寒いのは嫌い
穴の中を覗いたデアゼルトが、中に何もいなくてよかったと言う。どうやら雪熊の巣穴だったようで、巣の持ち主は留守、もしくはここを引き払っていたのでレリーナは無事でいられたのだ。
こんな山に棲むくらいなので、熊と言っても冬眠などはしない。年中冬のような環境だから、一度眠ったら起きられなくなってしまう。つまりは年中起きているので、鉢合わせしたら大変なところだった。話を聞いて、誰もがぞっとなる。
とにかく、無事に合流できたので、かけらを捜しに再出発した。
「あ、ちょっと待って。レリーナ、手の甲に血が付いてるわ」
ターシャに言われて見ると、小さなかすり傷があって出血している。と言ってもわずかなものだし、すでにほとんど乾いている。転がっていた時か、穴の中を探っていた時にできたのだろう。
「これくらいなら普段は放っておくところだけど、今は治しておきましょ。血の臭いを嗅ぎつける魔物がいるかも知れないわ。ほんのわずかな傷が命取りになるのはよくあることよ」
魔物退治の経験者の言葉は重い。
レリーナはターシャに言われるまま、彼女に治癒の魔法をかけてもらう。傷は小さいので、治るのもすぐだ。
「俺もこれくらいできるようにならないとな」
ターシャの手際を見て、ラディは自分に言い聞かせるようにつぶやく。
授業で呪文は習ったが、まだ間がない。そんなに練習もしていないので、いざやろうと思っても心許ないのだ。
しかし、カロックではずっと無傷でいられるとは思えないし、治癒は必要な術と思われる。課題が増えた気がした。
「やっぱり基礎がちゃんとしてる奴は、魔力が下がってもどうってことないな」
「下がらない方がありがたいけどね」
ジェイとターシャはそんな軽口をたたき合い、改めて一行は再出発した。
雪山があった周辺は雪牛の突進コースより少し雪が深く、雪の少ない街で暮らす人間にはちょっと歩きにくい。
「あ、まともな魔物が登場したぞ」
「しなくていいんだけど……」
ジェイの報告に、ラディ達はげんなりする。まともな、という部分にちょっと引っ掛かったが、そう言われてみればさっきの雪牛も魔物なのだった。単に突進して通り過ぎただけなので、魔物に遭遇していた気があまりしない。
歩くだけでも疲れるのに、これから魔法で魔物の相手もしなければならないのだ。いつものことではあるが、大変な行程である。
現れたのは、中型犬のような魔物だった。つまりは山犬といったところか。少し黄ばんだ白の毛は長く、顔は前に長い。十匹は超えているだろうか。脚がほとんど雪に埋もれているのに、動きがやけにすばやい。ここで暮らしているなら、この程度はどうということはないのだろう。その点はちょっとうらやましかった。
完全にラディ達を湯気のたつごちそうと思っているようで、よだれの量が半端ではない。自分達より数倍大きなデアゼルトがいても、気にしてないようだ。自分達の仲間の数と獲物の数を比べ、勝利を確信しているのか。
「さっきの雪牛の方が、角の生えた毛玉みたいでかわいかったわね」
ターシャが魔物を見てそんな感想を述べる。魔物がそうそうかわいい姿をしているはずはないのだが、正直な気持ちだから仕方がない。
「あの牙、氷も噛み砕きそうだな。ジェイ、こいつらの弱点は?」
「そりゃ、火だけど……別の奴まで来そうだから使えないもんな。残念。風か土あたりでいっとくか。デアゼルトは自由にやっちゃって」
「確か私達、魔物と対峙してるのよね?」
ジェイの適当な指示に、ターシャは首を傾げる。カロックへ来てから、ジェイの真剣な声を聞いた気がしない。
「ええ。フィールドじゃないので、気を抜いたら本当にやられちゃいます」
「そうでしょうね」
レリーナの口調で、いつもジェイはこんなものなんだな、とターシャは悟った。自分で気を引き締め、魔物を見据える。
一匹が雪の地面を蹴った。同時にラディは土の槍を向ける。真正面から槍に突っ込む形になった魔物は、あっさりと消されてしまった。
それを見て、他の魔物達が次々に飛びかかる。ラディはまた槍を、ジェイは岩を魔物の頭に降らせ、レリーナは風の刃で応戦する。デアゼルトは近くに来た魔物を、あの厚い氷を砕いた脚で蹴り飛ばす。魔物は悲鳴をあげて飛ばされ、地面に叩き付けられる前に事切れた。
ひときわ高い悲鳴を上げて、魔物が雪の上に落ちる。だが、苦しむ間もなく消えた。剣の切っ先のように尖った氷が、飛びかかろうとした魔物の脇腹を貫いたのだ。
「ラディは氷をかみ砕けそうな牙だって言ってたけど、身体に牙はないものね。身体が氷並に固そうにも見えなかったから」
終わった後でターシャはそう言うと、にっこり笑った。雪と氷の世界にいる魔物に氷で勝つなんて、驚く他ない。
トップレベルってこともあるだろうけど、正規の魔法使いってこんなにすごいんだ……。
しかも、地面を蹴って宙に浮いた状態の魔物に当てる命中率の高さ。これはしっかりと覚え、マネできるようにしなければ。
しばらく進むと、白い魔鳥が現れた。サイズは鳩くらいだが、くちばちは猛禽類のそれと同じ形をしている。こうして襲って来るくらいだから、肉食だろうとは予想がついた。
「次から次へとよく現れるわねぇ」
「この辺りは色んな奴が縄張り争いしてるんだ。テリトリーがかぶってる所もあるし」
「じゃあ、縄張の争奪戦をしているところへ俺達が乗り込んでるって形なのか?」
「ま、そんな感じ。遠回りしても、それはそれで別の奴が現れるだろうし」
こんなに寒いのに、どうしてそんなたくさんの魔物がいるのだろう。寒さが苦手なレリーナとターシャは魔物の好みが信じられない。
魔鳥は三十羽はいた。いや、この雪景色に紛れて人間には見えてないだけで、もっといるかも知れない。そんな鳥達が一斉に羽ばたき、吹雪が起きる。
「もう~、余計寒くなるじゃないのよっ」
レリーナは、それにラディも話を聞いてターシャが寒いのが苦手だと知っている。だが、思っている以上に彼女は寒さというものが嫌いらしい。攻撃されたことより、その攻撃による追加効果に怒っていた。
「どっちかって言えば、視界を悪くさせるためなんだけどな」
「他にも方法がありそうなものじゃない。どうして吹雪な訳?」
怒りのままに、ターシャは呪文を唱える。小さな氷のつぶてが無数に飛び、魔鳥の羽や身体を貫いた。
かろうじてその攻撃から逃れた魔鳥は、警戒したのか羽ばたくのをやめる。この獲物が相手だと、視界を悪くすることで逆に自分達が不利になると悟ったようだ。自分達が起こした吹雪の中から太い氷の針が飛んでくるなど、とんでもない。
「ターシャって、本当に氷魔法が得意なんですねぇ」
「んー、得意ではあるけれど、この環境も手伝ってくれてるわ。寒さに助けられるって言うのは複雑だけどね」
寒いが故に、ターシャの氷魔法も威力が上がるのだ。だから、この山にいる魔物にも効果がある。それに、氷魔法と言っても実際の攻撃の中身は打撃や斬撃なので、魔物達は耐えられないのだ。
「あと、適当に放ってるようでしっかり狙ってるもんな。命中率が高いから、魔力ダウンを全然感じさせないや。ラディ、負けてらんないぞ」
「あ、ああ。これじゃ、誰が協力者かわからないもんな」
ラディは泥のつぶてを放った。まだターシャ程に命中率は高くない。だから、今は数で勝負だ。
翼に泥が当たったことで重くなり、飛べなくなった魔鳥にジェイが雷を落とす。火の要素は入っているが、雪山でも起きる力なので余計な魔物を呼び寄せる心配はないのだ。
「あたしもやってみる」
習ってまだ間がない雷を使い、レリーナもラディの力によって落とされた魔鳥を撃退していった。
デアゼルトは自分の頭上にいる魔鳥に竜巻を向け、風の力で魔鳥は耐えきれずに姿を消す。仲間達が次々やられるのを見てようやく相手が悪いと悟ったのか、残ったわずかの魔鳥達は慌ててその場から飛び去った。
「あなた達、いつもこんなことをしてるの?」
ようやく一息ついて、ターシャが尋ねた。
「ええ、まあ」
「そう言えば、前にレリーナが私に聞いたわね。魔物に喰われそうになったことはあるかって。もしかして、ここでの体験が元なの? 喰われそうになったとか」
「えっと、そういうことがちょっとあったりもして……」
苦笑しつつ、レリーナは頷く。ここに来て改めて言われるとは思ってなかった。彼女の記憶力がいいのもあるが、レリーナの質問が特殊すぎたのだ。
「フィールドでの体験かと思ってたのに、現実だったとはね。何度も魔物退治をしている私だってそんな経験ないって言うのに」
「そりゃ、ターシャを喰おうなんて命知らず、いないだろー」
ジェイがけたけた笑う。
「もしくは、そう考えたことをすぐに後悔するのだろうな」
デアゼルトまで便乗する。
「言ってくれるわね、あなた達」
横で聞いていたラディとレリーナは、声をたてて笑った。
「さっきの吹雪のせいで、気配が薄れちゃったな。ラディ、火を頼む」
「わかった」
ラディはまた小さなロウソクの火を点すようなつもりで呪文を唱えた。
「よし、こっちだ。余計な奴が出て来る前に、さっさと行こうぜ」
さっさと行きたいのは山々だが、積もった雪が邪魔なので早く歩けない。宙を浮いているジェイにはわからない苦労だ。運動不足でなくても息が切れる。
「さっきの火に刺激されたようだな」
デアゼルトの言葉でラディ達も気配に気付いた。いつの間にか囲まれている。しかも、数が多い。この山は、魔物の団体が多いようだ。
ただ、その姿がまだ見えない。
「次は何かしら。少しは歩くことに集中したいんだけど」
ターシャが小さくため息をつく。
「白くて見えにくいから、気を付けろよ」
「ジェイ、何がいるんだ?」
すぐに対処できるように視線を周囲に走らせるが、気配ばかりで魔物の姿や位置がわからない。
「身体が白い上に雪に埋もれているから、ラディ達には見えないようだな。あちこちに穴があるだろう。そこに毛深いネズミのような魔物がいる」
視線の高いデアゼルトからは、しっかり見えているらしい。教えられて改めて周囲を見ると、あちこち穴だらけだ。リンゴがすっぽり入る程度の大きさだが、その穴が百近い。道理で竜や魔獣でなくても気配を感じられるはずだ。
「あんまり聞きたくないけど、やっぱりあたし達狙いよね?」
「言いたくないけど、もちろん」
ため息が白い息となって消えてゆく。
「魔物退治に行ったって、ここまで立て続けには出ないわよ」
「え、そうなんですか? カロックにいたら、やたらめったら出て来るのに。俺、魔物退治っててっきりこういう状態が続くもんだと」
「仕事の方がずっと楽よ。私達の目的の魔物が強いから、弱い魔物が恐れて隠れてるっていうのもあるけどね」
「来る前にも話してたけどさ。カロックじゃ、特別強い奴ってそんなにいないんだよな。全然って訳じゃないけど」
言われてみれば、似たような魔物が何度も現れる、ということが続いていた。特別強い魔物も困るが、延々と続くのもまた困りものだ。
「ジェイ、どうしたらいいの。こうしてる間にも向こうはあたし達を狙ってるんでしょ」
「まぁな。氷でも岩でも、穴に落としてやれ。直接穴に落ちなくても、向こうだって穴から逃げようとするだろうから、その上にうまく落ちることだってあるだろ」
「要は適当にやれってことか」
「うん。ある程度仲間が減れば、今までの奴らみたいに逃げて行くさ。こいつらは単体で向かって来る程には強くもないし、度胸もないから」
「じゃ、早く済ませましょ。氷の魔法が使えてよかったわ」
寒さに強い魔物達も、氷の重量に耐えられる訳ではない。ラディとターシャ、そしてジェイは拳大の氷を、レリーナは土を穴の上に降らせた。デアゼルトは穴に向けて風の矢を放つ。きーきーと小さなネズミが鳴くような声がしたが、構わずに続けた。
初めは魔物が隠れていた穴だけだったが、ラディ達の魔法によって穴と穴がつながって大きな穴になり、さらにそれらがつながって穴も何もあったものではない。魔法が解けると氷も土も消えるので、周囲は雪牛の突進コースのようにぐちゃぐちゃだ。
動くことでかろうじて魔物らしいとわかる物体が、この頃になるとわかるようになってきた。しかし、すぐに雪の白さに紛れてしまう。
ある時を境に、ふっと魔物の気配が遠のいていくのが感じられた。大半の仲間がやられたので、残りの魔物達が撤退したのだ。
それがわかり、ラディ達はほっと一息つく。
「答えがもらえる気はしないけど……ジェイ、これっていつまで続くの?」
「んー、もう少し」
それを聞いて、ターシャはこっそりとレリーナに聞いた。
「ジェイのもう少しってどれくらい?」
☆☆☆
気配が薄れる度に小さくても火の魔法を使うので、それに刺激された魔物が次々に現れる。それを退けて進むということを繰り返し、気が付けば目の前に大きな氷の木が立つ所に来ていた。
ラディだけでは抱えきれない太さの幹だ。氷でできてはいるが、しっかりと枝が伸び、葉が茂っている。最初にこの山へ降り立った時に見た木よりずっと立派だ。
「太い木だな。ジェイ、氷の木にもやっぱり樹齢ってあるのか?」
「ああ、育つ以上は樹齢も存在するさ。これくらいだと、五百年ってとこかな」
「それくらいは経っているだろうな」
さりげなくジェイに同意を求められ、デアゼルトも頷く。
「こんな場所で木が育つってだけでも驚きなのに、すっげぇな。これにも氷果実が実ったりするのか?」
「数年ごとにな。でも、その分豊作らしいぞ」
ちょっと見てみたい気がする。そもそも、氷果実はどんな味がするのだろう。
「その辺で待っててくれ。行って来る」
ターシャが首を傾げ、レリーナがかけらが見付かったらしいことを告げる。ジェイは氷の木へと近付き、茂る葉の中にもぐった。しかし、透明な氷の葉なのでどの辺りにいるかは何となくでも影でわかる。普通の木ならこうはいかない。
「あったぞー」
嬉々とした声を出し、ジェイはその手にかけらを持って戻って来た。
「それ……なのか」
「あら、聞いてはいたけど、本当に小さい」
ジェイの持ち帰って来たかけらを見て、初めて見るターシャとデアゼルトは唖然としている。ジェイが持つとそれなりの大きさに見えるのだが、ラディが持つと手の中に収まるようなサイズなのだ。
こんな小さな物のために、魔物と向き合って来たのかという脱力感が彼らの中にわき上がるのだろう。最初はラディやレリーナだって驚いたのだ。
ラディは制服の袖口に同化させていた地図を取り出すと、復元の魔法でそのかけらを地図と一体化させる。厚みのあったかけらはどんどん薄くなり、ラディの持つ地図と同化すると、すぐにその境目はわからなくなった。
「やった、三つ目の角ができた」
これまで二つの角が見付かり、そこから二辺がそれぞれ伸びるように復元されつつあった地図。今回のかけらで三つ目の角が見付かり、地図全体の大きさもこれでわかるようになってきた。
最初の復元の時、外枠部分から見付かってその後で中身が……とジェイは話していたが、あと一つの角で外側部分については完成する訳だ。
「端っこの部分に関しては、八割以上が戻ったって感じかしら」
「なるほどね。これを続けて地図を完成させる、と」
「うん。一つが見付かると、帰りの扉も出せるようになるからさ。ってことで、ラディ、レリーナ、お疲れ。ターシャもお疲れ。デアゼルト、ありがとな」
「いい暇つぶしになった」
「そう? じゃ、またつぶしたくなったら、頼むよ」
気付けば、雪の上に扉が二枚現れている。ラディの部屋へ続く扉と、レリーナの部屋へ続く扉だ。
「ターシャも暇なら、また来てもいいぞ」
「そうねぇ。こんなに寒くないなら、考えてもいいわ」
「はは、ターシャが来る時に限って寒い場所だったりしてな」
「やめてよね、もう」
ラディ達はデアゼルトに協力してくれた礼を言い、ジェイに別れの挨拶をしてそれぞれの扉を通って自分の世界へ戻った。
扉を通った途端、感じる温度が急に高くなる。自分達の世界では夏だから。いや、あの雪と氷の世界から戻れば、多少の寒さでも暖かく感じるだろう。
行く前に見た机やベッド、ぬいぐるみや人形がある。ここはレリーナの部屋。確かに戻って来たのだ。
「時間にすれば半日以上はかかってると思うんですけど、こっちの世界では五分か十分くらいです」
行く前に細かい時間のチェックをしていなかったが、おおよその時間はわかる。確かにほとんど時間は過ぎてなかった。
「ね? 納得できたでしょ」
レリーナがにっこり笑い、ターシャもつられて笑う。
「ええ、そうね。真相を教えてもらえて、本当によかったわ」
レリーナがジェイやカロックのことを教えようとしなければ、ターシャもどういう処置をするか考えなくてはならなかった。
たった今、実体験したのだ。もう疑う余地はない。
ジェイと話しているレリーナを見かけたのが自分一人でよかったと思う。多くの人間が目撃して、一緒にカロックへ行くようなことになっていたら、大騒ぎだろう。
「大変だったけど、面白くもあったわ。こうして無事に戻ったから言えるんでしょうけど」
「ええ、それはいつも思います。今回も色々あったなぁって」
「ねぇ、レリーナ。今までカロックではどんな場所へ行ったの? 聞きたいわ」
今回はあんな寒い場所だったが、レリーナは複数回行ったと話していた。ターシャとしても、純粋に興味がわく。カロックの存在がターシャにわかった今、レリーナも隠す必要はどこにもなかった。
「はい。その前に、温かいお茶を淹れますね。今回は本当に寒かったから」
レリーナの言葉に、ターシャも大賛成した。





