6-K1.彼女と忠犬は、歩み始める
お久しぶりの更新です。
亀更新で申し訳ない………。
灰色に染まった街を一望する高台で、彼女は、紫煙は吐いていた。
そこは、街外れの公園だ。
街は、街中を流れる大河を挟んで、様子を二つに分けていた。大河の外側は、廃墟だ。わずかの間に荒廃し、未知の植物に所々を埋め尽くされる、そんな異界じみた光景が広がっている。
大河の内側は、そんな灰色な世界とは一変、変わらない町並みと生活の息遣いがあった。
そこには、半年前の“日常”が存在した。
彼女は、肩で切り揃えた黒髪を風に揺らして、その眼下の景色を見ていた。
ピリリピリリ…と、空気を割く電子音が、唐突に響く。
彼女は、口から煙草を離すと足元に落とした。パンプスの踵で、ギュッとそれを踏みつぶす。
懐から黒いスマートフォンを取り出すと、着信の相手を確認して、彼女の口元がわずかに上がった。
「……はい、春日です」
応じれば、この半年―――否、数か月間、音信不通だった弟の声が耳に飛び込んでくる。
どうやら、無事のようだ。
聞けば、意識を失って目覚めれば、数か月経っていて、自分も若返っていたという。おかげで、計画していた“旅行”に出掛けるどころではなくなっていて、現状を確認しているのだという。
「そうか。それは大変だったな」
そう言えば、「そうか……って、それだけかぁ。やっぱり、姉さんだわ」と呆れたような声。
それに対して、彼女は、深く突っ込まず、淡々とこれからのことを弟に問いただした。
すると、買ったばかりのキャンピングカーで住んでいる街を出るという答えが返ってくる。仕事のこともあるが、現在、休職中の弟は、そちらの心配より家族を優先してくれたようだ。
そのことに、彼女は、おもわず微笑んだ。
どうやら、弟が意識を失っている間に、彼の街も避難という名で放棄されたらしい。街のあちこちに異常な光景があるというが、彼女のいる街の異様さよりは、まだ程度が軽いようだ。
「父母は合流したと一度連絡が取れたが、それ以降は連絡が取れてない。場所によって電波が届かなくなっている場所があるようでな、その影響だろう。
私も研修の外出先でな。おそらく、今いるのは○○市近郊だろう。
………ああ、そうだな。地理が、だいぶ狂っている。私も、南下して実家を目指す。……ああ、そうか。無理はするなよ。また、連絡をしてくれ……わかった。じゃあな」
ピッと電話を切る。
彼女の口元には、安堵したような笑みが浮かんでいた。
「姐さ―――――ん!!!」
若い青年が駆けて、彼女の元に来た。
やや長めのウェーブ掛かった金茶の髪の、優男である。甘い顔立ちで、女子に持てそうな軟派な感じの青年だ。年は、20代半ばくらいだろうか。細身だが、背は高く180cm近くある。キラキラと目を輝かせて寄ってくる姿は、まるで大型犬のようだ。
「姐さん、街を出る準備できました!
友人のとこにあったキャンピングカーを拝借してきたんで、自炊も可能ですよ!」
キラキラと輝くような笑顔で、そう言った青年は、ふと彼女の様子に気付くと首を傾げた。
「あれ?なにか良い事ありました?」
「ああ?」
「いや、だって、なんか嬉しそうですよ。姐さん」
言われて、彼女は、自分が笑っていたことに気付く。
予想以上に弟が無事だったことに安堵した半面、嬉しかったのだ。なにせ、今日珍しく兄弟の多い家庭で、連絡をくれた弟が一番、彼女にとって可愛い弟なのだ。
弟も自分も、いまだに独身な為か、他の兄弟よりも仲がいい。
他にも結婚していない妹弟はいるし、結婚している兄弟とも仲が悪いわけではない。連絡が取れなくて、心配なのは、誰でも同じだ。
「…弟から、連絡がきた」
「って、ええ?!電話通じたんですかっ?!」
青年は、酷く驚く。
無理も無い。この数カ月、だんだんと電波が届かなくなり、最近では携帯電話もネットもほとんど意味を成さない物と化した。場所によっては、電気すら使えない。
【灰塵病】――――その奇病が世界中に猛威を奮い始めた最中、同時に未知の植物の異常繁殖や避難した街や地区の異常な速さの廃墟化、ペットや野生の鳥などが巨大化したり凶暴化したりし、襲うなど、様々な異常が頻発した。
たった、数か月で、世界はもの凄い勢いで変貌を遂げていく。
地理がおかしくなった。
あるはずのない場所に森や山、川などがある。まるで中世ヨーロッパのような街や村がある。言葉も通じない欧米系の人々が平然と暮らしている。
あるいは、ゲームの中によくある獣の耳や尾をもつ―――“獣人”ともいうべき人々を見る。
一部の、ゲームやアニメなどの造形が深い人々曰く、『ゲームの世界が現代に混ざってきた』かのようだと言う。【異界化】と、誰かが言いだした。
かろうじてネットが通じる場所から、情報が回ってくるのだが、【灰塵病】を始めとする今回の異常の原因は、空気中から発見された未知の要素によるものだという。
一部の人々が、それを【魔力】と呼んだことで、その名称で定着しつつある。
オカルティックな方面では、【魔力】の影響で、魔法が使えるようになったという騒ぎが起こったり、いろいろと“暴走”している方面もあるが、一般的には戸惑いが大きい。
最近では、なにやら【魔力】に対抗できる物が開発されたらしく、都市圏などを中心に幾つかの地域で試験運用されているらしい。有効なら、生産関係の地域や他の避難地域にも急いで回すらしい。
「南下する」と、彼女は言った。
「街を出るんですね!お供します!」
「……お前は、実家とか大丈夫なのか?」
当然という感じで言う青年に、彼女は溜息を吐いた。
「はい。…ああ、連絡取れないんで!まぁ、親父は殺しても死なないですよ!
でも、俺の実家、△△市なんで、ついでに寄ってもらえたら助かります」
「途中だな。…ルートを変えれば行ける範囲だな。私は、○○□市だ。弟と合流する予定だが、あいつはまだ□□市だ。こちらの方が先行しているから、十分、時間はある」
「××県ですか。ちょっと遠いですね。北の方は、異界化がけっこう進んでいるって噂がありますよ。移動とか、大丈夫なんですか。弟さん?」
「安心しろ。お前のヘボ車よりも居住性と性能高い○○社のカスタムキャンピングカーだ」
「うわぁぁぁっ!負けた、だと?!」
しかも、外国製カスタムバスコンだとぉ~!!なんて贅沢な!!と叫ぶ頭を抱えて叫ぶ青年。
彼女は、その様子に呆れて溜息を吐いた。
彼女は、白衣のポケットから煙草を取り出すと、咥えて火をつける。
ふぅと、一息、染み込む味と共に紫煙を吹きだす。
彼女は、見た目、20代後半である。肩で切り揃えられた黒髪に、皺が無く、張りと艶のある肌。本来の年齢からは、明らかに若い姿に、いまだ内心では戸惑いが拭えない。
7歳下の弟によく似た怜悧な顔立ちの、なかなかの美人である。兄弟の中では、一番よく似ているといわれている。母の母――祖母の若い頃にそっくりらしい。
春日楓――――46歳。独身。高校教師。
学校関連の“研修”に参加して、その途中、相次いで【灰塵病】で数人が崩れ消え、パニックになった中、意識を失った彼女は、気がつくと若返っていた。
荷物を纏めて、最終避難組にギリギリ間に合って、研修先を離れた。
両親とは、一度連絡が取れ、互いの安否を確認できたが、他の兄弟とは連絡が取れず、途中、かつての教え子である青年と出会い、何故か、一緒に行動して今に至る。
そう。青年は、彼女の教え子の一人だ。
おバカだが、憎めない性格でクラスではムードメーカー的な存在だった。
他の教師には煙たがられていたが、彼女には、妙に懐いていた学生時代。それは、再会した今でも変わらず、彼女の見た目が若返っていても、特に変わらないのである。
最初は「先生」呼びだったので、訂正させたら、何故か「姐さん」呼ばわりである。何度訂正しても、止めないので、もう放置している。
実年齢は20代半ば。定職に就けず、フリーターをしていたが、この状況だ。ほとんど、無職同然である。それに関しては、彼女も似たような状況なので、何も言えない。
ただ、鬱陶しい半面、青年の忠犬じみた行動やおバカさに救われている点もあるので、無碍にはできない。
「………行くぞ。街を出る前に、買い物したい」
なにやら、弟に対して対抗心を燃やしているらしい青年に、彼女は呆れた視線を向ける。
ただのフリーターと勤続10年以上営業職を務め上げた―――中小企業とはいえ、大手傘下の会社員では、勝つ負ける以前の問題だろう。
吸い終えた煙草を捨てて、彼女は、青年に声を掛けると、歩き出した。
背後から、「あ、姐さ―――ん!!待って下さいよ?!」と、慌てる声を聞きながら、彼女は、いつもよりも軽い足取りで高台の公園を後にした。
*** *** ***
春日梢は、スマートフォンの通話をオフにした。
そして、溜息を吐く。
最初に、一番仲の良かった上の姉と連絡が付いたのでほっとしたのだが、それ以外はまったく繋がらなかった。両親も、他の兄弟も、会社や上司、同僚、友人、どれも全滅である。
着信音が鳴っているのに出ない、もしくは、最初から通じない。
会社関係は、最初からまったく通じなかった。駄目元で、資料から本社に掛けてみたのだが、緊急避難する旨のメッセージが流れるだけで、その後の連絡先というのにも掛けてみたが、通じない。
がっくりと肩を落とす梢に、黒い毛並みに子猫が、「にゃん」と慰めるように、梢の膝の上に乗った。
「うああ~。ありがとなー、ソラ」
「うにゃぁぁん」
すりすりとすり寄る子猫に、梢は癒された。
食料などの確保をした日の、翌日である。
欲を言えば、もう一度、あの大型スーパーに行きたかったが、あんなことがあったので断念した梢である。正直、この助けた子猫の親―――巨大化した猫のことも気になるのだが、あの“魔獣化”した犬に襲われれば、勝ち目はない。
梢とて、欲と好奇心で死にたくは無い。
帰り道にあったチェーン系の薬局で、子猫用のペットフードやトイレ、シャンプーなど必要だと思えるものを追加で手に入れて、帰路に着いた。
帰れば、緊張の為か、どっと疲れが出て、子猫を洗ってから、自分もシャワーを浴びて、そのまま布団に潜り込んだ。
起きたのは、翌日、だいぶ日が昇ってからだ。
軽く朝食を取った後、キャンピングカーに確保してきた食料品や荷物を詰め込んで、遅めの昼食。
その後、ようやく、軽自動車で充電し終えたスマートフォンで、家族や知り合いに連絡を取ったのだ。
ちなみに、子猫は、夏空色の鮮やかな目から“ソラ”という名前にした。
本人も気に入った様子で、「なぁぁぁん♪」と嬉しそうに尾を振っていたので、問題はないだろう。
確認したら、雌だった。
「まぁ、姉さんに連絡が取れただけでも、よしとするか」
梢は、じゃれつくソラの相手をしながら、呟く。
独り暮らしが長いと、ついつい独り言が多くなるなぁと思いつつも、確認の意味合いもあるので、なかなか直せない。
「それはそうと、ソラも連れて行くとなると、ちょっと足りないな」
猫用のペットフードが、である。
帰り道に寄った薬局にも、そこそこ揃っていたが、車の許容量が足りず、シャンプーと餌とトイレ用シートを一袋ずつ取ってきただけだ。
猫を買ったことが無いので詳しくは分からないが、子猫用ペットフード一袋では足りない。狭いキャンピングカー生活になるので、自由な猫にはストレスが溜まるだろう。何か、遊び道具も欲しい。
「……たしか、商店街のほうに、ペットショップがあったはず…」
買い物といえば、もっぱら近くのチェーン系スーパーか、大型の総合スーパーだったのでうろ覚えだが、駅前の商店街はそこそこ活気があって、いろんな店があったはずだと、梢は思い出す。
「じゃ、最後の仕事に行こうか?」
「にゃん!」
立ち上がって、足元の子猫に言えば、元気な返事が返ってきた。
梢は、子猫を抱き上げると、キーケースを持って、部屋を出た。