魔獣達
「その時に、シュマが現れたんです」
レリーナが嬉々として、カロックでのできごとを話す。目の前にいる話し相手は、ロネールの魔法使いターシャだ。
レリーナは幼なじみのラディとともに、異世界カロックで大竜ジェイが受けている試練の協力者をしている。絶対的な秘密事項ではないが、実際に見なければ異世界の話をしたところで誰も信じてくれないだろう。だから、これまでラディもレリーナも話すことはしなかった。
今日もいつものように、あるはずのない場所にカロックへの扉が現れ、そこからジェイも現れてカロックへ来てくれるように告げる。なので、レリーナは自分の部屋に扉を出してくれるように頼み、帰ろうとした。これもまたいつものこと。
だが、今日はいつものようにはいかなかった。
たまたま通りすがりのターシャが、その扉とジェイの姿を目撃してしまったのだ。
魔物であれば、相応の処置をしなければならない。ロネールには魔法の影響が外へ出ないよう、結界が張られている。当然魔物は入って来られない。それなのに入って来たとなれば、原因究明が必須。
もしレリーナがその魔物に操られているなら、元に戻さなくてはならない。本人の心身にもどんな被害が及ぶかわからないし、知らずに彼女に近付いた人がレリーナの魔法で傷付けられることも考えられるからだ。
一番あってほしくないのは、レリーナが魔物を引き寄せていた場合。悪意を持ってそんなことをしたのだとしたら、容易ならざる事態だ。
色々な可能性を考えたターシャにさっきのは何だと問われ、レリーナはカロックのことを話した。疑われるようなことは何もしていないし、黙って逃げることもできないからだ。
しかし、話したくらいで信じてもらえるとはレリーナも思っていない。逆の立場なら、そんな下手な嘘でゴマかそうとしないで、などと怒るだろう。ターシャは怒らなかったが、それでも信用していないのは明らかだった。
なので、レリーナはターシャを自分の家に連れて行き、部屋に現れた扉から一緒にカロックへ行ったのだ。
実際に行き、竜のジェイを見て、それでも信じない……訳にはいかない。それに、目の前の光景を否定し、自分の常識に囚われる程にターシャの頭は固くない。自分の目で見てレリーナの話を信じ、飛び入りの協力者としてカロックを動き回ることになったのだ。
今回も無事に終わって自分の世界へ戻り、ほっと一息ついたところで、ターシャがもっとカロックの話を聞かせてくれと言い出した。一度自分で体験すれば、他にどんな世界が広がっているのかと思っても不思議ではない。
今回は寒い地域にずっといたので、温かいお茶を飲みながらレリーナはこれまでに体験したことをターシャに話しているのである。
今はレリーナが一人で別の森へ放り出され、そこへ翼のある猫シュマが現れた時の話だ。
「あたしが召喚をできるようになったら一番に呼ぶって条件で、シュマはラディ達の元へ飛んでくれたんです」
レリーナにとって、強く心に残るエピソードの一つだ。色々なことがあったので、どれが一番とは言えないが、この話は間違いなく上位に入る。
「話のわかる魔獣ねぇ。そっぽ向かれても、こっちは文句一つ言えないのに」
召喚した訳ではない魔獣に乗せてくれと頼み、それを承諾したと聞いてターシャはひたすら感心している。
普通なら、頼みを聞く義理はない、などと言って去ってしまいかねない。魔獣との交渉は、基本的に召喚ありき。そこから話を詰めていくのが筋だ。
「まず、そこで知っている魔獣に出会えるレリーナの運の強さがすごいわね。そんなこと、普通じゃありえないもの。あと、シュマに余程気に入ってもらえたのね」
「やっぱりそう考えていい……ですか」
厚かましいけど、放っておけないと思われる程度には気に入ってもらえたのかな、とレリーナ自身も思っていた。見習いではない、正規の魔法使いにそう言ってもらえると本当にそう考えてもいいように思えてくる。
「いいわよ。興味のない人間を助ける程、魔獣に情けはないもの。なるほどね。レリーナが魔獣に傾く気持ちがわかったわ」
カロックにいた時も、ラディが呼び出した麒麟のデアゼルトとレリーナが楽しそうに話していたのをターシャは見ている。彼女の笑顔は心からのものだった。
見習い魔法使いは魔獣を呼び出す機会が少ないこともあって、初めて魔獣を呼び出すと及び腰になる傾向が高い。レリーナは何度もカロックに赴いて見慣れているのだろうが、それでも麒麟はレアな魔獣だし、デアゼルトはかなり大型だった。そんな魔獣を相手に何でもないように話をしているのだから、余程好きでなければ無理なことだ。
以前から魔獣についての質問をされたりしていたので、レリーナは魔獣が好きらしいということは知っていたターシャ。カロックで見聞きしたことと今の話で、自分が思っている以上に魔獣の存在がレリーナにとって大きいことがわかった。
レリーナはカロックへ十回以上行っている。その話を一時間や二時間で終えることは無理だ。話に夢中になっているうちに、窓の外はオレンジ色へと変わりつつある。
「いっけない。つい話し込んじゃった。ターシャ、お仕事に影響あるんじゃ……」
カロックへ行っても、戻って来たら十分くらいが過ぎている程度。こちらとカロックでは時間の進み具合が違うのだ。なので、レリーナは自宅とロネールの往復するくらいの時間だけあればいいと考えてターシャを呼んだ。
しかし、こうして話しているうちに、予定の時間はとっくに超えている。ターシャが魔物退治をしている以外の時間は何をしているか知らないレリーナだが、今は勤務時間ではないだろうか。だとすれば、かなり時間をサボらせていることになってしまう。
「平気よ。もし何か用事があれば、呼び出しがあるはずだから。あぁ、でも残念。まだ話は終わらないんでしょ?」
「ええ。他にも色んな場所へ行きましたから。行った数だけ魔獣にも会ってるし」
まだ半分も話せていない。シュマ以外の魔獣達にも助けられたことをもっと話したいのに。
「思いっきり後ろ髪を引かれるけど、今日はおいとまするわ。時間ができたら、また話を聞きたいけど、いいかしら」
「もちろん。カロックの存在を知ってる人なら、あたしも安心して話ができます。聞かせてあげるって言うより、ぜひ聞いてもらいたいですから」
その時には、たっぷり時間があることをレリーナは心から願う。話し出したら止まりそうにないから。
近いうちにまたゆっくり話をする、という約束をして、ターシャは立ち上がる。
「あ、そうそう。ラディって、本当にただの幼なじみ?」
「えっ……」
突然の質問に、レリーナは絶句する。あまりにも突然聞かれ、どう答えていいかわからなくなったのだ。
ラディは幼なじみには違いないが、ターシャの言う「本当にただの」という部分をどう言えばいいのか。
「恋人かしらって思ったんだけど」
「いえ、そういう訳では……」
「レリーナが見付かった時のラディの反応、普通じゃなかったわよ」
一時的にレリーナが行方不明になり、だが無事に見付かった時。
ラディはレリーナを抱き締めたのだ。ターシャがそばにいるにも関わらず。ターシャだけでなく、その一瞬は誰の存在もラディの周囲にはなかったようだ。
「普通じゃないと言われても、その……」
その前も、魔物のせいで離ればなれにされ、合流できた時もレリーナはラディに抱き締められた。あれは単なる安堵による行動だろうか。
レリーナもできるならいいように考えたいが、抱き締めた時のラディの気持ちはラディだけにしかわからない。
その後のことは確認していないから。したくても、できないから。
口ごもるレリーナを見て、ターシャは恋人ではないらしい、と悟る。
だが、少なくともレリーナはラディを幼なじみ以上の感情で見ているようだ。違うなら、安心して行動がオーバーになっただけですよ、などと言ってもっとさばさばしていそうなもの。
「本心はどうあれ、ラディはレリーナのことをとても大切にしてるわね。その点は間違いないわ。大切の中身については、ラディに聞かないとわからないけど」
「……」
「これから彼がどれだけ成長するか、楽しみになってきたわ。守るものがあると、人間って強くなれるもの」
「そうなんですか?」
「ラディを見ていれば、それがわかると思うわよ」
ターシャのウインクがきれいに決まる。
守るものって……あたしのこと?
本当にそれがわかる日が来るのかしら、と疑問に思うものの、できれば早く来てほしいな、などと考えるレリーナだった。
☆☆☆
見習い魔法使いは、一人で魔獣召喚をしてはいけない規則になっている。
講師、もしくは正規の魔法使いが一人以上そばにいなければ召喚は禁止だ。間違って自分の手に負えない魔獣が現れてしまった時、自分だけでなく周囲にも多大な被害をもたらす場合が考えられるからである。
これはロネールだけでなく、全ての魔法使い協会に共通する規則だ。
中級クラス2と上級クラス1では、それぞれ二度の召喚授業がある。こればかりは独自で練習できないため、授業以外で練習したい場合は申込制で補講が受けられるようになっている。定員は日によって変わるがいつも少人数で、多ければ抽選。
もっとも、召喚に熱心な見習いは将来魔物退治に向かうと決めている者がほとんどなので、希望者はそんなに多くないのが現状だ。
ラディのクラスではこの日、二度目の召喚授業が行われようとしていた。
一度目でラディはグリフォンのカイザックを呼び出し、契約までこぎつけている。契約はいくつしても構わないことになっているが、多くても三体までが一般的。ラディはすでに大物と契約したので、今回は特に契約のことを考えていない。
と言うよりも、ラディはこの授業で別のことを考えていた。
先日、亡くなった祖父のヴィグランが契約していた魔獣について祖母のアリーヌから聞き、日記から一体は魔物退治の際に命を落としたと知った。
ラディはその魔獣のことや、その後で契約した魔獣について知りたいと考えているのだ。
ヴィグランからはカロックの話を子どもの頃に聞かされ、ロネールへ通うようになってからは習っている魔法についての話を聞いた。
だが、最近になって、魔獣については何も聞いてなかったことに気付いたのだ。子どもの時はカロックの話で頭がいっぱいだったし、ロネールに入ってからは次々に習う魔法で頭がいっぱいいっぱいだった。
祖父はどんな魔獣と交流し、契約していたのか。カイザックは召喚された時、ラディの呪文がなめらかだと言った。同じようにカロックへ行っていた祖父も、やはりそうだったのだろうか。
ヴィグランの後輩にあたる魔法使いが、大型の魔獣を連れているのは血かな、と言った。連れていた、と言われるのであれば大型の魔獣と契約していたと思われる。
ヴィグランは一人でカロックへ行っていたようだから、一人で乗る分には大型を呼び出す必要はない。だが、逆に一人だからこそ大型の強い魔獣がそばにいてくれれば頼りになる、と思ったのかも知れない。それに、覚えている限りでは、カロックでヴィグランと一緒にいた魔獣は大きかったような。だから、こちらの世界でも大型の魔獣を呼んでいたのだろう。
だが、魔獣と一口に言っても、そこには色々な種族がある。その中でどんな魔獣が祖父のそばにいたのか。
前日に図書館へ行き、ラディは特定の魔獣を呼び出す呪文を勉強しておいた。祖父の日記から魔獣の名前はわかっている。だから、その魔獣を呼び出すつもりでいるのだ。
契約しておらず、まして会ったこともない魔獣を呼び出すのは少々難しいらしい。ダメなら、ラディが正規の魔法使いとなった時にもう一度チャレンジするだけだ。絶対今日中に呼び出さなくては、という訳ではないのだから。
そういう点では、気楽なものだ。もちろん、初めて会う魔物だからそれなりの緊張感はあるが。
祖母のアリーヌの話では、金の獅子らしい。飛行タイプの獅子なら、カロックでも呼び出したことがあるので、何とかなりそうだ。
担任の「始め」という声が聞こえた。ラディは一度深呼吸してから、図書館で覚えた呪文を口にする。わずかな時間が流れた後、目の前に金色の光が現れた。初めは拳大くらいだった光は、見ている間に大きくなっていく。やがて、ラディよりも大きくなってその姿をはっきりと現した。
ラディの前にいるのは、確かに金色の獅子だ。濃い青の瞳がこちらを見ている。恐れは感じず、きれいな色だとラディは思った。
「名指しで呼ばれるなんて、何年ぶりかしら」
その声に、ラディは目を見開いた。てっきり雄が現れると思っていたのに、その声は雌のものだ。だが、この種族は雌でもたてがみがあるのでおかしくはない。カロックでも、黒い獅子のデリスを呼び出したことがある。
「お前が……ラトス?」
「ええ。他に同じ名前の魔獣は来なかったようね。本当の名はラトスティンだけど、ほとんどラトスと呼ばれるわ」
日記には「ラトス」としか書かれていなかった。ラディゼントが本当の名前なのに普段はラディと呼ばれるように、ラトスティンもラトスと呼ばれるのが常だったのだろう。
「ヴィグランを知ってる?」
「……あの魔法使いは死んだわ。だから、この前契約が切れた」
契約は生きている間に破棄するか、どちらかが死んで消えるかのどちらかだ。
何にしろ「祖父のことを知るラトス」は彼女で間違いない。
「うん、知ってる。俺はヴィグランの孫のラディだ」
「孫……」
ラトスは改めてラディを見詰めた。
「言われてみれば、面影があるわ。ヴィグランの若い時に」
「そう? 俺、やっぱりじいちゃんに似てるのかな。親父に似てるって言われたことはないけど、じいちゃんに似てるってことはよく言われるんだ」
「血がつながってるなら、似ていても当然でしょ。……ヴィはなぜ死んだの」
ラトスはヴィグランが亡くなったということを契約の魔法が切れたことで悟ることができるが、その理由まではわからないのだ。
「風邪をこじらせて。本人もまだ逝く気はなかったと思う。俺にとっても急だったんだ。ラトスがじいちゃんと最後に会ったの、いつ?」
「半年くらい前かしら。魔物退治を引退してからは呼ばれることもなくなったけれど、契約はそのままにしておいたの。気が向いた時に会うこともできるから」
「契約って、光文字?」
「ええ、そうよ。そのおかげで、呼ばれなくても最後に会えたってことね」
気が向いた時、と聞いて尋ねたが、思った通りだった。ヴィグランも魔獣を従えるということに抵抗があったのだ。だから、ラディと同じように縛りの緩い光文字の契約方法を取ったのだろう。やはり、カロックでの体験がそうさせたのだろうか。
「俺さ、じいちゃんとは色んな話をしたけど、魔獣については話をしたことがなかったんだ。この前、グリフォンと契約して……じいちゃんはどんな魔獣と契約してたんだろうって思ったらすごく気になったんだ。日記を見たら、ラトスって名前がよく出てたから」
「それで、私を呼んで話を聞こうと思った。そういうことね」
若々しい声ではあるが、ラディ達の年代の若さとは少し違う。口調や声から勝手に推測するに、ラトスは人間にすれば二十代後半くらいだろうか。
「うん。あと、ラトスの前に契約していたウェルアルって魔獣のこと、知らないかなって」
「ああ、彼のこと……。詳しくは知らないわ。私がヴィと契約したのは、彼が亡くなって半年以上が過ぎてかららしいけど」
ラディは、祖母からヴィグランがウェルアルを失ってひどく落ち込んでいたと聞いた、ということを話した。
「私は落ち込んでいた時期を直接は知らないけれど、私を初めて呼び出した時は少し驚いた顔をしていたわ。近い種族が現れたから、少し複雑だったんでしょうね」
ウェルアルも金の獅子だったらしい。ただ、ラトスと違って立派な翼があった。
魔獣の獅子で飛行タイプは、正式名称で天翔王と呼ばれる。獅子は百獣の王と呼ばれるところから、魔獣についても王がついたようだ。
これは総称であり、この呼び名からさらに各属性によって名前が分かれていく。
以前、ラディがカロックで呼び出した炎獅子などがそうだ。彼らは性別による体格の差はほとんどなく、雌であってもラトスのようにたてがみがある。
同じ天翔王と呼ばれる種族でも、その背に翼があるとないとでまた名称が変わる。
ウェルアルのように翼があると翼翔と呼ばれ、ラトスのように翼がない、もしくは人間で言うならくるぶし辺りに小さな翼があると天駆と呼ばれるのだ。
翼翔の翼は個体にもよるがほとんどが大きく、飛ぶスピードも速い。天駆は速さはやや翼翔より劣るものの、小回りが利く。
どちらにしろ、魔物退治に向かう魔法使いが好んで呼び出す種族だ。
ウェルアルを亡くしたヴィグランが、新たに契約するために呼び出したラトス。彼は翼があろうがなかろうが、きっと天翔王を呼ぶ気はなかっただろう。ラトスが言うように、複雑だったに違いない。
それでも、ヴィグランは彼女と契約した。彼がいない今となっては理由を聞くこともできないが、ウェルアルが自分のことを忘れないように、と言っているように感じたのかも知れない。
「ラトスはじいちゃんからカロックの話を聞いた?」
「カロック……ああ、異世界のことね。何度か話していたわ」
ラディと同じように、ヴィグランも魔獣にカロックの話をしていたようだ。
「俺も今、カロックに行ってるんだ。子どもの時に聞いた話の通りでさ」
「確か、移動するのに魔獣を呼ぶんでしょ? ああ、だからね。ラディの呼ぶ声、ずいぶん慣れた感じだったわ」
「そう? カイザックにも言われたけど」
「カイザック?」
「あ、さっき話したグリフォンだよ。同じように呪文を唱えてるつもりだけど、やっぱり慣れが呪文にも出るのかな」
「そりゃ、使い慣れた呪文ならスムーズに口から出ても当然でしょ」
ラトスがくすっと笑う。その表情はどこか人間ぽく感じられた。
「じいちゃんとの魔物退治って、どんな感じだった?」
「そうね……無駄がなかったわ。もちろん、ミスすることもあったけど、すぐに立て直せていたから、魔法使いとしてはとても優秀な方じゃないかしら」
優秀だということは、何となく耳にしている。だが、本人の口からそういった話は全然出なかった。
ヴィグランとの話で頭と心に残っているのは、カロックでの話がほとんどだ。ラディがロネールへ行くようになった頃にはすでにヴィグランは引退していたため、実際に魔法を使って何かする、という場面をあまり見ていない。今更ながら、残念なことが次々に出て来る。
ラトスからヴィグランとのエピソードを色々と聞いていたラディだが、担任の「終了」という声が聞こえた。授業が終わるので、契約をしないのであれば召喚していた魔獣を帰さなければならない。
「もっと聞きたいことがあるのに……」
「ヴィとは四十年くらい魔物退治に出向いたもの。こんな短い時間では話せないわ」
「だよなぁ。日記をざっと見ただけでも、相当な数をこなしてたみたいだし」
ヴィグランの思い出にどっぷり浸かりたい、という訳じゃない。もちろん、ヴィグランの知らない一面を知りたいというのもあるが、彼の行動から今後自分に生かせる部分がないかを探りたいという気持ちがある。本人から聞けなくなった今、ラトスは貴重な証言者なのだ。
「ラトス、俺と契約してくれないか」
共にいる時間が増えれば、話を聞く時間も当然増える。
そう思ったラディだが、ラトスはわずかに目を伏せた。
「ごめんなさい。しばらくは誰とも契約したくないの。ラディがいやだとか、そういう訳じゃないのよ」
魔獣にだって都合がある。無理強いはできない。
「ん……わかった。俺が見習いでいる間は勝手に召喚できないけど、正規の魔法使いになって呼んだら来てくれるかな」
「それは構わないわ。私も顔を出せる時があればそうするから。だけど、当分無理ね」
「え、どうして?」
「近いうちに子どもが生まれるの」
「えっ、そうだったんだ。それなのに、来てくれたのか」
身ごもった魔獣が召喚に応じるなど、普通ならまずありえない。
初めて聞く魔法使いの声で呼ばれただけでは、相手がどういう意図でいるのかわからないからちゅうちょする。もし危険なことをされたりさせられては、魔獣と言えども流産の危険が生じてしまう。精神状態も当然いつもと違うし、下手に顔を出さない方がお互いのためだ。
「名指しだったのが気になったのよ。それに、呼ぶ声がヴィに似てたのかもね。こうして聞いてる限りではそうも思わないんだけど」
「そうか……じいちゃんにラトスの子ども、見せてやりたかったなぁ」
「私もそれは思うわ。代わりにラディが見てちょうだい」
「いいのか? うわ、楽しみ」
遠くで授業終了のチャイムが響いている。恐らく、魔獣とまだ話をしているのはラディだけだ。
「残念だけど、時間だ。ラトス、元気な赤ちゃんを産んでくれよな。今日はありがとう」
ラディはラトスのたてがみに触れ、そのまま彼女の頭を抱き締める。
「本当にヴィそっくりね」
「え?」
「彼もよくそうしたの。……ラディなら、ヴィに引けを取らない魔法使いになりそうね」
帰還の呪文でラトスは消える。
彼女が消える時に描いた金の軌跡があった辺りを、ラディはマイズに肩を叩かれるまで見詰めていた。
☆☆☆
報告書も一通り書き終えた。後は誤字脱字のチェックをするくらいだが、ブラッシュは一旦それを横に置いて一息入れる。
ここのところ、何か世界で異変が起きているのか? と思いたくなるくらい、仕事が立て込んでいる。魔物退治に赴き、戻って報告書を書いたらすぐに次へ、ということが続いてさすがに嫌になってきた。
魔法使いは他にもいるのだから、少しはよそへ回してもらいたいものだ。仕事がもらえるのはいいことだが、多すぎるのも問題である。
「お疲れね、ブラッシュ」
「ちょっとね。そっちの具合はどう、ターシャ」
声をかけてきた先輩魔法使いに、ブラッシュはそちらへ身体を向けた。
「問題なく、よ。ずいぶんあちこちに飛ばされてるみたいね」
紅茶の入ったカップを渡され、ブラッシュは礼を言って受け取る。ちょうど飲みたいと思っていたが、淹れるのも面倒だったのでありがたい。
「いくら若くて体力があるだろうって言われても、さすがに……」
小さく息を吐き、苦笑するブラッシュ。
「あら、ブラッシュが弱音を吐くなんて珍しい」
「そりゃ、俺だってたまには休みがほしいって思うしね」
「そうね、最近こき使いすぎだわ。もう少し仕事の振り分けを考えろって談判するべきね。でないと、いつまでもラディと話ができないでしょ」
ブラッシュは飲みかけていた紅茶をあやうく吹くところだった。
「ターシャ、ラディを知ってるのか?」
ブラッシュはラディの交友関係を詳しく知らないが、まさか彼がターシャと知り合いだとは思わなかった。
「ええ。彼の幼なじみのレリーナは知ってる?」
「直接会って話をしたことはないけど、名前だけは」
「彼女と友達になったの。で、ラディの話も聞いたのよ」
「はぁ……」
わかったような、わからないような。レリーナがターシャの友達になったのは別に問題ないとして、なぜそこからラディの話になるのだろう。
ラディの存在をレリーナから聞いたにしても、彼がブラッシュと話すことがある、なんてことまでなぜターシャが知っているのか。
もしラディがそのことをレリーナに話したとすれば、レリーナもラディが首を突っ込んでいることの内容を知っている、となりはしないか。表現は悪いが、二人は共犯ということになり、その話をターシャが聞いて……。
だが、ターシャの口から、ラディがマズいことに関わっているようだ、という話は出てきそうにない。
「私が言うのも何だけど、ラディの話は早く聞いた方がいいと思うわ。あまりもたもたしてると、時間切れになりかねないもの」
「え……ターシャ、ラディが何をしでかしてるのか知ってるのか?」
ターシャの言葉に、ブラッシュは思わず立ち上がっていた。
時間切れとは何なのか。そんな差し迫ったことになっているとは思っていなかったが、急がなければ何かとんでもないことが起きるのだろうか。
ブラッシュの中で緊張が走ったが、ターシャはのんびりした様子だ。
「ねぇ、知ってる? ラディってグリフォンと契約したのよ。私達の中でさえ、契約はおろか、呼び出したこともないって魔法使いばかりなのに。見習いと言っても、あなどれないわね」
「ラディが……グリフォンを?」
仕事でロネールにいないことの方が多いため、ブラッシュは初耳だった。その後でグリフォンが人間の姿になってロネールに現れ、騒然となったことも当然知らない。
「私も会わせてもらいたいわ。グリフォンなんて滅多に見られない魔獣だものね。魔獣の図鑑で見るくらいでしょ」
「ああ、それはそうだけど……」
今、魔獣の話は必要だろうか。
「昨日、召喚の授業があったそうなんだけど、ラディはおじいさんが契約していた魔獣を呼び出したそうよ。それだけならともかく、その魔獣は身重だったんですって。それを後で聞かされてわかったらしくて、フェラド先生が驚いたって話してたわ。そりゃそうよねぇ。普通は呼ばれたって来ないもの。彼、特殊な才能がありそうね。最近、どんどん腕が上がってるから、これまでラディの担任だった先生達の間でも将来が期待されてるそうよ。これまで特に目立つことのない生徒だったのにってね。状況を落ち着いて見る目がもっと養えたら、大成しそうだわ。頼もしい仕事仲間が増えそうね」
ターシャは楽しそうに笑うが、その顔を見るブラッシュは釈然としない。
「ターシャ、ラディのことをどこまで知ってるんだ」
「どこまでって言われると、どう答えていいのか困るんだけど。あなた達みたいに仲良しってところまではいかなくても、お友達レベルと言っていいんじゃないかしら」
「レリーナから単にラディの話を聞いただけじゃないのか。あいつとしっかり会話もしたってことなのか?」
「しっかりって言う程、話し込んだ訳じゃないけどね」
ターシャとラディがどの程度の知り合いかなど、ブラッシュはどうでもいい。問題はラディが何か危険なことに首を突っ込んでいないか、だ。
そして、ターシャがそれを知り、なおかつ止めようとしていないなら、それもまた問題。
だが、ターシャはブラッシュの質問にはまともに答えず、明らかにはぐらかしている。いつも明瞭な言葉を選んで話すターシャにはありえないことだ。
俺が思ってる程に危険なことはない……ってことなのかな。
魔法使いとして、見習い魔法使いが何か危険なことをしようとしているなら止めなければいけない。だが、ターシャが止めようとしていないなら、放って置いていいレベルの話なのか。さすがにターシャがラディに感化されて、ということはないと思うのだが。
しかし、ブラッシュはこれまでラディにあれこれ質問をされ、その中身が「こいつは一体何に関わっているんだ?」と思うようなことが多かった。すぐにでも制止しなければならない事態でなくても、ブラッシュとしては中身が非常に気にかかる。
「ターシャ、ラディが関わっていることについて知っているなら、教えてくれないか」
軽く「どうなんだ」と聞いても答えてもらえそうにないので、ブラッシュは真っ直ぐにターシャを見詰めながらはっきりと尋ねた。
「いや」
「え?」
明瞭すぎる言葉だが、あまりの返事にブラッシュはぽかんとなる。彼に見詰められてもこれだけきっぱり言える女性は、ターシャの他にどれだけ存在するだろう。
「と言うより、私から話さない方がいいと思うわ。ラディから聞くべきよ」
「……」
ターシャの言葉をどう捉えるべきなのか。今のブラッシュは頭が疲れていて、まともな答えを導き出せそうにない。……疲れていなくても、導き出せるような気がしないが。
「あなたも忙しいでしょうけれど、早く話を聞けるようにした方がいいと思うわ。あ、絶対とは言えないのがつらいけど、話は金曜の夜か土曜の午後くらいがちょうどいいんじゃないかしら」
「どうしてその時間帯なんだ?」
妙な時間指定だ。金曜の夜に何かあっただろうか。もしくは土曜の午後。特別なイベントがあった記憶はないのだが。
「その辺りがいい感じなのよ、話をするのに」
ターシャはブラッシュの肩を軽くぽんと叩く。
「どう感じるかは、ブラッシュの頭の柔らかさ次第ね」
「は? ちょっ……ターシャ」
ターシャは意味深な笑みを浮かべ、行ってしまった。後には眉間にしわを寄せたブラッシュが残される。
ラディの奴、本当に……一体何をやらかしてるんだ?





