48.今日、愛していない人と婚約します
出発の日がやってきました。
屋敷の前には私が乗り込む馬車のほか、ドレスや大量の調度品を積み込んだ荷馬車が並んでいます。ずいぶん大所帯ですが、謁見が済んだらそのまま宮殿で暮らすことになりますので、仕方ありませんね。
それから、屋敷に仕える使用人たち。連れていくことはできませんが、見送りのため屋敷の前にずらりと並んでいる彼らの姿に、今日ここを出て行くのだと実感します。
出発の間際、侍女のミアに別れを告げました。彼女は朝の支度から泣きっぱなしで目も鼻も真っ赤です。
「フラウお嬢様……! どうかお体に気をつけて……!」
「ええ。落ち着いたら殿下にお願いしてあなたを呼び寄せるから、それまで待っていて」
隣にいる教育係のじいにも声を掛けます。
「リオンは?」
「声はおかけしたのですが……今朝も寝込んでいらっしゃるようで」
言いにくそうに呟くじいに、私はうなずきました。
「いいの。どうか、あの子を気にかけてやって」
「もちろんでございます」
二人に別れを告げて馬車に向かうと、そこには礼装のお兄様が待っていました。
顔を合わせるのは──あの夜以来。
口づけの感触がふいによみがえり、頭の奥がぼうっとしびれます。
「フラウ」
名を呼ばれ、はっとして瞬きすると、お兄様がこちらに手を差し出していました。
「行こう」
深呼吸してその手を取ります。
「はい。お兄様」
……しっかりしなくては。
私は皇太子妃となるのですから。
王宮に着いてからはあっという間でした。
「フラウ! 待ちわびたぞ」
真っ先に出迎えにきたユリアスが、ひざまずいて手の甲にキスをします。
「この日をどれほど待ち望んだか……! ようやくそなたのそばで暮らせるのだな」
「はい、殿下。陛下がお許しくだされば」
「もちろん! 父上もさぞ喜んでいるに違いない」
ユリアスに手を差し出され、私はちらりと傍らを見上げました。
ここまでエスコートしてくださったお兄様が黙ってうなずきます。
……ええ。もう迷いません。
お兄様にうなずき返し、ユリアスの手を取りました。
「帝国の《黄金》、皇太子ユリアス=アストレア様! 並びに帝国の《真紅》、公爵令嬢フラウ=フレイムローズ様!」
先触れの声とともに謁見の間に進み出ます。
皇帝陛下に拝謁するのはこれが初めて。
壮麗な広間に近衛騎士が整列しています。その中にアイラの顔がないのを確認し、私は内心胸をなでおろしました。
そして──
最奥の煌びやかな玉座に鎮座する現皇帝テリオス=アストレア。
ユリアスと同じ《黄金》の髪と瞳。
息子にも引き継がれた端正な顔立ちに、帝国の為政者たる威厳が満ち溢れています。
私たちはその前にひざまずきました。
「……面を上げよ」
静まり返った大広間。
そこに響く低い声に導かれ、顔を上げます。
「そなたがフラウか」
「はい。陛下」
「よく似ている」
「………?」
「そなたの母にだよ。若かりし頃、みなが彼女に恋をしたものだ」
皇帝テリオスはそう呟くと、どこか遠いところを見るように目を細めました。
「そして今、その娘が余の息子と結ばれようとしている」
「はい、父上」
隣のユリアスが弾むような声を上げました。
「彼女こそ我が生涯の伴侶と確信しています。どうか私たちの婚約をお許しください」
ついに──ここまで来た。
お兄様が帝国を手に入れる日のために、ここまで。
皇帝テリオスは息子と私の顔をじっと見つめてから、
「よかろう」
その声にユリアスが感嘆の息をついたのも束の間。
「と、言いたいところであったのだがな」
テリオスは小さくかぶりを振り、溜息を洩らしました。
それからさっと右手を挙げます。
あっけにとられる私たちの横で近衛騎士たちが道をあけ──
その奥に二人の見知らぬ人物が立っています。
「……どうも、話はそう簡単には行かぬようだ」
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