金色の獅子
家に帰ってからラディは、レリーナに連絡を入れた。
結局、ずいぶん時間が経ってしまったので、ラディは何の練習もできずに帰ったのだが、気持ちはいつになく高揚している。
その気持ちを話せるのは、同じカロックに行くレリーナだけだ。
「えっ、カロックに行った人が他にもいたの? あ……いてもおかしくないけど、実際にそんな話を聞いたら不思議な感じだわ」
異世界に行っている、なんて他の人に話せる内容ではない。だからこそ、知っている人が近くにいると、それだけで気持ちが高ぶる。それはラディだけでなく、レリーナもだ。
「カロックでは他の協会の人に会ったけど、こっちの世界で会うのって初めてよね」
「うん。みんな、黙ってるだけで案外たくさんいたりして」
「そうかも。おじいちゃんみたいに色々話してくれても、聞いた人が信じなければ単なるおとぎ話で済まされちゃうもんね」
ラディやレリーナだってヴィグランから話を聞いていても、子どもの頃はともかくとして、実際に自分達がカロックへ行くまではおとぎ話だと思っていたのだ。
「そのリガロスさんと話してた時に思ったんだけどさ。俺、細かい部分をかなり忘れてる気がするんだ。たとえば、じいちゃんがカロックへ行ったきっかけ。あの地図が関わってるのは当然なんだけど、その地図がどういう経路でじいちゃんの元に来たのか、とかさ。レリーナ、覚えてる?」
「え……おじいちゃんがカロックに行くきっかけ……覚えてないわ」
「地図が完成した時の話も覚えてないんだよな。カロックで他の見習い魔法使いに会ったかどうかも」
「そんな話、聞いたかしら。んー……全然思い出せない」
ヴィグランの話は、魔獣や魔物、どんな魔法を使ってどうしたか、といったものがほとんどだったような気がする。もちろん、子どもだった二人がそれ以外の話を単にスルーしていただけ、かも知れないが、とにかく記憶になかった。
「冒険部分ばっかりに気を取られてたよな。子どもだったから、その部分ばっかりがクローズアップされて頭に残ってるんだ。もしくは、じいちゃんが俺達がそんなに興味を示さないだろうと思って、あえて話から外してたか、だろうな」
「そうね。ずっとどきどきしてたってことは覚えてるもん。カロック以外の話もよくしてくれていたから、楽しく聞いてもらえるって話だけをしてたのよ、きっと」
「初めてカロックから戻って来た時、じいちゃんから聞いた話を書き出してみようかってことをレリーナが言ってただろ」
「うん。これから先の参考にできるかもって」
だが、ラディがそれをやると面白くなくなるからと、実際にはやっていない。
「本当にやっていても、案外すぐに行き詰まってたかも知れない。すっごく楽しかったって気持ちだけで、細かい部分が抜けまくってるって今日のことでわかったから」
それを聞いて、レリーナはくすくす笑う。
「そうかもね。ラディとあたしの記憶が合わなくて、こうだった、いやそうじゃないってケンカになってたりしたかも」
「うん。それに、かなり混ざるんじゃないかな。カロックのことと、じいちゃんがこっちでしていた魔物退治の話とさ。たくさん聞いたからなぁ。それに……覚えてなくてもいいよ」
レリーナはわずかに首を傾げた。
「忘れてもいいの?」
「子どもなんだから、全部覚えてるって方が無理だろ。それに、きっかけはたぶん俺達とそう変わらないだろうしさ。リガロスさんの場合、図書館で借りてきた魔法書を家で開いたら紙が一枚落ちて、ページが落ちたのかと思ったらそれがカロックの地図だったって。俺達もじいちゃんの魔法書を取り出したら地図が落ちただろ」
「本当に似たような状況だったのね。完成した時の話は聞いたの?」
「いや、時間もなかったから、そこまでは。だけど、聞けなくてよかったと思ってるんだ。一番の楽しみだろ。ジェイがどうなるのかって」
「あ、そうよね。地図の完成はジェイの試練が終わるってことだもんね。会った頃と色がずいぶん変わったし、楽しみだわ」
ヴィグランやリガロスと似たような状況でカロックへ行ったとしても、向こうでの行動はそれぞれ。お話の中身は別なのだ。当然だろう、主人公が違うのだから。自分達は自分達の話を楽しめばいいのだ。
「カロックでじいちゃんが呼び出した魔獣って、みんな元気なのかな」
「灰色狼のナーノスは元気でしょ。あたし達が会った時は、元気とは言いかねる状態だったけど」
カロックでラディが初めて呼び出した魔獣は炎馬のリーオンだったが、途中でヴィグランと面識があるという灰色狼と出会った。魔獣は人間より寿命が長い場合が多いし、カロックは異世界だから生態や寿命など、こちらの常識が通じない場合もある。カロックでの移動と魔物の排除について協力を依頼するのだから、ヴィグランもそう高齢の魔獣を呼び出してはいないだろう。だとすれば、カロックのどこかで元気に過ごしているのかも知れない。
「会ってみたいな、じいちゃんの呼び出した魔獣に。さすがに大竜は呼び出せないだろうけどさ。レリーナ、大竜の名前は覚えてる? 確かミルー……」
「えっとね……ミルーゼだったと思うわ。ミルーゼリア」
ラディ達にとっての協力対象となる大竜がジェイのように、ヴィグランにも協力を請う大竜がいた。カロックでの話は、まずその竜の存在ありき。名前は何度も出ていたので、おぼろげでも頭に残っている。
「おじいちゃんの話だと、明るい女の子って感じだったわよね」
「そうだな。魔獣はナーノスの他に、確か天翔王がいただろ」
天翔王は空を駆けることのできる獅子の魔獣の総称である。
「金色の獅子って聞いた気がする。どれだけきれいな魔獣なのかなって思ったもん。翼はあったのかしら」
翼翔であれば背に、天駆であればくるぶし付近に翼がある。天駆の中には、翼を持たずに飛ぶ者もいるが、どちらにしろ実際に魔獣を見たことのない子どもにとって、翼のある獅子と言われても想像しにくい部分があった。だから、覚えているのは本で見た獅子の形でしかない。
「どうだったかな。俺も金色の部分ばっかり頭に残ってる。ナーノスも何度か出てたけど、その天翔王も何度か出てたよな。名前……ファイルド、でよかったっけ?」
「う……たぶん。絶対そうって言えないわ。他の魔獣の名前と一緒になってる気がする」
ヴィグランの呼び出した魔獣だけではない。今ではラディとレリーナもカロックへ行っているし、その回数分だけ魔獣を呼び出している。その彼等の名前と、昔聞いた魔獣の名前が完全にまぜこぜになっていた。
「名前については、今はいいや。レリーナ、今度カロックへ行ったら、その魔獣を呼んでみてもいいかな。あ、もちろん、ジェイの許可をもらってからだけど。天翔王なら二人が乗っても平気なサイズだと思うんだ」
「うん、いいわよ。あたしも会ってみたい。お話で聞いた魔獣に実際に会えるなんて楽しみだわ」
「よし、決まり。あいつの孫は大した力がないな、なんて言われないようにしないと」
天国にいる祖父に恥をかかせる訳にはいかない。
いつも以上に気合いが入るラディだった。
☆☆☆
昼前から空模様が怪しくなってきた、とは思っていた。授業が終わる頃にはぽつぽつと小雨が降り出す。傘を持ってきていなかったレリーナは急いで帰ることにした。
今日は土曜日だ。予定通りなら、大竜のジェイが異世界への扉と共に現れ、カロックへ向かう日である。
いつもならロネールの中を歩いていると見掛けない扉が現れ、ジェイが顔を出す。その扉を自分の部屋に出してくれるように頼んでから、急いで家に帰る、というのがパターンだ。
たぶん、雨はこれから強くなってくるだろう。いつものようにジェイが現れて家に帰る頃には濡れずに歩くことは無理。だったら、小雨の間に帰って待機する方がいい。カロックへは制服のまま、つまり今の服装のままで行くから、あまり濡れないでいるに越したことはないのだ。
「あ、そうだ」
家路を急いでいたレリーナだったが、ふと思い付いて自分の周囲に結界を張った。魔法攻撃ではないが、多少の雨ならこれでしのげる。おかげで濡れずに済むし、わずかではあるが魔法の練習にもなるというもの。
幸い、雨足が強くなる前に帰宅できた。
「あら、レリーナ。今日は早いのね」
「うん。雨がひどくならないうちにと思って」
母に言われるとそう返し、レリーナは着替えずに昼食を摂った。母にはお腹空いたから、と言い訳しておく。しっかり食べて部屋に戻ると、見事なタイミングで普段は部屋にない扉が現れた。
前回でも思ったが、薄いベージュをさらに薄くしたような、もう白と言ってもいいくらいの色だ。その扉と同じ色をしたジェイも、白竜と呼んで差し支えない気がする。
「ジェイ、すっごくいいタイミングよ。今は家にいるから、このまま行くわ」
「お、そっか。わかった」
レリーナの言葉を聞いて、ジェイの姿が扉の向こうに引っ込む。レリーナはその扉を開くと、出発点であるムーツの丘に足を踏み入れた。
「よかった。今日は昼間なのね」
前回訪れた時は、夜だった。満月の光が明るかったものの、やはり昼間の明るさにはかなわない。行動するなら明るい方がいい、と改めて思う。
「レリーナは暗い場所って嫌いか?」
「嫌いと言うか、苦手。ほら、あたし達って夜目が利かないから、どうしても大きく動けないのよね。縮こまってしまうって言うか……。素早く腕を伸ばしたりするのも、ちょっとちゅうちょしちゃうのよ。伸ばした先に何かあったり、誰かいたりしないかしらって」
「何かいるってのは、気配でわかるだろ?」
「人間はそこまで敏感じゃないもの。何となくって思うくらいよ」
「ふぅん、そっか。不便なんだな。この先、夜に動くのは……たぶん、そうないと思うぞ」
「そうだとありがたいわ」
とは言っても、ジェイだってどこにかけらがあるかをしっかり把握できる訳ではないのだ。あくまでも予想でしかない。もしくは、希望。
そんな話をしているうちに、ラディも現れた。
「いつもうまい具合に飛べる奴が来てくれてるけどさ、今回は絶対飛べる奴を呼んでほしいんだ」
基本的に移動するために呼び出す魔獣はおまかせなのだが、たまーにこうしてジェイが注文を出す場合がある。行く先によって、魔獣の属性が対照的だったりすると魔獣が協力を拒否することがあるからだ。そういう時だけ、ジェイはこういう魔獣を、と条件を出してくる。
「わかった。あのさ、ジェイ。呼び出してみたい魔獣がいるんだけど」
「ん? シュマか?」
ジェイは以前呼び出したことのある魔獣の名前を出す。レリーナと深い関わりを持ち、次に呼び出すことを条件に助けてくれた翼のある猫だ。
「いや、そうじゃないんだ。俺のじいちゃんがカロックに来ていたってことは話しただろ」
初めてカロックに来てジェイに会った時、ヴィグランからカロックの話を聞いている、ということを話している。だから、ジェイの協力依頼にも二人は戸惑うことなく承諾したのだ。
「うん。あの時、灰色狼に会ったよな。でも、今回はあいつだと目的地に行けないぞ」
ジェイもナーノスや彼がいる群れのボス・ロアーグのことはしっかり覚えている。だが、灰色狼は地上を速く走ることはできても、空を飛ぶことはできない。今回の条件には適さない魔獣だ。
「ナーノスじゃないよ。名前はちょっとうろ覚えなんだけど、天翔王なんだ。それなら空を飛べるから問題ないだろ」
「そっか。じゃ、いいぞ」
あっさりとジェイの許可が下りる。たぶん反対はされないだろう、とは思っていたが、肩すかしに思うくらい、スムーズだ。
「ありがとう、ジェイ。来てくれなかったら、改めて飛べる魔獣を呼ぶよ」
ラディは一つ大きく息を吐いた。いつもは近くにいるであろう魔獣に呼び掛けるイメージで、召喚に臨む。だが、今回は特定の魔獣だ。自分の世界で一度やったことがあるが、その時は相手の名前をちゃんと知っていた。だから、その名前を強く念じれば何とかなるだろう、という読みがあったのだ。
しかし、今回は名前があいまいだ。しかも、異世界での召喚。
レリーナはさっき名前が出たシュマを呼び出したことがあるが、それは呼び出されることをシュマも承知の上だった。お互いをよく知っているからスムーズにできた、というところがある。
今回は不安定な要素が多いので、正直なところ声が届くかどうかもわからない。強い自信を持つことはできなかった。
だが、ダメならそれはその時、という開き直りもある。ジェイにも言ったように、来てくれなければ改めて別の魔獣を呼べばいい話だ。
ラディは呪文を唱えながら、ヴィグランを知る天翔王がいたら来てくれ、と念じた。
目もくらむような金色の毛並みの獅子……。
翼の有無は無視して、その姿を頭に浮かべる。子どもの頃に想像したこの獅子に会いたい。そんな気持ちを込める。
ラディが呪文を唱え終えて少しすると、目の前に光の玉が現れた。金色の光だ。ラディはもちろん、レリーナも緊張しながらその光を見詰める。
光は見ている間にふくれあがり、やがて魔獣の姿を現した。
そこにいたのは、確かに天翔王だ。背中に立派な翼を持つ、翼翔である。ヴィグランが話していた通り、その毛並みは目もくらむような金色だ。こちらを見詰める瞳は深い青。見ていると本当に吸い込まれそうな気がする。
「呼ばれたのは私だと思うが……お前は誰だ」
落ち着いた声で魔獣が尋ねる。だが、面識のないラディにいぶかしげな表情だ。
「俺はラディ。ヴィグランの孫だ」
「ヴィグランの……」
表情は変わらなかったが、その口調は明らかにその名を知っているようだった。
「記憶があいまいだから、間違っていたらごめん。ファイルド……で合ってる?」
「ああ」
相手が人間でも魔獣でも、名前を間違えるのは失礼。だが、魔獣の返事でラディはひとまずほっとした。
「ファイルド、俺とこちらのレリーナは大竜ジェイの協力者をしている。俺達がカロックにいる間、移動と魔物の排除に力を貸してほしい」
「大竜の試練、か。懐かしいな」
ラディから少し視線を外し、ファイルドはジェイを見た。
「知ってるなら、やることはわかるだろ? 久々に頼まれてくれない?」
いつものことだが、ジェイが軽い口調で依頼する。ファイルドは再びラディに視線を移した。
見られて多少緊張はするが、襲われる訳ではない。ラディは魔獣の視線を受け止めた。この青い瞳にヴィグランの姿も映ったのだろうか、と思いながら。
「……いいだろう。このまま帰っては、気になってしまいそうだからな」
ファイルドの言葉にラディは、そしてレリーナもほっとした。
「おじいちゃんの言ってた通りね。本当にきれい……」
ほれぼれする程に美しい金の毛並み。ヴィグランが「目もくらむような」と表現した気持ちがわかる。
「ヴィグランが……何を言っていた?」
「あなたがきれいで強いってこと。ラディもあたしも、話を聞いたのが子どもの頃だったから詳しくは覚えてないけど、おじいちゃんがそういうことを話していたっていうのは頭に残ってるわ。あ、おじいちゃんと言っても、あたしは孫じゃなくて隣りに住んでただけなんだけど。ラディと一緒にカロックの話をいつも聞いてたわ」
「……そうか。で、行き先は?」
「え? あ、まだ聞いてない。飛ばないと無理な場所らしいけど。ジェイ、今回はどんな所へ行くんだ?」
「ティサって浮島。ちょっと距離があるから、出発しよう。話は移動中でもできるしさ」
ジェイに促され、ラディとレリーナはファイルドの背に乗った。





