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元伯爵令嬢の下克上と恋愛譚  作者: 高槻いつ


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32/61

伯爵令嬢と大家

張り詰めた息を切らすように、アマーリアは弓を下げた。


『…………うむ、見事じゃ』

「うちの大家が我儘を言って申し訳ありません。大変素晴らしい演奏でした」


一息吐く合間にもたらされた称賛に愛想笑いする余裕もないくらいに何故か消耗した体力を振り絞って、彼女は何とか表情を繕うアマーリアと、賛辞する二人。


「お気に召していただけたようで、何よりです」

「はい。大家も何日でも泊まって良いと歓迎しておりますので、一先ずお部屋にご案内させていただきますね」

『待て、ワシはまだ何も言っとらんぞ』


バイオリンを片す間、いや、この屋敷の存在を知った頃から。ずっと少女の後ろに付き纏い、更には言葉さえも持つその存在を無視していたクラウスは、主が自分に背を向けた隙にそちらを見やった。


『……ほう。童が何やら面白いモノを見つけてきたというから案内させたが、これはこれは珍しいモノを見つけてきたものだ』

「……」


アマーリアと宿屋の少女がいる手前、クラウスはその存在に何を言われようとも反応をしない。輝く球体の精霊が見えようと、言葉を交わすことが出来ようと、それらを従えることが出来ようと、どうせ主には告げられないことであるから。


『紅の銀狼の子孫よ、お主は戻らぬのか?』

「……」

『何年も前に行方不明になっている倅、それはそなたのことであろう?』

「……」

『ふむ、そうか。しかし文くらいは出してやれよ、そなたの両親は随分と悲しんでおる』


そう。例え、例え自分の隠された出自を知っていたとしても、その真相を知っていたとしても、今の自分には到底関係のないことであるのだから。


「ありゃりゃ、従者さん、置いていきますよー?」


ずっとバイオリンの手入れをしているフリをして話を聞き出すのにももう無理があると判断したクラウスは、ロビーから二階へ上がる階段の途中で自分を急かす少女を見上げ、宿の大家を置いて階段を上がった。


『ふーむ……月の女神に、紅の銀狼。やれやれ、随分と面倒なことを遺してくれたものだ』


揺れる白銀と赤銀を見送り、本来混じり合うことさえ赦されない旅路を大精霊はただ嘆いた。


()を封じたら傍にいられるとでも?全く、そちのそういう甘い所がワシは好かんのじゃ。何やら人間同士のゴタゴタに巻き込まれおっていなくなってからというに、ワシがどれ程便宜を図ってきたと思っておるのじゃ。本当に良い迷惑なのだぞ、妹よ』


もう視界から消え失せた白銀に重なるいけすかない妹。自分にとっては瞬きの間の出来事だったそれは、今を生きる彼女達からしてどれくらい前のことだったのか。


()()の姿が陰る程に苦痛であったと察せる、その過去は。


『はーやだやだ。いっつも尻拭いを押し付けよって……』


誰にも自分の姿が見えていないのを良いことに大精霊はふよふよと動き回り、心を占めるもやもやを吐き出すように深い溜め息を吐く。


『……そして、戻ってきはせんのだから、何たる不幸者か』


何よりも濃い孤独の中で、彼女は小さくそう呟いた。


吐く孤独の中、一瞬だけ霞んで象ったその姿は朱を帯びる赤銀髪を靡かせ、俯いたことで隠された瞳は生命を象徴する血の色。憂いを帯びることで殊更儚く整う顔立ちは何処か、クラウスに近しい様相を残していた。



「こちらです。中の物はご自由に使用してくださって構いません」


演奏にて疲弊した身体に鞭を打って長い回廊を上った後、最奥の部屋の扉に手を掛け、一気に引かれた奥の景色にアマーリアは何処か懐かしさを覚えた。


白、赤、金を基調とされたその部屋は、バーゼルト公爵邸で宛がわれた自室並みに広く、ドレスルームと浴室を備えている。


「心行くままにお過ごしください」


自室を宛がわれた時とは違い、全ての施設の説明をアマーリアとクラウスに告げた後、少女は頭を下げて客室から出て行った。


「……あ、間取りが、似ているのね」


案内された場をもう一度巡り、記憶の端で訴える芽を摘み上げたアマーリアは、部屋に足を踏み入れた時から覚えていた既視感に漸く辿り着く。


陽の入る場所、ベッドの置かれた場所、棚の場所、部屋の位置等、全てが伯爵邸で過去に自室として使っていたその部屋に、似ているのだ。


基調とする色は違うし、小さなドレスルームはあったけれど浴室はなかった。そういう違いはあれど、その他の家具の具合が似ていて、アマーリアは小さく微笑む。


「偶然かしら」


腰を掛ければ柔らかく自分を包み込んでくれるベッド。そうであっても、なくても、ただもう一度自分の部屋に戻って来れたような気がして、アマーリアは嬉しかった。


「何か飲まれますか?」

「ええ、そうね。何があるかしら?」


のも束の間だった。


クラウスが立つ傍にある棚に綺麗に並べられたティーセット。揃えられた茶葉は何だろうと木で出来た茶箱を開けて香りを確かめていたとき。


「……」


複数並べられた茶箱の中で香る茶葉は、全て香りが違う。けれども、どれも嗅ぎ慣れた香りであるそれ。全てが自分と、そして亡き母が好んで飲していたものだからである。


「これは……流石に偶然では、ないわよね?」


何十、何百もある種類の中で、自分が選りすぐった訳でもないのに揃えられた嗜好は、とてもではないがそんな言葉では表せない。流行を好み、それに合わせられた茶葉ならば一致してもおかしくはないかもしれないが、アマーリアの嗜好は海の向こう側からやって来た母の好みに染められている。故に、この大陸の流行りではないのだ。


「ああもう、謎が深まるばかりだわ」


ちらりとクラウスを見るも、そっと外された視線にアマーリアは小さくはない溜め息を吐き、そして全てを諦めた。そもそも精霊が棲まうような宿なのである。そこに常識というモノを求める自分がいけないのだと、言い聞かせて。


そうして、上がった気分は一瞬にして影を差されたのだった。


「……いつか、お話しますので」

「ええ、待っているわ」


守られることのない約束を口にしたクラウスはアマーリアから目を逸らし続ける。それでも何も問い詰めてこない主の心優しさに甘えながら、そう甘え続けるしかない己を恨む。


「よいしょ、と」


物言わなくなった従者を後目に、アマーリアは大人しく自分が一番好みである茶葉を手に取り、手際良く茶を入れる準備をしていた。


ハイディと共に紅茶を飲みつつ語る時間が増えていたお陰で、クラウスと同等くらいの茶を入れられるようになっている彼女は二つのカップを琥珀で満たした。


「アマーリア様、」

「いいじゃない、誰もいないのだもの」


ずっと俯いていたものの、それは、と咎めるような従者の視線を物ともせずにテーブルまで運んだアマーリアは、強引にカップを押し付けた。


こうして二人で顔を見合わせながら紅茶を楽しむことが出来るときは、そう多くない。公爵邸にいる頃は勿論、ケープトン王城で過ごすときも護衛が付いてこんな時間は取れないだろう。


「……ね?」


そして、その後も。


「……では」


無言の主張を受け取ったクラウスは、久方振りに主が手ずから入れた紅茶に口を付けた。そんな従者を見てアマーリアも紅茶を含み、何も変わらない自分の好みを堪能しながら目を伏せる。


最後であろう二人のティータイム。弾む会話も花咲く笑みも何もないが、たった一つ存在した二人だけの時間を、それぞれ過ごした。



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