翼ある猫
次の日のラディは結界を重点的に、さらにその次の日は動く的に攻撃を当てる練習を繰り返した。
熱心に自主練習をして実力が上がってきたのか、授業での実技が少し楽になったような気がする。もっとも、今のクラスは二期目。つまり、進級できなくて残留し、同じ授業を前にも受けたことがあるので、楽なのも当然。と言うより、楽にできるようになっていなければいけないくらいなのだ。中級2ともなれば、そう簡単に「楽にこなせる」ようにはならないが、それができなければ上のクラスへの進級は難しくなる。
結界を長く保つって、結構難しいもんなんだな。持続できるようになれば、かなり力がつくかも。今日も結界をがんばってみるか。
そんなことを考えながら、授業が終わったラディはこの日もフィールドに向かっていた。
「……ん?」
教室を出てフィールドへ行くまでの廊下。別に何もおかしくないはずなのに、何かが妙な気がする。いつもとは別の空気が漂っているような、ほんのわずかな違和感。
ラディは立ち止まって周囲を見回してみた。
「あれ……」
廊下の壁には窓がある。その隣に、扉があった。石造りの建物にしっくり馴染んでいるシンプルな扉。黒っぽい茶色で、材質は木だろうか。一見しただけなら気にせず通り過ぎるところだが、ラディはその扉を見て首を傾げる。今までその場所に扉なんてなかったからだ。断定したっていい。
なぜなら、窓の横にある扉を開けた向こうに部屋はあり得ない。仮にこの扉を開ければ、外へ飛び出してしまうからだ。ちなみに、ここは二階。実際、横にある窓を覗けば外の景色が見える。だから、その位置に扉があっても意味はない……と言うより、あったら危険だし、今までなかった。非常階段へと続く扉はあるが、絶対にそこではない。
誰かがいたずらで幻影の扉を出した? でも、何のために? これに触れたら何か起きる仕掛けがされていて、仕掛け人は陰でその様子を見て笑ってるとか。
そんなことを思ったが、気になったラディはその扉を軽くノックした。素通りするには気になるし、すぐノブに触れるというのはさすがにためらわれたのだ。
「よっ、ラディ」
「ジェイッ?」
扉から抜け出ようとしているように現れたのは、つい数日前に会った異世界の竜だ。扉と同じような色だから、扉に生えているようにすら見える。
「よって、こんな所に姿を見せていいのか?」
思わず周囲を見回すが、誰もいない。隠す必要はないのかも知れないが、知られていいものかどうかもよくわからない。
「ああ、ラディしかいない時だけにしてあるから、問題ないって。んじゃ、また頼むよ」
ジェイの言葉に、ラディはきょとんとなる。
「頼むって?」
「おいおい、協力者が何言ってんだよ」
「ええっ、もしかして地図のかけら探しのことを言ってるのか? だって、次は満月の日だって言ってただろ。日曜に戻って来て、まだ今日は木曜だぞ。満月は来週のはずだ」
ここにもし人が通ったらどう見られるのだろう。ジェイの姿がラディにしか見えてないとしたら、ラディは壁に向かってしゃべっていることになる。頭がおかしくなったと思われるに違いない。
「ああ、その話だけど言い忘れたことがあってさ。詳しくはこっちで話すから、とにかく来てくれよ」
ジェイの姿を見た時からまさかとは思ったが、この扉はカロックへと通じるらしい。
「待ってくれ。ここにはレリーナがいないんだ。それに、地図のかけらも持ってないし」
「レリーナの方にもこの扉が出てる。地図のかけらはあってもなくてもいいけど……そこ、どこなんだ?」
「ロネール……俺達が通ってる魔法使いの学校だよ」
場所を気にせず扉を出していたらしい。他に誰もいないとは言え、大雑把な話だ。
「そっか。何だったら、家に戻ってからにする? ラディの部屋からこっちへ来るようにもできるから」
「そんなに融通がきくんだ。じゃ、家にしてくれよ。教科書は置いて行きたいし、地図は持って行きたいから。……俺の部屋にこの扉が現れるのか?」
「そ。じゃ、戻った頃に出るようにしておくからな。あ、レリーナの方も一度帰るみたいだ。場所は別々でも、ほとんど時間差なしでムーツの丘に出られるようになってるから、慌てなくていいぞ」
「わかった。とにかく、今から家に帰るよ」
ラディは急いでロネールを出ると、家に向かう。
ちょっと待ってくれよ。どうしてこんなに早いんだ? 予定ではまだ一週間近く先の話のはずなのに。
ジェイは言い忘れたことがある、と言った。何となくだが、ラディやレリーナにとって大事なことに違いない。でも、ジェイはそんなに問題視していないのだ。
異世界とは言え、ジェイって本当に竜なのかぁ? いろいろ適当すぎるぞ。
次は穏やかな方法にする、とは言っていたが、どこかもわからない場所にいきなり扉を出す辺り、適当と言うかいい加減と言うか。
でも、逆に考えればどこにでも出せるってことか。俺の部屋に出すって言ってたし、今だって俺がいる場所に扉を出していた訳だし……一応、すごいんだな。
あきれたり感心したりしながら、ラディは家に帰るとすぐに自分の部屋へ入った。荷物を机に置き、地図をはさんだ本を棚から取り出す。昔、ヴィグランにもらった本で、魔法使いが登場する物語だ。カロックの話とは別に大好きだった本で、かなり角がぼろぼろになってしまったが大切にしている。
地図は本の中央付近のページにはさんであった。最初の山場のシーンで、魔法使いが魔物と対峙しているシーンの挿絵があるページだ。この前後のシーンがラディは気に入っていて、何度も読んでいるから本のくせがついている。だから、地図がはさまれてなくてもすぐに開くようになっていた。
ラディは本から地図のかけらとも言える紙切れを取り出し、制服の袖に魔法で同化させた。恐らく地図がなくなることはないだろうが、失ってしまわないよう念のためだ。
「わっ」
ふと横を見ると、それまで部屋の壁だった所にさっきロネールで見た茶色い扉が現れていた。
本当に俺の部屋にも出せるんだ。
ジェイが言った通りになっているので、ラディは素直に感心する。ジェイの話でレリーナの所にも扉は出ているようだから、彼女も今頃出かける準備をしているだろう。
「いらなかったな、これ」
離れた場所でどちらかの前に扉が現れた時に連絡しよう、とラディが買った水晶。レリーナの元にもあるはずだが、それぞれの前に扉が現れるなら使う必要はなかった。でも、カロックで入り用になるかも知れないので、一応持って行くことにする。
ラディは扉のノブを握り、横に動かした。が、動かない。軽く押すと開いた。
「……」
前回帰る時に現れた扉はスライド式だったから今もそうかと思ったのに、今回は普通に押し開くタイプ。からかわれているのか、前回ラディが文句を言ったから見た目通りにしたのか。どちらだろう。ラディは前者のような気がする。
扉を通り抜けると、見覚えのある丘の上にいた。すぐそこには、小さな大竜のジェイが宙に浮かんでラディを待っていた。
「ちゃんと穏やかな方法をとっただろ?」
「まぁね」
初めてカロックに呼ばれた時は、問答無用で吸い込まれたような状態だった。次はもっと穏やかにと頼み、ジェイはラディの意思でカロックへ来られるようにしたようだ。
「ジェイ、これから扉は全部押し開くタイプで頼むよ。この前の帰りみたいにスライドの扉はなし」
「引いて開けるタイプは?」
「押し開くタイプ!」
とにかく、統一してくれることを希望する。
「わかった、わかった。お、レリーナも来たみたいだぞ」
何もない空間に扉の形の線が浮き上がり、見ている間にラディの部屋にあったのと同じ扉が現れた。それが開くとレリーナが現れる。本当にそれぞれの場所からカロックへ来たのだ。
「あ、本当にラディが先に来てる」
レリーナが目を丸くしてラディを見る。恐らく、扉に現れたジェイの幻影が、ラディはもう来ていると告げたのだろう。
「水晶、いらなかったな」
「だけど、何かあった時のためにってポケットに入れて来たわ。ここで使う必要がない方がいいんだろうけど」
ラディもレリーナもロネールの制服のままだ。私服よりこの制服の方が、魔法の防御に優れている。正規の魔法使いが魔物退治へ向かう際、彼らが身に付けるローブのようなものだ。魔物に遭う確率が高いから、絶対こちらの方がいい。
「で? ジェイ、言い忘れたことって何なんだ?」
先に聞いておかないと、うやむやのうちにこちらも忘れてしまいそうだ。
「え? 何だっけ? えーと……あ、そうそう」
ジェイは小さな前脚で、人間のようにポンと手を打つ仕草をする。
「オレが二人を呼び出せるのは、新月か満月って言ったろ」
「ええ。それで、次は満月だって。だけど、まだ満月には日があるわよ」
「うん、そっちの暦はそうかも知れないけどさ、カロックとそっちじゃ時間の流れが違うんだ。で、ズレが生じるぞ……ってことを言い忘れたんだ」
「どうしてそういう大事なことを忘れるんだよっ。それ、すっげー大事だぞ」
「ほら、最初ってあれこれ説明しなきゃならないことがたくさんあるだろ。だから、抜けちまったんだ。悪い悪い」
「……絶対悪いって思ってないだろ」
道理で満月でもないのに呼び出される訳だ。
でも、考えれば思いついたかも知れない。カロックで何時間もいたのに、自分の世界へ戻ればほとんど時間は経っていなかった。つまり、双方の世界では時間の流れ方が違う。もしくは、お互いの世界を行き来する時に何らかの作用があるのかも知れない。どちらにしろ、同じ時間を生きている訳ではない、ということ。だから、ラディ達の住むルーヴェインの国とカロックでは、たとえ月の周期が同じであっても同時進行ではないのだ。
「他は? 別の件で言い忘れてること、ないのか?」
「どうかなぁ」
「おーい、頼むよ」
「自分はわかっていても、相手は知らないってこと、その場にならないと思いつかないだろ」
「だからって、いくら来る方法が穏やかでも、こうしていきなり呼び出されたらやっぱり不意打ちされた感があるっての。まぁ、世界間の行き来については俺達に大きな影響はないからいいけどさ」
わからないと言う相手に無理を言っても仕方がない。首根っこを掴んで思い出せ、と強制したって、出ないものは出ないだろう。それ以前に、ジェイの首根っこがどの辺りになるのか。
ジェイの説明を聞いて、こちらの予定より早く呼び出されたことに納得……はしにくいものの、いつまでも文句を言っていられない。
「で、今回はどっちの方向なんだ?」
「南。あのかすんでる辺りが森になってるんだ」
「また森なの?」
「この前向かったゴルの森とは違うぞ。どう違うかは……見りゃわかるか。じゃあ、まずは魔獣召喚だな。ラディ、頼むぞ」
「わかった」
ジェイに促され、ラディは魔獣召喚の呪文を唱えた。前回もこの魔法はやったが、まだラディのレベルでは正規の魔法使いがいなければ本来行ってはいけないもの。ここはロネールではないのだし、学校の規則に縛られる必要はないのだが、やはりそれなりに緊張はする。
ラディ達の周囲に風が吹き、思わず閉じた目を開けるとそこに黒い猫がいた。それも、牛くらいのサイズはありそうな身体に、大きな翼付きで。前回呼び出した青い火を燃やす炎馬のリーオンも大きかったが、猫はだいたいこれくらいのサイズ、という先入観がある分、現れた猫はなおさら大きく思えた。
「オレを呼び出したのはお前か?」
視線の高さはそう変わらないが、相手の身体が大きい分、こちらに視線を向けられると威圧感がある。それでも、ゴルの森にいた灰色狼達よりは小さい。馬よりも大きかった狼のことを思えば、目の前にいる猫なんてかわいいものだ。つくづく、あの時ロアーグ達に会っていてよかった、とラディは思った。免疫がなければ、こんな巨大な猫が目の前にいたら完全に腰が引けていただろう。
「ああ、そうだ。俺はラディ。大竜の試練でここにいるジェイに協力している。お前の力を借りたいんだ」
黒猫は真っ青な瞳をラディの隣にいるジェイに向けた。
「試練か。聞いたことがある。……何だって、他の奴まで巻き込むんだ、お前達は」
大竜という種族はこの世界で一番強い存在だと聞いたが、黒猫の口調は遠慮がない。はっきりと不快の感情を表している。
「まぁ、そう言うなって。長く生きてる間に、こういう遊びがあったっていいだろ」
「……ジェイ、遊びだったの?」
「言葉のあやだから、真に受けるなってば。オレ達は真剣にやらないと終わらないけど、魔獣にとっちゃ遊びみたいなもんだ。後々、話のネタにもなるだろ」
「つまらなくなったら、すぐに帰るぞ」
「んー、できればこのラディ達がいる間だけはいてもらいたいな。何日もかかるってもんでもないんだしさ」
「……しばらく余興に付き合ってやる」
黒猫はシュマといった。話し方や雰囲気からして、人間なら二十代半ばくらいだろうか。リーオンとそう変わらない感じがする。魔獣にとって年齢など、大した問題ではないのだろうが。
「教科書で姿絵を見たことはあるけど、シュマの翼って思ってたより大きいんだな」
本体と同じか、やや大きいように見える翼。その翼も艶のある見事な黒だ。
「ハネコをこんなに間近で見るの、オレも初めてだ」
「オレをハネコと呼ぶなっ」
ジェイの言葉に、シュマが強く拒否反応を示す。
「え……だけど、俺も授業でハネコって習ったけど」
「だったら、それを教えた奴に言っておけ。オレ達はその呼び名が大嫌いだ。はっきり言えば、そんな呼び名は認めていない」
今にも飛び掛かりかねない勢いで、シュマは主張する。
「周りの奴らはオレ達を『羽のある猫』とか呼ぶが、これは翼だ。そこからして腹立たしいのに、羽のある猫だからハネコだと? どうして省略するんだ。それも気に入らない」
「ああ、確かに自分の名前を省略されるのって、いやかも。適当にあしらわれてるみたいだもん。愛称ならいいんでしょうけど」
「少しはわかる者もいるようだな。オレ達は『翼ある猫』だ。翼猫だ。呼ぶならそう呼べ」
「翼ある猫か。じゃ、ツネコ?」
「だからっ、どうして省略するっ」
ジェイの言葉を聞いて、シュマが怒る。
「あ、そっか。どういう名前でも、省略がいやなんだな」
「省略も気に入らないし、ツネコだのハネコだのと呼ばれるのも気に入らない。ふざけるなら帰るぞ」
「えー、それは困るんだけど」
「種族の名前を言う機会ってあまりないと思うけど、呼ぶ時は『翼ある猫』って呼べばいいってことだろ。少なくとも、シュマの前では省略した言い方はしないから」
怒るシュマをラディがなだめる。
魔獣にはプライドが高い奴が多いって聞いたけど、本当なんだな。
授業で聞いたことが本当に目の前で繰り広げられ、そんな場合ではないがラディは感心していた。
「お前にオレ達のことを『ハネコ』と教えた奴にも、ちゃんと言っておけ」
「わ、わかったよ」
そんなこと言ったら、どこでそんな魔獣と会ったんだって聞かれるよ……。
ラディは心の中で苦笑するしかなかった。





