21.私があなたの道具でも
「ついに勝負がついたようですな」
「ええ。そのようで……」
「わたくしの思ったとおりでしたわ!」
「これでますます公爵家の力は……」
「我々も身の振り方を考えねばなりませんぞ」
王宮舞踏会。
皇太子ユリアスが迷いのない足取りで私の前に立ち、手を取って踊り出すと、上級貴族たちは一斉にざわめきはじめました。さっそくご機嫌取りにお兄様のそばへすり寄っていく者たちも見えます。
まったく、あさましいことですね。
「気になるのか?」
踊りながら、ユリアスが耳元でささやきます。
ついお兄様のほうへ意識がそれていた私は、あわてて彼に向き直りました。
「あ、いえ……」
「遠慮することはない。そなたとエリシャは親友だったのだろう?」
「?」
私とエリシャが親友……?
思いがけない言葉に困惑する私をよそに、ユリアスは哀しげな声で続けます。
「私も罪なことをしたものだ。そなたたちの友情を壊すつもりはなかったのだが」
……えーと。
どうやら盛大な勘違いをされているようですね。
よそ見をしている私の視線が、姿を見せないエリシャを探しているものと思ったようです。
そう。
エリシャはこの舞踏会に現れませんでした。
昨夜の出来事がよほどショックだったのでしょう。
それにしてもヒロインが王宮舞踏会に現れないなんて、そんなことがあっていいのでしょうか?
たとえユリアスとのフラグが折れたとしても、エリシャを慕う男性キャラは他にもたくさんいるはずです。元々は彼女の逆ハーレム物語ですし……。
「心配することはない」
私の腰を抱き寄せ、ユリアスは甘い声で囁きます。
「私はそなたの味方だ。何があろうとこの気持ちは変わらぬ。今はまだ無理かもしれぬが、いずれ彼女もわかってくれるだろう」
「ええ……そうですね。あの、殿下」
私は微笑みながら、やんわりと彼の手を腰から外しました。
「ん?」
「もう曲が終わっています」
「あっ。ああ、そうだな」
ユリアスが咳払いします。
互いにお辞儀をして離れると、周囲からは祝福するような拍手が贈られました。まだ婚約したわけではないのですけれど。
適度な愛想笑いを顔に浮かべつつ、私の足は一直線にお兄様を目指します。さながら任務を終えた帰還兵のように。
が、お兄様の前にはすでに人だかり。
ぱっと見たところ恰幅のいい大貴族やらその夫人やらといった人々で、若い令嬢はいないようです。それは大変よろしいのですが、やたら「あはは」「おほほ」と追従笑いが飛び交っていて、私が声をおかけするタイミングがありません……。
仕方がないので順番待ちのような形でじっとしていると、人々の間から背の高いお兄様の顔がちらりと覗きました。
真紅の髪。
真紅の瞳。
──その瞳と目が合います。
「フラウ」
思いがけず、お兄様が人垣を分けてこちらへ歩み寄ってきました。
大人しく順番待ちをする気でいた私はあっけにとられ、ぽかんとしてお兄様を見上げます。
「お、お兄様……?」
「どうした?」
「ええと、まだお話し中では……」
まさしく話している途中だったらしいちょび髭の紳士も、私と同じようにぽかんとした顔でこちらを見ています。
「ああ、ラッセル殿。またあとで話しましょう。失礼、妹と踊る約束をしているので」
お兄様はそのちょび髭紳士に軽く会釈すると、私の手を取って会場の中央に向かって歩きはじめました。
はわ、わ……!
まさかこんなふうに私を優先してくださるとは思いませんでしたので、展開に頭がついていきません。
だって、私はお兄様の道具。
ただの道具──ですもの。
ダンス会場の中央で立ち止まり、私は恐る恐るお兄様と向き合います。礼服姿がまぶしくて、まっすぐに見ることなどできません。
「まさか、あの、本当に……」
「?」
「私と、踊って、くださる……のでしょうか……?」
両手を握りしめながらぶつぶつと呟く私を、お兄様は不思議そうに見つめます。
「まさかも何も、そう言っただろう?」
「それはそうですけれど」
「いやなのか?」
「そんなこと──っ」
ぐい、と手を引かれて。
倒れそうになった体を抱き留められ、それと同時にワルツが流れて。
「ほら。せっかくの機会だ」
腕の中の私をあやすように、お兄様がそっと体をゆすりました。
「…………はい」
手を取り合い、ダンスを始めます。
ぜんぜん違う──
踊りはじめてすぐに思いました。
社交界にデビューしてから今まで、殿方と踊る機会は何度かありました。先ほどもユリアスと踊ったばかりです。ですが、それはただレッスンで学んだことをなぞり、機械的に動いていただけでした。
でも、今は違います。
肌の触れているところがあたたかい。それは当たり前のことなのですが、他の誰かと踊っていたときにはそんなふうに感じたことがありませんでした。
触れる指が、腕が、あたたかい。
……もっと触れていたくなる。
それにステップも。ただ習った通りに動くのではなく、お兄様の動きを感じ取りながら、呼吸を合わせるのがとても心地よくて、楽しい。
そして見上げれば、すぐそばにお兄様の顔があります。
何度となく──
夢の中で思い描いてきた。
これはそんな光景。そのものです。
「何を考えているんだ?」
「え……?」
「お前のそんな顔を見るのはずいぶん久しぶりだな」
目もくらむようなお兄様の微笑みに、つい気が遠くなりそうで。
ええ……ええ。
わかっています。思いあがってはなりませんね。
私はただの道具。
それ以上でも、以下でもない。
けれどきっと、今の私は──
この世界で一番幸せな顔をしているのでしょう。




