冴香対クロノ
六花の部屋の前には、何人もの妖精が集まっていた。
でも彼らは中に突入することができず、おろおろと狼狽え、お互いの顔を見合わせてばかりいる。
ネモフィラとアダシノの戦いがすさまじい、ということ以上に、この部屋を荒らすわけにはいかないからだ。
渦中のアダシノもまた、部屋を荒らせば、後でクロノになんと言われるかわからない。
「ここは大事な部屋だ。外で戦おう」
アダシノはそう提案したけど、ネモフィラは首を横に振った。
「いや、ここでいい」
「は? ここは六花さまの部屋だぞ?」
「だから?」
「わかっているのか! とても大事な部屋だって言っているんだ!」
「関係ないね。俺には記憶がないからさ。過去よりも未来が。六花さまよりもサエカの方が大事だ!」
ネモフィラが殴りつけるように盾を振るった。近くにあった大きな全身鏡が粉々に割れる。
「お、お前!」
アダシノが怒りをにじませた。それでも彼は大胆な行動がとれない。
前にネモフィラは、アダシノとやり合っても勝てるかわからないと言っていた。あいつはクロノの右腕だから、と。とんでもない話だ。謙遜するにも程がある。
身体的にも精神的にも、ネモフィラの方が強い気がする。
アダシノは、フードを被って騙し討ちをするという奇策を練ってきたというのに、この部屋を人質に取るというネモフィラの行動に上を行かれてしまったのだから。
ぴしりぴしりと、変な音が聞こえる。アダシノが何かをしたのかと思ったけど、彼も困惑したように周囲を見回していた。音は、四方八方から聞こえてくる。そのうちミシミシと嫌な音まで鳴り始めた。
冴香の足元の床に、雷のような亀裂が走った。
「うわわ!」
熱い砂浜の上を飛び跳ねるように、ぴょんぴょんと足の置き場所を探す。でもそこら中にヒビが入っていて、どこにいても床が抜ける危険性があった。
ヒビはどんどん広がっていき、壁や天井にあっという間に到達した。いつの間にか部屋全体がいつ崩れてもおかしくないような状態になっていた。
「なんだ? 俺はまだ何もやっていない」
ネモフィラが言う。
「まだって……」
冴香は少し呆れた。
ビシビシビシッ! と外から大きな音が聞こえてきたので、冴香は窓に近づき、割れたガラスに気をつけながら顔を出し、雪原を眺めた。天井を覆っているドームにまでヒビが入り始めていた。
「どういうことだ!」
アダシノが叫んだ。
扉の近くにいる妖精たちも、慌てふためいている。ネモフィラが、そんな混乱を軽く受け流すように、
「見たままだろ」
と言った。そのまま冴香を抱えて、アダシノに背を向ける。割れた窓から飛び出し、雪原に、ゆるやかに降り立った。
振り返ると、他の妖精たちも後に続いていた。世界樹の中にいたら倒壊に巻き込まれてしまうからだろう。次の瞬間、ドームの天井を支えている枝が落ち、太い幹が裂けるように割れた。
降り積もっている雪が衝撃で舞い上がり、まるで大きな爆発があったように吹き飛んでいった。
「この世の終わりだ!」
近くにいた妖精が叫び、
「始まりだよ」
ネモフィラが答えた。過去に縛られていないネモフィラが、この閉じた世界で一番自由に近かったのかもしれない。
冴香とネモフィラの近くにアダシノがやってくる。目の前に着地して、すぐさま魔法陣を展開させてきた。小さな星形角板の結晶が、そこかしこに浮かび上がる。それを片端からつかみ、流れるような動きで投擲してきた。しゅるしゅるという風を斬る音が聞こえ、左右から弧を描くように結晶の武器が襲いかかる。さらに前からは、アダシノが突っ込んできた。ネモフィラは盾をぶん回して左右同時攻撃を防いだ。アダシノに対しては蹴りを入れようとしたものの、躱されてしまう。
アダシノは、投擲用の武器での斬撃で相手を惑わせ、一歩、間合いが離れるやいなや至近距離から顔面をめがけて結晶武器を投げつけてくるという――超接近戦を繰り広げていた。
「おい! 何をぼーっと見てやがる! こいつの足を止めろ!」
アダシノが、近くの妖精たちに向かって叫んだ。世界樹が壊れて呆然としていたクロノの部下たちは、お互いに顔を見合わせた。その中から十人ほどの妖精たちが、緩慢な動作でネモフィラに襲いかかった。
こんな状況下でも命令を守ろうとしている。
部下たちは動き出したらそれなりに興が乗ってきたのか、徐々に攻撃の精度が増し、連携もスムーズになっていった。五つの剣、三つのレイピア、二つの鉄球、一つのムチ、そういった様々な武器が四方八方からネモフィラに襲いかかる。それらすべてを防ぎきり、息を吐いた直後のタイミングで死角からアダシノが強襲する。それすらも弾き飛ばしたところで、ネモフィラは冴香の方に振り返った。
「いつまで防げるかわからない! ホムラとクロノのところに行け!」
「で、でも! 私が行って何ができるの?」
「少し前から世界の崩壊が止まっている。おそらく、ホムラがクロノの説得に失敗したんだ。ここからどうにかできるのはサエカしかいない」
冴香が行って、どうにかなるイメージが湧かなかった。
あのクロノが、冴香の言葉に耳を傾けるとは思えなかった。でも冴香が言葉を紡ぐ暇などなく、アダシノたちが再びネモフィラに波状攻撃を仕掛けてきた。
ここに冴香がいても、戦いの邪魔になるだけだ。
「行け! 頼む!」
ネモフィラが叫ぶ。
「俺が君の背中を守る。今度こそ守りきって見せる! だから、どうにかしてくれ! みんなを守ってくれ!」
今度こそ、か。
それがいつの時代の誰を指しているのか、冴香にもわかった。
ネモフィラも、そしてホムラもクロノも大切な人を守れなかった。
冴香は六花じゃない。
それでも、だからこそ――、
自分には、まだできることがあるのかもしれない。
冴香は意を決して走り出した。近くの雪原が爆ぜ、視界の隅で剣が飛び交い、アダシノの投擲武器が足元に刺さった。それでも振り向くことなく走った。間断なく響いてくる硬質な音だけで、戦いがどれだけ壮絶なのかわかる。ネモフィラが命を賭して冴香を守ってくれているとわかる。冴香は必死に走った。降り積もっている雪に足を取られながら走った。
暑い。汗が噴き出てくる。
世界のそこかしこに大きなヒビが入っている。ときにはまたぎ、ときには迂回して、進んでいく。見えにくいヒビに足を取られて、盛大に転んでしまった。顔から雪に突っ込む。雪は固くてじゃりじゃりしていて、皮膚が削れるような痛みにしばらく立てなかった。
なんとか手をついて、立ち上がる。
シーナが貸してくれたコートの上から、自分の体をかき抱く。
――いってえなあ
と冴香は思った。
ずっと思っていた。
「いてえよ! なんだよ! もう!」
思うだけじゃ意味がなかった。言葉にして口から叫んだ。
急に怒りが湧いてきた。それはクロノに対してであり、母に対してであり、父に対してであり、六花に対してであり、世の中に対してであり、そして何よりも自分自身に対しての怒りだった。
これまでずっと溜め込んできたものが、急に溢れ出した。
夢の中で六花と話したせいだ。
五歳のときの自分が蘇ってしまったのだ。
冴香はずっと、父と母の顔色を窺って生きてきた。二人には何も言えなかった。何かを言えば、家庭が崩壊するとわかっていた。とっくに崩壊していたけれど、目を背けていた。
冴香が二人の間に立っている限り、家族の形だけは守れると信じていた。そこに何の意味があるのか、冴香にはわからない。それでも冴香は二人を繋ぎとめていたかった。壊れてしまえば元には戻らないけれど、ヒビだらけでも形が残っているなら、なんとかなるかもしれないと、そう思っていた。
冴香は、幸せだったあの頃に戻りたかった。
でももう、それは無理なんだ。
戻るのではなく、進まなきゃいけないんだ。
冴香は六花じゃない。
六花が選ばなかったその先に、行きたい。
ホムラとクロノが見えてきた。
ホムラは、片手に剣をもっている。クロノは何も持たずに、しりもちをついている。
会話をしている感じじゃない。二人とも困惑している様子だ。
そんな二人の間に、冴香は割って入った。
「サエカ……? どうしてここに?」
ホムラが目を真ん丸に見開いている。やっぱり、揺らめく炎のような瞳だと冴香は思う。
「なんだ、人間。お前の出る幕はないぞ」
クロノは強がるように言い、立ち上がった。
冴香は受けて立つように、
「私の名前は青野冴香だ!」
啖呵をきった。
クロノが一歩、後ずさった。
「だ、だからなんだ。邪魔をするな。殺すぞ」
「いい加減にしろ! バカ!」
「……ば、ばか?」
「私は、この世界に攻め込んできた魔法使いじゃない! おねえちゃんの仇じゃない! 私を殺しても意味なんかない!」
「知っているさ。だがお前は人間だ」
「青野冴香だ!」
「サ、サエカ」
クロノは、冴香に気圧されるように言った。
「私には関係ないんだよ! 妖精たちのごたごたなんて、これっぽちも! 関係ないんだよ! ふざけんじゃねえ! そんなことで殺されてたまるか! おねえちゃんが残した嫉妬だの二択だの、そんなもんに囚われてやる必要なんてないんだよ!」
冴香が一歩、足を出す。
クロノが一歩、後退した。
「今日はクリスマス・イブなんだ!」
「は? な、なんだそれは?」
「こんな日ぐらい一緒にいてもいいじゃん! カレーライスを食べればいいじゃん! みんなで食卓を囲んで、仲直りすればいいじゃん! なんだよ、もう! ふざけんなよ! ばあああああああああああああああああああああああああか!」
怒鳴った。
肺の中の空気をすべて出し尽くすくらい、怒鳴った。
クロノは呆気に取られていた。
冴香が振り返ると、ホムラは気まずそうに下を向いていた。
沈黙だけがあたりに漂っている。
言い終わったら、急に恥ずかしくなってきた。
ああ、もう!
自分でも、自分の顔が赤くなっているのがわかる。
「っふ」
と誰かの息が漏れるような音が聞こえた。
「ふふふ。あはははははははははははははははははは! カレーライスか。これは傑作だ!」
クロノだった。
「何がおかしいの!?」
「ああ、いや。すまん。君は――サエカは、六花さまに似ている」
「え?」
どこが似ているのだろう。
でもクロノは詳しく説明することなく、ホムラの方に向き直った。
「ホムラ」
「うん」
「私の負けだ。この世界を壊そう。一緒に六花さまの氷を溶かそう。外に――」
外に出て、生きよう。




