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トワ

 賑々しい声に、義利は目を覚ました。


「あれ、僕――寝てた?」

「そりゃもうグッスリとな」


 口元を拭いながら、義利は体を起こす。

いつの間に眠っていたのか、その記憶は存在しなかった。


 まずは現在地を確かめようと、義利はくるりと荷馬車の周囲を見回す。

――尤も、そこがどであろうと、彼にとっては見知らぬ土地でしかないが。


 荷馬車は、木で作られた小屋の横に停められていた。

 いったい何の小屋だろう? と義利が疑問に思った時に、ちょうど小屋の中で馬が嗎いたため、馬宿であることを察する。


 目線を移して反対側をみれば、母屋があるが、それが何であるかまでは彼に分かるはずもなかった。


 さらに目線を変えて御者台を見れば、そこにティアナは居らず、馬も外されている。

 加えて荷台の物はほとんどがなくなっていた。


 アシュリーが好んで(いたかどうかはともかく)食していた果実を含む食物を入れた木箱や、飲用水の樽、畳まれていたが所々に傷の入った国務兵の制服等。


 有る、あるいは居るのは、ティアナの私物をまとめた木箱、眠っているキャロ、そして――。


「あれ? アシュリー?」


 アシュリーの姿は、見当たらなかった。

 つい先ほど義利に茶化すような声をかけたばかりだというのに。


 不安……ではなく心配だった。

 悪魔に対する人間の扱いを聞いていたために、もしや眠っている間に捉えられていて、聞こえた声は幻聴だったのではないか――、と。


 しかしそれは杞憂に終わった。


「コッチだよ、コッチ」


 声の場所を突き止め、そちらを向く。

 唯一残っている木箱の中からだった。


 なるほど、と義利は一人で納得する。

 私物用の箱に隠れたのか、と。


「いやいや、いくらアシュリーが小さくてもその中には入れないって!」


 その考えを即座に、声に出して否定した。


 箱と言っても約五十センチ四方だ。

 膝を抱えて丸くなれば、あるいは身を隠せるかもしれないが、あくまで空箱ならばの話しである。

 籠手や臑当て、ナイフを含む諸々の装備や、それらを手入れする道具の入っている箱には、アシュリーよりも更に小さいキャロでも不可能だろう。


「バーカ。こういう事だよ」


 そんな声と共に、青白い光の球が現れる。

 霊態になったアシュリーだ。


 今度こそ、義利は納得した。


 その状態であれば、身を隠すには最適である。

 ただし、輝いていることを除けば、だが。


「あ、でも天使に探知されたらマズイんじゃない?」

「そん時はそん時だ。つーか街中で探知を使うヤツなんか居やしねぇよ」


 アシュリーはそこで人間態となって続けた。


「そもそも悪魔が単身で人里に降りるなんざ、あり得ないんだ。アクター無しじゃあ大したことはできないから」

「そんな油断もあって、こうして魔人の侵入を許しちゃった訳だ」


 義利は冗談目化して言っているが、それは人間の慢心が生み出した重大なミスに他ならない。

『まさか悪魔が入り込むはずがない』

 そんな油断が戦火の火種になるなどとはつゆほども思っていない。

 悪い習慣として根付いてしまっていた。


「ところでティアナが何処に行ったのか知ってる?」


 そして別の世界から来たために、『コチラ』の常識に疎い義利は、その話題について深く追求しようとしなかった。

 それは人間の常識に疎いアシュリーも同じだ。


 アシュリーの場合は知っていたとしても、その問題点を指摘することはないだろう。

 警備の強化、などという名目で街中でも悪魔の探査をされては不利益にしかならないからだ。


「アイツは、アッチの建物の中に行ったよ。起きても待ってろってさ」


 背中越しに母屋を親指で指し示しながらアシュリーが言う。

 彼女もあの建物がなんのための物であるかは分かっていないらしく、そしてどのような目的でティアナがそこへ向かったのかも知らないらしい。


 暇を持て余したように頭の後ろで手を組むと、ゴロンと横になった。

 一応、見張りの役目を勤めていたのだ。


「じゃあ、アタシはしばらく横になってるから。用があったら呼んでくれ」


 大きく口を開けてあくびをすると、アシュリーは目を瞑った。

 義利がそうであったように、彼女も幾分かの疲労を感じていたのだ。

 すぐにでも眠りたかったのを堪え、万が一の事態が起こらぬようにと、睡魔と戦っていたのである。


「……おやすみ」


 小声で言うと、既に彼女は、すぅすぅと、穏やかで規則的な呼吸に変わっていた。

 義利はアシュリーの睡眠を妨げないようにと、その場を離れる。


 だが、アシュリーの身を案じてあまり距離を離したりはしない。

 彼女もまた義利と同じく、命を狙われてもおかしくない存在なのだ。


 そんな彼女を無防備なまま放置するような恩知らずではない。

 そうとわかっているからこそ、アシュリーは体と心を休められているのだが、そのことを彼女は自覚していなかった。


 義利は荷台から物音を立てないように気をつけながら降りると、馬宿を目指した。

 睡眠を妨害せず、異変があればすぐに駆けつけられる場所として最適だと判断したのだ。


 そもそも馬宿になら他に人はおらず、冷静に現状を再認識することが可能で、ついでに動物に触れることで精神の安定を目論んでいたのだが。


「…………」


 それらは全て叶わない。


 なぜならそこには、先客がいたのだ。


「ロア……、タワリ・ツ……」


 ボロ切れを身体に巻きつけただけの、薄汚れた少女がそこには居た。

 おまけに義利のことを涙目で見つめながら、不可解な言葉を話している。


 義利はひとまず、その少女のことを観察することにした。

 性的な意味では、もちろんない。


 年齢としては十代前半、ティアナよりも幼い様子だ。

 馬宿の隅、積み上がった藁に身を潜めるようにしていたことから、何者かに追われている、もしくはどこからか逃げてきたのだろうと当たりを付ける。


 気づいていないフリができれば、義利としては一番楽だったのだが、バッチリと目線が合ったうえに、少女は声を上げてしまっている。


 この場から逃げようとしたのか、少女が立ち上がって馬宿の入口――、つまりは義利の方へと向かってきた。


 しかし彼女の両足には枷が嵌められており、そこに繋がれている重りのせいでまともに行動できず、足をもつれさせた。


 ボロ切れを抑えていたために受身は取れず、ばたりとその場に倒れる。


「あー、えーっと。大丈夫?」


 義利は極めて優しい声を、意識的に出そうとした。

 だがそれは何処か不自然な物となり、少女の警戒心を強めてしまうだけに終わる。


「イナタ・ヰ・ヌネグ・ヒヘユナロ」


 ふるふると少女は首を横に振る。

 大丈夫ではない、という意味に義利は捉えかけたが、言葉が通じないのにそんな訳があるか、と頭を振ってその考えを思考から追い出した。



 少女は足枷を外そうと、手で四苦八苦している。

 鎖同士がぶつかり合う金属の音が、小さく鳴り続けた。

 解錠はできないと諦めたのか、力強く引っ張り破壊を試みるも、少女の力では達成できるはずもなく。


「ノビシ・ツ……、ノビシ・ツキ!」


 どうやら足枷を外したいらしいと、ようやく察した義利は、まず足枷をじっくりと見た。


 足首に金属製の輪が嵌められており、そこに同じ素材で出来た、長さ一メートルの鎖が繋げら、それが成人男性の頭ほどの大きさの鉄球へと続いていた。

 そして鉄球との継ぎ目には、スイベルピースと呼ばれる鎖のねじれを防ぐ部品が使われている。


 奮闘する少女から目を離し、義利は馬宿の中をぐるりと見回した。


「お、あったあった」


 独り言を漏らし、見つけた工具箱に手をかける。

 中から取り出したのは、金槌と数本の鉄の杭だった。


 それらを持って少女に接近する。


 義利の動きを目端で警戒していた少女は、彼が近づいて来ていることに気づき顔を向けた。

 そしてその手に握られている物を見て、恐怖に身を縮める。


「ヌヱル・ナロ・ブ……」


 義利はスイベルピースに繋がっている金属の輪に、二本の杭を交差させるように通し、それを地面に深く打ち込んだ。


 少女の行動範囲がわずかに狭まる。


「ちょっとゴメンね」


 次に義利は、少女の体を持ち上げて鉄球のそばまで運び、足の輪に繋がっている金属の輪を、同じく地面に打ち付ける。


 運ばれている間は酷く抵抗をした少女だったが、行動の自由を失うと同時に大人しくなった。


 諦めたのだ。


 悲鳴も上げずに、静かにすすり泣いた。

 素肌を隠していたボロ切れを手放し、顔を覆う。

 一枚の布が肩にかかっているだけの状態だ。


 その結果、はだけたボロ切れから、少女の体の前面を義利は見てしまった。


 少女の裸体に興奮するような性癖を、彼は持ち合わせていない。

 しかし仮にそう言った性癖の持ち主だったとしても、その少女に対して性的興奮を昂らせることはなかっただろう。


 少女のわき腹は焼きごてを当てられたように爛れ、食事を満足に得られていないのか肋骨が浮き上がっている。

 加えて全身に殴打による痣と、ミミズ腫れがあったのだ。


「家庭内暴力、か」


 義利はそう予測を立てた。


 そして鎖の中央あたりの輪に、一本の杭を通してそれを回し始める。


 何度も何度も捻じりを加え、限界を迎えても力を込め続けた。


 その頃には鎖の軋む音を耳に捉え、少女は義利の行動を不思議そうに見ていた。


「もう、すぐだから……ッ!」


 ガギィッ、とひときわ大きな音が、鎖が解かれたことを少女に知らせる。


 鎖は縦方向の力に対しては強大な力を加えようともビクともしないが、捻れによって生じる力には弱いのだ。


 それを知っていた義利は、テコの原理を使うことで、非力ながらも鎖を破壊することに成功した。


 少女が目を丸くしているうちに、地面に埋まっていた杭を引き抜く。

 これで少女の行動を妨げる物はなくなった。


「ほら、これで動きやすくなっただろう?」


 地面に膝を着いて、目線の高さを少女に合わせてそう言った。

 子どもと話をする時の基本だ。


 上から見下ろされているのと、同じ目線で話をするのでは受ける威圧感がずいぶんと変わる。

 言葉の違いはあれど、それは同じなのだろう、少女は呆然とした表情のまま、義利を見た。


「タワリ・ツ……、チシミ・ヰ?」

「ありがとう、って言ってるのかな?」

「助けてくれるの? って言ってるの」


 会話が通じず困っていた義利の元に、キャルロットが現れた。


「アダチ、その子は奴隷なの」


 キャルロットの言葉に義利は絶句する。


「奴隷、って……。キャロ、意味は分かって言ってる?」

「別に普通なの。お金がないお家で、働く力が足りなかったら売られるのは当然なの」

「当然って……」


 少女を見る。

 確かに、農作業に向いてはいないだろう。

 手先の不起用さや頭の弱さも、鎖への対応で十分把握できている。


 貧しい家庭では、確かに穀潰しに違いない。


 しかし手先は習熟で、頭脳は勉学に勤しめば上昇させられるはずだ。


 それができない状況で子どもを作るな、と義利の感情が熱を帯びる。


 だがそれも、続く言葉によって冷まされた。


「売るために子どもを産む家もあるの」


 ここではそれが当たり前のこととして浸透しているのだ。

 その事実が、彼の怒りを焼失させた。

 燃え尽きたのだ。


「ねぇキャロ。自分の家族を売るのって、どんな気分なんだろうね」

「キャロに聞かれても困るの」


 それもそうか、と義利は無理に笑った。

 笑うしかなかった。

 笑いでもしなければやっていられなかった。


「キャロ、この子はこれからどうなるのか、わかる?」

「たぶん、死なない程度に罰を受けるの」


 焼きごてや鞭で打たれた跡はそうやって刻まれたのだろう。

 少女は何度も逃げ出し、その度に連れ戻され、その度に痛みを受けてきた。


 義利は妄想を広げてゆく。

 奴隷の生活とは、死んでいるも同然だ。

 そんな中で少女は生きようと必死なのだろう、と。


「僕にできることって無いのかな……?」


 思わず零れた心の声に、キャルロットの笑顔が消える。


「アダチがしようとしてるのは善行ではないの。自己満足のためのワガママなの」


 口調はいつも通りの、やや舌足らずなそれだ。

 しかしその言葉には今までにない重さがあった。


「その子を助けるなら、アダチはこれから出会う奴隷の全員を助けなきゃなの。そこまでできて、ようやく善行なの」

「……僕はただ、目の前で困っているこの子を助けたいだけだよ。それは悪いことなのかな?」

「助けた後はどうするの?」

「助けた、後?」

「その子のご飯とか服も、言葉だったり常識だったり、生きるのに必要な全部を、アダチが責任を持てるの?」


 その言葉は義利の心に深く突き刺さった。


 彼はこちらの言葉も知ってはいないのだ。

 召喚陣の効果で公用語を理解できる相手には会話で不自由はしないが、公用語がどんな物なのかも理解はしていない。

 そして街に着いたのはつい数刻前だ。

 ここでの常識はもちろんのこと、物の価値も分かりはしない。


 そもそも、助けたとしても言葉が通じないのでは、身振りや手振りである程度の意思疎通ができたとしても、細部までは分かり合えないのだ。


 そんな状態での共生は、長続きしないだろう。


「キャロが言ってること、分かるよ。それが正しいことなんだって」


 決して軽い気持ちで助けようなどと考えた訳ではない。

 本当に、この小さな女の子を救ってあげたいと彼は思ったのだ。


「なら、キャロも可哀想だとは思うけど、その子のことは――」

「でもさ」


 キャルロットの言葉を遮り、義利は心の内を吐き出して行く。


「正しいけど、納得はできない。僕はそんなのは嫌だ。この子を助けたい」


 キャルロットは笑顔だけでなく、表情を消した。


「アダチ。アナタが誰かを助けようとするのは別に、キャロは気にしないの。でもティアナに迷惑をかけるのなら、キャロはそれを許さないの」

「迷惑をかけるつもりは、ないよ」

「奴隷を盗むと死罪なの」


 淡々と、彼女は語る。


「アダチがその子を助けると、それはその子の持ち主から奴隷を盗んだことになるの。そうするとアダチは死刑なの。でもそれをアシュリーは止めようとして、魔人になるの。アナタはティアナが招き入れたって、入口の兵士たちは知ってるの。だからアダチが魔人化したら、ティアナが魔人を招き入れたことがバレちゃうの」


 彼女の説明は、お世辞にもわかりやすいとは言えない代物だったが、しかしその意味は義利に十分伝わった。


 彼が少女を救おうとすることが、間接的にティアナの立場を危うい状況へと追い込むこととなるのを、ひとつの可能性として示唆しているのだ。


「わかったら、偽善的な行動は慎むの。フレアを逃がしたのだって、ティアナにとっては不利益だったの」


 見た目は幼女だとしても、キャルロットは精霊だ。

 幼気な口調や動作ではあるが、年齢で言えば義利の何倍もの時間を生きている。


 その経験の差が、二人の間に深い溝として現れていた。


 キャルロットはただ現実を見ており、義利はただ理想を見ているのだ。

 そして義利にとってその溝は、理屈などで埋め切れる物ではない。


 だが実際問題として、彼とてティアナに迷惑をかけることは望むところではない。


 故に抜け道を探していた。


 ティアナに迷惑がかかることなく、この少女を助ける、そんな理想的な抜け道を。


 普通に保護するという方策は、キャルロットによって既に潰されている。

 故に義利は奇抜な方法を考えた。


 いっそのこと魔人化して、この子を死んだことにするのはどうだろう。

 街の入口に守衛が立っているのなら、後ろからこっそりと近づき、電撃を当てて失神させれば問題なく通ることはできる。


 しかしそれでは魔人が侵入したことを大々的に知らせているようなものだ。

 当然、街中の警備が強化され、アシュリーの存在が露見する可能性を引き上げることとなってしまう。


 最も簡単かつ単純で、周辺に被害のない方法は、彼女の所有権を持つものの許可を得ることなのだが、ここまで痛めつけることのできる人間が、そうそう自分の所有物を他人に譲渡するとは考えられない。


 長い考察を経て、彼は結論を下した。


「よし。僕はこの子を連れて街を出るよ」


 どれだけ考えても、それ以上の手は浮かばなかった。

 少女を連れて街を出る。


 そして別の国に逃げ込むことができさえすれば、流石に追っ手も来ないだろう。

 義利はそうひらめいた。


 街を出る分には魔人化したところで突発的な事故として処理されるためにティアナが責め立てられることはない。


 キャルロットは長いため息を吐き出すと、平素のゆるい表情を取り戻した。


「そういう事を言えるアダチのことは、別に嫌いじゃないの」

「どういうこと?」

「自己犠牲とか、無私の考え方みたいなことなの」


 振り向いたキャルロットが、入口に向けて声を張った。


「ティーアーナー、アダチはこう言ってるのー!」


 すると今まで隠れていたのか、ティアナが姿を見せた。


「騙そうとした訳じゃないのだけれど、人を助けるってことの意味を考えて欲しくって」

「うん? うんん?」


 状況を読みきれない義利が唸る。


「その子はトワ。使える言葉はヌネグ語だけ。十歳。女の子」


 淡々と少女――、トワの紹介をすると、最後にティアナは耳を疑いたくなるような情報を付け加えた。


「それと、悪魔と人間の間に生まれた、純粋な魔人よ」

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