第二十話 多くを知る者が幸せとは限らない
前回、マリオネッターの覚悟
激戦は続く。
天から降り注ぐ幾筋もの光は、照射したマグマや岩を速やかに塩と化す。
創造した餓車の幾十の巨腕は、空を割り大地を砕く。
しかし、
(くそ!容易く食らってはくれないか)
縄張りを埋め尽くす程の光と鉄拳を、餓車は最短の動きで躱す。
光に対してはもはや避ける必要すらなかった。全身をさらしても、爪の一欠片すら塩に変わりはしない。
自らの理の強度を上げ、塩化が介入する余地を与えない。
自らの豪腕が上下から迫り来るのに、それを蹴り殴り砕いて、易々と対処していく。
たった二つの腕しか持たない餓車が、数万もの巨腕を上回るという不思議。
「づっ!?」
死角を縫うように放たれた餓車の尾。
先端が鋭利な刃物のそれは、ズドッという音と共に、僕の身体を刺し貫いた。
餓車はそのまま宙で回転。一回転した僕は勢いそのまま地面に叩きつけられた。
まるで隕石が落ちてきて、それに潰されたかのような圧力。
衝撃で尾からすっぽ抜けて、遠くの山まで転がり続ける。
速やかに体を再創造。次の攻撃に対応するために構える。
しかし、追撃はなかった。
「これ以上の出し物はないようだな」
遠く離れた場所から餓車の声が聞こえる。
低く、唸るような声だ。
地獄の底から聞こえるような、擦り切れた老人のような、そんな声。
「喋れたん、ですか」
「闘争に戯言など不要。語るは両者の拳で十分。
だが、これから先は殺し合いではない。ただの虐殺だ」
「っ!!」
光と巨椀を同時に想像。空間中を埋め尽くす。
その巨体では逃げる隙間もない。
が、極めて軽やかな動きで無傷の状態を保つ餓車。
わずか三歩で、暴力の嵐を切り抜けた。
ここで悪寒が走る。餓車の口が開き、爆炎が口内に溜まっていく。
炎のブレス。察知した僕の足は動く。が、動く前に両足を鋭い先端の尾が貫いていた。
餓車の前に引き寄せられ、至近距離で鬼炎を喰らう。
集中した炎は熱線のように、蛍ごと岩盤を溶解し突き破った。
完全に焼失した蛍は、すぐさま次の自分を想像する。
餓車の後ろに現われる蛍。先ほどの餓車の言葉を首肯する。
「確かに、僕では能力不足ですね。
けどそれは貴方も同じはずだ。今のままでは僕は殺せない」
想造の真価は万物の創造ではなく、自らの創造だ。
これが機能するかぎり蛍を真の意味で殺す事は不可能。
だからこそ顕現の発動過程を潰す必要がある。
ブルーワズは神経毒で、エンケパロスは思考速度を0にして。
逆にそのような小細工をしなければ、蛍と無限に相手することになる。
正面突破で蛍を倒した咎人は未だいない。
「確かに、今のままではな」
蛍の言葉を認めて、それでもなお餓車の戦意は消えない。
波動が変わる。全てを薙ぎ払う暴力的なものから、明鏡止水の静謐なものに。
両手に収縮する力の渦。彼の想いが形を成す。
その時、地面を脈打つマグマすらその動きを止めた。
蛍もまた同様。その変化を前に息を呑み、動くことができなかった。
「顕現 破輪」
そして見えない領域で何かが変わった。
異変が起きたのは餓車の両手。それに触れた空気が死滅する。
脅威。あの手から異様なほどのプレッシャーを感じる。
考えるまでもない。あれに触れたら駄目だ。
もしかしたらあれは、美羽の顕現よりも・・・・・・。
振りかぶった餓車。その手を硬く握りしめ、必殺を放つ。
恐怖に駆られた蛍は、その腕が動きはじめてすぐに、想造を発動し射程外に飛び退く。
何度殺されようと死なない彼が、それだけは駄目だと首を振る。
打ち砕かれた岩盤。しかし衝撃も音も突風も発生しない。
ただ、拳に触れたそれが消えた。
拳の威力で粉々に砕け散ったのではない。消滅したかのように姿を消した。
(消えた?いや、存在の根本ごと砕かれたのか?)
推察するが、あれだけでは正体にたどり着けない。
サンサーラ・カーラ。
彼が詠ったその言葉はサンスクリット語の言葉。
乏しい知識で、その正体を探る。
(確か、サンサーラが輪廻を指して、カーラが黒とか時間を指すんだっけ?)
迎撃のために巨腕を創造する。彼の剛力を宿した腕は、大気を引き裂いて餓車に迫る。
餓車はそれに触れた。思いっきり拳と拳をぶつけ合わせたのではない、トン、と触れるだけ。
それだけで生みだした巨腕がパッと消える。血や肉片が飛び散ることはない。
何だあれは?
無機物も有機物も関係ない。その手に触れたものはただ消え去るのみ。
集先輩と同じ、無形型。
集先輩が変化を与えるのに対し、あれはただ完全な無を与える。
それと輪廻や時間がどう関係するのか。
思考に耽る蛍に、餓車が質問を投げる。
「世界法則、というものを知っているか?」
世界法則?知らない。いや、どこかで聞いたような気がする。
何ヵ月前に、アラディアさんが言っていたような。
僕の沈黙に、餓車は語り始めた。
「高天原、葦原中国、そして堅洲国。
合わせて三界にまたがり流れる法則。
個々の世界に内在する法則とは違い、全世界に偏在するものだ」
例えば、平行世界では個々の世界は個々の法則が適応されている。
それは物理法則であるかもしれないし、そうでないかもしれない。なんたってifを許容する世界だ。どんな法則があったっておかしくない。
だがその世界の垣根を越えて、全世界に流れるもの。それが世界法則。
「その数は多種多様。
魔術の基盤になる四大やカバラ等の概念。
哲学者や科学者が唱えた世界観や理論。
その中には、輪廻転生という概念がある」
輪廻転生。
死んだ魂が、何度もこの世に生まれ変わること。生と死の円環。
生と死を繰り返し、解脱に至らない限り、それは無限に繰り返される。
主に仏教で主流の考え方だが、発想自体は古代ギリシャから存在する。
この前読んだ本にそう書いてあった。
「輪廻は全ての者に適用される。
顕現者も、そうでないものも。それは熾天使であろうと例外ではない。
全ての魂は死しても、再び世界に産みおとされる。その円環活動を止める業が魂喰いであるが、それは今は関係ない」
魂喰い。殺した者の魂を奪うこと。
確かに魂喰いを行えば、本来生まれ変わる魂を自らのものに取り込み、固定することができる。
世界法則同士が影響を及ぼしあっている。そんなことがあっていいのだろうか?
「産まれては死んで、死んでは産まれて。それを無限に繰り返す。
道を踏み外せば悪道に落ち、善行を重ねても良くて天道。どのみち解脱しない限り囚われるだけ」
その輪廻観は仏教に近いものか。
輪廻と一口に言っても、その概念は様々。魂は不滅で、転生のたびに成長を重ねると考えるポジティブなモデルもある。
それに対して、餓車の言う転生はネガティブなものだ。
感情の感じられない声色は、しかし物憂げなものにも思えた。
「この姿を見れば分かると思うが、俺は餓鬼道に落ちた。
これが初めてではない。もう何十も、何百も落ちた。天道に、人間道に、修羅道に、畜生道に、餓鬼道に、地獄道に。
自らの魂が輪廻している実感を得たのはずっと前だ。俺は俺を何度も繰り返した」
それは体験者だからこそ分かる感覚なのか。
死んでは生きて、生きては死んで。それは不死に近いものだ。
車輪。サンサーラ。輪廻は何度だって回る。
「この繰り返しはいつ終わる?
それまでに俺はあと何回死ねばいい?生まれ変わればいい?
あと幾度餓死し、窒息し、火で焼かれ、殺し合い、寿命を迎え、病で死ねばいい?
この下らん茶番を、あと何度繰り返せば良いんだ?」
疑問は滾る怒りと共に吐き出される。
輪廻に対する暗い怨念。心の奥底でマグマのように沸き立つ憤怒。
気炎を吐きながら、こちらを睨み付ける餓車。
「それはお前たちも同じだ。
回転する車輪に囚われた哀れな同胞。
お前も何度、お前を繰り返したのだろうな?」
分からない。そんなこと、僕は知らない。
けど、
この世界は牢獄で、僕たちはそれを知らず、餓車だけがその真実を知っているなら。
餓車の目から、僕たちはどう見えているのか。それは彼が語った通り、哀れなものなのだろう。
「唯一の救いは解脱?否!
俺がもう一つの救いとなる。
生も死も破壊し、完全なる無へ。
円環の車輪をこの手で打ち砕く」
声色は変わらず、しかし決意に満ちた声だ。
重く体にのしかかる圧力はさらに増す。
輪廻の破壊。彼が目指すのはそれ。
再び仁王像の構えを取る餓鬼。
恐らくあの姿勢は、最大最速の威力を発揮させる構えだ。
鉄骨が軋む音。力の渦は物理的な圧力を増し、近くにある自然物が強制的にねじ伏せられる。
反応すら許さない鬼の豪腕。
呼応するように岩盤の下からマグマが噴火し、蛍を赤く染める。
あれを受けるわけにはいかない。
今は逃げに徹して、必ず突破口を見つける。
一回のミスも許されない極限の緊張状態。
仕掛けたのは餓車だった。
仁王像の構えそのままに、一足で蛍の背後を取る。
もちろん蛍は距離を取る。想造を発動させ、射程外に脱している自分を。
想像は間に合い、まず安全であろう餓車の背後に着地す――
「よほど、後ろを取るのが好きなようだな」
ズドッ!!と、着地と同時に、蛍の身体を何かが貫いた。
見ればそれは餓車の尾。まるでそこに来るのが分かっていたとばかりに、ピンポイントで蛍の身体を刺し貫く。
腰を捻り、仁王像の構えから豪腕が放たれた。
「終わりだ、哀れな羽虫。
お前も輪廻の軛から解き放ってやろう」
振り下ろされる壊滅の剛腕。
生も死も許さない絶無の顕現。
それが蛍に叩き込まれた。
次回、逆境を超えるは想いと奇跡なり




