クジラの通過
「雷の気配がしてる」
ジェイの言葉に、ラディとレリーナはきょとんとする。ジェイがそう言う直前に二人が雷の魔法を使った訳ではないからだ。
「俺が雷の魔法を使ったのって、ずいぶん前だろ。だいたい、雷の気配って何だよ」
「簡単に言えば、ぱちぱちって感じ」
「言いたいことはわかるけど、大雑把な表現ねぇ」
横で聞いていたキュラナがくすくす笑う。
「要するに、雷の魔法を使っている魔物がいるって言いたいんでしょ」
「あ、それそれ」
話の中身が魔物であっても、ジェイの言い方は軽い。慣れたような、慣れないような。
「それそれって……ジェイ、だったら魔物の気配がするって言ってくれるだけの方がわかりやすいよ」
「表現より魔物の方が重要でしょ。ジェイ、どこから来るの」
「前から」
レリーナの慌てた口調とは対照的に、ジェイはのんびりと前を指す。そこには、白っぽい薄布のようなものが浮遊していた。それが本体らしく、その身体から時々周囲に電気を走らせている。どうやら、あの電気をジェイは感じ取ったようだ。
「ああ、クラゲね。私も海の上からたまーに見かけるわ。水に揺られてどこに行くつもりかさっぱりの生き物よ。私が見たのは無害の生き物だったけど、あそこにいるのは魔物のようね」
「あいつは自分の意思でどうとでも移動できるからな。ラディ、レリーナ、気を付けろ」
言われるまでもなく、魔物だとわかった時点でそれなりに二人は身構えている。
魔物に顔はない。と言うか、わからない。そもそも、どこが頭でどの辺りが胴や四肢に当たるのかも判断しにくい。本当に四角い布きれが浮いてるようにしか見えないのだ。普通の海にいるクラゲは本で見たことがあるが、あんな形ではなかったような気がする。
そんな不定形浮遊物体のような魔物が、ゆらゆらと五体。大きさは微妙に違うものの、人間の頭より少し大きいくらいが平均サイズといったところか。
その五体が、一斉に雷を放った。攻撃する構えもなく、ラディ達にすれば不意打ちにも近い。ジェイはかわし、キュラナは素早く逃げる。
魔物の雷は、逃げそびれたラディに集中した。レリーナも逃げ遅れていたのだが、ラディが前に出ていたおかげで攻撃を免れたのだ。
「っつ……」
「ラディ!」
結界を張っていたにも関わらず、左腕にしびれを感じたラディは自分の腕を掴む。
「くそっ……防御しきれてないか」
「ラディ、ケガは? 大丈夫?」
レリーナが青い顔でラディにすがる。
「平気だよ、レリーナ。少ししびれただけだから」
力の強さや状況によっては皮膚が裂けたり、焦げたりする。だが、結界のおかげでわずかにしびれただけで済んだようだ。
これで結界がなかったら、腕だけでは終わらなかった。最悪だとラディは黒焦げにされていただろうし、そばにいたレリーナも無事ではいられなかったはずだ。
五体が一斉に攻撃したからしびれたのだろうが、それは結界が術者を守りきれなかった言い訳にはできない。魔物からの攻撃を弾くのが目的の魔法なのだから、それができなかったのなら魔物にダメージを与えられなかった攻撃魔法と同じだ。
「ラディ、本当に大丈夫か?」
「ああ。防ぎ切れなくて、すっげー悔しい」
わずかにしびれた腕は、こうして話している間に回復する。だが、悔しさだけは消えないでいた。
「あんな薄い布みたいな奴らにやられるなんて、冗談じゃない」
そこにいる魔物達は、どんな表情でこちらを見ているのだろう。まともな生物の形をしていないので、全ては見ている者それぞれのイメージだ。
「あの布みたいな身体、ブチ破ってやる」
ラディは氷の槍を魔物に向けた。しかし、弾力があるのか、槍が当たっても跳ね返される。余計に腹が立った。
「だったら、これでどうだ」
上から大きな氷の塊を落とす。破れないなら、地面に縫い付ける形にしてやろうと考えたのだ。さすがに重いらしく、氷に押しつぶされて魔物は身動きできない。ただ、布のような身体のおかげか、つぶされて消えてしまう、とまではいかなかった。
仲間がやられているのを見てか、他の魔物達がまた雷を放つ。それをキュラナが尾で弾き返した。
「キュラナのしっぽって、雷まで弾き飛ばせるの」
それを見て、レリーナが目を丸くする。
「力の強さにもよるけれど、だいたいのものは弾き返せるわよ」
それを見て魔物達はたじろいだ……だろうか。やはり表情は見えない。
「ジェイ、こいつらの弱点って何なんだ」
「奴らの強みはあの柔軟性ってところだからな。それがなくなれば、勝機が見えるぞ」
柔らかいと同時に弾力があるから、先の尖ったものでも受け止め、弾き返せる。だったら、その柔らかさをなくしてしまえばいいのだ。
「そういうことか。固めればいいんだな」
ラディは吹雪の呪文を唱える。前回、氷魔法を得意とするターシャが加わり、彼女の魔法を見たことに刺激されて氷結の魔法にもかなり力を入れて練習をしていた。その成果が出て、魔物達はどんどん凍らされていく。
だが、そのうちの一匹が吹雪の力から逃げようと動いた。それを見たレリーナが、重力強化の魔法をかける。実質的な攻撃は弾けるものの、こういった身体全体にかける魔法については耐性がないようだ。どんどん地面へと魔物の身体は近付いていく。
「よーし。こいつはオレにまかせろ」
レリーナが地面に貼り付かせた魔物に、ジェイが吹雪の力を向ける。土と氷結の力に動きを奪われ、魔物はもう逃げることができない。
ラディが吹雪の力で固めた魔物達も、今までどうやって浮いていたかはともかく、次々に地面へと落ちていった。
「これで逃げられるものなら逃げてみろっての」
今や、魔物は凍って地面に広がる布のような姿だ。そこへラディは、今度こそ氷の槍を落として魔物の身体に穴を空ける。さっきは攻撃を弾けた魔物も、その柔軟性や弾力性を奪われてラディの攻撃をその身体で受け止めることになった。
穴が空いたと思ったのは、一瞬。凍っているのでそこから亀裂が入り、細かく割れていく。何本も槍を落としたので、魔物の身体は粉々だ。ここまでされると生存は難しいらしく、魔物の姿は次々に消えていった。
「よっしゃー」
それを見て、ラディの勝利の声が上がった。
☆☆☆
現地の魔物と、その魔物を狙う魔物に何度も足止めをされながら、ラディ達はかけらのある方へと進んだ。
「ねぇ、まだ着かないの? そろそろ雑魚魔物の相手にも飽きてきたんだけど」
キュラナの口調は、飽きたという感情がかなりこもっているように聞こえた。ラディ達は飽きたというのではないが、何度も魔物と応戦しているので体力的にもきつくなりつつある。そろそろ見付かってもらいたいのが本音だ。
「もう少しだ。かけらの気配もずいぶん強くなってるからな」
「だといいけど。ここって時間の経過もよくわからないし、延々と同じことを繰り返してどこにも向かってないような気分になるのよね」
キュラナの感想はラディ達も同感だ。景色がそう変わらない上に、薄暗さもほとんど変化を感じられない。暗くもならず、明るくもならず。海の森という場所に来てから、ひたすら魔物を倒すだけでどこにも行けてないように思えるのだ。
もちろん、そんなはずはないのだが、せめて周囲がもう少し明るさが変われば、時間が経過していることを感じられるのに。
「そうなんだよなぁ。オレもここまで変化に乏しい場所とは思わなかった。ここに棲む奴らって、何が楽しいのかなぁ」
どんな環境でも平気そうなジェイが言うのだから、やはり相当変化のない場所なのだ。
「え……急に夜なの?」
時間の経過がわからない、と話しているそばから、急に辺りが暗くなった。突然のことに、レリーナは不安になってラディの服を掴む。変化しない場所が変化したら、それは何かよくない前触れの場合が多い。
「違うわ。上を見てみなさい」
キュラナに言われて見上げると、ぺらぺらの木のさらに上を、何か巨大な生物が通り過ぎようとしていた。まるでロック鳥が飛んでいるかのようだが、違う。
「ああ、クジラだな。ってことは、あの進行方向に魚の群れがいたりするのかなー」
あまりに大きすぎて、全体像がよくわからない。本で見たことはあるが、下から見る限りでは白っぽい腹の部分しか見えていないのだ。
こんな大きなものが通れば、突然暗くなるのもわかる。本体が大きいので、影もまたとんでもなく大きいのだ。あれでも高速で飛んでいるようなのだが、その大きさ故に通り過ぎる時間がかかるらしい。
「ラディ、レリーナ。重力強化をかけろ。今すぐだ」
突然ジェイに言われ、ラディは訳がわからないまま慌てて言われた魔法を自分にかける。だが、レリーナは一拍遅れた。決して術をかけるのに手間取った訳ではない。単純にワンテンポ遅れてしまったのだ。
「え……」
だが、そのわずかな遅れのために、レリーナの身体は突然吹いた風にあおられて足が地面を離れる。クジラの巨体が通った後で風の流れが一気に変わり、ちょっとした竜巻レベルにまでなって身体を浮き上がらせたのだ。
地面は踏ん張りにくい上、このエリアでは身体がいつもより軽い。そのせいで、レリーナの身体は軽々と浮いてしまう。
「レリーナ!」
ラディが手を伸ばしたが、届かない。自分に重力強化をかけたがために、少し飛び上がれば何とか掴めたレリーナの手を掴み損ねたのだ。
飛ばされているレリーナに重力強化をかければ身体はその場で止まるだろうが、その時に風が止まったら今度は地面に勢いよく落下してしまう。ここの地面が砂であろうと、その衝撃を受ければ無事では済まない。
ラディは自分にかけた重力強化を解いた。途端に自分の身体も浮き上がる。風をしっかり意識できたおかげか、うまく風の乗ることができた。魔法を使っていないのに、空を飛んでるような状態だ。
しかし、その状態を楽しんでばかりはいられない。ラディはレリーナの飛ばされている方へと身体を向ける。レリーナがラディより軽い分だけ、飛ばされるのも速い。ラディは一瞬だけレリーナに重力強化をかけた。わずかにレリーナの身体が止まる。その間にラディが彼女のそばまで追いついた。
「ラディ!」
レリーナが伸ばした手を、今度こそラディは掴んだ。同時に魔法を解除する。途端にまた身体が飛ばされるが、重さが二人分になったことと、風が少し緩くなってきたために飛ぶスピードも落ちてきた。だが、高さが問題だ。
ヤバいな。結構高くまで飛ばされてる。家の屋根の比じゃない。これでいきなり風が止まったら、二人とも落ちるぞ。
ぺらぺらでもあの木に掴まれば、これ以上飛ばされることは防げる。木を利用して降りて行けば……。
そう思ったのだが、木はこの強い風に立っていられず、曲がっている……と言うより、ほとんど地面に横たわったような状態にまでなっていた。ぺらぺらの木はまるでひれ伏してるみたいで、今は点在する低木より低い。上から見れば、森がいきなり草原になったかのような状態だ。
こんなのありかよ。これじゃ、掴めるような物が何もないじゃないか。掴める……掴める物なら自分で出せばいいんだ。
ラディは自分達が飛ばされている方向に、大きく太い土の杭を落とした。地面に杭を差し、それに掴まろうという計画だ。
自分の腕だけでは風の勢いもあって二人分の身体を支えられないと考え、風の紐も出す。風の力に弱い魔物を拘束する場合に使う術だ。最近魔法書を見ていて目に入ったので、何かの役に立つかと覚えておいたのである。まさか、魔物ではなく自分に巻き付けることになるとは予想もしなかった。
風の紐を自分達に巻き付け、先に出した土の杭にも巻き付ける。自力と魔法の力で身体の流されるのを止め、その後で杭を伝って降りればケガをすることなく地面に戻れるはずだ。
「ラディ……?」
「レリーナ、俺にしっかり掴まって。衝撃が来るかも知れないけど」
「うん……」
かろうじてバランスを崩さないよう、レリーナはラディに全てをまかせてしがみついた。
あの魔法を使って、次にこの魔法を……とやっているうちに、自分が出した土の杭が目の前に来る。ラディはそれに手を伸ばした。だが、手を伸ばすことで微妙に風の流れが変わってしまい、あとわずかというところで杭を掴み損ねる。
あっと思った瞬間、身体をぐっと締め付けられる感触があり、ラディに抱きついていたレリーナの身体がさらに強く押しつけられた。同時に、身体が流されるのが止まる。
杭に巻き付けていた風の紐が命綱となり、杭につながれた状態で止まったのだ。ラディとレリーナの身体がお互いに強く押しつけられたのは、二人の身体が離れてしまわないよう、風の紐を巻き付けておいたからだ。その紐で締め上げられたようなもの。
身体が流されなくなったのはいいが、まだクジラが原因の風は止まっていない。二人の身体は地面と平行状態だ。
「おーい、ラディー、レリーナー」
さっきよりは緩んできたものの、まだ風は強い。風に遊ばれている旗のような状態になっているラディとレリーナの耳には、風の音ばかりが入ってくる。
その中に、ジェイの声がかすかに聞こえた。どうにか首を向けると、キュラナに乗ったジェイがこちらへ近付いてくるのが見える。その姿に、見失わないでいてくれたのだとわかってほっとした。
キュラナはそばまで来ると、数本の尾をラディが出した杭に巻き付けて身体を固定する。キュラナならこの風に負けることなく身体の位置を維持できるだろうが、確実にその場にとどまれるようにだ。風の紐が少し長かったせいで杭から離れてしまっている二人だが、キュラナの頭の上にちょこんと乗っているジェイがその紐をゆっくりと短くした。こちらへ紐をたぐり寄せるようなものだ。
「どうにか踏ん張ってるじゃない、あなた達」
「でっかい奴が通ると、その後に風が生まれるんだよな。オレは平気だけど、二人はそうもいかないって一瞬頭から抜けちゃってさ。悪かったな、注意が遅れて」
二人の身体はジェイのおかげでようやくキュラナに手が届くまでに近付いた。風にあおられ、しっかりした足場がない場所で動くのは至難の業だったが、ラディは先にレリーナをキュラナの背に乗せ、続いて自分も乗る。そうしてようやく一息つけた。
「しっかり掴まってなさい。この風の流れから外れるわよ」
キュラナが杭に巻き付けていた尾を解放すると、大きいはずの狐の身体は風に巻き込まれてくるくると舞う。だが、すぐにその中で体勢を立て直すと、キュラナは風の中を駆けた。
耳に入る風の轟音がふっとやみ、ラディとレリーナは風の流れから逃げられたと悟る。キュラナの四肢が地面に着くと、今度こそ長いため息をついた。無事に地上へ戻れたのだ。
「竜巻に巻き込まれて霧散していく魔物の気持ちがわかったような気がする。今のが攻撃なら、とても耐えきれないな」
「あれが本当は水なら、もがいている間におぼれてるわ」
クジラに攻撃の意図はなく、本来なら水の世界のここも今は水がない状態なので二人は助かったのだ。
「土の杭に掴まって身体を止めようなんて、ラディも考えたな」
「そうね。飛ばされるのを見て、どこまで飛んで行くかしらって思ったもの。ちゃんと捜し出せるかしらって」
すぐ助けに来てくれたように思ったが、実は見失っていたのだと知る。これでラディが何もしなければ、今頃かけらどころではなくなっていた。
「このまま流されて、突然風の動きが止まったら地面に激突だなって。ここの木はあてにならないし、必死に掴まる物を見付けなきゃって思ったんだ」
魔物を滅し、もしくは拘束するための魔法が自分達を助けてくれた。不思議な気もするが、魔法の技は使い様なのだ。
「ラディ、ありがとう。足が地面から浮いた時は生きた心地がしなかったわ」
誰かの力でこうなった、とわかっていればともかく、いきなり身体が浮けば恐怖も倍だ。ラディが伸ばした手も届かず、血の気が引いて一瞬意識が消えた気もする。
「レリーナ、身体は何ともない? 俺がうまく杭を掴まえられればよかったんだけど」
風の紐と土の杭がつなげることで、助かった。でも、止まった時の衝撃はどうしようもない。そこまでは力が及ばなかったし、自分でかけた魔法では結界も効果はないのだ。
ラディに言われ、レリーナは戸惑い気味に頷く。
「う……うん、平気よ。二階の屋根よりも高い所から落ちることを思えば、多少何かあったとしても構わないわ」
背中に回った風の紐が衝撃で締め付けられ、服を脱げば跡が残っているかも知れない。
だが、レリーナはそんなことよりも、ラディと身体が密着したことに戸惑いと恥ずかしさを感じていた。
これまでも、ラディには抱き締められたことがあるが、その時以上に強い力でくっついたような気がする。不可抗力だし、仕方のない状況だとわかっているのだが、思い出すとどきどきしてしまう。
「ラディまで飛んでった時はさすがにマズいと思ったけど、二人が無事でよかったよ」
「ああ、本当に。ジェイ、早くかけらを見付けよう。ここ、魔物より今みたいな風の方がずっと厄介な気がする」
「ん、そうだな。あんなのがまた来たら、面倒だ」
どこかで魔物の悲鳴が聞こえた。ここの魔物か、やって来た魔物か。どちらにしろ、こっちにまで食指を伸ばされてはたまらない。
ラディ達は急いで出発した。





