昔話
ラディのいる教室では、魔法の歴史についての授業が行われていた。
魔法使いとなるためのメインは実技の授業だが、呪文についてや魔法を使う時の注意、魔法に関わる色々なことも学ばなければならない。
ただ、身体を動かさずに話を聞くだけの授業中に眠気が訪れるのは、どこのどんな学校でも同じだろう。まして、昼食後の座学ともなればなおさらだ。
この時間の授業で今日は終了だが、まだ半分も過ぎていないのでどうしたってだらけてしまう。
そんな時だった。
教室の前方にある扉からノックされた音が響く。担任のフェラドがテキストを教壇に置いてそちらへ向かった。何だろう、とクラスが注目する中、フェラドが扉を開ける。わずかな隙間からノックした人物が見えた一部の女子が、小さな悲鳴を上げた。
そこにいたのは、ブラッシュだったのだ。ここ、魔法使い協会ロネールでトップクラスの腕を持ち、さらには見習い魔法使い(の主に女子)に人気の高い魔法使いである。
彼は魔物退治などの仕事で高い成果を上げているのだが、四六時中出向いている訳ではない。ロネールに所属しているのだから、ロネールの敷地内にいてもおかしくはないはずなのだが、ブラッシュに限らず講師以外の魔法使いが修学部の棟に来ることはまれだ。
まして、ブラッシュは女子に慕われやすい、要するにモテるので騒ぎになるから修学部の方へは行くなと協会長から言われている、なんて噂まであるくらいなのである。
そんな彼が、いくら授業中とは言え、いや、授業中に現れるなんてビッグサプライズもいいところなのだ。訪れた人物がブラッシュとわかった途端、教室内は騒然となる。特に、やはりと言おうか、女子が。
「なぁ」
後ろの席にいるマイズが、ラディの背中をつんとつついた。
「ブラッシュが来るってことは、お前絡み?」
「え……違うだろ。個人的なことで授業中に来ないって。授業が終わる時間は知ってるんだし、何か用事があるならその後で直接言って来るはずだろ」
ラディがブラッシュと友人関係であることは、このクラスの見習い達ならみんな知っている。なので、マイズに限らず、ラディと何かあるのでは、などと言いたげな視線をこちらに向けているクラスメイトが少なからずいた。しかし、ラディにはブラッシュが来る用事なんて思い付かない。
異世界カロックについて話したくても話せない時期があり、もやもやしていたことはあった。だが、その件についてはちゃんと説明できる日が来て、ブラッシュも実際にカロックへ行ったことで解決している。それ以外で急を要するような用事があるとは思えなかった。
もちろん、ラディが思えないだけで、現実はどうかわからない。
ラディはマイズに言われたこともあって、何かあったかと考えたものの、何も思い浮かばない。それに、フェラドに伝える用件はすぐに話し終えたらしく、ブラッシュはすぐに立ち去り、ラディの思考もそこで止まる。
「先生、今来てた人、ブラッシュですよね? 何かあったんですか」
ミュアが教室内へ戻って来た担任に遠慮なく尋ねる。
彼女はブラッシュの大ファンということで、ブラッシュと友達関係にあるというラディに近付き、ブラッシュとの間を取り持ってもらおうとしたこともある。本人は友達として、みたいな言い方をしていたが、本心かどうかははなはだ怪しい。と言うより、絶対違うよな、とはラディも思っている。
そのミュアは、ラディからブラッシュに恋人がいると聞かされた途端、全く話しかけなくなった。ラディから取り持つことを断られた、ということもあるが、何にしろわかりやすい性格である。
「いや。単なる事務連絡だ。ほら、立ってる奴、自分の席に戻れ」
事務連絡でブラッシュがわざわざ来るか? と言いたげな見習い達だったが、それ以上は突っ込めない。担任講師と言っても、一人の魔法使い。この世界では実力がものを言い、今のが事務員ならともかく、正規の魔法使い同士の話に見習いがあれこれと口を挟むことはできないのだ。
結局、どうしてブラッシュが現れたのかわからないまま、だがこの騒ぎでクラスの目が覚めた状態で授業は続いた。
授業終了のチャイムが響き、見習い達は疲れと安堵のため息をつく。
「ラディ、後で職員室へ来い」
「え……はい」
教室を出て行く前、フェラドがラディに近付いて言った。その言い方が他のクラスメイトに聞こえないようなトーンだったため、ラディは何の用かと聞きそびれる。
もっとも、この場合はさっき現れたブラッシュと関係してるんだろうな、とは想像できた。
ブラッシュが絡んでるっていうのはわかる気がするけど……どうしてこんな形で呼び出されるんだ? 何かしでかした覚えはないし。もしかしてカロックのことで何か聞かれるとか……はないか。いくらブラッシュもカロックに行ったからって、それを周りに話したところで信用してもらえるかは怪しいもんな。逆に腕のいい魔法使いがおかしなことを言い出したぞ、なんて変な噂がたちかねないし。
とにかく、呼ばれたからには行かなくてはならない。まして、フェラドがああいう言い方をしたということは、何かしらの重大事ということもあるだろう。
ラディは教科書やノートなどをカバンに放り込むと、マイズに軽く手を振って職員室へと向かった。
☆☆☆
職務部の棟にある職員室に入ると、ラディはフェラドの元へと向かった。
「先生、来ましたけど……何ですか?」
「おう、来たか」
ラディに呼ばれ、机に向かっていたフェラドがこちらを振り返る。
「お前に会いたいって言ってる魔法使いがいるそうだ」
「俺に? え、魔法使いって……」
現在、ラディが知る魔法使いはブラッシュとターシャ、それに姉のテルラくらい。わざわざ会いたいとフェラドに伝言する人達ではない。
だとすると、他の魔法使いということになるが、ロネールにいる魔法使いならそんなことをフェラドに頼まなくても直接ラディの所へ来ればいい話。
それをブラッシュやフェラドを通じて会いたいと言ってくるのだから、まず間違いなくよその協会の魔法使いだろう。
だが、ラディには思い当たるような魔法使いはいない。こちらが知らないだけ、ということも当然あるが、それにしたって会いたいと言われる程にどこかで活躍した覚えはなかった。
いきなり呼び出されたこともそうだが、フェラドからそんなことを伝えられ、ラディはますます混乱する。少なくとも悪いことで呼び出されたのではないようだが、それでもラディの頭には「?」マークが飛び交った。
「グラエージって協会の魔法使いだ」
ラディの表情を読んだのか、フェラドが付け加える。だが、ますますラディは混乱するばかりだ。
「ラキオの国、ザボックの街にある協会だ。俺もそこまでしか聞いてない」
「さっき、ブラッシュが来たのはその話だったんですか?」
「ああ、そこの魔法使いがお前に会いたいと言ってるから、放課後来るように伝えてくれって言われてな。まだ会合が終わってないから、ちょっと待ってもらうことになるが」
「会合?」
一つの疑問が解けても、次々に新しい疑問が発生する。
「ああ、お前達はまだ知らないからわからないか。四ヶ月に一度、各地の魔法使い協会の人間が顔を合わせる場だ」
魔法使いの定期会合というものがあり、今日がその日なのだという。会合の主催と開かれる会場は持ち回りで、今回はロネールが主催となって行われている。
各協会から二、三名が参加し、魔物や魔獣についての情報交換、新規登録や除名された新しい魔法使い名簿の配布などが行われるのだ。
「その会合に来た人が、俺に会いたいって言ってるんですか? 俺、その協会の名前も今初めて聞きましたけど」
魔法使い協会は各国に二カ所以上ある、ということは知っていても、どこの国になんという名前の協会があるかまではラディも完全に把握していない。
「俺もどういった流れでそうなったのかは知らないんだ。事情は本人から聞いてくれ」
職員室で待つのも気が詰まるだろうからと、フェラドはラディに談話室で待つように言う。ブラッシュが戻ってくれば、その人とそちらへ向かうように伝えるから、ということで、ラディは談話室へ向かった。
談話室には、丸いテーブルがいくつかとその周りに割りと座り心地のいいイスが数脚ずつ。部屋の端に簡易的なカウンターがあり、そこでお茶が淹れられるようになっている。魔法使い達の息抜きの場であり、聞かれても特に問題のない仕事の話をする時などに使われる場所だ。
職員室も緊張するけど、ここに一人でいろって言われるのもちょっときついぞ。
ここは職務部の棟。つまり、見習い魔法使いは用事がない限りはほとんど来ない場所だ。この談話室も、見習いが来るとすれば担任講師と生徒が短い面談をする時くらいだろう。数人の魔法使いがいてお茶を飲んでいるが、当然ながら見習いは一人もいない。そこに入って行かなくてはならないのだから、ラディとしては気が重かった。
もちろん、こうして来るからには何か用事があるのだろう、と周りの魔法使いも考えるだろうが、視線はこちらになくても見張られてる感じがしてしまう。イスは教室のものより余程上等なはずだが、今のラディには心地良く感じられない。
待てって言われたし、帰る訳にはいかないよな。
よその協会の魔法使いが一緒だから、ブラッシュの存在はともかくとして、修学部で会うという訳にもいかないのだろう。それにしても、よその協会の魔法使いがどんな用件で見習い魔法使いに会いたいなどと言ってくるのか。ラディはとにかく不思議だった。
「ラディ、すまない。待ったか」
ブラッシュの声がして、ラディは立ち上がりながら振り返る。そこには確かにラディの友人であり、先輩魔法使いのブラッシュがいた。
その隣りに、五十代半ばくらいであろう男性も一緒にいる。砂色の短い髪に、薄い青の瞳をした細身のおじさん……にしか思えない。ラディにはその人物に見覚えはなかった。
「こちら、グラエージのリガロスさんだ。リガロスさん、彼がヴィグランの孫のラディです」
あ、そういうことか。
詳細まではわからなくても、ブラッシュがヴィグランの名前を出したことで、ラディはようやく合点がいった。
ラディに会いたいと言った魔法使いは、ヴィグランの知り合いだったのだ。こちらに見覚えがなくても、あちらには少なくともラディの存在がわかっていて、せっかく来たのだから会っておきたい、というところなのだろう。
事情が少し見えて、ラディはほっとした。
「初めまして、ラディ。グラエージのリガロスだ。時間を取ってもらってすまなかったね」
「いえ。初めまして、ラディです」
手を差し出され、ラディも自然に手を出して握手を交わす。
ブラッシュに促され、ラディ達はそれぞれイスに座った。
「ヴィグランさんのお孫さんが通われていると聞いてね。ご本人がいらっしゃらないので、それならぜひ君に会いたいとわがままを聞いてもらったんだ」
定期会合は午前から行われていたが、途中で休憩が入れられる。その時にリガロスはロネールの魔法使いにヴィグランのことを尋ね、彼がすでに鬼籍に入ったことを知らされた。
その際「彼の孫がここに通っている」ということを聞かされ、リガロスは会いたいと頼んだのだ。こういったケースはほとんどないが、断る理由はない。会って話をするだけだし、よその協会の魔法使いとの会話は見習いにとっても勉強になるだろう、ということで、今回の対面となったのだ。
ブラッシュが教室へ行ったのは、会合に出席している魔法使いが諸々の仕事に追われ、同じく出席していた彼がたまたま手が空いていたので使いっ走り役になったためである。
「もっと早く彼とお会いできたらよかったんだが、定期会合でもなかなかうまく会うことができないで……残念だよ」
「リガロスさんはどこで祖父と会われたんですか?」
「私が八歳くらいの頃だったかな」
「えっ……そんな昔? 魔法使いになってから知り合ったって訳じゃ」
子どもの頃に会った魔法使いに、大人になってから会う。ありえない話ではない。
だが、会えないまま時が過ぎ、その魔法使いがいなくなったからと言ってわざわざ孫に会いたいと思うものなのだろうか。ラディはてっきりリガロスがヴィグランと親しいものだと思っていた。
「違うんだ。だけど、私が魔法使いになりたいと思ったのは、ヴィグランさんがきっかけなんだよ」
子どもだったリガロスは、その時母の実家があるリロートの国、チアロの街へ遊びに来ていた。ここルーヴェインの国から南に二つ国を隔てた場所にあるその国は、自然豊かな場所で観光地としても有名である。リガロスの母親の実家が宿を経営していて、ヴィグランがその宿に泊まったのだ。休暇をもらったヴィグランが妻アリーヌの希望でこの地にやって来たらしい。
何がきっかけだったか忘れたが、若かったヴィグランと幼いリガロスはそこで楽しい会話をしたのだと言う。
「彼が魔法使いだと知って、色々な話をねだったよ。私の周囲に魔法使いはいなかったから、その存在がとても珍しかったのでね。ヴィグランさんの話はとても楽しかった」
「じいちゃん……祖父は話をするのが上手な人でしたから。俺もよく色々な話をしてもらいました」
リガロスがヴィグランの話で魔法使いになろうと思ったのなら、それはラディも同じ。初対面のおじさんでしかなかった魔法使いに、ラディは急に親近感を持った。
「そうか。では、カロックの話もしてもらったかい?」
「え……」
突然、異世界の名前が出て、ラディは言葉に詰まる。同じくラディに連れて行かれてカロックの存在を知るブラッシュも、顔には出さないが内心では驚いていた。
「は、はい。すっごく面白くて、俺もそんな冒険がしたいって思って魔法使いになろうって決めたんです」
「やっぱりそうか。では、私達は同じ出発点から始まってるということだね。私は二日くらいしか一緒にいられなかったが、君はたくさんの話を聞かせてもらっただろう」
「はい。幼なじみの子がいて、その子と一緒によく聞きました」
いつからだったろう。気が付けばヴィグランの隣りに住むレリーナと一緒に、何度も彼の話を夢中になって聞いていた。
「うらやましい……と言いたいところだが、私もカロックの話はヴィグランさんから聞いた話以外にもいくらか知っていてね」
すぐにはリガロスの言葉が理解できず、ラディは少し首を傾げた。
「話に聞く以上に、カロックは興味深い場所だったよ」
にこにこしながら話すリガロスを見て、ラディは聞いていいのか少し迷う。
「もしかして……リガロスさんもカロックに?」
「あの話が本当にヴィグランさんの考えたおとぎ話と思っているかい? 何度も聞いたなら、彼は魔法使いではなく作家になるべきだと思わなかったかな?」
そんな風に考えたこともなかった。子どもの頃はヴィグランの話は本当のことだと信じ、今は本当だと知っているから。
「私もヴィグランさんのように、自分の子どもにカロックの話をして聞かせた。そのおかげか、二人の子どもは魔法使いになった。だが、言われたんだ。お父さんは作家になればよかったのにね、と。彼らはどうやら協力者として選ばれなかったらしい」
言われてみれば、荒唐無稽とも言える物語。竜の存在はもちろんだが、異世界に呼ばれて竜と行動を共にするなど、夢物語だ。こういう系統の物語が好きな子どもには受けるだろう。
だから、リガロスの子ども達はいくつもこんな話をしてくれる父が作家になればよかった、と言ったのだ。現実とは思っていないから。
「俺に会いたいっておっしゃったのは、その話をしたかったんですね」
本人が生きていれば、リガロスはヴィグランにカロックへ行ったことを話していただろう。でも、およそ三ヶ月前に彼は亡くなったと聞かされた。そして、孫が通っていることを知る。なら、その孫はカロックのことをどう思っているのか。
そんなに重要なことではない。カロックを知らなくても努力すれば魔法使いになれるし、知らなくてもいいことだ。でも、あのヴィグランの孫が魔法使いを目指しているのなら、あの異世界をどう考えているのか、聞いてみたい。
そう考えたのであろうリガロスに、ラディは答えた。
「行ってますよ、カロックに」
「選ばれたのかい?」
「祖父の葬儀の日に。さっき言った幼なじみも一緒です。あ、ブラッシュも一度、一緒に行きました」
「あれは夢で片付けられる話ではありませんね」
「ほう……」
驚いた様子で、リガロスはブラッシュを見た。第三者が横にいて、何をくだらない話を、などと思うのではと考えていたが、思いがけず話が通じるらしい。
「だが、一度だけ? たった一度では、地図は完成しないだろう」
「俺の場合、ラディに招待されたような形ですよ。大竜は細かいことを気にしないようなので」
「はは、そうか。……そうだな」
昔を思い出したのか、リガロスは遠い目をする。
「おじいさんの話を聞いた時、わくわくしただろう? 今はどうかな。わくわくしているかい?」
「はい。わくわくする余裕がない時も多いですけど」
現れる魔物のレベルや数によっては、死と直面する世界だ。笑ってすごせる世界ではない。でも、わくわくしているのも確かだ。
「私もそうだったよ。呼び出した魔獣の力を借りて、必死にその場をやりすごしていた」
「目の前で死なれるかと思いましたよ。大竜がいなければ、大変なことになるところでしたから」
急にカロックの話で盛り上がり始めた。その場にいる全員が経験者なのだから、盛り上がらない方がおかしい。
別の魔法使いが呼びに来るまで、三人はカロックの話に花を咲かせたのだった。





