海の中の風
枝ばかりで葉がついてない低木。それらが数本ずつかたまって生えているのをよく見かける。ここが海の中ということを考えると、珊瑚礁に対応するのだろうか。木が海草のようなものなら、ありえそうだ。その低木もぺらぺらである。
その影に小さな魚がこっそりと隠れているのが見えた。ジェイによると魔物ではないということなので、安心して見ていられる。
種類は違うが、また魚の群れが近くを通り過ぎた。銀色と言うよりは、灰色の鱗の魚達。何百匹いるのだろう。これも魔物ではないようだが、どうやって宙を泳いでいるのか不思議だ。ここが水中でもなく、羽があるでもなく、ごく普通の魚の形でしかないのに。
ここはカロックの中でも別世界のようなものだと聞いたが、探せば実は自分達の世界にもこういった生物が存在しているのだろうか。
「近くに何かいるわよ」
キュラナの警告に、ラディとレリーナはまた身構えた。どこから来るかと周囲に視線を走らせていると、黒い影が視界の端に映る。ナイフの切っ先が並んだような口を開けた魚が突進して来るのが、そちらを向いたラディの目に飛び込んできた。
「うわっ」
危険極まりないボールを投げられたようにも思え、ラディは思わず隣にいたレリーナの肩を抱いてしゃがみこむ。結界があるのはわかっているが、ほとんど本能的な動きだった。
突然、抱き寄せられるようにして姿勢を低くさせられたレリーナは、何が起きたか把握できない。されるがままで、気が付けばラディにしがみついていた。
「おーい、大丈夫か?」
ラディとは違い、上へ逃げたジェイがそこから声をかける。
「ああ、何とか。レリーナ、ごめん。大丈夫だった?」
声をかける余裕は全くなく、いきなり押さえ付けた形になって驚かせただろう。
「う、うん……平気」
色んな意味でどきどきしながら、レリーナは小さく頷いた。
「何だったの?」
「あいつが飛びかかってきたんだ」
ラディが向いた方を、レリーナも見た。さっき近くを泳いでいた灰色の鱗を持つ魚。そこにはそれより少し小さいがよく似た魚がいる。だが、群れの魚より色は黒に近く、口は襲われたらただでは済まない形状になっていた。普通の魚でも結構ぎざぎざした歯を持っていたりするが、ぎざぎざという簡単な言葉では片付けられない口だ。
ラディの手の平より少し大きいサイズでちょっと丸っこい身体だが、その口を見ていたらとてもかわいいという単語は出て来ない。まさに肉食魚だ。サイズこそ違えど、さっきの鮫といい勝負である。
「群れの中に交じって、獲物を見付けたらその魚群をかくれみのにして襲いかかるって手法を取る奴だ」
ジェイが注意するように話していたタイプが現れた、ということらしい。
「襲われたら面倒だけど、一度正体を見破ったらそう怖い相手でもないわ。さっきの人魚と違って一匹だもの」
こっそり魚群に紛れ、その存在に気付いていない獲物を襲う。エサにありついたら、次に通りかかる別の群れにまた紛れて移動。それの繰り返しだ。
これまでなら、一度襲えば不意を突かれた相手はその鋭い歯に屈することになっていたのだろう。だが、ラディ達はそれをやりすごした。存在をはっきり認めれば、相手はそう怖い魔物ではない。
口こそかわいげがないが、見た目全てがかわいげのない魔物など、これまでにいくらでも見てきた。そういう意味では大したレベルではない。
キュラナの言葉に後押しされて、ラディは獲物を襲い損ねた魚の魔物に重力強化の魔法をかけた。さっきの素早さから考えて、風の刃などを向けても逃げられる可能性が高いと思ったのだ。それなら、まずは動けないようにすればいい。一匹だけだから、楽なもの。襲う時は素早かったが、助走(助泳?)に入る前の今はゆっくりだからなおさら。
魔物はいきなり自分の身体が重くなったことに驚いたようで、必死に尾びれを動かして逃げようとしている。だが、重力に捕まった身体はどんどん地面へと近付いた。
「レリーナ、方法はまかせる」
ラディに言われ、レリーナはとどめをまかされたことを知る。相手はもうまともに動けない。今にも地面に落ちそうな魚だ。いつも動く的を攻撃する練習をしているから、今の方がずっと楽な状態である。
「はい」
レリーナは火の呪文を唱え、炎の矢が何本も魔物に突き刺さった。人魚とは違い、発声器官がないらしい魔物は、まともな悲鳴もあげられずに消える。
それを見た二人は、笑顔でハイタッチした。
似たような方法で襲って来る魔物はその後も何度も現れ、状況によってはキュラナがさっさと尾ではじき飛ばしたり、ジェイも加わっての連携で排除していく。
たまに群れがとても大きく、二匹三匹と同時に現れる場合もあった。そんな時でも、落ち着いて次々につぶしていく。最初さえしのげれば、何とかなる魔物だ。
たまに、魚の群れを目指して現れる、海の外から来た魔物もいた。つまりはラディ達と同じように月の海の光から入って来た魔物だ。
珍しい獲物がいるとばかりに、こちらにまで手を出して来ようとする。おとなしく喰われるつもりはないので、しっかり応戦した。
そんな戦いの中で、ラディが面白いと思ったのがキュラナの使う火の魔法だ。
火が魔物に襲いかかるのはラディ達と変わらないのだが、その火がとてもぼんやりしたものなのである。
拳大くらいの火が、魔物達の周囲に現れる。それを見て、魔物達は混乱状態になって自分を攻撃したり、あるいは戸惑ったように何もできない状態に陥るのだ。
その火の中に、時々小さなキュラナの姿が見えたりする。それに向かって魔物が襲いかかる時もあった。どうやら獲物がそこにいると思っているようだ。混乱や硬直状態にならなくても、そうやって騙されている魔物も多い。
しかし、実際そこにあるのは火なので、自分から火の中へ飛び込むようなものだ。
ジェイによると、狐族特有の火の魔法らしい。ラディ達の世界でも狐は人間を惑わすと聞いたことがあるが、どうやらこういった力が使われているようだ。
味方であれば面白いと思えるが、敵となった時は怖い力だ。わずかな力で敵を自滅させることもできるのだから。
とにかく、こうして実際に見ることで勉強できる。
ラディかレリーナが交替で雷の魔法を時々使い、かけらの気配を感じ取ったジェイの後をついて行く。
そうして歩いていた時。
いきなり何の前触れもなく、突風にあおられた。レリーナはキュラナが襟首をくわえてくれたので転ぶのは免れたが、ラディはわずかに身体が浮いて近くの木に当たる。
しかし、ここの木は見た目は普通でも実際はぺらぺら。その形状に見合って、人間がぶつかっても全く支えてくれない。そこまでの強度がないので、当たられたらそのまま木は倒れてしまう。
だが、さすがにぺらぺらなおかげか、折れてしまうことはなかった。これは柔軟性があると言うべきか。
「ラディ、大丈夫?」
レリーナが慌ててラディに駆け寄った。
「うん、転んだだけだから。この木、はりぼてみたいに思えてきた。いや、それ以下の強度だな」
木に身体を支えてもらえなかったラディは地面に転がってしまったが、魔物から攻撃された訳ではない。転んでも、地面は岩のように固くないのでケガもなかった。身体が通常より軽く、飛ばされた時の動きがやや緩やかだったのも幸いしたのだろう。
ラディにぶつかられた木は、彼の重みで一旦倒れてからゆっくりとまた立ち上がる。そして、何事もなかったかのように、またゆらゆらと揺れているのだ。
「場所によっては、潮の流れが……まぁ、見えないけどさ。そういうのがあって、ここでは風に思える。しかも、ちょっとばかり強い風な。で、あおられたりすることがあるんだ。流されないように、気を付けてくれ」
「本当の海なら潮の流れだけど、ここでは風に変わってしまうのね」
「水の中みたいに魚が飛ぶんだから、そういうのもありか。ジェイ、その風に便乗した奴が現れたりしないか?」
「それはあるさ。バランスを崩した奴を見付けて、さらに体当たりを食らわすなりして獲物を追い詰める奴な。今は魔物の気配を感じられないけど、そういうのもあり」
もし魔物が近くにいれば、転んだラディを狙って襲いかかって来た、とも考えられる。いくらケガをしないと言っても、おちおち転んではいられない。
「キュラナのしっぽ、今は立ててないのね」
ラディ達の前に現れた時は、扇のように尾が広がっていた。今はそれをたたみ、後ろへ倒しているような格好になっている。
「そりゃ、あんな風が吹く場所で立ててたら、いくら私でもバランスを崩しかねないもの。私達みたいに大きなしっぽを持つ魔獣は、それを操ることで最善の体勢になるようにするのよ。それができなきゃ、ただの邪魔な飾りだわ」
「確かに、さっきみたいに立ててたら倒れかねないよな。吹く方向によっては追い風になって移動が楽になるだろうけど。あ、船の帆みたいなものか」
「フネノホって言うのが何か知らないけど、向きによって楽になるのは当たってるわ」
人間がいないので、船だの帆だのと言ってもキュラナにはわからない。
改めて言われると、人間の作った物を知らない魔獣によく人間の言葉が通じるものだと不思議に思えた。
「ねぇ、この辺りって石が多いのね」
ぺらぺらの高い木よりは低木の方が少し多いエリアで、あちこちに石が転がっている。
そう思ったが、よく見ると石ではなく巻き貝だ。リンゴより二回り程大きいだろうか。灰色のごつごつした巻き貝は、人畜無害のような様子で動くことはない。
「一見したところでは巻き貝だけど、こういう場所だから違ったりするのかな。そもそも、あの貝の中に何かいるのかいないのかってところが問題だけど……どうなんだ、ジェイ」
単なる貝が転がっているだけならいい。しかし、木がこんなに薄い森だと、一見単なる石や貝でも怪しく思えてしまう。
「全部じゃないけど、魔物がいるな」
「うー、やっぱりそうかぁ」
実はそうじゃないかと予測はしたものの、思い過ごしならいいなぁ、と考えていたのだが、期待はしっかり裏切られた。
「魔物だけどこか一カ所に集まってくれていたら楽なんだけど……違うよな?」
右側が魔物、左側に見えるのが普通の貝……とかであれば、警戒にしろ排除にしろありがたいのだが。
「あちこちから魔物の気配がするから、そうはいかないみたいだなー」
やはり、そう甘くはなかった。
「どれが魔物で、どれが本物の貝なの?」
「んー、どれって言われても」
レリーナに尋ねられたジェイが、珍しく困っていた。進行方向には、百を軽く超える巻き貝が無秩序に転がっている。その中のどれが魔物でどれが本物だと聞かれても、ジェイとしてはどう答えていいかわからないのだ。つまり、魔物は一匹だけではないということ。
まぁ、それくらいは予想できた。この中で魔物じゃない貝が多少あっても、あまり慰めにならない。
「じゃ、質問を変えよう。どんな魔物があそこに転がってるんだ?」
「はさみを持った奴が貝の中で待ち伏せてる。あいつらにとっての武器だな。魔法が使えないから、自分の身体で勝負だ。で、獲物が来たら他の奴らと一斉に襲う。たまに後から来て、戦ってもいないくせに同じように獲物に食いつくちゃっかりした奴がいたりするらしいんだよなー」
ズルい奴の行動はともかく、どうやらここでも団体戦になりそうな予感だ。
これまでにも、魔物が待ち構えている場所を通り抜けたことはあるのだ。場所と種類が違うだけで、魔物を相手にすることに変わりはない。そこにいてはっきり見えている、というだけでもやりやすいと言える。少なくとも、不意打ちは受けない……はず。
「本物だろうと魔物だろうと関係なく、巻き貝に見える奴を全部一カ所に集めたら少しは通り抜けしやすいかな」
いくら身体が軽く感じたって、巻き貝が転がっているエリアを一気に飛び越えることはできない。だったら、こちらが通りやすいようにしてしまえば。
「集めたとしても、そうしたら向こうだって黙ってないと思うぞ。あいつら、飛び跳ねて移動するからな。一斉に飛びかかられると厄介だぞ」
「え、貝なのに飛び跳ねるのか」
「貝に見える部分は、あいつらの鎧みたいなもんだからな。中身は本当の貝って訳じゃないんだ」
ジェイがそう説明している間に、海の外から来たらしい魔物が現れた。
人間の頭程もありそうなサイズで、形は蜂。ラディ達の姿を見付け、獲物を発見したとばかりにこちらへ飛んで来た。
すぐに身構えたが、魔物がラディ達のそばまで来ることはない。
巻き貝だと思っていたものがいくつか飛び上がり、その蜂に飛びついたのだ。
貝の中身はサソリのような姿をした魔物で、その背に貝を付けたまま、貝より大きなはさみで蜂をしっかり掴んで離さない。ラディ達に集中して地面には全く注意を向けていなかった蜂は必死にあがいていたが、自分に飛びついてきた魔物の数には勝てない。
その重さで地面に落ち、単なる貝のフリをして転がっていた他の魔物も加わって、相手に抵抗する暇も与えずに食い尽くしてしまった。
「やどかりじゃなくて、サソリもどきが巻き貝に隠れているのか……。どうして貝より大きなはさみがあの中に隠せるんだよ」
「柔らかくて折りたためるみたいだな。で、獲物を掴む時だけあの巻き貝より堅くなるって寸法。ああして、自分達の頭上に獲物が来たら襲うんだ」
「あと、ぼーっとしている獲物にさりげなく近付くっていうのもありみたいよ」
キュラナの言葉ではっとすると、ゆっくりと、しかし確実にラディ達の周りに巻き貝が近付きつつある。自分達が飛びかかれる範囲まで来たら、一斉に襲うつもりなのだ。
「ちょっと観察する時間が長くなったな。あの貝に風の刃はあまり効きそうにないし、氷や岩を落としても、地面があんまり固くないからクッション効果でダメージが軽減される気がする……。ジェイ、爆裂を使っていいか?」
「ああ、それなら下から吹っ飛ばせるもんなー。単なる火を向けたって、あの貝に守られて本体に影響が少ないってことはありそうだし」
話が決まれば、即実行。一番近くまで来た巻き貝の下で、ラディは爆裂を起こした。火と土の力に吹っ飛ばされた魔物は、その勢いで貝から飛び出てしまう。そこへジェイが風の刃でとどめを刺した。鎧である貝がなければ、本体の強度は大したことがないのだ。
「習って間がないけど、そんなに重くないならあたしの力でも吹っ飛ぶわよね」
レリーナもラディのマネをして、爆裂の呪文を唱える。ラディの時程に魔物は高く吹っ飛ばないが、本体を貝から引きずり出すだけのエネルギーはあった。そこへキュラナが炎の矢を放って片付けていく。
「よそから来る獲物を待ち伏せてるだけの奴には悪いけど、この周辺は一掃することになるな」
ジェイの言葉で、ラディ達は周辺を見回す。仲間をやられたからか、自分なら吹っ飛ばされずに獲物を手にできるという自信があるのか、離れた場所にいたはずの巻き貝達も飛び跳ねながらこちらへ集まりつつあったのだ。ラディとレリーナはその様子を見て、蚤が跳ねてるみたいだと思った。
とにかく、今一番効果があるのは爆裂だと判断し、二人は何度も呪文を唱える。その度に貝が宙へ飛ばされた。
「なぁ、ジェイ。何か別のまで飛んでないか?」
貝から吹っ飛ばされた魔物は、サソリのような姿だったはず。何度も飛ばした魔物はサイズの差こそあれ、似たような形だった。その中に、平たい小さな魚のような姿がある。
「ああ、地面に同化したりして隠れてた奴だ。魔物巻き貝のおこぼれを狙ってる、横着な魔物ってところか。たぶん、気付かなかっただけで何度も吹っ飛んでるぞ」
「あたし、気付いてなかったわ」
「俺も。だけど、魔物ならいっか。俺達を喰うつもりの奴だったんなら」
あちらはラディ達が殺されるのを待っていたのだ。そんな相手に遠慮する必要はない。
続けて爆裂を唱えていたラディ達だが、気付けばほとんどの魔物巻き貝を吹っ飛ばし、辺りは本物の巻き貝が数個転がっているだけになっていたのだった。





