第9話 踊って、踊って、踊って。
踊って、踊って、踊って。
ユークリッドやセルジオス、ゼファー。他にも元文官や元第二王女付きの騎士のみんなとも、次々と踊る。
踊っていれば、そちらの集中して、余計なことなど考える暇もない……はずだった。
だけど、アンブローシアの心のどこかでは、どうしてもクリューセースのことが気にかかっていた。
時折、視線を周囲に巡らす。
クリューセースの姿が見えない。
ふうと息を吐く。
「お疲れですか、アンブローシア様」
「メリッサ」
「果実水でもお持ちします」
メリッサが持ってきてくれた果実水を飲んでいると、ユークリッドがやってきた。
「まだ踊れるようでしたらもう一曲いかがですか?」
「えっと……」
体力的には踊ることができる。
果実水を飲んで喉も潤した。
だけど……。
アンブローシアは躊躇した。
「……踊り疲れたわけではないのですが、少し休みたいかなと」
「ああ、そうですね。あちらに席も設けてありますので、座りましょうか」
「ええ。ありがとうございます」
篝火と篝火の間、大きな泉から少し離れた場所にテーブルと椅子がいくつか置かれていた。
点在しているそのテーブルと椅子で、空いている場所にユークリッドはアンブローシアをエスコートした。
椅子に座る。大きな泉に月の光が映っている。まるで地上の月だ。夜空の月だけではなく、二つの異なる月があるようで。
「……異世界にやってきたようですね」
「ああ、月が二つに見えますからね。この獣人領で、満月の夜を過ごすときにはいつも思います。本当に月の光には魔力があって、愛があれば、獣人化の魔法が解け、人の姿に戻れるのだろう……と」
「そうですね……」
アンブローシアはユークリッドと一緒に、しばらくの間、月と泉を眺めていた。
メリッサがワインが入ったグラスを置いて、そして、アンブローシアの後ろにそっと控えた。
「きれいですね……」
メリッサが呟く。
「ああ」
ユークリッドが答えた。
アンブローシアは黙ったまま、ただ月を眺める。
そして……、ユークリッドが静かに聞く。
「アンブローシア嬢。もしも、この満月の夜に、愛を確かめるとしたら。……相手に誰を選びたいですか?」
愛を帯びた情熱的な声ではなかった。月の光と同じ、淡々と降り注ぐ。
「わ、わたくし……」
「オレを、選んで、もらえますか……?」
アンブローシアは立ち上がった。ガタン……と音を立てて、椅子が倒れる。
「ごめんなさい、ユークリッド様。わたくし……」
ユークリッドが金色の短い髪を揺らしながら、頷いた。あなたの気持ちは分かっている……と言わんばかりに。
「ここは、獣人領。王都のような身分差はありません。皆、等しく、獣人。あなたの思うままにお進みください」
アンブローシアの胸に、セルジオスの「獣人領で、使用人も主も関係ないでしょ」と言った言葉がふっと浮かんだ。
夜空の月と、泉の月。
同じようで、違う。
だけど、このひと時は。
「ありがとうございます、ユークリッド様っ!」
言って、アンブローシアは駆けだした。
愛を確かめる相手を、誰か一人、選ぶのなら。
「クリューセース……!」
今のアンブローシアの、クリューセスに対する気持ちが愛なのかは……正直分からない。
だけど。
誰か一人、選ぶのなら。
……私は、元の、大理石のような白い腕も、今のこの腕も、どちらも好きですよ。
……アンブローシアお嬢様がアンブローシアお嬢様である限り、私はあなたをお慕いいたします。
クリューセースの「好き」「慕う」は使用人として主を尊敬しているという意味かもしれないけれど。
アンブローシアが自分でも気持ちが悪いと思う指先に、クリューセースは口づけをしてくれたのだ。
その口づけでアンブローシアの心臓は跳ねだした。
ユークリッドに「それとも、アンブローシア嬢にはもう既に心に決めたお相手がいるのかな?」と問われ、すぐに思ったのはクリューセースのこと。
指に触れた、唇の感触を思い出して、アンブローシアの心臓は更に高まった。
なのに直後、ジュロームから「あと七日ほどで、満月の夜が来る。そのときに、アンブローシア嬢、ユークリッドと口づけを交わしてみる気はないか?」と言われ、そうしてクリューセスはアンブローシアに対して冷たくなった。
「クリューセスが何をどう思ったのかなんて、わたくしには分からないけれど、でも、わたくしは……」
自分自身の気持ちも、愛だと……はっきりは言えないけれど。
だけど、クリューセスに避けられるのは嫌だ。
「今日の月夜だって、わたくし、クリューセスと踊りたいって言ったのに……」
まだはっきりとは、アンブローシアはクリューセスに対する自分の気持ちも分からない。
だけど。
もしも、この満月の夜に、愛を確かめるとしたら。……相手に誰を選びたいですか?
分からないからこそ、確かめてみたい。
だから、アンブローシアは走った。
***
去って行くアンブローシアの背中を見て、ユークリッドはテーブルの上に置かれたワイングラスを手に取る。無言のまま、ワインを飲み干した。
「あーあ、やっぱりフラれちゃったなあ……」
メリッサがくすりと笑う。
「お嬢様を焚きつけてくださってありがとうございます」
ユークリッドは自嘲するように笑った。
「……ジュロームの言葉で、少しはオレのことを意識してくれたとは思うけど」
メリッサが頷く。
「そうでございますね。馬鹿なクリューセスが逃げていましたから、そのままユークリッド様がアンブローシア様に迫ったとしたら、もしかしたら、アンブローシア様のお気持ちも、ユークリッド様に向いたかもしれませんが」
人の姿の時ならともかく。
ゴリラ化した姿を好ましいと、愛を交わしあいたいなどと望まれれば。
多少なりとも揺らぐ。
何よりも、ユークリッドは性格も外見も地位も、それなりの好ましい男性なのだ。
「こんなことを申し上げるのは侍女としては僭越ですが。わたしならば……クリューセースよりもユークリッド様を選びますね」
メリッサの言葉に、ユークリッドは笑った。
「ありがとう。でもまあ、うん……。アンブローシア嬢はメリッサとは違う意見みたいだし……。オレも……、アンブローシア嬢はゴリラでも可愛いなーって思うけど、愛かどうかと言われると……、違う……ような……」
「違う……ですか?」
ユークリッドが空のグラスを弄びながら、言った。
「オレも、アンブローシア嬢も、ジュロームに言われて、その気になっただけ……かもしれないだろ? 気の迷いとか、打算とか?」
「そういうものでございますか?」
「うっかり恋に落ちた……なーんてものじゃあなさそうだったしね。それに、ほら、はっきりとは分かっていなくても、きっとアンブローシア嬢はクリューセスを選ぶんじゃないかなって気がしていたし?」
「……さあ? どうでございましょう?」
メリッサは少し首を横に傾けた。
犬の顔、ふんわりとした長い髪の毛。月の光を浴びて、銀色に輝いていた。
「……侯爵令嬢と使用人。名を授けられた者。お嬢様にお仕えするのが当たり前で、それ以外にしたいことなどない……はずだったのですが」
「でも、クリューセースの思いは使用人としての分を超えているんじゃあないのかい?」
メリッサは空の月に手を伸ばす。
「手が届かなくても。誰かのものになっても。夜空の月を眺めていられるだけでいい」
「……それは、クリューセースのこと? それともメリッサの?」
メリッサは「ふふっ」と笑った。
「二人とも、ですね。クリューセスもわたしと同じように思って、お嬢様のお傍にいたはずなのですが……。お嬢様と使用人ではなく、同じ獣人同士になった途端に、その思いが揺らぐなんて……覚悟が足りませんね」
「メリッサ……?」
メリッサの微笑みは、月の光のように淡くて。
ユークリッドはメリッサから目を離すことが出来なくなった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回短くてすみません。
ちょっと左手が腱鞘炎……。
しばらく手が悪化しないように、のんびり更新いたしますm(__)m




