12
宰相が部屋を出て行ってから、私はしばらくごろごろとベッドの上を転がっていた。
なにかしたい。しなきゃいけない。でもできない。有り余るストレスがふつふつと燃え滾っている。
「ひーまーだーなー。また手記でも読んでよっかなー」
ここ最近、本を読み進めるスピードががくんと落ちた。理由は簡単、翻訳機能が切れて新出専門用語がわからないからだ。
今まではさらさらと読めていた文章も、いくつか詰まってしまう部分が現れた。前後の文と照らし合わせてなんとなく意味を掴んでいくのだが、意外と骨が折れる。そのせいで、つい読む気が失せてしまうのだ。
重い腰を上げて手記を開こうとした時、突然いきなり扉が開かれる。
「ティカ、いるか」
「ノックぐらいしてくださいよ。どしたんですか?」
入ってきたのはラグナさんだった。ラグナさんは私をちらりと見ると、手に持っていた紙の束をどさりと机の上に置いた。
「これは?」
「宰相からだ。古代語で書かれた追加資料だと。お前確か古代語も読めただろ」
「うん、読める。ていうか区別ついてなかったしね」
カタカナひらがな漢字を変幻自在に操る日本人としては、今は魔術や儀式にしか使われない古代語もこの世界の常用語も同じ言語なのかなー、と思っていた昔の私。誰かそこは教えてくれよって後々突っ込んだ。役に立つことは立つんだけどね。
「また仕事が出来たら呼ぶとさ。じゃ、いきなり悪かったな」
「わざわざありがとーございまーす」
ラグナさんが出ていく姿を横目に、私は軽く文章に目を通し……目を疑った。
「……ジャストヒーット」
そこに記されていた文章は、『世界の狭間と扉』について。
『世界はひとつではない。何千、何万という世界が、まるで魚の卵のようにぎっしりと詰まっている。
世界一つ一つは薄皮に包まれており、薄皮がある限り、世界と世界は交わることはない。
薄皮――この世界では『扉』と呼ばれるものは、少なくともこの世界では、精霊にその管理を任されている。精霊たちは、管理を行っている精霊を『扉の番人』と呼ぶらしい。 』
何かの本の抜粋なのか、その文章はほんの少ししか載っていなかった。宰相が持ってくる資料のいくつかは、王宮にはない資料の抜粋メモが多いのだ。
下のほうを見ると、この原本の所蔵場所がメモしてある。
「えーっと……トゥナリア神殿所蔵?って、どこ。ええと地図は……」
がさがさと机をひっくり返し、地理の把握のために使っている地図を引っ張り出す。
トゥナリア、という文字を探して指先を滑らせていると、地図のかなり上の方で、その名前を見つけた。
王都からかなり離れた、深い山脈の中腹。白銀の街トゥナリア。
しばらく、私は地図の上のその文字を眺めていた。もうちょい王都に近づいてこないかなとか無茶なことを考えながら。
だって遠い。結構遠い。この国の広さは知らないが、少なくとも山脈の大きさ辺りからどれぐらいの縮尺なんじゃないかなーっていう予想はつく。少なくとも日帰りはできない。
「宰相に頼んだら持ってきてくれるかなー……でもなー、宰相今忙しそうなんだよなー」
さっき見た疲労の濃い顔を思い出すと、これ以上の面倒事を押し付けるのは憚られる。
私は悩んだ末、ひとつの決断を下した。
「よし、脱走して一人で行こう!」
そうと決まれば下準備である。
なんの準備もなく王宮を脱出しても意味がない。山の麓まで向かう準備と、旅の資金が必要である。
私はラグナさんとアルフレッドさんの監視の目を掻い潜り、ときに王宮のなんか売れそうな装飾品を勝手に拝借し、さらに相変わらずのお役立ちブックである手記を片手に、脱走の準備を整えた。その期間、約三日。ちょっと時間をかけすぎな気もするが、準備をすることに越したことはないのである。
服装は、『実は家出中の世間知らずのお嬢様』を装うために、麻のワンピースに薄いベストを合わせておきながら、イヤリングやネックレスなどの高級なアクセサリーを合わせている。さらに荷物の中にも幾つかそれらがあり、質屋に入ったらまずこれを片っ端から売り払う。
さらに着替えとして、ラグナさんが前にくれた木綿のシャツにズボン、それから革のベスト。薄くて保温性の優れる魔術を組み込んだマントに、手のひらを保護するための指ぬきグローブにスニーカー。本当は剣も腰から吊りたいところだが、流石にそれは剣帯がないので手持ちで妥協。これらは装飾品を売り払った後に着替えることになる。
それからおそらく必要であろうと思える、私の手に入るものを革袋に入れて、これで完了。足りないものはあとから買い足すことになる。
いつでも脱走できる準備が整ったら、あとはしばらく王宮に戻ってこれないことを考えて、やっておきたいことを済ますのみである。
準備した装備品に満足げに頷いていると、ラグナさんが呼ぶ声が聞こえた。
「おい、お連れしたぞ」
「あ、はーい。ありがとうございます。今行きます」
慌ててクローゼットの中に荷物を放り込み、姿見の前でちゃんとした服装であることを確認して、私は客間に足を向ける。
客間の閉じられた扉の前で、大きく一度深呼吸。心を落ち着けて、扉を開く。
「初めまして。忙しい中わざわざ呼び出しに応えていただき、ありがとうございます。――王太子殿下」
この世界の礼法に法って、スカートの裾を軽くつまみ腰を折る。再び顔を上げると、目の前には白い礼服に身を包んだ白金の髪の青年――王太子ユリウス殿下が座っていた。




