第178話:塔の心臓
アイアンが待ちに待った休憩を宣言した瞬間。
ドルンハイムの中央広場からは、あっという間に人が消えた。
未完成の鋼鉄の怪物。
その周囲に、束の間の静寂が戻る。
だが、労働者たちが貪るように昼食を頬張り、息を整えている間。
アイアンには、休む気など微塵もなかった。
一分一秒が惜しかった。
彼は車椅子を反転させ、工房の奥へと急いだ。
背後で扉の鍵を閉める。
プロジェクトの「最も重要な部分」に取り組むため。
彼には、完全な孤独が必要だった。
メインの作業台の上。
厚手の羊毛の布に覆われ、それは静かに横たわっていた。
これこそが、キャンプ防衛システムの真の「心臓」だ。
慎重に布をめくると、その装置が姿を現した。
細長く、わずかに丸みを帯びた、堂々たる長さのデバイス。
外観は滑らかなカプセルのようだった。
その表面には、極細のエネルギーチャネルが優美な迷宮のように刻み込まれている。
その大きさの割に、装置は驚くほど軽かった。
アイアンが片手で難なく持ち上げられるほどに。
筐体のベースに採用した『プリズム』合金の、ユニークな物理特性のおかげだ。
事実上ほぼ重量ゼロでありながら、圧倒的な強度と完璧な導電性を併せ持つ金属。
この装置の主機能は、精密な周波数変調にある。
高出力の周波数レゾネーターとして設計されていた。
下部のコンデンサーから『カオス』のエネルギーを引き出し、それを粉砕・構造化して、指向性を持つ波動へと変換する。
その波動がキャンプの周囲に目に見えない、しかし突破不可能な障壁を展開し、怪物の侵入を阻むのだ。
技術屋はカプセルの端にテスト用ケーブルを接続し、脳内でコマンドを送った。
診断マトリックスが、瞬時に目の前に展開される。
【リュモン情報システム:周波数モジュレーター・テスト】
デバイスステータス:アクティブ(シミュレーション・モード)
エネルギーチャネル整合性:100%
変調回路安定性:最適
『プリズム』合金共鳴純度:設計値を**1.4%**上回る
アイアンは内部配線の1ミリ単位、すべてのエネルギーバルブを細心の注意で再確認した。
指先がコマンドを叩き込み、周波数グリッドの設定をキャリブレーションしていく。
回路の周波数計算にわずかでも狂いが生じるか、あるいはショートでもすれば。
後から修正するのは、文字通り地獄の作業になる。
「クリーン・パルスを見せてくれ」
彼は静かに(ささや)き、最終のマイクロテストを起動した。
カプセルの内部で、カチリと微かな音がした。
丸みを帯びた筐体に、細いラピスラズリ色のエネルギーの奔流が駆け巡る。
モジュレーターは完璧に動作していた。
防護用の周波数がモデリングされ、装置のメモリーバンクに固定された。
未来の塔の「心臓」が何の問題もなく機能していることに満足し、アイアンは電源を落とした。
そして、再びデバイスに布を掛けた。
翌朝。
キャンプには、早朝の刺すような冷気と、マレクの雷のような怒鳴り声が同時に押し寄せた。
塔の周囲は、危険地帯と化していた。
巨像の骨格は、作業開始からわずか数時間で劇的に成長した。
すでに設計上の高さの半分を超えている。
構造のリブが高くなればなるほど、建設作業は過酷さを極めていった。
作業開始直後にチームが楽しんでいた、あの滑らかなテンポはどこへやら。
跡形もなく消え去っていた。
アイアンは絶えず車椅子のホイールを回し、現場を移動し続けた。
彼の視線は、『リュモン』のインターフェースと、労働者たちの間を往復する。
男たちは、朝露で凍りついた滑りやすい足場にしがみついていた。
「ダーウィン、バイパスクランプを固定しろ!」
アイアンの指示を飛ばす声が、度々かすれる。
「エリリア、もっと上だ! あと50センチ上げて角度を維持しろ! 梁を揺らすな、上の溝が全部ぶち壊れるぞ!」
荒い息を吐きながら、精霊は第3層の高さで滞空していた。
半透明の羽をいつもの倍の力で羽ばたかせている。
彼女の青白い指先には、ヒューヒューと音を立てる濃密な風の帯が巻きつき、合金の梁を固定していた。
高所のせいで金属が揺れ、彼女の念動力の掌握から逃れようと暴れる。
アイアンは塔の真下で車椅子のブレーキをロックし、頭上を仰ぎ見た。
(……最初の工程が一番大変だなんて、なぜ思っちまったんだ?)
アイアンは自嘲した。
(どう見ても、こっちの方が地獄じゃないか)
この高さでの溶接作業は、まさしく拷問だった。
結晶「太陽」を動力源とする携帯型デバイスは完璧な熱線を照射したが。
急激な温度変化で溶接部が歪まないよう、アイアンは風の一瞬の止み間を狙わなければならなかった。
ミリ単位の動きすべてに、極限の緻密さが要求される。
さらに一時間が経過した。
全体の構築が**60%**ほどに達した頃、アイアンは作業効率の劇的な低下に気づいた。
足場にいる炭鉱夫たちの動きは、見るからに鈍い。
マレクの大工の一人は、重いアンカーボルトを締めようとして、レンチを三度も落とした。
工具がカン、カンと高い金属音を立て、内部階段の鉄製プロパンを跳ねて落ちていく。
男たちの手は過度の緊張で震え、顔は煤と疲労で黒ずみ、喉からはゼーゼーと白い息が重く吐き出されている。
エリリアでさえ、その飛行高度が著しく下がっていた。
「ストップだ! 全員降りろ!」
アイアンは鋭く空を切り、全員の注目を集めた。
「マレク、連中を下がらせろ。道具を置くんだ」
労働者たちに、二度同じことを言う必要はなかった。
彼らは這いずるように階段を下り、疲労困憊のままツルハシやクランプを地面に放り出した。
広場は、ものの数分で静まり返った。
(本当に、そこまで過酷だったか……)
アイアンは車椅子を塔から少し離れた場所へと走らせながら、心の中で呟いた。
「リュモン、プロジェクションは可能か?」
彼は静かに問いかけた。
【肯定】
と、リュモンが淡々と答える。
「起動しろ」
未完成の、現実の塔の骨格の上に。
突然として巨大なネオンのホログラムが展開された。
光の線が、まだ存在しない構造の上部を一瞬で描き出していく。
仮想のフレームが空へと伸び、最終的な完成図を形作った。
アイアンは、固定プレートの厚みからケーブルの配線ルートに至るまで、3Dモデルの詳細を隅々まで視認することができた。
『リュモン』が重要ノードの追跡タグとテキスト注釈を自動で生成する。
第3層(15メートル):熱力学的冷却コンター。琥珀色のラインが、結晶「太陽」のセルと一次ディストリビューターを結んでいる。
第4層(22メートル):蓄電コンデンサーブロック。システムが位置エネルギーの分布グラフを表示。
頂上(28メートル):保護ドームの内部。起動可能な状態の、細長い周波数モジュレーターが鮮明に浮かび上がっている。
アイアンは空中で手を動かし、画像をスケーリングした。
最上層とコンデンサーを接続する接合部をズームする。
計算は寸分の狂いもなく一致していた。
隙間はなく、電力線は完全にスリットに収まり、過熱の可能性を完全に排除していた。
「プロジェクションを閉じろ」と、アイアンが命じた。
ホログラムが一瞬で消え去る。
(紙のスケッチを、ちゃんとした3Dモデルに変換させておいて正解だったな)
アイアンは内心で自らの判断を称賛した。
ドルンハイムがその小さな勝利を味わっている間。
キャンプから何マイルも離れた場所では、全く異なる暗雲が立ち込めようとしていた。
そこには、全く別の空気が支配していた。
古城の奥深く。
豪華でありながら、暗く不気味な書斎。
埋れ木のオークで作られた重厚な机の前に、ウェイランド伯爵が座っていた。
部屋の唯一の光源は、消えかけのいくつかの蝋燭だけ。
その揺らめく炎が、石壁に長い影を落としている。
伯爵は窓の外の、漆黒の夜の虚無をじっと見つめていた。
その指先は、高級な銀のインク壺を神経質に、一定のリズムで叩いている。
冷徹な打算の仮面を貼り付けたような、貴族然とした顔立ち。
書斎の扉が音もなく開き、ヴァルターが入室してきた。
「手紙は送ったか、ヴァルター」
「はっ」と、隊長が明瞭に答えた。
「書状は発送されました。間もなく届くはずです」
それを聞くと、ウェイランド伯爵はついに机を叩く手を止めた。
ゆっくりと、ヴァルターの方へ顔を向ける。
「よろしい……」伯爵は低く呟いた。
「明日までには彼らがここに到着するはずだ。ヴァルター、我々の全戦力を動員できるように準備を怠るな」
「御意」
隊長は深く一礼し、書斎を後にした。




