賢兄編 第5話『誰も知らない』
【星間連合帝国 帝星ラヴァナロス シルセプター城】
深夜の城内を早足で歩きながらベルフォレスト・ナヤブリ執政大臣は鼻息を荒げる。歩を進める度に揺れるその巨体からは怒りの感情が剥き出しになっているようで、その怒りの矛先は彼の背後に小走りで付き従うハンフリーに向けられていた。
「ハンフリー・ギランッ! 貴様に任せたのが間違いだったかッ!」
「だ、大臣閣下! 面目次第もございません! で、ですが……」
ベルフォレストの激昂に対してハンフリーはあたふたしながらも説明しようとする。
しかし、ハンフリーが言葉を発する前に更にその後を付いていたトーマスが口を開いた。
「執政大臣。此度の件はイルバラン家の方々に原因がございます。皇太子様はご自身の名誉をひどく傷つけられていたのです」
そんなトーマスの意見にベルフォレストは再び激昂しながら目を吊り上げた。
「そんな事は問題ではない! 重要なのは殿下を無用な事態から遠ざける事が我らの最重要項であろうッ!? そのために貴様たちを派遣していたのだ! 此度の件はもう良い! 私自ら対処する!」
ベルフォレストの半ば自棄になったかのような口ぶりに対して、彼に負けず劣らずの巨体を揺らすベアトリスは表情を変えず冷静に告げた。
「対処とは? 皇太子殿下のお怒りは限界に達しておられます。イルバラン家の人間を不敬罪に処するのですか?」
「スコルヴィー人風情が口を開くな!」
ベルフォレストはベアトリスに対して真っ向から差別発言を繰り出す。トーマスはベアトリスは殺意のこもった視線を感じ取って、彼女の肩をポンと叩いて諌めると、ベルフォレストに進言した。
「穏便にお済ませになるのならば、イルバラン家の方々に形式状だけでも一筆お願いするのが良いかと思います」
「そうはいかん! イルバラン財閥には我が皇族派貴族の多く世話になっているのだ! かの財力を今敵に回すことは好ましくない! ともかく! もはや貴様たちの出る幕はない! 追って沙汰を出す故、謹慎しておれッ!!」
ベルフォレストがそう告げると3人は彼の背後でピタリと止まり、頭を下げて彼の後姿を見送る。ハンフリーはオタオタするばかりだったが、トーマスとベアトリスはもはや諦めにも似た表情でその後ろ姿を見送っていた。
「殿下のためではなく自分が関わると必死だな」
トーマスは最早彼に見切りをつけたかのようにそう告げると、ハンフリーはオロオロしながらトーマスに詰め寄った。
「お、おい! 声が高いぞ!」
「どうせ私共は今日でクビです。それほど神経質になる必要もないでしょう」
ベアトリスも興が削がれたかのようにため息をつくと、戸惑うハンフリーを置いて2人は皇太子の居室とは逆方向に向かって歩き始めた。
巨体のスコルヴィー人女性と知的なジュラヴァナ人男性が並んで歩く光景は異様だった。
ましてや、ラヴァナロス人ばかりが占めるこのシルセプター城では尚更である。ベアトリスは兜を脱いで小脇に抱えると、スコルヴィー人らしい無毛の頭を撫でながらトーマスに尋ねた。
「しかし、珍しいわね。大臣が自ら殿下のもとに赴くなんて、それほど緊急事態という事かしら?」
「当然だな。執政大臣からすれば殿下はセルヤマにいるあの方の代用品に過ぎんが、今はまだ殿下を失うわけにはいかん。あの執政大臣では先を見通すことは出来んだろうからな」
「貴方には見えてるって言うの? トーマス?」
その問いにトーマスは自嘲気味に微笑む。そしてベアトリスの方に振り返ると、小さくかぶりを振った。
「私にそんな力はない。仮に見えたとしてもシャイン団長やコウサ=タレーケンシ・ルネモルンのように自らの思惑通りの算段を思い描くことなど無理だろう。ま、その点でいえばあの執政大臣はまずまずよくやったと言えるのではないか?」
トーマスの言葉にベアトリスは怪訝な表情を浮かべた。
「どこが良くやったというの? あの男は殿下を放置して孤独を味合わせた張本人よ?」
「それが見事だと言うのだ。殿下はまだお若い。そして子供というのは毎日顔を合わせる者よりも、時折やって来て甘やかす人間に甘えたがるものだ。大臣は殿下に会わぬようにすることで、その心情を利用したのだ。その逆に団長は今頃セルヤマのあの方から反抗期にあっているかもしれんぞ?」
「団長も会う頻度は少ないのだからそうとも言えないでしょう?」
「君は団長の性格を理解していないのかい?」
「……確かに、あの人は甘やかすのが死ぬほど苦手な人だったわね」
2人はかつての上官の……いや、今も志は同じ同士の事を思い出しながら微笑むと大きな通りに出た。
「さて、私は今現在殿下のために出来る最大限の準備を行うつもりだ」
「CSね?」
ベアトリスの言葉にトーマスは頷くと彼女もまた微笑んだ。
「では、私は念には念を込めて明日の血闘で最悪の事態が起きないように準備しておくわ」
「最悪とは?」
「決まっているでしょう? 殿下のお命に危険が迫らない事よ」
「そんなことが起こりえると思っているのかい?」
トーマスがいたずらな笑みを浮かべて尋ねると、ベアトリスも同じように微笑んだ。
「言ったでしょう? 念には念を……よ」
2人はそう言って微笑すると、別々の方向に向かって歩き出した。
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皇太子室の前に辿り着いたベルフォレストは大きく深呼吸をする。
そして怒りに満ちた表情を徐々に抑え込み無害な紳士的壮年男性の顔を作り上げ、先程とは打って変わって優しい口調で扉の先に声をかけた。
「ランジョウ様、ベルフォレストです」
「ああ……入れ」
ベルフォレストは思わず背筋が凍るような寒気に襲われる。
いつもならばランジョウの方から扉を開けて満面の笑顔で飛びついてくるのだが、その時に扉の向こうから返ってきたのは、今までに聞いたことがない氷のように冷たい声だったからだ。
その今までにない経験にベルフォレストは生唾を飲み込むと、目の前の扉がスライドして室内が露になった。
最高級品の家具は無残にも倒れ、まるで強盗が入った後のように荒れ果てている。
ベルフォレストは息を飲みながら足を踏み入れると、部屋の中央にある天蓋付きのベットに驚くべき光景を見た。
そこには上半身裸のランジョウが背を向けながら座っていたのだ。
ベルフォレストはゆっくりとランジョウに歩み寄った。
何とか彼の表情を伺いたかったが、ランジョウから放たれる異様なまでの威圧感にベルフォレストは苦し紛れの作り笑いしかできない。
彼は一先ず場を和ますかのように微笑んでみた。
「これはこれは、随分散らかりましたな。模様替えですかな?」
「白々しい冗談はよせ。明日に備えて軽い運動をしただけだ」
振り返ることなくランジョウはそう言って立ち上がると、サイドテーブルに置かれたグラスを手に取る。
ベルフォレストは慌てて「新しいものを」と言いかけたが、ランジョウはその言葉を待つことなく水を飲み干してグラスを放り投げた。
床に落ちたグラスは絵にかいたような音を立てて砕け散る。
いつもなら従者が片付けるのだが、そこには2人しかいない。
異様な空気の中、ランジョウはゆっくりと振り返った。
彼の姿を見てベルフォレストは恐怖した。
ランジョウの肉体は12歳とは思えないほど引き締まり、まるでアスリートのように美しい筋肉を纏っていたからだ。
「(そ、そんなはずはない……B.I.S値では明らかに下層部だったはずがこのような洗練された姿になるなど……)」
ベルフォレストは混乱によって沈黙していると、ランジョウは不敵に笑いながら口を開いた。
「聞いておるだろう?」
「は?」
「明日の血闘の件だ」
ランジョウはそう言ってベットから飛び降りると、素足のまま先程砕け散ったグラスを蹴り飛ばした。
「で、殿下、危険です。今従者を……」
「ベルフォレストよ。そちはあのザイクなる男をどう見ている?」
まるで会話にならないランジョウにベルフォレストは再び生唾を飲み込む。
体格においても、この城内における人望においても自らの方が大きい筈なのだが、目の前のランジョウにはこれまで無かった圧倒的な王者ともいえる風格が見え隠れしていた。そのせいでベルフォレストは今までになく緊張し、むしろランジョウに対して恐怖心に近いもの感じていたのだ。
「(……こ、このような愚弟に私が恐怖するなど……あり得ぬ……!)」
心の中にわずかに残っているプライドがベルフォレストを奮い立たせる。
彼は何とか平静を保ちながらニッコリと微笑んだ。
「ザイク=モウト・イルバラン様は殿下の御従兄。クリオス星の士官学校を卒業なさっており、当時そこで皇族の剣術指南役であるユリウスの血を引く者から虎殺流の武術を習っていたとお聞きしております。また知能面でも優秀であり、いずれは殿下の御力になってくれる方と思っておりますが?」
「そうか。あの男はそれほど優秀なのか。……………………クックック」
ランジョウは不気味に笑いだす。そして床に倒れてた椅子を起こし上げると無作法に腰を下ろした。
「ならば、あの男を滅すれば余の評価も変わるというものだな」
「で、殿下。恐れながらそのようなことはお辞めください」
「貴様も思っているのか? ザイクごときに余が打ち負かされると?」
妙な自信を見せるランジョウを見ているうちに、ベルフォレストは徐々に冷静さを取り戻していた。
まるで自らがヒーローになったかのような口ぶり……それは正に己の力を過信しているような状態に見えたのだ。
「殿下、先程も申し上げました通り、ザイク様はいずれは殿下の御力になるお方です。今一度お怒りを諫めて、どうぞ和解を」
「あの男と和解? クックック……ベルフォレストよ。貴様も随分面白い冗談を言うようになったな」
ランジョウはそう言って立ち上がると椅子を横に蹴り飛ばした。
その簡単な動作とは裏腹に椅子はまるでエアカーに衝突したかのように真横へ飛び、壁に打ち付けられて砕け散った。
「ザイク=モウト・イルバランは不敬罪に処す。ベルフォレストも明日はよく見ておけ。帝国の汚点となる男を余が自ら断罪し冥府へ送るところをな」
まるで聞く耳を持たないランジョウを見て、ベルフォレストは考えを切り替える。
彼の脳から出ているであろうアドレナリンが一時的に妙な自信を植え付けさせているのだ。
こうなれば最早何を言っても意味はない。
そう思ったベルフォレストは強張った笑みを浮かべながらランジョウに歩み寄った。
「それは素晴らしい。ですが、ザイク様も皇族の中ではかなり優秀なB.I.S値を出されております。皇太子様も無事ではすみませぬぞ? ここは一つ……」
「安心せよ。あのような愚物にくれてやる血は一滴たりともない」
ランジョウは取り付く島もなくそう告げて冷たく笑っている。
恐らく本当に自信があるのだろう。
最早引き下がらせることは不可能だった。
ベルフォレストは次の策としてザイクを懐柔することも考えたが、先にも言ったように彼の父親が総裁を務める財閥は帝国内で強い影響力を持っている。
となれば穏便に済ませるほかない。
「(仕方あるまい。ザイク様には別の者から連絡を入れておかせるか……)」
ザイクに手加減させれば両者ケガもなく終わるだろう。
ベルフォレストはそう考えながら鏡を見て拳を構えるランジョウを眺めた。
その目にはランジョウが放つ超速の拳も、そして明日迎える悲惨な結末も写っていなかった。




