表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界マップ  作者: 碧衣 奈美
第二話 ぬかるみの森
6/105

アドバイス

 異世界カロック。

 ラディは今までその世界を、祖父のヴィグランが孫を喜ばせるために作った架空のものだと思っていた。一緒にその話を聞いていたラディの幼なじみレリーナもだ。ヴィグランの語り方がよかったのか、話そのものが面白かったのか……たぶん両方だろうが、とにかくいつも聞いていて二人はわくわくしたものだ。

 そのカロックが、実在した。

 実際に自分達がカロックに足を踏み入れることになり、ヴィグランがおとぎ話をしていたのではないと知ったのだ。正確には、足を踏み入れたのではなく、呼び出されて、なのだが。もしくは、強制召集。

 カロックには大竜という種族がいて、子どもが巣立ちするための「大竜の試練」という名の儀式を行う。その際、異世界の人間、つまりラディ達が協力者として呼ばれるのだ。ヴィグランは大竜に呼ばれた時の話をしてくれていたのだ、と自分達が呼び出されて初めて知った。

 呼び出されるのは、半人前である見習い魔法使い。ラディもレリーナも、まさに見習いだ。ジェイという名の大竜が呼び出したのがこの二人。ラディ達の世界に紛れ込ませた地図が協力者となりうる人物の元に来ると、その地図が紙にも関わらず粉々に砕け、同時に協力者はカロックへと移動させられる、という寸法だ。

 ラディとレリーナも、ヴィグランの葬儀の後で彼の部屋にいる時に地図を見付け、そしてカロックへと引き込まれた。ヴィグランとともに大竜の試練に協力した巨大な狼とも出会い、祖父が間違いなくここへ来たことを実感する。

 ラディとレリーナもジェイに協力し、カロック中に散らばった地図のかけらの一つを無事に見付け、今戻って来たところだ。呼び出されてカロックにいた時間は数時間あったはずなのだが、戻ってみれば数分も経っていない。行方不明扱いにならずに済むので、まさに一瞬だけの瞬間移動は助かる。

「この地図、どうしようか」

 ラディの手元には、小さな紙の切れ端がある。ヴィグランの魔法書からひらひらと落ち、落ちた途端に砕けた地図だ。完成すれば、カロックの地図になるらしい。砕けた時に驚いて二人が拾い上げたひとかけらずつと、カロックで見付けたひとかけらがラディの復元の魔法で一つになり、紙切れに戻って今はラディの手の中だ。この地図が完成する頃には、ジェイの「大竜の試練」が終了するはず。その時ラディとレリーナは……どうなっているのだろう。

 それはともかく。

「ラディが持っていれば?」

「俺が?」

「だって、この部屋に置いていたら、次に呼び出された時にわざわざ来なきゃいけないでしょ」

 カロックに呼ばれる度、かけらは一つずつ見付かる段取りのようだ。復元途中と完成後の地図については、協力者が持っていればいいとジェイは言った。なので、ヴィグランは完成した地図を本の間に挟んでいたのだろう。そして、今はラディが持っている。

 ただ、完成したものならともかく、カロックへ行く度にこの地図とその時に見付かったかけらを復元して一つにする必要があるので、復元中の地図は所持する必要が出て来るのだ。

「元々はラディのおじいちゃんの物なんだし、それをラディが持つのは変じゃないでしょ。自分の部屋なり持ち物の中に置いておけば、次にカロックへ行く時にすぐ持ち出せるわ。で、余裕があれば持って行けばいいんじゃない? ジェイは次はもっと穏やかに呼ぶ、みたいなことを言ってたけど、今回は例外で、とか何とか言っていきなり呼び出されることもありそうよね。そういう状態になって持って行けなかったら、かけらを持ち帰って復元すればいいわ」

「そうだな。もう俺達にとってはこれは必要な物になったんだし、この部屋には置いておけないか。でも、こんな切れっ端じゃ、なくしたりしないかな」

「この地図があたし達を選んだんでしょ。ラディが捨てようとしても、きっと地図の方で協力者から離れようとしないんじゃないかしら。もしくは、あたしの所に飛んで来るかもよ」

「ありえそうだな。じゃ、俺が持って行くよ。ばあちゃんには……言わなくていいか」

「黙って持って行くのはちょっと気が引けるけど、カロックの話を始めたらややこしくなるんじゃないかしら。それに、今はこんな紙切れなんだもん。持って行くって言っても、おばあちゃんが何か言うとも思えないわ」

 知らない人から見れば、ゴミくらいにしか見えないだろう。それを持って行ってもいいか、なんて尋ねたら「そんなことを聞くなんて、変な子ねぇ」と思われるのがオチだ。

「ねぇ、ラディ。こっちで地図を復元する時は、あたしにも見せてね」

「え? 当たり前だろ。協力者はレリーナと俺の二人なんだから。ジェイ抜きで復元することはあっても、レリーナ抜きなんてあり得ないよ」

「うん、ありがと」

 ラディの言葉に、レリーナは嬉しそうに頷いた。

「今回は俺が復元したけどさ、チャンスはこれから何度もあるはずだし、レリーナも挑戦してみたら?」

「ええ? だって、あたしはまだ復元魔法なんて習ってないもん」

「自分で勉強すればいいじゃないか。習うのは中級2のクラスでだけど、今のレリーナがやってはいけないってことはないんだから」

 二人は魔法使い協会ロネールの修学部に在籍している。ラディは中級2、レリーナは中級1のクラスだ。一応、レベル毎にカリキュラムが組まれているが、それ以外の魔法をやってはいけないと禁止されている訳ではない。独学で習得するのは個々の自由だ。

「俺もまだ偉そうに言える程、しっかり習得してる訳じゃないけどさ。わからない部分は教えてあげられる。せっかく二人で協力者に選ばれてるのに、レリーナが関わる部分が少ないのってもったいないだろ」

「う、うん……そうね。わかった、ちょっと練習してみるね」

 かけらの話はまとまり、二人はそれまでいたヴィグランの部屋を出てリビングへ戻った。

 祖母のアリーヌやラディの両親、姉のテルラがやや疲れたような表情で座っている。それを見て、今日はヴィグランの葬儀があったことを思い出した。カロックへ行ったことで、そんな重要イベントがあったことが頭から抜けていたのだ。カロックはヴィグランの体験談に登場した実在の世界だとわかり、ずっと身近に祖父を感じていたので、今の現実の方が夢を見ている感覚になってしまう。

「ラディ、そろそろ帰るぞ」

 父のランディスが立ち上がる。

「あなた達は明日学校ね。疲れが出ないように、今日は早く寝るのよ」

 アリーヌが孫二人とその幼なじみを気遣う。今日はちょうど休日で、明日はいつものように授業があるのだ。

「うん、ばあちゃんも無理しないで」

 いつもより青白い顔の祖母に、ラディも言葉をかける。

「お母さん、本当に今夜うちに来なくていいの?」

 母のセリーンが尋ねる。娘であるセリーンは母親の身体を心配し、自分達の家へ泊まりに来るよう勧めたが、アリーヌは首を縦に振らなかったのだ。

「ええ、ありがとう。今日はゆっくりヴィグランと話すわ。淋しくなったら、お邪魔しに行くから」

 アリーヌは穏やかに微笑んで、娘の家族と隣人を見送った。

☆☆☆

 呼び鈴が鳴り、レリーナが玄関の扉を開けるとラディが立っていた。

「え、ラディ? 帰ったんじゃ……」

 ヴィグラン宅であるウィーネ家を出て、通りを一つ越えた所にある家に帰ったはずのラディ。歩いて五分もかからないとは言え、帰ったと思ったラディが現れたのでレリーナは目を丸くする。それに、レリーナの家にラディが来ることは滅多にない。いつもヴィグランの家で会っていたからだ。

「うん、一度帰ったんだけどさ。これを渡そうと思って」

 ラディが差し出したそれを見て、レリーナは首を傾げる。

「水晶玉?」

 ニワトリの玉子サイズの水晶玉だ。柔らかそうな白い布に包まれ、ラディの手の中にすっぽり入っている。

「今、魔法道具の店で買って来た。これから必要になると思って」

 よくわからないまま、レリーナは水晶を受け取った。

「水晶が必要にって……どういうこと?」

「これからどういう形でカロックへの扉が現れるか、今は全然わからないだろ。ずっと一緒に行動するんじゃないし、どちらかの前に現れた時にこれで連絡を取ればいいんじゃないかって思ったんだ。レリーナの前に現れたら、俺に連絡してくれればそっちへ向かえるだろ」

「そっか。今回は一緒にいたけど、クラスも違うし、家だって違うし。意図的に行動しない限り、一緒にいる時間は短いもんね」

 ラディとレリーナはクラスが違う。単にクラスが違うだけでなく、レベルが違うので教室も離れているのだ。同じ修学部の建物内にいても、意識して会いに行こうとしなければなかなか顔を合わせることもない。もちろん、偶然にすれ違うこともあるが、そんな偶然ばかりに頼ってはいられない。

「あと、あんまり考えたくないんだけどさ、万一カロックで離ればなれになったとしても、それでお互いの位置を知らせることもできる。レリーナ、通信魔法は大丈夫だよな?」

「うん、自信があるって程でもないけど。だけど、水晶でやったことはないわ。水晶って、もっとレベルの高い人が使う物でしょ」

 初心者やレベルがあまり高くない魔法使いの場合、鳥の形をした初歩の魔法道具を使って通信魔法を行う。水晶を使うのは、魔物退治などに向かう正規の魔法使い……とレリーナは授業で習った。

「その水晶、初心者用でそんなに複雑な呪文は必要ないから」

「え、そんなのが水晶にもあるの? 初めて聞いたわ」

「色々と新しいのが開発されたり、バージョンアップされてるんだぜ。通信魔法ができるなら、レリーナにもちゃんと使える。カロックでは俺達の魔法が通じてたんだから、通信魔法も通じると思うんだ」

 現れた魔物に対して、二人は攻撃魔法を使った。力の強弱はともかく、ちゃんと使えていたのだから、カロックでも見習い魔法使いの力はちゃんと通じるのだ。

「ねぇ、ラディってこんなに用意周到なタイプだった?」

 決していい加減という訳ではないが、先々の予測をして準備万端で行動するタイプではなかったように思う。

「悔しいけど、俺達はまだ見習いだろ。なのに、異世界に行かなきゃいけないんだ。魔物だってまた現れるかも知れない。ってか、絶対現れる。そいつらに対抗するためにも、今できることを考えないとな。場数がない分、動きが悪いだろうしさ。何とかそれをカバーするようにしないと、ジェイに頼ってばっかりじゃダメだと思うんだ」

 どちらかと言えば、昔のラディはのんびりした性格だった。ロネールに入ってからもその傾向は続いていたが、クラスが上のレベルになるにしたがってあれこれ考えるようになってきたのだ。

 授業で魔法を使う時は幻影の魔物が現れるが、現実に魔物退治へ向かえば当然本物の魔物が現れる。これまでのようにのんびり構えているだけではダメだ、と考えるようになったのだ。それはヴィグランの影響も多分にある。これからは間違いなく、カロックで何度も魔物と対峙することになるのだ。これまで以上にのんびりしてなどいられない。

 今日は行動を共にした馬の魔獣リーオンが言う「雑魚」に手間取ってしまった。今後もあんな魔物や、あれ以上に手こずる魔物が現れるはずだ。ラディは次にカロックへ呼ばれる時をただのほほんと待つつもりなどなかった。

「うん……本当は強くても、この試練の間のジェイは魔力が抑えられるってことを話してたもんね」

 自分の力が及ばす、なおかつ協力してくれる者もあまり力が強くない時、どうやって事態をくぐり抜けるか。それが「大竜の試練」における課題なのだ。ラディ達よりは強くても、現れた魔物をジェイが全て排除できるだけの力は封印されているようなもの。魔物が現れればジェイを先頭に押し出すのではなく、並んで向き合わなくてはならないのだ。

「あたし、明日から自主練習時間、増やすわ」

「あんまり無理はするなよ。張り切りすぎて、いざ呼ばれた時に行けない、なんてことになったらジェイが落ち込みかねないしさ」

「わかってるわ。でも、ラディの援護がしっかりできるようにしないとね」

 これまで、当然だが魔法でラディの手伝いをすることなんてなかった。授業でもそういったことはしなかったし、それを思えば今日はよくできたものだと自分でもびっくりしている。

 だが、同時に。

 本当にちゃんとできていたのだろうか。

 そんな不安のような思いが頭をよぎる。

 今日あれこれやったことがうまくできたのは「たまたま」かも知れない。次もこううまくいくという保証はないのだ。

 不安になるのは、自分に十分な実力が備わっていないから。実力があれば自信につながり、同じようなことをするにしてもうまくいく……はずだ。

「かけらを探す時の魔法は、そんなに強いものじゃなくてもよさそうだしな。修行は必要だけど、根を詰める必要はないぞ」

「うん」

 先輩ぶって、とレリーナは心の中でちょっと笑い、いつもよりラディが頼もしく思えた。☆☆☆

 ロネールに限らず、魔法使い協会にはフィールドと呼ばれる空間がある。見習い魔法使い達はここで魔法実技の授業を受けるのだ。

 多くの魔法使い達の力で構築されているこの空間は、魔法の練習をしてどんな失敗をしてもこの空間につながる扉さえきちんと閉められていれば外に影響が出ることはない。いわば、人工の異空間だ。

 授業が終わって自主練習したい者は、ここで自由に練習することが許されている。進級テストの前などは、たくさんの見習い達が合格するために課題の魔法を練習する姿が見られるのだ。今はそのテストがずっと先なので、日頃から練習熱心な見習い達がぽつぽついる程度。

 ラディは放課後になって、そのフィールドへ足を運んだ。カロックから戻って次の日である。

 次にカロックへ呼ばれるのは満月だと聞いたが、月の運行表を昨日見ると満月は十日後だ。あまり時間がない。呼ばれるのが新月と満月らしいので、一ヶ月に二度呼ばれることになる。間の日数が短いので、わずかな時間でも練習をして魔力を上げる必要があった。

 レリーナには無理をするなと言ったものの、ラディは多少無理をしてでも力をつける気でいる。進級テストを今されても合格できるくらいにまで、というつもりで。

 ラディは幻影の魔物が現れる呪文を唱えた。呪文の内容によって、魔物の現れ方やレベルも変更できる。授業の時はあまり思わないが、トレーニングをしようという時はこういった細かい設定ができることがとてもありがたい。

 呪文で現れたのは、ラディよりややレベルが下の魔物。しかし、それが大量にいる、という設定だ。この状況は、昨日のカロックで魔物に囲まれた時と似たものになっている。魔物の姿は昨日見た魔物と似たような、まるでかわいくないリスのような姿だ。サイズが近いから、出しやすいのだろうか。

 レベルが下の魔物にも関わらず、ラディはその数でかなり苦戦させられた。狼の魔獣ロアーグが現れて雑魚の魔物達は逃げ出したため、どうにか助かったのだが……ラディはその点が悔しいのだ。

 ロアーグが現れなければ、自分達は魔物に襲われていたかも知れない。少なくとも完全に排除することはできなかっただろう。相手の数が多い点は脅威だ。しかし、それに屈していては命を危険にさらす。自分だけでなく、周囲にいる仲間も。

 あの程度で足止めされてちゃ、協力者なんて言えない。

 現れた魔物達がラディに襲いかかる。ラディは風で吹き飛ばし、魔物達を地面に叩き付けた。しかし、途切れることなく魔物は飛びかかる。

「うわっ」

 隙を突いた魔物がラディの腕を傷付けた。一瞬ひるんだところで、別の魔物達が一斉に飛びかかる。もう魔法を使うどころではなく、ラディは魔物排除に失敗した。

 目を開ければ魔物は一匹もおらず、傷付けられた身体に痛みは全くない。相手は影なので、実際に魔法を使っている時は痛みがあるものの、魔物が消えてしまえば傷も消えてしまう。

 傷はないが……襲われた時の恐怖感や全滅できなかった屈辱といったものは残る。今のラディもそうだった。恐怖より、悔しさの方が強い。もし昨日がこの状態だったら、自分は死んだ、もしくは死にかけている。一緒にいたレリーナも同じように。

 本当にそうなりかければジェイが黙っていないだろうが、それではダメだ。自分の力で何とかできるようにならなければ。

 うなだれていたラディは、顔を上げた。もう一度、同じ呪文を口にする。

 このままでは絶対に終わりたくない。ラディの意地だった。二度、三度と同じような状態で終わっても、また繰り返す。

 ラディがこんなにむきになってこなそうとしているのは、ジェイの言葉が引っ掛かっているから、という部分もあった。

 ジェイは何度かラディを「見習い」と言った。それは正しい。ラディもレリーナもまだ見習い魔法使いだ。しかし、それを繰り返し言われると、事実ではあっても悔しい。言葉の裏に「お前の力は弱い」と言われてるような気がするのだ。

 もちろん、ジェイはそんなことを思ってないだろう。見下したような態度に出た訳でもない。恐らく、ラディ自身がそう思っているから、聞こえもしない裏の言葉が耳に入り、頭にこびりつくのだ。

 わかっている。自分が見習いなのも、まだ当分一人前の魔法使いとして認められないことも。しかし、それをいちいち口にされたくない。ラディは見習いと言うな、とジェイに軽く抗議したが、ジェイは気にしていないだろう。

 だから。そう言われないように。言わせないように。そうするためには、魔力を上げていくしかないのだ。

「よっしゃあ!」

 六度目の挑戦でようやく全ての魔物を撃破した。全部でどれだけの魔物に攻撃したのかわからないが、撃破できたということは最初に比べれば多少は要領がよくなったということ……だと思いたい。

 さすがにずっと魔法を使い続けるのは堪える。時計を見れば、二時間を超えていた。疲れる訳だ。今日はこれ以上続けても成果は上がらないと見切りを付け、ラディはフィールドを出た。

 最近は日が長くなってきたものの、外に出るとすっかり暗くなっていた。敷地内にいる見習いはラディくらいのものだろう。先生達や魔物退治などに向かう魔法使いが待機する職務部の棟には明かりがあるが、修学部の棟は真っ暗だ。フィールドでは意図的に設定を変更しない限り、同じ空のまま。外の時間に影響を受けないので、昼からいきなり夜になったような錯覚を起こしそうだ。

 これだけ長く自主練習をするのはテスト前くらいだから、帰ったらどこに寄り道してたのかと言われるかもなぁ、などと思いながらラディは門へ向かう。

「ラディ、今帰りか?」

 自分に課した課題はどうにかクリアできたので、明日は何をしようかと考えながら歩いているラディに誰かが声をかけた。

「あ、ブラッシュ」

 ラディが振り返ると、そこにいたのはブラッシュという魔法使い。姉テルラの元クラスメイトだ。

 ラディがロネールの初心者クラスに入った時、彼はすでに修学部最高クラスの上級2にいた。普通ならがんばっても上級2になるまでに五年近くかかるのだが、中には運と実力を備えた者がとんとん拍子に進級することがある。まさにブラッシュはそんな状態だったのだ。ただし、修学部での修行は最低三年という規定があり、三年に満たない見習い魔法使いはどんなに実力があっても上級2で残留しなければならない。

 規定の期間をようやく過ぎたと思えば認定試験にすぐ合格。正規の魔法使いになってからまだ半年程だが、実力は折り紙付き。順調に進級できたのは運だけではない、と先輩魔法使い達に知らしめていると聞いている。

 ブラッシュがテルラの元クラスメイトだったのは、最初のレベルである初心者クラスと中級1の時。進級テストの時に緊張しすぎたり、余程才能がない場合を除いて、だいたいの見習いは初心者クラス1と2は順調に進級できる。だが、中級にもなると急に習う魔法のレベルが上がるため、調子を崩してしまう者も多い。彼女がブラッシュと一緒だったのも、その中級1までだ。テルラがそこで足踏みを始めてもブラッシュはそのまま進み続け、今は正規と見習いという差に広がっている。

 ラディがブラッシュのことを知ったのはロネールに入ってからだが、まだ見習いにも関わらず、正規の魔法使い達がその実力に期待していると聞いてからずっと彼を目標にしていた。ラディにとって憧れであり、尊敬の対象はヴィグランとブラッシュなのだ。

 少しでも近づき、会話することで何か盗めるものはないだろうか。アドバイスをもらえれば最高だ。ヴィグランなら家へ行けば会うこともできるが、ブラッシュはそうもいかない。つながりと言えば、姉の昔のクラスメイト、というだけだ。そう簡単に親しくなれるようなきっかけなんて考えつかない。

 だったら、向こうが気にしてくれるようにすればいい。ブラッシュがそうだったように、実力のある見習いが現れたらしいぞとなれば、彼も無関心ではいられないはずだ。

 ……考えるだけなら、たやすい。しかし「実力のある見習い」になるには、色々な壁が立ちはだかった。とんとん拍子に進級できたのは、初心者クラスだけ。それなら、他のクラスメイトと変わらない。目立たなければ、気付いてもらえない。焦ったところで、ラディの実力が飛躍的に上がることはなかった。

 だが、ラディの念が通じたのか、ロネールの敷地内で歩いているブラッシュに声をかけるチャンスがきたのだ。

 修学部を卒業してからそのまま職務部に移籍する魔法使いも多く、ブラッシュもその一人。だから、敷地内で歩くことくらいいくらでもあるのだが、一人でとなるとあまりないのだ。仲間の魔法使いが数人一緒にいたり、見習いの女の子達に囲まれていたり……。

 そう、彼は実力だけでなく、見た目でも人を惹き付けるため、特に女子が放っておかない。

 真っ直ぐな明るい金色の髪を簡単に束ねているだけなのに絵になってしまうのは、美形と分類される人間の特権だろうか。普通に視線を向けただけなのに、あのすみれ色の瞳に射貫かれて、などと言って腰が抜けた女子の話は何度も耳にした。ラディにそのケはないので彼の外見に関しては別に興味もないが、とにかくそういう人物は常に誰かが近くにいたりするものなのだ。

 だから、ブラッシュが一人でいるのを見付けられたのは、ラディにとって大きなチャンスだった。

 いざ近付いたものの、どう声をかけたものかと思ったが、テルラの名前を出してみる。どんなに細くてもつながりではあるし、昔のクラスメイトの弟、ということでわずかでも親近感を持ってもらえたら、という目論見だ。ダメならその時、と思ったのだが……ブラッシュは特別親しい訳ではなかったテルラを覚えていてくれた。それに、ラディが思った以上にブラッシュは気さくで話しやすい先輩だった。

 ブラッシュにすれば、ラディが女の子ではなかったのも気楽に話ができた要因だったらしい。女の子の場合、一人にしろ複数にしろ、自分達だけで勝手に盛り上がってしまうことが多く、どう対応していいのかわからないことがよくある。相手が男子だと、恋愛感情込みでうんぬん、というのがないので(ゼロとは言えないだろうが)余計なことを考えなくていい。

 あと、ラディが純粋に魔法使いとして尊敬してくれているのがわかった、というのもある。自分を慕ってくれるかわいい後輩なら、何か聞かれても答えてやろうという気になるというもの。ラディのように、尊敬してます、というようなことを言ってくれる後輩は他にもいるが、それ以上踏み込んで来ることがない。あれこれ聞いて自分のものにしたいというラディの前向きな姿勢も、ブラッシュは気に入ったのだ。

 ブラッシュの仕事の関係上、同じロネールに所属していてもすれ違うことが多い。それでも、今ではブラッシュの方からラディに声をかけてくれるようになった。ラディは厚かましいかと思いながらも、兄ができたようで喜んでいる。

「お前、まさか居残りさせられてたんじゃないだろうな」

「違うよ。自主練」

 こんな軽い冗談も言える仲になったと知り、テルラは「どうしてラディが彼と親しくなれる訳?」と不思議がっていた。

「こんな時間までやるなんて、ずいぶん熱心じゃないか」

「次は絶対上級に行きたいからさ、今から訓練しておくんだ」

「いい心がけだな。でも、無理はするなよ」

「うん。あ、そうだ。ブラッシュ、今ちょっといい?」

 せっかく尊敬する魔法使いと会ったのだ、このチャンスを活かさない手はない。

「ああ、構わない。何だ?」

「一つの対象を守りながら、周囲に現れた魔物と向き合うって状況になった時、どう動くのが最善なのかな」

「ラディはどう思うんだ?」

「俺?」

 質問を質問で返されるとは思わなかった。

「えっと……その対象に魔物が向かわないように、そっちを優先的に攻撃する。それ以外ってあるのかな」

「それも一つの方法だし、他の方法も山ほどあるぞ」

「ええっ? どんな?」

 ヴィグランは生前、わからないことがあれば自分で考えたり調べるように言った。ラディもそうするようにはしているが、次にカロックへ行くまでにはあまり時間がない。この前と同じ状況を避けたいから、今は早く答えを手に入れたいのだ。自分が考える以外に、どんな答えがあるのか。

「だいたい、今の質問だと状況そのものからして色々なパターンを考えられるだろ。そうなれば、解決法も色々出て来る。どれが最善か、なんて俺だって簡単には答えられない」

「状況のパターン?」

 ラディは首を傾げる。どういう意味か、よくわからない。

「まず、守る対象についてはどうだ? 人か、妖精か、動物の類か。生き物じゃない場合もあるな。生き物であれば、自力で動けるのか負傷してるのか。魔法は使えるのか」

「……」

 そんな細かい部分まで考えてなかった。ラディは先日のカロックの状況を思い起こして尋ねただけだったから。

「魔物のサイズ、魔力の強さ、数、飛行か走行か。環境も重要だな。山や森なら、自分が身を隠せると同時に、相手も隠れながら攻撃してくる可能性が出る。何もない草原や荒野だと、人間が走って逃げるのはかなり困難だ。囲まれた魔物を撃破するしないに関わらず、移動手段として魔獣の存在が不可欠になるな。あと、自分以外に魔法を使える味方がいるかいないかだ。いても頼りになる存在かどうかで、これもまた戦況を左右する」

「はぁ……」

 次々に出て来る可能性に、ラディはため息しか出ない。自分のわずかな質問から、これだけの状況を考え出すブラッシュにひたすら感心する。

 ジェイに見習いって言われても、仕方ないや。

 心の片隅で、悔しいが敗北を認めざるを得なかった。正規の魔法使いは仮定であってもこれだけの状況を考え、さらにその状況を打破する方法を考える。見習いの自分では、目の前の状況しか見えてなかった。これが差というものなのだ。

「ラディが聞きたかったのは、どういう状況だったんだ?」

「守る対象は弱い人間で、一応動ける。魔物はネズミタイプで魔力レベルは低いけど、数が多い。味方は二人で、魔法は俺より少し強いくらい……かな」

 レリーナを弱いと言ったり、ジェイやリーオンをラディより少し上くらい、と表現したらみんなが気を悪くしそうだ。でも、今は味方が弱くて少ないという設定でブラッシュに話を聞きたい。

「魔物の数が多い、か」

「うん。次から次に出て来る感じで」

「そいつは厄介だな。強い奴一匹も手こずるけど、弱くても数にまかせて向かって来る奴も質が悪い」

 確かに、カロックでクードに囲まれた時は厄介だった。

「まずは自分に結界を張れ」

「え、自分に? 守る対象じゃなくて?」

「ラディが話した状況だと、守る対象には他の二人が張ってくれる場合もある。仮にその場にいるのがラディだけであっても、自分が先だ」

「それって何だかズルいような……」

 自分の方がかわいいのか、己の命の方が大事かと責められそうだ。強い者は自分より弱い者を守るべきではないのか、と。

「魔物との間合いがあって余裕があるなら、先に対象にかけてもいいけどな。ズルいんじゃない。むしろ、そうしないと対象を守れないぞ」

「どういうこと?」

「先にラディが魔物にやられてみろ。その対象はもう誰にも守ってもらえない。つまり全滅だ。最悪の状況だろ。対象が襲われても、ラディが無事で魔物を蹴散らせれば、治癒の魔法を使うなりして助けることができる。即死でなければ、道は残るんだ」

「俺、まだ治癒魔法はできないけど……」

「こういう仕事でっていう想定じゃないのか?」

「あ、うん、まぁ……そんな感じなんだけど」

 あの時と似た状況になって、レリーナより先に自分に結界を張るという判断や行動ができるだろうか。

「魔物がいるとわかっている場所を通るなら、最初からその対象に結界を張っておくべきだろうな。そうすれば、慌てなくて済む。もっとも、魔物が現れるような危険な場所に弱い人間を連れて行く仕事なんて、ほとんどありえないけどな」

「はは、そうだよね」

 仕事を想定した話ではないから、ブラッシュにすれば妙な設定に思えただろう。

「魔物に関しては、自分のスタミナ次第か。結界が保てば、多少の攻撃を受けても大きなダメージになりにくい。弱点がわかってるなら、その魔法で攻める。無理なら悪あがきせず、潔く逃げる方法を考えることだな。数で向かって来る奴を相手にしていたら、いつまでも終わらない。ボスを叩けば他は逃げて行くことも多いが、ボスを叩こうとする時に周りの奴が邪魔することもよくあるからな。魔獣の力を借りるなりして、さっさとその場を去るのが賢明だ」

 確かあの時、ジェイとリーオンは逃げる相談を始めていたはずだ。ロアーグが現れなければ、その方法がとられていただろう。

「わかった。ありがとう、ブラッシュ。すごく参考になった」

「攻撃は最大の防御とは言うけど、本当の防御も必要だからな。結界の練習は地味でも、ちゃんとやるんだぞ。案外、実戦ではこの魔法で差が出たりするんだ」

「へぇ、そうなんだ……」

 おろそかにしていた訳ではないが、熱心にもやっていない。やはり尊敬する魔法使いに会えたのは、今日の大収穫だ。

 明日練習する魔法、決まりだな。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ