(8)2人の月日
『雄一の様態が急変したのは、年が明けてまもなくでした。
病院に戻ってから一週間ほどして、昏睡状態に陥ることが頻繁になり、5日に一度だったものが3日に一度、そして1日おきと。
体力も抵抗力もがくんと落ちてしまいました。
ベッドの上で眠り続ける時間が長くなり、2月に入ると1日のうち数時間ほどしか目を開けることがなくなりました。
理花さんからかかってくる電話にも出られないことが、度々あったかと思います。』
涙がどうしようもないほど溢れてくる。
―――なかなか電話をしてもつながらなかったのは、こういうことだったのね。
1月の中ごろを過ぎた辺りからあまりに電話に出てくれない雄一に腹を立てて、少し強い口調で文句を言ったことがある。
すると、“風邪を引いたみたいなんだ。自分がこんな病気のせいでなかなか治らなくってさ。もし、この先風邪をこじらせちゃったら今のように電話に出られないかもしれない”と言われた。
―――あれは私が気を回さないように言ったウソだったのね。
手紙の文字が涙でぼやけて読めない。
雄一とのやり取りを思い出すたびに、自分がどれほどに大切にされていたかを思い知らされる。
―――私はあなたに何もしてあげてない。なのにどうして、こんなにも大切にしてくれたの?
雄一の優しさが、今となっては切ない。
理花は手の甲でグリグリと涙をぬぐい、必死に読み続けた。
『2月10日頃だったと思います。
普段は昼過ぎにならないと起きない雄一が、その日は珍しく朝から目を覚ましていて。
近頃の雄一は現在と過去の区別がつかず、話をしていても、かみ合わないことが多かったんです。
でも、この時ばかりは意識もはっきりとしていたんです。
壁にかけられたカレンダーを見て、“そろそろ用意をしなくちゃ……”と、つぶやきました。
私は“何のこと?”と訊き返しますと、“理花の誕生日プレゼントを取って来てほしい”と言ったんです。
すっかり血色の悪くなった青白い頬をほんのり赤らめて。
私は病院からの帰りに、雄一に指示された店に出向きました。
店員に雄一の名前を告げると、店の奥から綺麗な布にうやうやしく載せられたブローチを持ってきてくれました。
アメジストがついたシルバーのブローチです。
聞けば、この店のジュエリーデザイナーはオリジナルの1点物しか作らず、半年もの予約期間が必要なのだとの事。
今回はデザイナーの体調不良によって作業が大幅に遅れていたんだそうで。
ですが、昨日無事に納品されたということです。
店員が言っていました。
“このブローチをご注文された雄一さんという方は、よほどお相手のことを大事に思っているのでしょうね。
実は、他にもご予約された方が数名いるのですが、どうしても間に合わなくて、受け渡し日を数日延ばしていただくお願いの電話をしたんです。
納期に間に合ったのは雄一さんだけなんですよ。雄一さんの想いの深さが、デザイナーに伝わったんでしょうね”
そう言って、小箱に詰めたブローチを渡してくれました。』
「うっ、うう……」
それを読んだ理花の口からは、たまらず嗚咽が漏れる。
雄一は毎年、理花の誕生日には二月の誕生石がついたアクセサリーを用意していた。
指輪や、ネックレスにピアス。そして今回のブローチで7個目。
それが、2人で重ねた年月の証。
『メッセージカードは自分で書きたかったそうですが、すでにペンを握るほどの力も残されてはいませんでした。
なので、雄一が囁いた言葉を主人がパソコンで打ち出し、印刷した物を同封しました。
いつも、カードの類は必ず自筆なのにどうして今回だけパソコンで書いたのかと理花さんが怪しまないように、“最近新しくパソコンを買ったから、試しに使ってみた” という一文まで添えて。
雄一はいつもあなたのことを気にかけていました。
今の自分の状態を悟られないように、こちらが驚くほど気を遣っていました。
そこにはただひたすらに、あなたのことを思いやる雄一がいました』
理花の頬を伝う涙は留まるところを知らず、膝元をうっすらと濡らしていた。