第8話 なかなか寝付けずにいた夜も
なかなか寝付けずにいた夜も、時間が経てば朝になる。
ベッドから身を起こして、アンブローシアは窓の外を見た。
既にメリッサが寝室内に控えている。
「おはようございます、アンブローシアお嬢様」
「おはよう、メリッサ」
「窓をお開けいたしますね」
カーテンがシャッっと音と立てて開かれる。窓の外は晴れ。鳥が青く乾いた空を飛んで行く。まぶしさに、アンブローシアは目を細めた。細く開けた窓から入ってくる風は、既に乾いている。
「晴れてよかったです。きっと今夜はきれいな満月ですよ。昨日の夜の月も美しかったです。蒼ざめた白い月。荒れ地の赤茶色の地面に銀色の光が降り注いで……。泉がまるで銀の鏡のようでした……」
うっとりと語るメリッサ。その口から語られる美しさはまるで詩のようだった。
砂漠の満月。この獣人領にやって来て、最初の満月。
魔法を解くのは、愛し合う二人口づけ。愛が本物であれば、獣人化は解け、元の人間に戻る……。
「……本物の愛って、何なのかしら」
考えても分からない。
家族に対する愛ならば、アンブローシアもそれなりに分かる。
幼い頃は父や母や兄に対する不満はそれなりに持ってはいた。
誰よりも何よりも愛しているというわけではないが、家族として、それなりに好ましい関係を結んでいるだろう……とは思う。だが、獣人化の魔法を解くほどの強い思いはない。
それに、父や母や兄よりはクリューセースやメリッサのほうがよっぽど親しいと言える。
使用人としてではあるが、アンブローシアの意を汲んでくれ、側に居てくれる。
アンブローシアがゴリラと化しても、以前の人間の姿とのときと変わることなく仕えてくれる。
クリューセースはこのところ少しだけ……線を引かれてはいるが……。
それでも、大事なものは誰かと問われれば、アンブローシアはクリューセースとメリッサの名を上げるだろう。
家族以上の家族……今までは、そう思っていた。
「……隣人愛、親子愛。愛にはいろいろあるとは思いますが。この獣人化の魔法を解くのに必要なものはきっと男女の愛なのでしょうね」
「男女の愛……」
アンブローシアと、婚約者であるフィランダー王太子の間には、そんなものは皆無だ。
「他国の……有名な物語にもありますよね。傲慢な王子が魔女の呪いで野獣に変えられた。村娘の愛によって、元の姿に戻る……」
「ああ、そうね。そんな話もあるわねぇ……」
「ランカステル王国の王族の持つ獣人化の魔法って、その物語が元になっている……とも聞いたことがあります」
「え⁉ そうなの⁉」
アンブローシアは驚いて声を上げた。
「はい。何百年か前の王族に、とても優秀な魔法使いが居たそうですよ。野獣に変えられた王子を愛の力で元に戻した村娘の昔話に感銘を受けて、獣人化の魔法を構築し、子々孫々まで獣人化の魔法が伝わるように血に伝えたとか」
「なんて迷惑な……」
魔法を構築し、子孫に受け継がせる。
魔法使いとしては、素晴らしい才能だとは思うが……肝心の子孫があのフィランダー王太子やカサンドラ第二王女。
阿呆に刃物を持たせるようなものだ。
迷惑極まりない。
「獣人化の魔法を持つ者こそが王族であるとの証明にもなりますから。王族にとっては有用な魔法かとは思うのですけれどね……っと、一介の侍女が僭越を申し上げました」
獣人化の魔法を持つことが、王族としても証明。血の証明。
その魔法を持たない者は、王族ではない。
だから、国王が酒に酔って、王城の侍女やメイドに手を付けて、結果として侍女やメイドが子を産んだとしても、獣人化の魔法を持っていなければ、たとえ王が手を付けた結果の子であっても、王族の一員には認めてもらえない……。
そこまで考えて、アンブローシアの脳裏には何かが閃きかけた。
「あ……」
が、その閃きは、明確な形になる前に消えてしまった。アンブローシアはプルプルと頭を振る。
「……んー。とりあえず、夜までは時間があるわよね」
「はい」
「朝食をとって、いつもの通り、獣人領で皆の話を聞くわ」
「はい、では朝食のご準備をいたしますね」
メリッサが、一礼をして、寝室を出て行った。
***
「ふう……」
午前中、そして、昼食の後。
獣人領を見て回って、そして、疲れて屋敷に戻ってきた。
いつものように、水がめの近くのベンチに座り、息を吐くアンブローシア。
「今日は特に、目新しい話は聞けなかったわね……」
メリッサに入れてもらったお茶を飲み、ちらっと、後ろに控えているクリューセースを見る。
朝から今の今まで、同行はしてくれてはいるが、クリューセスの口数は少ない。昨日と同じく表情も硬い。一線を引かれている気分が継続している。
気が重い。
この気の重さを変えようとは試みたいのだけれども……、何をどうしていいのか分からない。
ため息を吐きだしそうになったとき、遠くから声がした。
「おーい!」
「あら、セルジオスとゼファー」
アンブローシアの方へと向かって、セルジオスをゼファーがやってきた。
「二人が一緒なんて、どうしたの?」
アンブローシアはベンチを勧めながら、聞いた。
メリッサが、二人分のお茶を追加します……と、ミーアと共に、用意に走った。
「あー、うん。ユークリッド様から伝言。西日が落ちるころ、大きな泉の周りにいくつかの篝火を焚くって。で、テーブルを並べて、エールやワインも用意して、肉も焼いて、獣人領のみんなで飲めや歌えや踊れやの祭りっていうか大規模宴会? そーいうのを行うってさ」
「ああ……、そう言えば、そんな話も聞いていたわね」
「王都の貴族のパーティとは違うけど、獣人たちに楽器の演奏や歌が得意なものが幾人かいるから。せっかくだから、ボクたちとも踊ってよーって、お願いに来た」
「あら!」
セルジオスがにこにこと誘えば、ゼファーも馬の顔で頷く。
「我々は、一応貴族の令息ですので。ダンスもそれなりに踊れます……。アンブローシア嬢がよろしければ、ですが……」
「嬉しわ!」
月の光で元の姿に戻るには愛が……、云々と考えすぎてしまうくらいなら、ダンスを踊って楽しんでしまったほうが良いのかもしれない。
「で、アンブローシア嬢は当然踊れるとして……、メリッサもダンスできる?」
「え? メリッサ?」
「そ。ボクみたいに第二王女に獣人にされた騎士ってさ、男ばっかりなの。それに、獣人領って元々男のほうが多いしさ」
「貴族の夜会でのダンスが踊れる女性は……アンブローシア嬢の他にはユークリッド様のお母君くらいしかいないとのことで」
「母君?」
会ったことはないけれど、いらっしゃるのか。
「うん。普段はねえ、領主館の奥から出てこないみたいなんだけど。満月の夜にはユークリッド様やジュローム様ともちょっと踊るんだって」
「あら……。踊れるということは、元々貴族のご令嬢だったのかしら」
「えーと、昔は王城のメイドをしていたって。で、踊れるのがお母君とアンブローシア嬢だけだとねえ、男が余るでしょ」
「だから、メリッサ殿も踊れれば……と」
話をしているところに、メリッサとミーアがお茶を運んできた。
「ダンスですか? わたし、使用人ですが……」
「獣人領で、使用人も主も関係ないでしょ。それに、メリッサも獣人化を解くためには愛し合う男性を見つけなきゃ!」
交流大事だよと、セルジオスがつけ加えた。
「試すって意味でさ、ボクとかゼファーとかと踊ってみるのはどう? もちろんすぐに愛し合うなんて無理だけどさー。相性のおためし的に」
「なる……ほど……」
「アンブローシア嬢もさ、ここの獣人の男どもといろいろ躍るといいと思うよ。身分的にはユークリッド様が第一候補かもだけど、ボクだって、除籍されてなければオルドクロフト伯爵家の令息だし。第一候補にはならなくても、第二第三と名を連ねる程度ではあるでしょ」
「セルジオス……」
「ゼファーだってそうだよ。城の文官、超エリート! コーラル子爵家の次男だよ! なーんて、売り込んでいるばっかじゃなくて、お祭りはお祭りとして、楽しみたいんだよね! 王都じゃ絶対にないでしょ、満月の夜、篝火に照らされながら、荒野で踊るなんてさ!」
本物のウサギのように、ぴょんぴょんと跳ねるセルジオス。
その様子を見て、アンブローシアもメリッサもくすっと笑ってしまった。
「そうそう、ムズカシイこと、考えないで。今晩は踊って騒いで楽しもうよ! 嫌なこととか、悩みとか、そーゆーのはいったん保留にしてさ!」
「セルジオス……」
外見は、少年のようなセルジオスだが、もしかしたら精神面ではかなりの大人なのではないのだろうか……と、アンブローシアは思った。
いきなりゴリラの獣人にされ、王都から遠く離れた獣人領にやってきて。慣れない生活で、疲れもあり、それから……、考えることも多くて。
気を使ってくれたのかしら? それとも……。
気遣いが、ありがたい。
「じゃー、そーゆーことで! また夜にねー!」
セルジオスは飛び跳ねながら、ゼファーは一礼をして、さっさと戻ってしまった。
「……良い方だわ」
「そうですね。獣人領に来る時の馬車の中でもそうでしたが、セルジオス様は相手の肩の力を抜かせるのがお上手です。外見もかわいらしいですし。どこかほっとします」
「そうね、わたくしも、同感だわ」
アンブローシアとメリッサは顔を見合わせて微笑んだ。
その二人の後ろでは、一言も話さなかったクリューセースが、ほんの少しだけ眉根を寄せていたのには気が付かずにいた……。
***
夜になった。
月の光が荒野を照らす。
赤茶色の荒れた地面に、月の銀色が降り注ぐ。
泉に映る満月と、篝火の色。ぱちぱちと爆ぜる音。舞う火の粉。
昼とは、全く異なる風景。
「わあ……」
アンブローシアは思わず声を上げてしまった。
満月の光と篝火の火で、更に泉がキラキラと銀色の月の光を映すものだから、予想以上にあたりは明るい。
アンブローシアとメリッサ、それからクリューセースが大きな泉の側にやってきた時には、既にネズミとカエルの獣人たちが音楽に合わせて踊っていた。
踊るといっても、王城の大広間で貴族の紳士や淑女が躍るようなダンスではなく。
音楽に合わせて自由に体を揺すっているようなものだった。
飛んだり跳ねてりしている者たちもいる。
大勢で手を繋ぎ、輪になって、足を振り上げたり、ステップを踏んだりしている者もいる。
「みんな自由ねえ……」
「そうですね、お嬢様。皆、楽しそうです」
踊っている者たちばかりではなく、エールの飲み、笑いあう者たちもいる。一人で黙々とひたすら肉などを食べている者も。
「今宵は無礼講……という感じでしょうか?」
メリッサが目を輝かせた。
「うふふ。いいわね、それ。身分も堅苦しいルールもなく。皆、自由に思い思いに……」
アンブローシアはくるりと後ろを振り向く。すると、白いワンピースの裾がふわりと揺れた。
「クリューセース、あなたはわたくしの専属執事よ。いつもならね。でも、今日は、獣人のみんなで楽しむ夜なのよね……。だから」
「アンブローシアお嬢様?」
「今夜はわたくしとも踊ってくれる?」
「お嬢様……」
内実はドキドキとしながら、それでもアンブローシアは微笑んで見せた。
なんとなく線を引かれたような、ここ数日は嫌だった。
いつものクリューセースに戻ってほしい。
「こんなゴリラ女と踊るのは、嫌かしら……?」
正直に言えば、ゴリラ獣人と化した自分の姿を誰かに見られるのは嫌だ。
みっともない。
恥ずかしい。
けれど、誰にも見せないで、屋敷の奥に籠っていては……一生、ゴリラの姿のまま。
嫌でも恥ずかしくても、皆の前に出て、愛し合う相手を見つけねば、元の姿には戻れない。
「もしも、こんな毛深い腕が嫌で……、わたくしの側に居るのが嫌だというのであれば、断っても……」
「嫌なわけありません! アンブローシアお嬢様は私の……、私の……、私……は、」
はくはくと、クリューセースは口を開け示して。それから、ぐっと奥歯を噛む。握り締めた拳が震えていた。
「クリューセース……?」
「わ、私、は……」
クリューセースの表情が歪む。奥歯を食いしばって、俯いて。まるで何かに耐えるように。
「……すみません、少し、お傍を離れます」
「クリューセース⁉」
走り去っていくクリューセースの背中に手を伸ばす。だけど、その手は届かない。
「クリューセース……」
引き留めることも、追いかけることもできずにいるアンブローシア。
「何か辛いことがあるのなら、話してくれても……」
「話せるくらいなら、あんな態度は取らないでしょうけど」
メリッサが「申し訳ございません、お嬢様」と頭を下げた。
「クリューセスの覚悟が決まるまで、放っておいていただけますか?」
「メリッサ……は、最近のクリューセースが、わたくしに対して、何かおかしい理由を……知っているのね?」
「はい」
「もしも……、もしもよ? わたくしがメリッサに、それを話せと命じたら……」
「もちろんお話いたします。お聞きになりますか?」
聞きたい気持ちは当然ある。
これまでは誰よりも何よりも近しいと感じていたクリューセースとメリッサ。
そのクリューセースの様子がおかしく、アンブローシアには、そのおかしい理由が分からない。だけれども、メリッサは分かるという。
アンブローシアは首を横に振った。
「聞くのなら、クリューセース本人に聞くわ。メリッサに聞くのは……フェアじゃない」
「お嬢様……」
「でも、クリューセースに話せと言うと、命令になってしまうわよね。だから、わたくしからは何も言えないわ。クリューセースがわたくしに話し出してくれるのを待つしかない」
クリューセースが去って行った方を見る。既にその姿はない。
上を見る。煌々と、銀色の満月が輝いている。
顔を下ろす。獣人領の皆は歌い踊り、楽しんでいる。
「……待っているしかできないのは辛いけれど」
ぽつんとした呟きに、メリッサも、それ以上何も言えなかった。
二人の耳に、軽やかな音楽が聞こえてくる。
楽し気に踊る獣人たちを見る。
「……鬱屈とした気分のままでいるのも嫌ね。メリッサ」
「はい、お嬢様」
「踊りましょう! メリッサは女性パートも男性パートも踊れるでしょ」
「はい、まあ……」
幼いときのアンブローシアのダンスの練習に、クリューセースもメリッサも、付き合ったことがある。
「うだうだしているのは嫌なの。待っているだけも嫌。でも、クリューセースに命令するのも嫌。だったら……、踊るしかないわよね!」
ふんっ! と鼻息荒く告げてきたアンブローシアに、思わずメリッサは笑ってしまった。
「さすが我がお嬢様。前向きですね」
「いつまでもうだうだ悩んでいるのは嫌なの!」
「そのお言葉、クリューセースに伝えたいです」
「ぜひ伝えて!」
笑いながら、大きな泉に近寄って、そうしてアンブローシアとメリッサは手と手を取って踊り出した。
「うわぁ……。男があぶれているっていうのに、女の子同士で踊ってるよー」
やってきたセルジオスが嘆く。
「あら、セルジオス! 良い月夜ね!」
くるりと軽く、ターンをしながら、アンブローシアは微笑んだ。
「セルジオスの言うとおりだ。お嬢様がた、このあぶれている男どものお手をお取りくださいませ」
セルジオスの後ろから歩いてきたユークリッドが、わざとらしいほど恭しく一礼をする。
「ユークリッド様も! こんばんは!」
「こんばんは。アンブローシア嬢のファーストダンスはメリッサに取られてしまいましたね」
くっくっくと、ユークリッドが苦笑した。
「まあ、女性同士のダンスも、なかなかにして麗しいのですが。次は、このオレと踊っていただけませんか? メリッサ殿も、後程踊っていただきたい」
差し出されたユークリッドの手。
「あ、はいはいはいはい! じゃあメリッサ、次はボクと踊って! で、その次に、アンブローシア嬢、よろしく!」
アンブローシアとメリッサは「喜んで」と答えて、音楽に合わせ、それぞれ
ユークリッドとセルジオスの手を取った。




