第85話:共鳴
マイスター・ブルースの醸造所は、オストロムの郊外にあった。
それは灰色の石で造られた、頑強で、不格好な建物だった。
何よりもまず、監獄に似ていた。
主人であるマイスター・ブルースが、入り口で俺を出迎えた。
背の低い男だった。
彼は俺の姿——使い古された外套、泥まみれのブーツ、そして隠された右腕——に視線を走らせ、落胆したように唇を歪めた。
「俺はプロを頼んだんだ、乞食じゃなくてな」
脂ぎったエプロンで手を拭きながら、彼は低くうめいた。
「ギルドも落ちぶれたもんだ」
「地下への入り口はどこだ?」俺は尋ねた。
「騒ぎが始まったのはいつだ? 被害の状況は?」
ブルースは瞬きをした。
俺の事務的な口調に、明らかに毒気を抜かれたようだった。
「五日前だ。最初はネズミだと思った。だが、普通のネズミは手のひらほどの厚みがあるオークの樽板を噛み砕いたりはしない。それに……奴らは石を削るような音を立てる。地下は深く、三階層ある。奴らがいるのは一番下だ」
「誰も中へ送らなかったのか?」
「三日前、馬丁が棍棒を持って下りていった」
ブルースは視線を逸らした。
「見つかったのは、奴のブーツだけだ」
「分かった。松明をくれ」
地下への階段は狭く、滑りやすかった。
石の段には湿った苔がへばりついている。
深く下りるほど、何かが鼻を突くような刺激臭が強くなっていった。
俺は左手に松明を持った。
狭い通路の中、俺の一歩一歩が鈍い打撃音となって響く。
第二階層で、最初の痕跡を見つけた。
300リットルはある巨大な樽が、粉々に破壊されていた。
溢れ出たワインが、粘り気のある水溜まりを作っている。
木肌には深い抉り傷が刻まれていた。
俺は屈み込み、樽の縁に指を滑らせた。
木材が、圧搾されたように潰れている。
音は、さらに下の階層から聞こえてきた。
カリ、カリ、と。
硬いものを咀嚼するような音だ。
最後の階段を静かに下りる。
最下層は、最も古い造りだった。
壁は粗削りの石で、あちこちから地下水が滲み出ている。
松明の光が、暗闇の中のうごめきを捉えた。
三匹、いた。
大型犬ほどの大きさの、おぞましい生物。
ダンゴムシと蜘蛛を掛け合わせたような姿だ。
俺は奴らを『甲殻虫』と名付けた。
その全身は、黒染めの大鎌を思わせる、分厚いヒチンの装甲で覆われている。
顔と呼べる場所には、巨大な大顎が備わっていた。
奴らは動きを止め、無数の小さな黒い目で俺を凝視した。
外套を脱ぎ捨てる。
松明の光を浴びて、『センチュリオン』が鈍く輝いた。
あえてナイフを抜くような真似はしない。
あんな装甲を相手に、鋼の刃など無意味だ。
最初の一匹が襲いかかってきた。
節足の脚がブレて見えるほどの、不規則で素早い突進。
跳躍は電光石火だった。
体軸を反転させ、鉄腕の肘を前方へと突き出す。
衝撃。
奴はチタンに激突した。
鈍い反響音が響く。
後方へと弾き飛ばされ、空中を反転して着地したが、その殻は無傷だった。
奴はすぐに体勢を立て直し、不快なクリック音を伴う威嚇の声を上げた。
(接地面積が広すぎる)
俺の脳が瞬時に計算を弾き出す。
打撃の運動エネルギーが、殻全体へと分散されてしまった。
残りの二匹が、俺の側面を囲むように動き始めた。
一匹は壁を這い上がり、頭上からの奇襲を狙っている。
俺は頑丈な石の支柱へと背中を預けた。
これで、奴らは正面からしか襲ってこられない。
手にしていた松明がジッと音を立てて消えた。
一匹が粘液の塊を吐きかけてきたのだ。
暗闇が急速に濃くなる。
奴らの立てるクリック音が聞こえる。
その移動によって床が細かく震えるのを、肌で感知した。
そろそろ、終わらせる時間だ。
「生きる意志」俺は囁いた。
時間が、粘り気のある引き延ばされたテンポへと減速する。
視線は、最も近くにいる一匹へとロックされた。
奴は、ちょうど跳躍した瞬間だった。
あらゆる物体には、固有の振動数がある。
鉄腕の奥底で生じた唸りが、敵の律動と同調していくのを感じた。
拳を前方へと突き出す。
革紐の奥にある指先を、硬く握り締めた。
「共振」息を吐き出す。
ピストンのごとき短い一撃。
狙うは、首の関節の上で二枚の殻が噛み合っている、まさにその一点。
激突の刹那、蓄積された振動エネルギーを完全に解放した。
殻が内側から爆発した。
剃刀のように鋭い破片となって四散する。
奴の肉体組織は、一瞬にしてただの肉粥へと変わり果てた。
頭上から飛び降りてきた二匹目が、その余波に巻き込まれた。
見ることなく前腕を振り抜き、空中で迎撃する。
もう一度、短いパルス。
再び、甲高い破裂音。
奴は壁へと吹き飛ばされ、歪な肉塊となって崩れ落ちた。
三匹目が反転し、石の隙間へと逃げ込もうとした。
だが、今の俺の視界では、奴の動きはカタツムリほどに遅い。
一歩、踏み出す。
足の裏の床が、まるで自分の腕の延長であるかのように感じられた。
全体重を乗せた、最後の一撃。
激突。
スキルが唐突に切れた。
俺は膝から崩れ落ちた。
鋭い破片の山に顔を突っ込む寸前、左手で辛うじて身体を支える。
床に直接、胃の中のものをぶちまけた。
頭が割れるように痛い。
視界の端で、白い斑点がチカチカと泳いでいた。
激しく呼吸しながら、自分の脈拍を確かめようとした。
不規則で、時折鼓動が飛んでいる。
「……重すぎる」
袖で口元を拭いながら、低く掠れた声で呟いた。
よろめきながら、立ち上がる。
制御不能の細かい震え(トレモール)が両腕を襲っていた。
反動の第二波が来る前に、ここを立ち去らねばならない。
依頼達成の証拠として殻の破片をいくつか拾い集め、壁に重く寄りかかりながら、出口へと足を引きずった。
地上では、マイスター・ブルースが焦れたように貧乏揺すりをしながら待っていた。
黒い粘液に塗れて俺が姿を現すと、彼は思わず後ずさりした。
「……本当に全部片付けたのか?」
俺は黙って、最も巨大な殻の断片を奴の足元に放り投げた。
「三匹だ。もう下には何もいない。だが、地下の奥の角をレンガで塞いでおけ。洞窟へと繋がる亀裂がある。封印しなければ、一週間でまた新しいのが這い出てくるぞ」
ブルースは殻を見つめ、それから俺を見た。
「まあ……これほど早く終わらせたんだ」
彼は靴の先で地面を弄びながらぶつぶつと言った。
「銀貨5枚というのはいささか多すぎやしないか? ……いや、俺は約束を守る男だ。持っていきな」
俺は黙ってそれを受け取った。
(これが本当に銅ランクの仕事か? それに、なぜ奴は俺に銀貨で払っているんだ?)
そんな疑問がよぎったが、すぐに意識の彼方へ消えた。
醸造所の門を出たその足で、俺は革細工師の店へと直行した。
質の良い大きな牛革の切れ端と、上質な木タールを1缶買い求める。
『足萎えのガチョウ亭』に戻ると、夕食もとらずにそのまま自分の部屋へと向かった。
義手を外し、ベッドに腰掛けて、しばらくの間自分の体にできた打撲痕をただ見つめていた。
こんなことを続けていれば、一年もしないうちに歩けなくなる。
固定具の改修に取りかかった。
肌を擦りむいていた古いベルトを切り落とし、新しい革を一枚ずつ当てがっていく。
俺の計算上、確実に存在するはずの、完璧な重量分散の角度を求めて。
すべてのボルトと歯車に油を注した。
金属は沈黙した。
深い眠りに落ちる直前、俺は寝台の上の壁にピンで留められた地図を見つめた。
「……ああ。ドルンハイムまでは、まだ果てしないな」




