第五話 神秘
前回、熾天使の激突
最も雲に近い、断崖絶壁の高地。
高度は一万メートルを超える。低酸素、低気圧、低気温の三要素ゆえに、ここは人間が生存できる環境ではない。
そこで、炎と水が真っ向からぶつかった。
物理法則とは異なる域にある二つの元素は、有利不利の相性を覆し、互いが互いを剋しあう。
だが天秤が傾いたのは炎。荒ぶる龍の如き水流を燃やし、ガブリエルの元へ押し返す。
同時に炎も着弾。岩盤に触れる寸前に気化し、気体となったそれすら残らず焼き尽くす。
焔が立っている山。その半分が莫大な熱によって壊滅した。
その威力。込められた力。本気を出していない状態にも関わらず、美羽とファルファレナの激突を超えていた。
さもありなん。焔は高天原の十二天すら凌ぐ存在。今回ファルファレナ粛正に参加した者の中で、最も実力を持つ者なのだから。
だからこそガブリエルが押されたのも納得がいく。高天原の見立てでは、七大天使は十二天と同格クラス。
必ずしも顕現や相性の違いを考慮しているわけではないが、その霊格は等価だと考えていい。
「比べるまでもなかったことだが、出力は貴方が上のようだ。
正面からぶつかっても勝てないらしい」
炎で消滅した岩壁。何者もいないそこから男の声が聞こえる。
次の一瞬には、まるで下手な映像編集のように、突然ガブリエルの姿が現われた。
その服、その髪の毛一本も損傷箇所はない。
先ほどの炎。熾天使を葬る一撃に相違ないはずなのに、無傷。
それを見て、焔はどういう原理でそうなったか、過去のデータから答えにたどり着いた。
「確か、お主の顕現は情報を操るんじゃったな」
情報操作。日常で耳にするのはメディア関係の話だろう。
既成事実の改変。知れ渡ってはいけない情報の制限。あるいは独裁の正当化。
プロパガンダが有名な例だ。
民衆の洗脳やイメージ操作。主に悪い意味で使われることが多い言葉。
だがガブリエルの顕現はそうではない。それは文字通り情報を操る。
情報、といったらいかにも抽象的だが、なんなら万象が情報でできている。
今目の前に焔がいる。これは立派な情報だ。
ガブリエルという名を持つ自分がある。これも立派な情報だ。
ある意味モナドと同じく、存在を構成する最小単位であり、同時に最大単位でもある情報。
あらゆる存在は情報を否が応でも持ち、それゆえそれを自由自在に操るガブリエルの脅威は、推して知るべきこと。
情報の物質化など初歩の初歩。自らが生み出した情報で世界そのものを書き換えることすら造作も無い。
ガブリエルからすれば、世界の全ては情報の羅列にすぎないのだから。
「お察しの通り。私の顕現は『神の福音』
あらゆる情報、そしてそれから創り出される事象はこの手の内にある」
いとも容易く、ガブリエルは焔の看破を肯定する。
隠しても意味が無いことを、いつまでも抱え込むことはしない。
ガブリエルの性格なのだろう。ファルファレナの時と同じく、開き直って真実を告げた。
「まあ、児戯のようなものです」
同じく、自分の唯一無二の顕現を遊びだと断じた。
自分が持つ想念から芽生えた絶対を自分自身が酷評するなど、いくら謙遜とはいえ度が過ぎる。
当のガブリエル自身は、その事についてどうでも良いようだ。
そして、知られている以上、無駄に隠すことはしなかった。
「っ!」
ガブリエルはそこから一歩も動いていない。
だが衝撃は横から来た。右腕で防いだ焔は、腕を薙ぎ払い神炎を放出する。
浄化の炎は大地を飲み込み、張り巡らされている水の膜を容易く蒸発させた。
しかし衝撃は止まらない。二撃三撃と、確実に焔の身体を捉えている。
自分に攻撃を加えた何かの正体。それを焔は気づいた。
恐らくガブリエル本人が近づき、焔に一撃を加えたのだ。
本人は立ったまま動いていない?否、情報を操るのなら、視覚を錯覚させるなど造作もない。
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、五感に加え第六感、その他もろもろ。
外界を感知するそれら重要な認知機能。それを自由に調整し出力している。
感覚を支配し、他者のクオリアにまで容易に干渉するガブリエルの顕現は、発動しただけでほとんどの者が詰みに陥る無形型だ。
もしかしたら自分は既に断崖絶壁の淵にいて、一歩踏み外せば真っ逆さまに落ちるのかもしれない。
もしかしたら自分の見ている光景は全て幻覚で、ガブリエルはこの場にいないのかもしれない。
もしかしたら自分が戦っているのは味方であり、同士討ちをしている危険性があるかもしれない。
ガブリエルはそれら全てを再現できる。
どれだけ強大な者であろうと、戦闘のためにはまず敵を知覚する必要がある。
相手の力は?数は?能力、使用する術技の数々は?
情報の取得。それを元にどう動くか、どのように勝つか、無意識でも決める。
それは相手を知りたいという意思表示に他ならず、それを利用し協力意思に巻き込むことも可能。
それゆえ、神の福音は格上が相手でも通じる。
相手が博識であればあるほど、ガブリエルにとって絶好のカモになることは間違いない。
認識、知覚、記憶、知恵、受信。戦闘で重要なファクターを完全に掌握しているのだ。
ガブリエルに勝てるかどうかは置いておくとして、彼を打倒することは非常に困難極まりない。
連続して加わる衝撃。それは攻撃を食らったあとでしか反応できない。というか食らっても分からない。
痛覚もダメージも、ガブリエルにしてみれば情報。
直感も予見も通用しない。当然だ。それらも情報。ガブリエルの治める領域化にある。
未来予知、無意味。その他、知覚する様々な術技が無意味。
このままでは嬲られて終わりだが、生憎焔にダメージはほとんどなく、この状況を打開する策は既に所有していた。
(現量般若、開目)
焔の全感覚、識が新たに稼働する。
今まで見てきた光景とは異なる視界が開く。無明の闇に光が射したかのごとく、焔の目はこの世全てを明らかにする。
それは真実を見る神眼。
例えば、人は太陽を見るとき、現在の太陽を見ている訳ではない。
光速は秒速約30万キロメートル。太陽の光が地球に届くまでには八分もの時間を要し、そのため我々は過去の太陽の姿を見ていることになる。
他にも、人はイデアの姿をそのまま捉えることはできない。洞窟の例えがあるように、我々が見ている世界はイデアの影であり、それを実体だと思い込んでいるだけ。
言ってしまえばどちらも偽りを見ているようなもの。それゆえその虚飾に惑わされることもある。
だがこの術技は現実をありのままの姿として捉え、いかなる幻視、幻惑を無効化する。
例え情報操作により、全ての感覚と世界を操作されようと、この神眼は真実の全てを見抜く。
だから、
「ッ!!」
眼前に迫るガブリエルの蹴り。死神の鎌のように首元に迫るそれを、焔は両腕で挟み防いだ。
ミシリと、軋みを上げ伝わる彼の身体。この感触も間違いなく真実だ。
情報操作敗れたり。焔は片方の手でその脚を掴みながら、右手の拳を握り胴体に殴打を食らわせる。
叩き込まれる殴打。ガブリエルの身体を伝わり、貫通した衝撃が背後から突き破り、直線上にある山々全てを突き抜ける。
衝撃波は放射状に広がり、威力を増大させながら無限に広がっていく。
攻撃強化、持続の魔術を用いた威力増大法。ひたすらに巨大な咎人を葬るために高天原が編み出した術技。
自分が放った一撃が、一切減衰しないまま逆に増大し続け、永遠と伝達する。
対象を空間に設定すれば、いずれ縄張りであろうと破壊し尽くす。
一瞬で砕け散り、素粒子以下にまで消失したガブリエルの身体。
高天原でも五指に入る焔の殴打。それを食らっては、如何に七大天使といえど粉砕は不可避。
「見破りましたか。結構、ならば次の手に移るまで」
ガブリエルの声。気づけば焔の真後ろに立ち、その指先を向けていた。
当然だ。生死やダメージの情報すら彼は自由に書き換える。生半可な攻撃では彼に傷一つ与えることは出来ず、彼を殺せたとしても顕現により無限に復活する。
そして、指先に存在する焔。並びに回りの景色が一気に流転する。
情報分解。焔を構成する全てを、存在している空間、時間、次元ごと情報という最小単位から分解する。
物理的な肉体であれば、素粒子、原子、分子、細胞、器官、臓器、身体。その他諸々を単位ごとに解体。のみならず精神や魂の情報までも無限小に裁断。
この世の全てを分解可能な、ガブリエルが有する殺傷力に特化した攻撃。
縄張りの世界ごと全てが崩れ去る。
断崖絶壁の山々も、青一面の空も、滝にかかる虹も、一切合切の存在が構成要素である情報を失いその形を失う。
ただ一人、焔は分解の嵐に耐え、分離しかけている自分の身体を強固に結びつける。
「ははっ、なかなか強烈じゃな」
やがて嵐の奔流をねじ伏せ、破壊し、右手に炎を収束させる。
拳に纏う炎熱。相手に向けて放てば、世界を砕く拳圧と共に神炎が放たれる。
「返礼するぞ」
横一直線に奔る炎。だがそれまでとは性質を異にする。
情報消去。そこにある情報ごと一切を燃やし尽くす神炎が、それに込められていた。
当然、物質概念問わず、炎は根本ごと焼き尽くす。
情報を操るというのなら、操る情報ごと滅ぼせば良いという単純明快な回答を、ガブリエルに叩きつけた。
縄張りの外にまで突っ走り、突き破った炎。
焔の前方が焦土と化し、空が熱で赤一色に染まる。
だが、ガブリエルという情報を消去するには至らなかった。
水分が蒸発し、焼け野原となった高地の山で、ガブリエルだけは何事も無く立っていた。
咎人の階層が天使から熾天使まであるように、情報にも強弱の概念を組み入れればこうなるという話。
そこらの雑情報とは強度が違うと、彼の霊格は語っている。
ガブリエル周囲の情報を消去するには、それなりの力を込めなければならないようだ。
(さすがは七大天使じゃな。そう安々と倒させてはくれぬか)
程度が分かった焔は、笑みを浮かべながら再び有効打を探り始めた。
■ ■ ■
炎が燃え盛る赤い世界。
炎の双翼を広げた神官・キラナ。
彼が集に対して掌を向け、開くと、突如集のいる空間に爆炎が迸った。
「っ!!」
狙った座標ごと燃やし尽くす炎を発生させるようだ。空間を超越しているのだからこの程度朝飯前だろう。
その炎が身体に触れた瞬間に変換して無害化する。横に飛び退きながら、連続して発生する炎に対処する。
様子見。俺がどんな顕現を使うのか探っているのだろう。確かに格下なら一撃で消し飛ばす威力だが、この程度が本気のはずがない。
俺もそうする。掌一点に集めた気を凝縮して、キラナに対して放つ。
陽炎の如く揺らめく炎を貫通して、神官に吸い込まれる遠当て。
それに対して奴はアクションを取ることも、目をかすかに動かすこともない。
着弾し、衝撃で炎が拡散する。
かすり傷の一つも期待してはいなかったが、予想は的中して全く無傷のキラナが立っていた。
直接殴らない限りまともなダメージは期待できそうにない。
即決した俺は、今なお上がる爆炎を掻い潜りながら奴に接近する。
変換の顕現を生身に叩き込めば、同格である熾天使なら通用するはず。
防壁を顕現で一切変換し突破して、キラナに触れる。
その前に。
「なっ!?」
今まさに目の前の咎人に突き出した拳が、炎となって彼の身体をすり抜けた。
突然炎化した俺の腕は、そのまま燃え上がり身体全体に燃え移る。
もちろん炎となった手先の感覚はなくなる。俺は急いで距離を取り、身体の半分が炎となる前に元の身体を取り戻す。
先ほど炎となった右腕を見て、そして次に目の前の咎人を見る。
キラナの身体に傷跡はない。そりゃそうだ。殴ろうとした俺の拳が炎となって透化したのだから。
距離を取った俺は、ついでに左手で地面に触れ、変換作業を行う。
俺が触れた黒い大地は、空中でその形を巨大な剣に変え、咎人に対して射出される。
軽く50メートルはありそうな刀身。それはキラナが認識した瞬間、切っ先から炎へと転化し、触れる時には剣全体が炎となって、奴の身体をすり抜けた。
一度までなら偶然だが、二度も起れば必然。
奴の顕現の特徴が一つは分かった。
自分が見た、聞いた、あるいは捉えた対象を、炎へと強制的に変化させる。
炎という現象が現われているから、おそらく具現型。
炎一辺倒の顕現だから、変化・転化に突出した俺の顕現すら上回る変換作用。
奴が想えば、眼前の空間全て炎に変えることもできるはずだ。
加えて、
「オン・アギャナエイ・ソワカ」
唱えられる厳かな真言。
キラナの双翼。燃え立つ翼が羽ばたき、炎の羽をマシンガンのように弾幕として放つ。
羽は突き刺さると同時に着弾地点を炎に変える。
当然俺にも当たる。俺の身体を量子の先まで炎に変えて、それすら燃やし尽くす。
炎をさらに燃やすという訳の分からない所業。
それに歯噛みしながら、俺は大地を変換して攻撃を遮る壁を作る。
だが意味は無い。炎の羽が触れた途端に壁は燃え盛る炎となり、それを突き破って弾丸が飛来する。
こんなに打ち出して翼がはげないのか?そんな心配はいらないみたいだ。
羽は打ち出した途端には新しく生えている。弾丸数は無限。弾切れなどあり得ない。
防御は意味が無い。加えて攻撃も意味が無い。
無条件で奴の下に置かれたかのような、そんな得たいの知れないものがあった。
「全ての命は一切人火」
炎の散弾の雨が降り注ぐ中、キラナの声はいかなる破壊音よりも優先されて俺の耳に飛び込んでくる。
「火は生命の中枢であり、皆この火によって生かされている」
言葉を紡ぎながらも攻撃は止まない。
焼却する炎拳。キラナの右腕が炎となって、その場ですくい上げたと思ったら黒い世界を果てまで燃やした。
その一端に触れれば、体内の熱ごと燃やし尽くされ、死人のように熱を失ってしまう。
「全て我が神、アグニが与え給うたものだ」
全ての熱を奪い取られた。冷たくなった俺の身体は、突然のことで上手く動かせない。
かと思ったら体内がマグマのように熱を放って煮え立つ。体内発火で全身の穴から火が噴き出した。
(くそ、体内の熱も操るのかよ!?)
全身黒焦げで、それでも脱皮するように自分の身体を新生する。
今こそ顕現に助けられているからなんとかなっているが、防戦一方だし、何より顕現の性質を解明されたら即座に対策を練られかねない。
だからこそこちらも突破口を考える必要がある。
(あいつが言った顕現名。
一切人火。
意味は分からねぇけど、今言ったあいつの言葉と対応させれば、見えてくるものがある)
火神アグニ。インドの古い神格で、全盛期にはインドラに次ぐ程の信仰を一心に受けていた。
リグ・ヴェーダでは約五分の一の賛歌が捧げられていたと言えば、その神力は自ずと知れるだろう。
しかし後代の神格のためにその霊格を譲り、後には仏教の護法十二天の一柱、火天となった経緯がある。
集が知っているのは精々その程度の情報。
(コンバート 固定)
固定した自分の身体。それは今の状態に自分を復元しつづける、一切の変化を否定する防御法。
これによって自分の炎化を防ぐ。ただし固定化された状態で動くには、それなりの要領がいる。
とりあえず殴り合える情況に持ち込まないと話にならない。
そうすれば、あれを叩き込むことができる。
■ ■ ■
「酒池肉林――顕現 狂宴怒濤催す酒神」
雄大な自然の景色を酒一色で塗りつぶす。
形あるものは全て現実を溶かされ、酒へと形質変化する。
酒の海からは所々大地が現われ、そこから肉と果実がなった木々が生える。
世界を容易く飲み込み、自らのものにした霞は、まさしく万物の神そのもの。
万象の全てに偏在し、世界現象の全てを巻き起こし、世界の法則そのものともいえる存在。
今の霞は哲学者・プロティノスの語った、流出者である一者であり、万物の奏でる演奏へ指揮棒を振るう指揮者。
死の理の構成員。エイリアンのような姿の暗殺者リヤーフは、鼻腔を溶かしかねない程強いその臭いに顔を顰める。
尾を揺らし、世界の全てが敵と言えるこの情況で、しばらく霞と睨みあっていたが――
刹那、影を残しその姿が消えた。
「!」
それを確認し、振るわれる霞の命令。
一抹の滴ですら超質量を備えた怒濤の津波が、真っ正面から迫るリヤーフを迎え撃つ。
当然、衝突。小石が波に呑まれるように、暗殺者の魂の一片までも融解し、酔い潰れ、霞の一部として溶けていった。
「・・・・・・はい?」
策を弄するのでもない、暗殺者には似つかわしくない愚直な突進。そして幕引き。
リヤーフは顕現を使うまでもなく、霞の顕現に飲み込まれ実体を失い、蕩けて陶酔の海に沈んだ。
あまりにもあっさりとした終焉。顕現をわざわざ披露した自分が馬鹿みたいだ。
何をしたかったのかと彼の所業を不可思議に思う霞。
すっかり酔いが冷めた霞は、無聊を慰めるために取り込んだ彼の魂をじっくり堪能しようとして――
その時、彼女の身体が真っ二つに割れた。
「っ!!?」
驚愕を顕にした霞は、何が起きたのかと思考を走らせる。
酒の海に立つ自分の身体が、先ほどのように切断された。
誰に?もちろんリヤーフ以外に考えられない。
それを証拠に、無傷のリヤーフは霞の後方で、血の滴る刃を長い舌で舐め取っている。
だがどうやって?
確かに自らと同化した。肉体も魂も、一片までも自分のものになった。魂喰いを確認した。
けれどリヤーフは現にそこにいる。
先ほど喰らったその魂が、再び分離して霞に襲いかかったかのような不条理に対して、霞は愕然とする。
問題はそれだけではない。
酒の世界に大きな亀裂が走り、中央から切断痕が顔を覗かせる。世界の規模はその分収縮し、間違いなく削られた。
自分の総体、展開している世界、それが一気に切り裂かれたのだ。
当たり前の話だが、今この場に立っている霞は、顕現を発動した霞の一部に過ぎない。
今も広がり続けている霞の領域。全世界の全てが霞であり、霞そのものが世界そのもの。
だから世界を丸ごと破壊するような大規模火力でもないかぎり、霞を殺すことは不可能。
もちろん偏在殺しの対策はしている。類感魔術で偏在する霞全てに影響を及ぼそうとも、蛍のように個々の違いを際立たせ共通項を小数点以下にまで抑えている。
それなのに、それら対策の全てをすり抜け、世界ごと彼女を切り裂いた。
単純な威力の話ではない。もっと異質なものだ。同格とはいえ、展開型を一挙に殺せる者などそうはいない。
①自分の顕現に飲み込まれた筈なのに、どうしてリヤーフが無事なのか。
②単純な威力抜きに、自分を総体ごと真っ二つにしたのはどういう理由か。
以上二つの疑問。それを確かめるために、霞は後方に立つリヤーフに再び津波を浴びせる。
リヤーフもそれと同時にスタート。慣性を感じさせない動きで蛇行し、莫大な津波に向かって突貫する。
本来であれば無謀な行為。蟻が津波に向かって果敢に立ち向かっても、結果がどうなるかは想像するまでもない。
だがリヤーフの動きに躊躇も恐怖もない。まるで自分には通用しないと分かっているかのように、陶酔の波濤に一直線に突き進む。
それを訝しみながら、霞は今度こそ見逃さないように、リヤーフの動きを、細部まで目を凝らす。
360度多角的に。あらゆる座標に偏在している展開型の利点と、自らの技量の全てを使って。
再び衝突。間違いなく溶け、自らと同化するリヤーフの魂。
確かに喰らった。だが霞は警戒を解かず、自らの領域全ての変化を見過ごさない。
リヤーフを飲み込んだ津波が、霞の領域全てに彼の魂を行き渡らせ、霞もその魂を堪能する。
変化は突然に起きた。霞のすぐ側から、酒海を突き破って突如現われたリヤーフ。
彼が左腕のブレードを、霞の首元に走らせる。
恐ろしく鋭利な一閃。彼が一体どれだけの死を積み上げてきたのか、その屍の山を嫌でも想起させる程の至妙な暗器捌き。
剣閃は霞の首元に達し、薄皮に当たった次の瞬間には首を両断するだろう。
霞は自分の首が切断されるその一瞬に全感覚を集中させ、その後に起こる変化を読み取る。
体感時間が遅々と進み、意識だけが爆走する。
自らの首がはね飛ばされるその瞬間・感覚を、永続的に味わうその恐怖。
常人であればとても耐えられるものではない。首の中枢に至る前に、その苦痛と恐怖で発狂するのが関の山。
だが酔っ払いに常識は通用しない。その恐怖以上に情報が大事なのだ。
空に舞う霞の頭。さらに削られる霞の総体。だがそれを代償に、霞は重大な情報を掴んだ。
(ははーん。なるほどね~、ミクロとマクロの対応。となると魔術ね。
論理の参照先は、エメラルドタブレットかな?もしくはヘルメス・トリスメギストス本人か。
どちらにせよ、それを使って私全体を斬り殺したと)
リヤーフが行っていることはミクロとマクロの照応。
古代の神秘主義の考えの一つ。あまりに有名で、アラディアは『これを知らない魔術師は存在しない』とまで言っている。
下なるものは上なるものの如し、上なるものは下なるものの如し。
星や自然現象などの天上の出来事と、下位である人間界の出来事が互いに感応し合う。
超簡単に言ってしまえば、宇宙も自分も同じじゃね?という理論。
その理論を応用すれば、この現象も納得できる。
なんたって、石ころ一つを真っ二つにすれば、世界全体を真っ二つにできるようなものだ。
当然現実ではそんなことが起きるわけがない。人が何人死んだところで、宇宙が死滅するわけではない。
だが顕現者に常識を説いても無意味であることは上述の通り。
何よりも驚くべきはその精度。霞の世界全体に影響を及ぼせるその効果の強さ。
よほど上下照応の魔術を得意としているのだろう。熾天使としての技量は紛れもない本物だ。
といっても二回の接触でその正体を見破った霞も、また熾天使として恥じない実力と観察眼、知識の持ち主であることは変わりない。
再び奔る五つの剣閃。それが素粒子の一つでも切り裂けば、完全に同タイミングで切り削られる霞の世界。
首と四肢と胴体を分離され、心臓に深々とブレードが突き刺さったと思ったら、裂けたような口を大きく開き噛み千切られ、最後に尾が薙ぎ払えば欠片も残滓が残らない。
死んで、酒の海から再び現われる霞。世界がある限り霞が滅びることはないが、こうも削られるとあまり猶予はない。
残る一つの疑問。それをなんとか解決しない限り、リヤーフには勝つことはできないから。
モナド、イデア、一者・・・・・・
ろくな説明もなく専門用語を使いまくって、読者を混乱させる作者がいるらしい(私のことです申し訳ございません)
次回、アラディア 天都 否笠




