05 いいえ、他人の空似です
「王立セントルーリア貴族学園」を不名誉な形で退学となってから、超特急で留学してきた私の、専属の侍女がいない初めての寮生活の朝は、少しばかりドタバタと幕を開けた。
「くっ……新しい制服、可愛いけどリボンが結びにくいわね! ええい、前世の社畜の早着替えスキルを舐めないでよね!」
自力でベッドから這い出し、悪戦苦闘しながらもなんとか身支度を整えた私は、食堂で手早く朝食を済ませて寮を飛び出した。
原則として全寮制であるこの学園の敷地は、ひとつの街のように広大だ。
寮からメイン校舎へと続く美しい並木道を、足早に進む。
周囲を見渡せば、帝国の生徒たちに混じって、私と同じような留学生らしき異国の生徒もちらほらと歩いていた。
実力主義の帝国らしく、他国からも広く人材を受け入れているらしい。
私は最高学年への編入という異例の形になるが、この自由で活気ある空気なら問題なく馴染めそうだ。
やがて、見上げるほど巨大な正門が私の前に立ちはだかった。
「ここが……帝国立ガルヴァニア魔導学園!」
王国の学園が白亜の伝統的なお城だとしたら、こちらは最先端の研究施設と都市が融合したような洗練されたデザインだ。
校舎のあちこちで魔導具が青白い光を放ち、空には連絡用の小型飛行船まで飛んでいる。
(すごいわ、本当に最先端! ここでしっかり経営学を学んで、ついでに優良物件のお婿さんを捕まえる……!)
私の心は希望に満ち溢れていた。
目標は、領地経営をサポートしてくれる真面目で、権力闘争とは無縁の「ちょっとお金持ちな普通の貴族の次男坊」だ。
新しい制服に身を包み、期待に胸を膨らませて校舎の廊下を歩いていた、その時だった。
「――道を空けろ。皇太子殿下が通られる」
野太い声と共に、廊下にいた大勢の生徒たちがサッと波が引くように壁際へ寄り、一斉に深く頭を下げた。
私も慌てて壁際に寄り、礼の姿勢をとる。
(皇太子殿下……。たしか『氷の死神』って恐れられてる次期皇帝よね。絶対に関わらないようにしなきゃ)
コツ、コツ、と軍靴の足音が響く。
顔を上げることは許されないが、近づいてくる強烈な威圧感だけで、その人物がどれほど絶対的な権力と恐ろしいオーラを持っているかが伝わってくる。
足音が、私の目の前でピタリと止まった。
「――見つけたぞ」
頭上から降ってきた、低く、どこか聞き覚えのある俺様全開の声。
思わず顔を上げた私の視界に飛び込んできたのは、漆黒の髪と、獲物を狙う肉食獣のような鋭い瞳。
取り巻きの側近たちを引き連れ、黒を基調とした軍服のような特別制服を見事に着こなした超絶美形だった。
(…………えっ?)
私の思考が数秒間、完全に停止した。
間違いない。
数日前に辺境の森で罠に引っかかった私を助け、「俺の腕に落ちてこい」と謎のポエムを囁いてきた『怪しい宗教の勧誘員』だ。
彼が、皇太子?
この巨大な帝国の、次期皇帝?
(いやいやいやいや! 待って待って! あのヤバい不審者がこの国のトップ!? そんな事実を認めたら、私の『平凡で優良なお婿さん探し計画』が完全に崩壊する!)
その超絶美形は、口元を凶悪なほど美しく歪め、私の逃げ道を塞ぐように壁に手をついた。
いわゆる壁ドンである。
「俺から逃げ切れると思ったか? お前は俺の……」
「まあ!」
私は彼の言葉を大声で遮り、パンッ!と両手を打った。
そして、これ以上ないほどの満面の笑みを浮かべ、澄み切った声で言い放った。
「あなた、数日前に辺境の森でお見かけした『怪しい宗教の勧誘員』さんにそっくりですわね! いやぁ、世の中には自分と似た人間が三人はいると言いますが、まさかこんな見事な他人の空似があるなんて驚きですわ!」
俺様美形の顔から、綺麗に表情が抜け落ちた。
「あの勧誘員さんは『俺の腕に落ちてこい』とか意味不明な自己啓発ポエムを垂れ流す残念な方でしたけれど、帝国が誇るこの最高峰の学園の生徒であるあなたが、まさかあんな不審者なわけがありませんものね! ええ、絶対に他人の空似です!」
「お、おい貴様、殿下に向かって不審者とはなんという不敬――」
側近の一人が顔面蒼白で怒鳴ろうとするが、私は止まらない。
私はうんうんと一人で納得するように頷いた。
周囲の生徒や側近たちが「こいつ、命知らずにも程がある……!」と絶望的な顔で私を見ているが、知ったことではない。
面倒事には絶対に関わらない。
それが私の鉄則だ。
こんな見るからにヤバそうなオーラを放つ男に目をつけられたら、私の「平穏なお婿さん探し計画」が崩壊してしまう。
「それじゃあ、空似の不審者……じゃなかった、親切な同級生さん! 私はこれから経営学のオリエンテーションがありますので、これにて失礼いたしますわ! ごきげんよう!」
私は壁ドンの腕の下を鮮やかにくぐり抜け、スカートの裾を翻して猛ダッシュでその場を立ち去った。
★
残されたのは、再び空中で行き場を失った俺様美形――ガルヴァニア魔導帝国の次期皇帝であるヴォルフレッド皇太子だった。
「……他人の、空似だと……?」
ポツリと呟かれたその声は、怒りよりもむしろ、深い衝撃と呆れに満ちていた。
少し離れた場所で護衛として控えていた側近たちが、「で、殿下があの距離で完全にスルーされた……!?」と顔面蒼白になり「ああ、あの哀れな留学生は今日で命が終わった」と目を閉じた。
しかし数秒後。
ヴォルフレッドの喉の奥から、低く、しかし酷く艶を帯びた笑い声が漏れ出した。
「くっ……ふ、ははは。まさか、あれほど見え透いた嘘でこの俺から逃れようとするとはな」
ヴォルフレッドの鋭い瞳に、森で出会った時よりもさらに強烈な熱と、昏い独占欲の炎が燃え上がる。
彼を蝕む呪いは、たった今彼女の波長に触れただけで、嘘のように浄化されていた。
やはり、彼女以外あり得ない。
「……面白い。他人の空似と言い張るなら、その安い茶番に乗ってやろう」
彼は口元を凶悪なほど美しく歪め、リズが走り去った廊下の先を、獲物を狙う肉食獣の目で見つめた。
「だが、ここが誰の箱庭か、あの女はまだ理解していないらしい。……外堀を一つ残らず埋め尽くしてやる。二度と俺の腕から逃げ出そうなどと思えないよう、その甘い考えごと、俺の色に染め上げてやるから覚悟しておくことだな」




