56.現在-約束の再確認
この世界でも海というのは、恵みを齎らすものであると同時に非常に危険な場所でもある。
特に食糧を得るのに重要ではあるが、海洋の魔物が強く遠洋には出ることが出来ていないらしい。
もしかしたら未発見の大陸や島があるのかもしれないが、人類がそれを見つけ出すのは困難かもしれない。
『クオンツの時代に粗方この世界の地形については把握されていたよ』
『しかし今の王国にはクオンツの知識はほとんど喪われているみたいですわね』
あ、そうですか。
魔導大国だったらしいし、相当に文化が進んでいたんだろうな。
ラファータを連れて訪れたのは、白い砂が眩しい浜辺である。
現代日本と違い、海岸にはプラスチックのゴミだとか、空き缶だとかは漂流していない。
流木などは多少あるが、それも大した量では無く、非常に整然とした砂浜である。
海は凪いでいて、寄せては返す波の音が規則的にあたりに響き、海鳥がそれに合わせるかの如く鳴いていた。
その様子は平和の体現と言えた。
ここは広大なスティグリッツ辺境伯領の一部ではあるが、先程まで滞在していた『レント』からはかなりの距離がある。
ラファータを抱えて、彼女の体に負荷がかからないように竜気で保護しながら駆けたため時間は多少時間はかかったが、まだ陽は傾き始めたばかりで気温はむしろピークに達している。
海に到着した後もラファータはしばらく俺の腕の中で呆けていた。
竜気で衝撃やら平衡感覚を保護したとはいえ生身のままジェットコースターのような高速移動をさせられたらそうもなるか。
「ヒックスさん、こんなに凄いことが出来たんですね」
「ん、まあ」
ようやく我に帰ったらしいラファータを腕から下ろした。
「しかし、どうして海に?」
「嫌なことがあった時は海とか綺麗な景色を見るものかなって」
「綺麗な景色……そういえば昔、王都の展望台からの景色も綺麗でしたね」
「5歳の頃か」
アルテナと試合をして、ハーベルを助けて、剣聖のクソ爺と『誓約の魔道具』で決闘の約束をした日だ。
やはり、あそこが一番大きい転換点だったな。
「ヒックスさんは妙な約束をしましたよね。『しばらく会えなくてもきっと帰って来る』と」
あー、そんなこともあったな。
「こうして帰って来ることが分かっていたんですか?」
確かにあれは大樹海から帰って来ることも意味していた。
魂が抜けたようになっていた3年前からの帰還も意味しているとも取れた。
しかし、最も重大な意味を含んでいない。
「まだ帰って来てないよ」
ジョーリ・ヒックス本人はまだラファータの下に帰ってきていない。
代理人である俺が消えて、本人が戻って来るまでは約束は果たせていないのだ。
「ラファータ、ジョーリ・ヒックスは必ず戻ってくるよ。もう少し待っていてくれ」
ほぼ間違いなく今の俺は死に戻りしてしまうから、今のラファータに言っても何の意味も無いだろう。
そもそも目の前のラファータにとってのヒックスは最初から俺であるはずなのだから。
その割に、このラファータは何故か最初のベンチマーク世界での記憶と、修正後の世界で記憶が混同しているような節があるが。
だから、これはラファータでなく、彼女を通しての俺に対しての新たな決意表明に過ぎない。
それでもラファータは頷いた。そして問うた。
「それなら、今の貴方は誰なんですか?」
「俺は、代理人かな。そういうことにしておいてくれ」
それからは黙ってしばらく海を眺めた。
かつて生物は海で誕生して陸に上がっていったが、この世界でも同じだろうか。
『生物は創造神が造った『始祖竜』、『大霊樹』、『破戒獣』から派生したと言われているよ』
へえ。
ヒックス君の知識では、生物は創造神が造り出したものというのはあるが、その3体の存在も、それから生物が派生したというのは初めて知った。
あれか、竜気と霊気とかはその辺りから来ているのか。
『ワタクシたちも伝聞でしか知りませんわ。ただ、霊気や竜気という呼称はクオンツの時代から使用されていましたわ』
そうなのか。
竜と樹は、まあ、良いとして『破戒獣』ってのがよく分からないな。
『そっちは魔物の始祖だと言われてるよ』
『創造神が自分に好ましく肯定的な存在だけでは世界の均衡が保たれないもという考えで生み出したと言われておりますわね』
『いわゆるレッドチーム思考ってやつだよね』
魔物の始祖ね。
ヒックス君の知識だと魔物は人間や他の生物とは全く別のところから産まれた存在らしいが、根本は同じ創造神とやらか。
ちなみに創造神については何か知っている?
『創造神が遥か遠くに旅立ったからこそ、始祖竜と大霊樹、そして破戒獣は自分の身体から生命を産み出したと聞くから、もういないんじゃないの?』
『それより、ラファータさんと海デート中なのに、ワタクシたちとの会話に耽っていてはダメですわよ!』
ええ、いやだって……はい。
どうせなら破戒獣の事とかも知りたかったのだが。
冷たい浜風が吹いたため、ラファータの身体が冷えないように火属性と風属性の複合竜気で彼女を包んだ。
魔法に比べて竜気はこうした細かい操作で役に立つ。
『普通はそんな変態的に器用なことは出来ないんだよ……』
『ですわね』
ヒックス君は竜気と霊気の操作については天才だからな。
「これはヒックスさん……代理人さんが?」
「ああ。寒いかなって」
「ありがとうございます……あたたかいです」
そう微笑むラファータを見て俺はハーベルを思い浮かべた。
『デート中に他の女の子の顔を思い浮かべるなんて軽薄だよね』
『ワタクシはアルテナさん推しですわ!』
君たち、こちらがデート中だとか言いながらめちゃくちゃ介入してくるよね。
まあ、いいけど。
「鯨は、海に生きる生き物なんでしたっけ」
「ん?」
「子どもの頃に、ペンダントやぬいぐるみを貰いましたよね……あの頃にはもう代理人だったんですか」
「んん、まあ」
「……初めて会った時から代理人だったんじゃないですか」
「……そうだよ」
しかし、それでも俺はラファータにとってのジョーリ・ヒックスではない。
ヒックス君の為にもそれは譲れない。
「……私、何だか記憶が分裂しているみたいで、たまに知らない記憶があるの。それは今にも消えていって……あなたの言葉で分かった。これが本当のヒックスさんの記憶……」
俺がラファータに関わったせいで、ラファータの記憶が消えているのだろうか。
本来は他の人間の記憶が地続きの過去で上書きされる中で、修正されなかったラファータはやはり何か特別なのだろう。
しかし、俺のせいで今ラファータの中からヒックス君の記憶が消えようとしているのか。
「忘れないでくれ。ラファータ、ヒックス君のことを君だけは覚えていて欲しいんだ」
「……私だけは?」
「ヒックス君は……いや」
そこから先は俺が言うべきじゃないだろう。
この日がたとえ死に戻りして喪われるとしても。
『いや、手遅れでしょ』
『これで察しなかったら妖精さんが耳を塞いでいるってレベルじゃないですわよ』
だってヒックス君のことをラファータには忘れて欲しくないだろぉ。
こちとらヒックス君の記憶を追体験したんだから、割と自分のことのように応援しているのだ。
『……代理人君ってわりと熱心なヒックスラファータ推しだよね』
『ラファックス……いえヒファータ……中々語呂が良くなりませんわね』
とにかく話題を軌道修正しよう。
この際多少無理やりでもいいか。
「そういえばペンダントやぬいぐるみはもう壊れたかな。結構頑丈に造ってたんだけど」
ラファータは顔に陰を落とした。
「ごめんなさい。今はお父さんたちに預けてるの」
「いや、別にいいよ。ニコラさんたちは元気?」
「家族は、元気だと思うよ。最近は会えてないけれど」
「……そっか。こうして勇者たちと旅に出ているもんな」
「……うん」
それからまた黙って海を眺めていたが、そろそろ帰らなければ、暗くなってしまう。
夕陽が海に沈んでいくのを見るのも美しいだろうが、残念ながらこの機会ではないだろう。
「帰ろうか」
「……うん」
こうして再び愚かしい日々に俺たちは戻っていくのだ。




