第1話(出会い)
今朝も、部長に怒られた。
渚の精神は、あと少しで限界を迎えようとしている。
デスクで書類の修正をしていると、午後12時を知らせるチャイムが鳴った。
取り敢えず、お昼ご飯を調達に行きますか……
渚は、席を立ち、職場近くの弁当屋に向かった。
その道中、高層ビルに挟まれた薄暗く冷たい空間から儚げな声が聞こえた。
「だ……だれか…………」
渚は、ふと、声のした方へ視線を送る。
薄汚れたドレスを着て、地面に横たわっている中学生程度の少女が視界に入った。
少女は飼い主の帰宅を待っていた犬のような瞳でこちらを見つめている。
しまった……目が合ってしまった……
数秒の間、音のない世界が2人を包む。
その後、渚は何事もなかったかのようにその場を立ち去ろうと一歩足を踏み出す。
「ちょっと!! か弱い少女が倒れているのに見捨てる? あえりえないんだけど!」
「いや……こういうのには関わらないと決めていますので…………」
そう言い残し、再び目的地の方向へ体を動かそうとしたその時、シャッターを切る音が聞こえた。
渚は、音の持ち主に対し、咄嗟に注意を向ける。
「この写真をAIで加工して…… ここに文字を入れて…… 背景を…………」
「な……何をしているのですか……?」
「できたわ!!」
渚は少女の持っている端末を覗き込んだ。
そこには、渚が少女に嫌がらせ・迷惑行為をしているかのように偽造した画像が映し出されていた。
「送信っと!」
少女の人差し指が端末に表示されている送信ボタンにゆっくりと近づいていく。
渚は、慌てて少女の左腕をつかんだ。
「わかりました。 私が悪かったです。 それは止めてください。 社会的に死んでしまいます」
「じゃあ、止めてあげるわ。 その代わり、私の要望を聞きなさい! 見て見ぬふりをした罰よ!」
「そ、そういう感じですか……」
渚は、つかんでいた少女の左腕を放し、頭を抱えている。
少女は、送信ボタンを押そうとしていた指を、今度は渚の目的地へ向け、少し恥ずかしそうにしている。
「何か食べたいのですか?」
「…………」
「しょうがないですね」
渚は少女を連れて、弁当屋に向かった。
到着するやいなや、少女はショーケースに並べられているリアルな食品サンプルに釘付けになり、よだれを垂らしている。
「海苔弁でいいですか? 今月厳しいので」
「これがいいわ!」
少女は、ショーケースの中で唯一きらびやかな装飾品に囲まれ、異常な存在感を放っている3,500円の高級焼肉弁当を欲しているようだ。
勤務日の昼食は、税込み500円の海苔弁にすると決めている渚にとって、それは1週間分の昼食費以上の金額である。
渚は、財布の中を確認し、途方に暮れる。
海苔弁の味を知り尽くしている渚は、その素晴らしさを少女に力説し、変更を求めようと心に決めた。
そして、決意に満ちた表情で顔を上げると、少女がにんまりとした顔で先ほどの画像を端末に表示させ、それを渚に対し掲げていた。
終わった…… こんな少女にまで遅れを取るなんて……
決意はあっさりと打ち砕かれた。
渚は、高級焼肉弁当と海苔弁を1つずつ注文した。
「お! なぎちゃん、今日は景気いいね! 何かいいことでもあったのかい?!」
渚は苦笑いを浮かべながら、次の給料日までの全財産である1000円札5枚のうち4枚を弁当屋の大将に渡した。
「まいどありー!」
渚と少女は、弁当屋の近くにある石のベンチに腰掛ける。
少女の表情から、待ちきれないという言葉が感じられる。
街路樹の葉のこすれる音にかき消されるほど微かなため息を交えながら高級弁当を手渡す。
その際、腕時計の針が12時50分を指していることに気付く。
少し焦った渚は、少女について気になっていたことを尋ねた後、職場に戻ろうと考えた。
海苔弁は夕食のために取っておくことにした。
「平日の真っ昼間に、子どもがこんな所で何をしているのですか??」
お……美味しい…………
少女は、渚の問いをよそに目を輝かせながら一目散に肉と米をかきこんでいる。
「私の食費、しっかり味わって食べてください。 というか、質問に答えてください」
食べ始めてから1分後、弁当箱が空になった。
少女はフゥっと満足げに息を吐いた。
「ここで何をしているかって? 暇つぶしに決まっているじゃない!」
「………… では、私はこれにて」
立ち去ろうとする渚を逃すまいと、少女は足にしがみついた。
「放してください。 私には、お子様の暇つぶしに付き合っている時間はありません。 ただでさえ私は、会社のお荷物的な存在のようです。 日頃から『お前なんか早くクビにしたい』と言われています。 そんな私が遊んでいて昼休みを過ぎても職場に戻らないなんて、間違いなく即刻解雇です」
渚が手に持っている海苔弁の包装紙には、少し皺が入っている。
少女は、呆気に取られた。
「可哀想な人ね…… そんな所、早く捨ててしまえばいいのよ……」
「子どもの頃の私ならそうしたでしょう。 しかし、大人には、逃げ出せる側の人間とそうではない側の人間がいるのです。 残念ながら私は、そうではない側の人間です。 ここから逃げ出したら、私の居場所は、この社会からなくなる気がするのです」
「そう、じゃあ居場所があればいいのね…… 作ってあげるわ!!」
そう言うと、少女は弁当の空き箱に入っている割りばしを取り出し、地面に魔法陣を書き始めた。
少女の突然の行動に理解が追い付かず、渚はその様子をただぼんやりと見ている。
「完成したわ! さあ、この上に立って!」
「私がそこに立ったら、大人しくお家に帰りますか?」
渚の問いに、少女の口元が緩んだ。
「そうするわ」
渚は、重い腰を上げ、少女の書いた魔法陣に向かって歩き始めた。
まず左足が魔法陣の中に入る。
右足が魔法陣と接触した瞬間、眩い光が渚の身体を包み込んだ。
「え…… なんじゃこりゃー!!」
これ以降、異世界で目覚めるまでの記憶は残っていない。




