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 翌朝。私の横には、いつもどおりベンチに座って理乃を待つ亜沙美の姿があった。


「昨日はドキドキしちゃった……。いい返事もらえるかな……。幸せくんも祈っててね!」


 登校する学生たちや出勤するスーツ姿の男性の姿が、いつものように交差点を通過してゆく。


 それぞれの人のそれぞれの日常。

 ただ通り過ぎていくだけの人にとっても、ほんの一瞬ずつ、人生という長い物語のひとコマとして、この交差点がその背景として映り込む。

 見ず知らずの人同士がそれぞれの物語の中での一瞬の時間をこの場所で共有する。


 歩く人、走る人、自転車で通る人、車で通過する人……。

 それらすべての人が、人生という壮大な物語の一ページの背景を、今ここに刻んでいるのだ。


 ……ん?

 またこちらをうかがう気配を感じるな……。

 このいつもの視線。しかし不穏な気は感じない。とても温かな、優しい雰囲気すら受ける。

 よくよく考えてみると、この視線を感じるときは、いつも亜沙美がこの場所にいるような気がする。


 突然、交差点に自転車のブレーキ音が響いた。


 自転車は一瞬バランスを崩したが、すぐに体勢を取り戻し、そのまま走り去っていった。

 残されたのは、驚いて呆然と歩道の真ん中に立ち尽くしてる男の子ただひとり。

 自転車はその子にぶつかりそうになったようだ。


「悠くん! ……大丈夫だった?」


 男の子はいつも母親とともにここを通る悠だった。しかし、今日は辺りに母親の姿は見えない。

 亜沙美の声に、はっと気づいてベンチに駆け寄ってくる。その悠の腕には、ノートサイズくらいだろうか、大きめの封筒が大事そうに抱えられていた。

 悠の小さい体との対比で余計に大きく見えるためか、抱えて走るのも大変そうに思えてしまう。


「あっ、亜沙美お姉ちゃん。……うん、大丈夫だよ!」

「まったく、マナーがなってないわね。ケガでもしてたらどうするのよ、ねぇ?」


 ぼやきながら悠に歩み寄った亜沙美は、きょろきょろと辺りを見回す。


「……あれ? 今日はお母さんいないの? ……あら? それはな~に?」


 そして、大事そうに抱えられている封筒に気づいた亜沙美は、続けてそう尋ねた。


「あっ、これ? お父さんの会社まで届けるんだ! 会議で必要なんだって。頼まれたの。お母さんは忙しいから、僕ひとりで来たんだよ!」


 まだ小学校に上がったくらいの悠だが、しっかりとした受け答えはできるようだ。

 亜沙美は優しく微笑みを浮かべながら、いつものように悠の頭を撫でる。


「へ~、そっか~。偉いね~、悠くん! でも車や自転車には気をつけないとね!」


 後半はほんの少し強めな口調に変えて言い聞かせる。


「うん!」


 悠のほうも笑顔で素直に受け止める。

 後半は注意を促していたとはいえ、間違いなく褒めていたのだ。褒められれば、誰でも嬉しいものだろう。


「悠くん、お父さんの会社って、ここから近いの?」

「うん、駅の少し向こうなんだ!」


 北のほうを大きく指差しながら、悠は嬉しそうに答える。


「へ~。あっ、じゃあ、急がないとダメよね。ひとりで大丈夫?」

「うん! 行ってくるね!」


 大きく手を振って、急いで駆け出した悠は、落とさないようにしっかり封筒を抱え込んでいた。


「悠くん、気をつけてね~!」


 心配の声をかけられた悠は、亜沙美を振り返ることなく、横断歩道を渡り終え北の駅のほうへと去っていった。

 亜沙美はその姿が見えなくなるまで、温かな瞳で少年の後ろ姿を見守っていた。


「はぁ……。理乃、まだかなぁ~……」


 再び私のそばのベンチに座り直し、親友の到着を待つ亜沙美。

 いつもより早く来すぎたため、まだ理乃が普段来る時間までは少々あるのだが。

 昨日の件もあるし、ひとりで考え込んでいると思考に押し潰されてしまいそうな状態なのだろう。


 そんな折。

 ブヲォォォォォォォォン!

 朝の交差点には不釣合いな大音量を響かせて、トラックが走ってくる。


 確実にスピード違反。

 ここではたびたび見かける光景ではあるが、やはり危険だ。

 ずっと交差点に立っていると、交通事故の現場を目撃することもしばしばある。そういった事故の多くはスピードの出しすぎに原因がある。

 ドライバーとしては最も気をつけるべき部分だろう。


 む……。

 ここで私は気づいてしまう。

 朝だというのに、いや、朝だからと言うべきか、どうやらあのトラックの運転手、眠気でうとうとしているようだ。

 しかもそのまま交差点に近づいてくる。


 微妙に蛇行した走り方……。

 つまり、これは……居眠り運転!


 突如トラックは、重い積荷の影響かバランスを崩し――、

 次の瞬間には、交差点のこちら側――すなわちカーブミラーである私と、そして亜沙美の座っているベンチのある方向へと目がけて、一直線に突っ込んできたではないか!


 キラッ!


 私はとっさに光を反射させて、一瞬だけだが運転手の顔に当てる。

 それにハッと気づき顔を上げる運転手。

 慌ててブレーキを踏むが、ブレーキをかけても止まれるほどの距離はもう残されていなかった。


 キキキキキキーーーーーッ!!


 割れるようなブレーキ音がいまだ朝もやの残る交差点に響き渡る。


「危ない!」


 トラックはベンチを完全に跳ね飛ばし、私の支柱にぶつかり、爆発とも取れるような轟音を伴いながら、ようやく止まった。


 ブレーキである程度速度が落ちていたのか、私自身は大破することもなく、なんとか無事だった。……若干支柱部分が折れ曲がったかもしれないが。

 しかし、ベンチは無残にも大破して、原型をとどめないほどに壊れてしまっていた。壊れたベンチの破片は、歩道の広範囲に渡って散らばっている。


 そして――。


 ベンチの残骸の横には、倒れ込んでいるふたつの人影があった。

 ……ん? ふたつ?


 亜沙美の上には覆いかぶさるように、ガクラン姿の男性が一緒に倒れていた。


「ぐ……。痛てててて……」


 男のほうが身を起こした。

 少々すり傷が見えるが、大したケガではないようだ。男はすぐに、自分よりも、もう一方の倒れている少女――亜沙美のほうを気にかけていた。


「亜沙美、大丈夫?」


 地面に横たわっている亜沙美の肩口を軽く揺する。


「う……ん……。……あれ? 陸徒!? ……痛っ!」


 体を起こそうとして、亜沙美は痛みで一瞬顔をしかめる。

 男のほうは陸徒と呼ばれた。以前からときどき亜沙美と理乃の話題に上がっていた、幼馴染みの鳩山陸徒というのが彼なのだろう。


「平気? どこかケガしてない?」


 心配そうに亜沙美の顔をのぞき込む陸徒。


「ん……、ちょっとぶつけただけみたい。大丈夫そう。……そっか、トラックが突っ込んできて、それで……」


 亜沙美は頭を軽く振りながらも、やっと周りの状態を把握できたようで、舞い上がったホコリのせいか若干かすれた声でつぶやく。


「って、なんで陸徒がここに……? いつももっと早いんじゃなかったっけ?」

「え? い……いや、その……。た、たまたま忘れ物して戻ってきて……」


 陸徒は少々言葉を詰らせ気味に答える。と、そこへようやく遅刻魔の理乃が姿を現した。


「おまたせ~。って亜沙美、どうしたの? ……あれ、鳩山くんもいるし。ケガしてるじゃない。大丈夫? ……って、トラックが!」


 気づく順番が逆だろう、という突っ込みは置いておくとして。

 周囲は次第に慌ただしくなってきていた。

 集まってきた野次馬と、到着したパトカーや救急車が、普段の交差点にはない喧騒を作り出していた。


 トラックの運転手もかすり傷を負った程度で無事だったらしく、警察に事情聴取されているところだった。

 亜沙美と陸徒のふたりも簡単に話を聞かれ、その後一応検査のために病院へと向かった。

 見る限り、軽いすり傷がある程度のようだったし、すぐに戻って学校へ行くことになるだろう。


 遅れて来た理乃だけは検査の必要もなく、そのまま学校へと向かっていた。

 他の人とともに警察から事情を聞かれていたため、時間的にはとっくに遅刻の時間ではあったが、事が事なのでとくに咎められたりはしないだろう。

 ゆっくり歩いて悠々と学校へと歩いく理乃の背中を、私は黙って見送った。


「この鏡は、幸せくんか……。どうやら事故の衝撃で、少し曲がってしまったようだな……」


 まだ騒がしさの残る交差点の片隅で。

 事故現場の確認をしていた警察官が私の支柱を目にすると、そんなつぶやきを漏らしていた。


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