第一話 いつもの悪癖
前回、鳥害
暑い。
すこぶる暑い。
ひたすら暑い。
夜、最早毛布を被ることすら忌避する暑さ。
毛布を被らなくても、じっとりと汗が粘り着くようだ。
エアコンに縋り付きたくなる。
季節は7月。本格的にセミが鳴き始める時期。
炎天下で人が倒れ、夏休みが始まり、その前に高校でテストがある季節。
閉じた目を開く。
ごろごろと寝る姿勢を変えるが、なかなか寝つけられない。
仕方ない、こうなれば無理矢理涼しくしよう。
僕、白咲蛍は自らの周囲の気温だけを3度くらい下げている状況を想像する。
汗をかいたパジャマが涼しく、毛布を被る余裕すらある状況を創造する。
僕の顕現、想造が発動する。
すると冷蔵庫に手を入れたように、急速に身体が涼しくなる。
汗をかいていた身体はその冷気に驚き、体温を保持するために汗を引っ込ませる。
ただちに下がる気温。極小範囲だが世界の書き換えが行われた。
ああ、快適。その一言に限る。
汗が張り付いていた身体が、涼しさで震える。
堅洲国以外ではあまり使用しない顕現だが、たまの贅沢にはいいだろう。
つくづく便利な力だ。若干の寒さすら憶えて毛布を被り、そのまま僕は微睡みに・・沈・・んで・・・・・・。
翌朝、全身汗まみれの状態で起床した。
「しくじった!!」
目を覚まして、開口一番の言葉がそれだった。
僕は汗まみれで気持ち悪いパジャマをすぐさま脱ぎ捨て、思い切りシャワーを浴びる。
頭上からしたたる温水を浴びながら、僕は失敗した原因を推測する。
いや、推測するまでもないな。僕は確かに周囲の気温を下げたが、それは一時的なものであり、局所的なもの。
やがて周囲の温度と同化するのは自明の理だった。
あの時の正解は、自分の周囲が下がっている状態がずっと続いている状態。気温が固定している状態を想像することだった。
また僕は余計なことした。
シャワーを浴びるついでに、浴室の鏡で白髪がないか確認する。
もちろんすぐに発見する。1、2・・・・・・・10本。
発見次第手で抜き取る。この作業にも慣れたもので、今ではプチプチ抜き取る触感に快感すら覚える。
この白髪、不思議なことに顕現で何度黒に染め上げても元の白に戻ってしまう。
髪の色をずっと黒に固定しても、いつの間にか白髪が出現する。
訳のわからない不屈の意志を見せる白髪に対し、僕はこのように一々抜き取るしか対策がなかった。
浴室から出たさっぱりした状態で、僕はリビングに向かった。
「おはよう、母さん」
「おはよう」
リビングには、父の食べ終わった食器を洗っている母の姿があった。
食卓には僕の朝ご飯と昼のお弁当が置いてある。
僕は椅子に座り、テレビを見ながら朝ご飯を食べる。
テレビのアナウンサーが真っ赤に染められた日本を見ながら話す。
『本日の最高気温、ところによっては35度を超える猛暑日となりそうです。
お出かけの際には涼しい格好をして水分補給を忘れずに・・・・・・・』
嘘だろ。まだ7月の初めだぞ。
これからもっと暑くなるのか。なんて炎熱地獄だ。
そういえば昨日も全国で百三十人以上が熱中症でダウンしたとニュースで言っていた。
あぁ、恐ろしい。なんで年を経るごとに気温が上がっているのやら。
時刻は7時24分。そろそろ美羽を迎えに行かなくては。
食べ終わった食器を下げ、荷物の整理をする。
「蛍」
お弁当を鞄に詰めたところで、母が手招きした。
「? どうしたの母さん」
母は無言で取り出した袋を僕に差し出した。
中身を確認する。そこには 冷却スプレー、制汗スプレー、虫除けスプレー等々が入っていた。
「はは、ありがとう母さん」
母の意図を読み取り、感謝する。
確かに、夏にこれらは必要不可欠だ。
母が僕に袋を渡す時、小さい声が聞こえた。
「・・・・・・・美羽ちゃんにも」
「え?」
「もし美羽ちゃんが暑そうにしてたら、貸してあげてね」
突然現れた幼なじみの名前に、それも母の口からでたものだから余計動揺する。
実を言うと、母は僕と美羽の仲を不安がっていた。
もちろん僕が原因だ。中学校まで美羽以外にこれといって友人というものを作らなかったものだから、母は口に出さずとも心配していた。
といっても母は美羽を嫌っていたわけではない。僕の家に遊びに来た時は毎度喜んで迎えてくれたし、僕の唯一の友人として優しく接してくれた。
父も僕の友人関係がどうでもいいのか、それとも考えにないのか、僕と一緒に遊んでくれる美羽を大層気に入っていた。
ともかくそんなこんながあり、とどめに高校入学前のあれがあって、いよいよ母の不安は頂点に達した。
それ以来、母の前で美羽の話題をするのは避けていたが、まさかその静寂が母の手で破られるとは思わなかった。
「・・・・・・うん、ありがとう」
感謝と嬉しさと、ちょっぴり不安も混じった声で母に感謝する。
そのまま玄関に向かい、靴を履いて、扉を開ける。
「行ってきます、お母さん」
「いってらっしゃい、十分水分取ってね」
最後まで、母は僕の心配をしてくれた。
■ ■ ■
普段よりちょっぴり重い鞄を背負いながら、セミの歌が鳴り響く通学路を歩く。
額に浮かぶ汗を拭いながら、思案するのは僕の顕現のこと。
顕現の発動。僕はスイッチのオン・オフのように、その発動を意識で切り替えている。
日常生活の時はオフ、堅洲国ではオンという具合に。
基本堅洲国以外では使わない。使ったところで大体失敗する。今朝のあれのように。
それに、保険のためでもある。
想像してみてほしい。まず宇宙に浮かぶ青い地球の姿を。
次にその地球が壊れる姿を。
恐らく粉々に砕け散ったと思う。労力も何も使わない、ただ想像しただけ。
ではその想像が本当に実現したらどうだろう?
恐ろしい限りだ。背筋がぞっとする。
人類どころか、地球上の全ての生命が死に至る。
本当にそんなことができるのだから、余計にそう思う。
日常生活で顕現をあまり使わない理由の大半は、これが原因だ。
『確かに、一度の失敗も許されないことはあります。
しかしそれを貴方に要求する気はありません。
自らの顕現をどう扱うか、ご自分で考え、そして決定してください』
店長はそう言って、そんなことが起きたら私たちが対応する、と言ってくれた。
どうやるかは不明だが、少なくとも僕が足下にも及ばない店長の言うことなら心配はない。
そんなことを考えていたらいつの間にか目的の場所に着いた。
美羽の家。僕はいつも通り玄関のインターホンを鳴らす。
ピンポーン
やがてドタバタと廊下を走る音が聞こえ、慌ただしく扉が開かれる。
現れたのは黒い長髪の女の子。白い肌が対照的で、黒い髪が映える。
黒雲美羽。僕の幼なじみ兼親友だ。
「おはよう、美羽」
「おはよう蛍。今日も暑いね」
「夏だからね、仕方ないよ」
お互い笑顔を浮かべながら、家を離れる。
木洩れ日が射す通学路を並んで歩きながら、僕たちは他愛の無い話題を繰り返す。
昨日のテレビの事だったり、今朝のニュースの事だったり、ネットの事だったり。
二人で歩いて5分。さて、そろそろ彼女が来るはずだが。
やがて予想通りに、通学路の反対側からボーイッシュな女の子が現れた。
「お~はよ~う!!」
ぶんぶんぶんと、千切れんばかりに腕を振り駆け寄ってくる友人。愛沢奏。
元気が取り柄という言葉が、僕が知るなかで最も似合っている人だ。
「おはよう、奏。今日も元気だね」
「YES! そういう蛍は調子どう? 夏バテで身体だるくなってない?」
「あはは、今のところは元気だよ」
今朝のあれを思い出したが、言わないでおこう。腹を抱えて笑うに決まってる。
「おはよう、カナ。今日の予定なんだけど、何時にする?」
「あぁ、予定。そうだね、学校終わった後でいいんじゃない? 今日はお二人ともバイトないでしょ」
予定。昨日僕たちで交わした約束のことだ。
今日は桃花のバイトはない。そもそも週に二回しかない。バイトがある日のほうが少ない。
だから友人と過ごす時間はそれなりにとれるのだ。
「うん、空いてるよ。場所は奏の家だよね」
「うん! たくさんお菓子とジュース用意して待ってるからね!」
接待する気満々の様子だ。
肝心の予定の内容は何かというと・・・・・・いや、これは後にしよう。
今は学校に向かわないと。
次回、友人の家に




