第二十四話 断罪の矢
前回、真実
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薄々感づいてはいたことだった。
けど、もしかしたら違うんじゃないかと、必死に目を背けていた。
目の前の肉塊とあの人はちがうんだと、言い聞かせていた。
けど、流れ込む記憶は逃げることを許さない。
あいつを直視しろと騒ぎ立てる。
俺は、再度咎人・ヘスリヒを見る。
醜い化け物。白い肉塊。幾百の手足が虫の触角のように蠢き、張り付いたいくつもの相貌が悲哀の表情を浮かべる。粛正機関を襲うクリーチャー。
それは俺が記憶で視界を共有していた人、レイナの姿だった。
「・・・・・・・・・」
握りしめた手から力がなっていくのがわかる。
たぶん、今俺はひどい顔をしている。
大事な仲間を失い、心と魂を弄られて、挙げ句の果てに咎人となり粛正者を殺すよう命令された。
悲劇だ。これを悲劇と呼ばずして何と言うのか。
こんなことって、あっていいのかよ。
頬を何かが濡らす。
気づいたら、目から涙が零れ落ちていた。
咎人、肉塊に張り付いた人面の一つ。
それが何かを言っている。パクパクと口を開き、何かを伝えようとしている。
段々と、今まで分からなかった言葉が意味を成す。
「ころ、して」
人面の一つが言葉を発する。
「お願い、殺して。助けて。もう嫌。殺したくない。助けて。私は。止められない。嫌だ。無理。助けて。
殺して。殺して。殺して。殺して。殺して。殺して。殺して。殺して。殺して。殺して。殺して」
カエルの輪唱のように、複数の人面が殺してと叫ぶ。
涙を流しながら、叫んでいる。
彼女は救いを求めている。
あの天使の言う通り、誰かに殺される終わりを。
英雄による救済を。
(何が、・・・・・何が救いだ)
何もかもが、あのウリエルという咎人の掌の上だ。
レイナという顕現者は、自らの全てを弄ばれて、使い捨ての兵器に改造された。
粛正機関の妨害のために。
「ふざけるな・・・・・・」
許せない。許してはおけない。赫怒の炎が胸で燃え盛る。
「ふざけるなよっ!」
だって、泣いているじゃないか。涙を流して、悲痛な叫びを上げているじゃないか。
掌に力が戻ってくる。崩れそうだった足は陥没するほどに大地を踏みしめ、涙は流れ落ちるのを止める。
俺の顕現ならまだ可能性はある。相関関係が構築されているなら、元の状態に戻すことだって可能なはずだ。
矢のように咎人に向かって駆け寄る。倒れ伏している咎人に追撃、ないし回帰の拳を与えるために。
人面のいくつかが俺を見る。
その瞬間、俺の腕が異形に変わった。
「ッ!これは!!」
腕が波立ち、白い肉塊へと変わっていく。
腕から小さい手足が生え、グロテスクに肉が盛り上がっていく。
まるで、ヘスリヒと同じように。
俺はこの現象を知っていた。
レゾナンス。それがレイナの顕現だ。
最後の最後。砂嵐が途切れる前に、彼女から送られてきた情報で俺は知った。
無形型。接触する、あるいは同じ空間内にいるだけで相手とのシンクロ値が増していく力。
そしてそのシンクロ値が一定量を超えるごとに様々な効果が発揮される。
魔術の封印。視界・記憶の共有。顕現の模倣。
そして、身体の同一化。
このまま同一化が進行すれば、いずれ咎人と同体となってしまう危険がある。
しかも、これは、、
異形と化した腕が、俺の顔めがけて襲いかかる。
眼を潰しかねないそれを、咄嗟に左手で食い止める。ぶよぶよした感触が手に伝い、その不気味さに思わず鳥肌が立つ。
恐ろしい力で俺の顔を握り潰そうとしている。少しも力を緩めることができない。
どうやら神経も支配しているようだ。右腕からはあり得ない程の痛みが伝わってくる。制御できない。
「くそ!コンバート 回帰!!!」
時間を戻したかのように、俺の腕が元の形を取り戻す。
右腕が俺の意思で動く。よし、元に戻せることもわかった。
このままだ。俺自身を元の状態に戻しながら俺は駆ける。
起点はすぐさっきまでの俺。肉体が変化しても、その都度自動的に巻き戻る。
そして目の前にいるレイナ。俺はそれに触れた。
これまでの殴り飛ばすものではなく、優しく触れるだけ。この人は敵では無い。
これで、この人は元に戻るはずだ。
「戻れぇ!!!!」
時間回帰の力が、彼女の中で荒れ狂う。
これまで与えてきたダメージが消える。貫通した肉も、存在を構成する魂への損害も、焼却した触手も、その全てが戻っていく。
このまま彼女が経過してきた時間を戻す。怪物になった以前の時にまで。
彼女にとってもう二人はいない。けれど、けれども。こんな悪夢はもう終わりにしてあげたい。
再び、笑って欲しい。
それが俺の心からの願いだ。
けれど、目の前にあるのは絶望だった。
「そん、な」
限界にまで回帰したその身体。その姿。
白い肉塊。クリーチャーのままだった。
「がふっ!」
横薙ぎの手足が俺の胴体に直撃する。
肺の中の空気が全て吐き出された。頭の中に火花が散り、一瞬視界が真っ白になる。
数秒間空中を飛び、やがて硬い地面に激突する。
肉がえぐれ、骨が数本折れている。肺に突き刺さっているかもしれない。呼吸がおかしい。
すぐさま顕現を使う。傷を治す。
「・・・・・・・・・嘘だろ」
ここでさらなる絶望。
顕現が使えない。自分を元の状態に戻そうとしても、怪我を治そうとしても、何回触れても変化しない。
思い当たるのは彼女の顕現。魔術を封じることができるのなら、さらに接触を重ねれば顕現も封じ込めることができるのではないか?
可能性は充分にある。いや、そうとしか考えられない。
回帰で彼女は元に戻らなかった。そして俺も顕現が使えない。
これじゃあ、もう・・・・・・・・。
怒りと悲しみと戸惑いが入り交じった俺に影が射す。
見ると頭上からワームのような触手が襲いかかる。先ほど回帰した時に戻ったやつだ。
やばい、死ぬ!
本気で死を覚悟した時、俺の服を掴んで引き寄せた人がいた。
ドバァッ!!!と大地を引き裂く轟音が聞こえる。
獲物を仕留め損なった触手は、堅洲国の大地に深刻な亀裂をもたらす。
襟を掴まれ、半ば窒息しかけた俺は、自分を引っ張った者の姿を視認する。
「エクシリアちゃん・・・・・」
「撤退、も出来そうにないですね。いよいよ詰んできました。後は天の助けでも願うべきですかね」
咎人から充分に距離を取ったエクシリアちゃんは、俺の襟を離す。
俺は一撃もらった箇所をかばいながらなんとか立ち上がる。
エクシリアちゃんに重要な事を伝えなきゃ。
「あの咎人、元粛正機関の人だ」
「え?」
「咎人に改造されて、あんな姿になったんだ」
「・・・・・・・・・」
エクシリアちゃんは信じられないといった顔をして、数秒後全てを受け入れたように咎人を見る。
ほんとに強いなこの人は。
彼女は何か言うように口を開けて、けど言葉にする前に閉じてを繰り返す。そして言葉を紡いだ。
「そう、ですか。そんなことが」
「ああ。元に戻さなきゃ、元の姿に」
ふらりと、よろめきながら俺は咎人に向かって歩を進める。
エクシリアちゃんは焦って俺の前に立ち上がる。
「ちょ、何やってるんですか!そんな状態で何しようとしてるんですか!というか身体を治さないと」
「あの人の顕現で魔術も顕現も使えないんだ」
「なっ、だとしたらなおさらです!顕現も使えない貴方に何ができるんですか!!自殺しに行くようなもんですよ」
必死に俺を止めるエクシリアちゃん。
言いたいことはよく分かる。正論だ。もっともだ。
けど、それでも足が止まらない。
顕現者の性なのだろうか。自分の想いに関することは頑固で強情。
泣いている。泣いているんだあの人は。
絶望して、逃げられなくて、苦痛で、泣き叫ぶことしかできないんだ。
見てられない。見ていられるものじゃない。
暴走しているのが自分でも分かる。血反吐を吐きながら、それでもなお足を止めない姿はまるでゾンビのようだ。
おぼつかない足取りで進む俺の前に、エクシリアちゃんは立つ。
「けど、あの人はもう戻りません!それは知っているでしょう!?」
「っ!」
「おそらく存在の根本から改変されているんです。さっき先輩の時間回帰が通じなかったのはそれが原因でしょう。ああなったらもう改変者でしか治せない。こんなに広い堅洲国からその人を探せますか?それ以前にここから生きて帰れますか?」
「だけどっ!」
否定材料を探しても、無い事なんて分かっている。
何か言いたくて、何も言えなくて。
必死で考えても余計に何もでてこない。
そんな俺を見て、エクシリアちゃんは意を決した。
「先輩。彼女を救う手段ならあります」
「え?」
そう言って彼女は一本の矢を取り出す。
矢。何の変哲も無い見た目だが、それからあふれ出る神気は破格のもの。
存在するだけで魂を打つ、俺たちとは別格の神威。
明らかに持ち主であるエクシリアちゃんの規格を超えている。
これは、一体。
「お姉ちゃんが、もしもの時のために私にくれたものです。
射った対象の犯した罪を裁く断罪の矢。
本当は取っておきたかったんですけど、この際やむを得ません。
この矢の特性上、下層の咎人ほど効果が強まります。
これを食らえば、たとえ熾天使であろうと滅ぼす、必滅の一矢です」
「そんな、武器が」
「ええ、先輩の顕現は封じられ、私の顕現も通じません。
そして撤退することもできないでしょうね。
勝つためには、もうこれしかありません」
勝つ。それって、やっぱり。
「先輩。彼女の記憶を読み取ったんですよね。なら、今彼女が何を想っているか、わかりますか?」
「え?あ、ああ」
「彼女は、なんて言っていました」
彼女の言葉。悲痛と共に吐き出した声。
震える腕を押さえ、彼女の言葉を伝える。
「・・・・・・助けてって、殺してって言ってた」
今もそうだ。
聞こえる。遠く離れた彼女の声が。
自分では止められない。もう殺したくない。だから殺してくれ。もう無理だ。もう嫌だ。殺したくない。
彼女の悲鳴にも似た懇願が聞こえてくる。
「先輩。なら彼女を解放してあげましょう。ね?」
エクシリアちゃんの声色が説得するものから、子供を気遣う優しいものに変わる。
「自分の無力を恨んで、自分の無知を憎んで、けれど彼女を殺すんです。
今の私たちにできるのはそれしかない。せめて死をもって彼女を苦痛から解放しましょう」
「・・・・・・・・・分かった」
目を伏せ、血が滲む程に掌を強く握りしめて、俺は彼女に同意する。
悔しい。悔しくてたまらない。誰かを笑顔にしてあげたいのに、それすらできない無能者。
鏡があれば映る自分を殴りたい。
彼女が矢を構える。
慎重に、丁重に。扱いを誤れば自分すら巻き込むのか、エクシリアちゃんは懇切丁寧に矢を番える。
「先輩にしてほしいことがあります。命の危険がありますが、お願いしていいですか?」
「もちろん。俺にできることなら」
エクシリアちゃんの言葉に、すぐに返信する。
俺に出来ることがあるのなら、命を賭けたって構わない。
それで彼女を救えるのなら。
神気が膨れ上がる。
それは罪を許さない断罪の矢。罪悪を両断する刃。
遙か彼方から自分に向けられるそれに、レイナは気づいていた。
あれは自分を殺せる。自分を消すことができる。
完全な無に帰ることができる。
涙を流して歓喜する魂とは裏腹に、危険を感じた身体はあれを避けようとする。
それが恨めしい。もう終わりたい。それなのに咎人に改変されたこの思考と身体はそれすら許さない。
私はどこで間違ったんだろう。
自分に追いつきたいと願う二人の意見を叶えた時から?
世のため人のためと、咎人の粛正を始めた時から?
そもそも、顕現を発現した時から?
至る要素が思い浮かぶが、だけどどれもが間違いに思えて答えが分からない。
二人といた日々は間違いなく楽しかった。
このままこの日々がずっと続けばいいと、そう思っていた。
だけど、その日々はもう戻らない。
弓を構える彼女が、静謐な目で私を見つめる。
恨んでいるだろうか?恨んでいるだろうな。
彼女を殺そうとしたんだから。恨まれて当然だ。
言葉が聞こえる。詠唱が。神威を増大させる言霊が。
「その心に邪なる陰あれば、罪人は断罪の矢にて禍あれ。
御恵を受けても叛く敵は
籠弓羽々矢以てぞ射落とす」
そうだ。その通りだ。
私は殺した。咎人も、顕現者も、あの二人も。
故に死をもって償おう。当然の報いだ。
ああ、なんて甘美な響きなんだろう。
やっと、やぁっと、死ねるんだ。
悲痛と絶望に塗れた生に、幕を下ろすことができる。
少女は、最後にその矢の正体を呟いた。
「天羽々矢」
限界まで圧縮された神威は、直線上にある全ての概念と存在を消し飛ばした。
熾天使であろうと滅ぼすその威力に偽りなし。余波の熱で地面は沸騰し、発生した衝撃は有象無象を蹴散らしていく。
天から放たれる神罰。
かつて神話の時代に用いられた、神を滅ぼした兵器。
高天原からその使用を許可されたエクシリアの姉が、妹である彼女に与えた一矢。
彼女の未熟さゆえに本来の力を解放することはできないが、それでもその一矢でレイナを千回以上は滅ぼせる超威力。
当たれば必滅。即死。どのような原理やルールを用いても知ったことではない。彗星の如き羽ヶ矢は一切の障害を無視して押し進む。
レイナはそれを避ける。彼女が望んだ事ではない。プログラムされた彼女の思考が滅びを回避する。
放たれてからでは到底避けられない速度。ゆえに矢が放たれる一瞬前に、彼女は動いた。
果たしてそれは功を奏し、巨体の肉体をかすめて矢は真横を通り過ぎる。
掠めただけで肉体の七割が余波の熱で蒸発する。だが、決定的な一撃が魂の根本まで届きはしなかった。
待って。行かないで。こっちに来て。
私を撃ち抜いて。私を終わらせて。
私を、殺して。
最後の望みが通り過ぎる。
だが、レイナが絶望に狂う前に、彼はその矢を受け取った。
「!!!」
目の前にいたのは集。
自分に何度も挑みかかり、真実を知った後は私のために奔走してくれた人。
彼が、通り過ぎようとした矢を掴んだ。
これがエクシリアが集に頼んだお願い。
予備動作が長いこの攻撃が避けられることは織り込み済み。圧倒的な速度であろうと、射線上にいない者を打ち抜くことは不可能。
ゆえに矢を避けたレイナに対し、集が矢を掴んでその身に突き立てる。
無論、無事であるはずがない。
矢の神力は集を存在の根本から破壊しかねない。
彼とて無罪な訳では無い。そもそもこの世に産まれ落ちてから、罪を犯さない存在などいない。
何かを犠牲にして生きてきた。時には暴力や暴言で誰かを傷つけた。嘘をついた。盗んだ。
そして百以上の咎人を殺した。
その罪が、今彼に襲いかかる。
「っぐ、があああああぁぁぁぁぁっっっっっっっ!!!」
全身に走る雷のような衝撃。
腕を中心に身体に亀裂が走る。亀裂の間からは蒸発するかのように、煙があふれ出る。
肉体も精神も魂も丸ごと揺さぶられ、亀裂が走る。
集という存在、概念、理が瞬時に崩れていく。
これ以上矢を掴んでいると彼の方が先に滅びかねない。
神の力を制御するには、彼はまだあまりに小さすぎる。
(だから、なんだってんだ!)
それでも彼はその痛みを押し殺し、矢を持つその手に力を入れる。
既に手も腕もない。それでも離さないと、自分の魂でそれを持つ。
光る粒子で構成された腕が、消し飛んだ腕の代わりに矢を手にする。
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!」
全霊を賭して、集は矢をレイナに突き立てた。
白い肉塊。ちょうど人面の並んだそこに矢が刺さる。
矢は対象の罪を測定し、速やかに断罪を開始する。
巨体を光が包む。離れた位置から見れば、一本の巨大な柱が天を貫いているようにも見えるだろう。
それは罪を浄化する光だった。
全ての不安と絶望、そして後悔が洗い流されていく。
温かい。春のお日様のような心地よい光。
久しぶりに味わう多幸感。幸せで心が満たされていく。
黒く染まった私を白く洗い流して、死が私を抱きしめる。輪廻があちらで手招きしている。
その最後、意識が完全に消える前に。
涙を必死に抑えている彼に、心からの感謝を。
「ありがとう」
そして私は、消え、て・・・・・・・・。
次話、全てが終わったその後で。




