魔獣の用件
日曜の午後。
昼食を終えたレリーナは、財布とハンカチだけを入れた小さなショルダーバッグを持って、玄関を出た。
授業で使っているノートがそろそろ終わりそうなので、雑貨屋へ行くところだ。特に用事もないので、時間はある。なので、ゆっくりと店内を物色するつもりだ。
最近は少し絵を描くようになったので、それらの関係の物も見てみたい。他にもかわいい雑貨があれば……言い出せばキリがないが、お小遣いの範囲内だと買うのはほんの数点しか無理だろう。でも、見て回るだけでも楽しいから、それでいい。
通りに出て雑貨屋のある方へ向かおうとしたレリーナだったが、その足がすぐに止まる。お隣さんの家の前で、難しい顔をして立っている男性を見付けたのだ。
誰かしら。おばあちゃんに用があるのかな。
隣りには、幼馴染みで今は恋人になったラディの祖母アリーヌが住んでいる。レリーナは小さい時からよく出入りして、単なるお隣りさんにも関わらず本当の孫のようにかわいがってもらっていた。本当の親戚ではないから、ラディの家族以外にどんな血縁者がいるか知らないが、そこに立っている人を今まで見たことはない。
そう言い切れるのは、見れば絶対に覚えているはずの姿だからだ。
二十代後半といったところだろうか。難しい表情……困っているようにも見えるその顔は、横から見ていても整っているのがわかった。濃い金色の髪は緩やかに波打って、胸辺りまで伸びている。背はかなり高い。その背格好は、見るだけで世の女性達を赤面させたり、黄色い声や溜め息を出させるものだった。
レリーナもどきどきしたが、一般女性とは別のどきどきだ。
こんな見目麗しい人間がそうそういるとは思えない。絶対いないとは言わないが、この見た目はどこか完璧に近いように思えた。この妖しいまでの美しさは魔獣ではなかろうか。
レリーナもこれまでに何度か人間の姿になった魔獣を見ている。グリフォンのカイザックや、炎馬のレイバスなどだ。彼等は確かに人間の姿でありながら、何か人間では持ち得ない美しさを持っていたような気がする。
そして、すぐそこに立っている男性も似たものを持っているように思えるのだ。
だが、もしそうだとすれば、魔獣がなぜアリーヌの所へ来るのだろう。彼女は魔法使いではない。レリーナが知らないだけで、普通の人間でありながら実は魔獣と交流があるのだろうか。
そこまで考えて、レリーナはそれを否定する。
用があるのは、きっとヴィグランに、だ。
今年の春先に亡くなったアリーヌの夫で、彼は魔法使いだった。それなら魔獣がこうして訪れても納得である。
契約している魔獣は、契約相手の魔法使いが亡くなればそれがわかるという。いなくなった魔法使いを訪ねて来る魔獣はいないだろうから、彼はきっと契約はしていないのだ。生前のヴィグランと交流があって、でも亡くなったことを知らずに来て彼が見当たらず、どうしようか……といったところだろう。
レリーナはそんな推測をした。ここの家庭の事情を知る魔法使いなら、きっと似たようなことを考えるだろう。
おじいちゃんがもういないってことを教えてあげなきゃね。おばあちゃんに話を聞こうにも、朝方に出掛けて行ったのを見たから、きっと留守だろうし。
「こんにちは。あの……」
レリーナは緊張しつつも、声をかけた。人間の街に現れ、自身も人間になっているのだから、他の人間に声をかけられていきなり襲い掛かってくることはないはず。
だが、自分が知っている訳ではない魔獣(のはず)に声をかけるのは、魔獣を見慣れたレリーナでも多少の緊張はしてしまう。
声をかけられた男性は、こちらを向いた。大粒のアメジストのような瞳がレリーナを見る。免疫のない女性なら、それだけで失神するかも知れない。
「こちらのおうちにご用?」
万が一人間だった時のことを考え、レリーナは当たり障りのない言い方で尋ねる。
「ああ、ここの女主人に聞きたいことがあって来たのだが……」
それを聞いて、レリーナはいきなり自分の憶測が違っているらしいと知らされた。
あれ、おばあちゃんの知り合い? やっぱり魔法使いの妻ともなると、自分が魔法使いじゃなくても魔獣と関わることがあるのかしら。おばあちゃんって結構動じないところがあるから、そういうのもありかな。
「えっと、おばあちゃんはどこかに出掛けたみたい。たぶん、今は留守だと思うわ」
「ああ、そのようだ。人の気配がない」
「おばあちゃんに用事なの? おじいちゃんじゃなく?」
「ああ。ここの主人は亡くなったと妻から聞いている」
ヴィグランがいないことは承知なのだ。ますますレリーナは事情が見えなくなる。推測がことごとく外れてしまった。
「そっか……。でも、おばあちゃんがいつ帰るかはわからないし」
「正確には、女主人ではなく、その孫に用があるのだが。ここに住んでいないのか?」
「え、孫? ラディのこと?」
ヴィグランとアリーヌの孫はラディだけでなく、姉のテルラもいるのだが……レリーナの頭にはラディしか浮かばなかった。
「ラディを知っているのか」
レリーナが出した名前に、男性は大きく反応する。相手が一歩近付き、レリーナはその場を動かなかったが、内心ではかなりたじろいだ。喰われると思った訳ではないが、美しいと形容されるものが近付くと迫力がある。
「ええ……」
恋人だと言おうとして、レリーナはとどまった。ラディなら、色んな魔獣と関わっていそうだ。でも、カイザックのように絶対に好意的な感情を持っているとは限らない。
この相手のことがまだよくわからない状態で、こちらの情報を全部出すのは危険かも知れないと考えたのだ。
「本当の用事はラディにあったの?」
「ああ。だが、いる場所がわからなかったんだ。妻からロネールにいるはずだと言われて行ってみたが、人がほとんどいなかった。それならここの女主人に聞くしかないと思ったがここにもいなかったので、どう動こうかと悩んでいた」
ほっとしたその表情は、ラディに会ったら何かしてやろう、という感じには見えない。ロネールに行ったということは、少なくともラディが魔法使いであることは知っているのだ。
用事の中身はともかく、悪意を持ってラディを捜しているのではなさそうだとわかって、レリーナは少し力が抜けた。
「そうだったのね。あたしはレリーナ。ラディの恋人よ。ラディと同じで見習い魔法使いなの。今、家にいるか連絡してみるわね。あなたの名前を教えてくれる?」
「ゼスカーヴェルだ」
ラディの知り合いとわかったからか、レリーナが名乗ったからか、相手はちゅうちょすることなく名前を教えてくれた。
「ちょっと待っててね」
言いながら、レリーナは家の中へ入った。
聞き覚えのない名前ね。魔獣の誰かと会ったなら、ラディもあたしに話してくれると思うけど。あ、それにさっき、妻がって言ってたわね。その彼女とも何か関係があるのかしら。
色々と疑問はあるが、さっき推測して見事に外れたので、レリーナは余計なことを考えるのはやめる。
自分の部屋へ入ると、ラディにもらった水晶を手に取った。二人は異世界カロックにいる大竜のジェイに呼ばれ、竜の試練の協力者になっている。広いカロックでもし離れ離れになった時、お互いに連絡を取れるようにとラディがくれたものだ。
もっとも、これがカロックで役立つことはほとんどなく、恋人になってからはこちらの世界でもっぱら二人専用の連絡ツールとなっている。
レリーナは通信魔法の呪文を唱え、ラディが応じてくれるのを待った。カロックへは昨日行ったところだ。異世界ではどこへ向かうにしろ、多くの魔物が現れて対応しなければならない。ハードな時間なので、次の日はゆっくり休むようにしている。レベルは上げたいが、無理をしても大した成果にはならず、疲れるだけだからだ。
そういう流れからゆくと、ラディは家で休んでいるはず。さっきのレリーナのように何か必要な物があって買い物に出てるとか、別の用事で外出してることがあるかも知れないが、今は家にいてほしい。
そんなレリーナの願いが届いたのか、ラディの声が聞こえる。
「レリーナ?」
「ラディ! よかった、いてくれて」
「どうかした?」
単なる恋人のラブコールではないらしいと感じたラディは、そう尋ねた。
「うん、あのね……ゼスカーヴェルって知ってる?」
「ゼスカーヴェル? 何? あ、それとも、誰って聞くべき?」
ラディの返事に、レリーナはまた不安になってきた。ラディはゼスカーヴェルを知らないらしい。向こうは居場所こそわからないが、ラディのことを知っているようだったのに。
ロネールにいる見習い魔法使いで、ヴィグランの孫のラディ。
他にどれだけのことをゼスカーヴェルは知っているのか。
一方的に知られてる、というのは怖いものがある。身に覚えのないことで、言い掛かりをつけられるのでは、なんてことまで考えた。
だが、さっきまでのゼスカーヴェルの様子を思い返せば、そんなに悪い方には転ばない……と思いたい。
「えっと……誰、の方よ。今、おばあちゃんの家の前にその彼が来てるの。ラディを捜してるって。まだちゃんと聞いてないけど、魔獣みたい」
「魔獣が俺を捜してるの? 俺を捜すような奴、いたかな」
今は見えないが、きっとラディは首を傾げているのだろう。
「ラディ、どうしよう。あたし、ラディが知ってるのかなって思って、ラディに連絡を取ってみるって言ったの。もし、ラディに連絡がつかなかったって言っても、きっとどこに住んでいるんだって聞かれるわ」
どこに住んでいるのかを聞かれたら。レリーナが拒否しようとしても、ゼスカーヴェルは聞き出そうとするだろう。聞いて自分で直接行こうとするに違いない。
人間を傷付けた魔獣は魔法使いから追われる身になると知っているだろうから、乱暴はしないはず。でも、食い下がられたらレリーナにいつまで拒否できるか……。
「うん、捜してるって言うんだから、聞かれるだろうな。いいよ。今からそっちへ向かう。そう言っておいて。何か危ない雰囲気を感じたら、すぐに逃げるんだよ」
「わかった……けど、ラディ、大丈夫?」
「相手をまだ見てないから何とも言えないけど……危なかったら、すぐにカイザックを呼んで助けてもらうよ」
ゼスカーヴェルが何の魔獣であれ、グリフォンより圧倒的に強い、ということはないだろう。レリーナと会話していたようだし、そう大変なことにはならない、とラディは思っている。
レリーナはラディとの通信を切り、再び家の外に出た。ゼスカーヴェルは手持ちぶさたのように立って待っている。そんな彼を通行人が二度見、三度見しているのが見えた。
「ラディと連絡がついたわ」
「そうか。彼はどこに?」
「今からこっちへ来るって。近所なの。少し走れば数分の距離よ。すぐに来るわ」
「来てくれるのか。ありがたい」
そう言うゼスカーヴェルの表情は、今までで一番穏やかなものになった。その顔を見る限り、ラディが言うように「危ない雰囲気」は全く感じられない。
「レリーナにも世話をかけたな。ありがとう」
「いえ、気にしないで」
礼を言われ、レリーナのゼスカーヴェルに対する不信感はかなり払拭された。まだ彼とラディの関係はわからないものの、悪意を秘めた魔獣が「ありがとう」とは言わないだろう。これで騙されたのなら、安易に信用するレリーナが悪いのだ。
「あの、ゼスカーヴェルはラディとどこで会ったの?」
聞いても大丈夫かしら、と思いつつ、レリーナは疑問を口にした。
「ラディと会ったことはない」
「え……」
意外な返事に、レリーナは目を丸くする。てっきり、ラディの知らないところで彼を見かける機会があったのでは、と思っていたのに。と言うか、それぐらいしか思い浮かばない。会ったこともない魔法使いを捜す魔獣なんて、聞いたことがなかった。
会ったことがないのにラディを知ってるって……どういうことなの?
レリーナの中で、また不安が大きくふくれあがった。





