姿にはなれても、瞳の形だけは変えられないみたい」
「けどそれが確認できるまで接近した時にはいつ殺されてもおかしくない、ってわけか……」
「そういうこと」
遠目には判別が付かず、近づくことは死の危険を高めることになる。
それでトワの存在を隠そうとしている。
義利は納得がいった。
足枷は万が一の脱走に備えてのことだったのだろう。
幾つもの傷痕は、差別意識からの物でしかなく、それを良しとすることまではできなかったが。
「じゃあこれから私の精神的余裕が大幅に減少している理由について話すから」
「ああ、それ。実は気になってたんだよ」
社交辞令的に義利は返した。
本音を言えばそんなことはすっかり忘れていたのだが、ティアナも愚痴をこぼしたいのだろうと、慮ったのだ。
「魔人の力を使えるために危険なトワには監視役が必要で、それは国務兵の中から選出されていました。トワの監視はガルドの役割りです。けどガルドはお金で雇った人にその役目を押し付けていました。でもガルドは今回の遠征で死んでしまったことになっています。そのせいでお金をもらえなくなった雇われ人は仕事を放棄しました。結果、ガルドの直属の上司に監視役は引き継がれることになりました」
絵本口調、しかしトワの話をした時と比べるとかなり投げやりに、ティアナは言った。
「はい、じゃあ問題です。今のトワの監視役は誰でしょう?」
「もしかして……、ティアナ?」
「正解」
ティアナの悩みの種を知り、その一つでもある義利は困ったように笑顔を浮かべる。
「た、大変だねぇ……」
そうとしか掛ける言葉が見つからなかった。
「……大変なのよ」
返す言葉もまた、それしかなかった。
会話が止まる。トワは不安げに二人の顔を交互に見た。




