危険な花びら
また雨が降ってきた。だが、その雨に暗い色が付き、視界がどんどん悪くなる。
「これ……何が降ってるんだ?」
「泥」
ラディの質問に、ジェイの簡潔な答えが返ってくる。
「そんな気はしてた」
茶色く、多少粘りけを含む液体が、結界の表面をゆっくりと流れ落ちるのを見て、予想はしていた。ここへ来る前にも、泥が降るということは聞いていたから。しかし、本当に泥が降るとは……。
「石の次は泥。ジェイがさっき土砂降りがどうのって言ってたけど、本当に土砂が降ってきたりするのか? 泥も土砂のうちだけど」
「オレはそんなに激しい泥の雨って知らないけど、どうだろうな。セルフィ、知ってる?」
「そもそも、こんな場所に来ることがないので知らない」
セルフィの答えもまた簡潔だ。
「余程の用事でもなきゃ、魔獣だってこんな場所には来ないよな。何を思ってここに棲むのか、魔物に聞いてみたいよ」
言いながら、ラディは念のために結界を強める。さっきは石の雨に降られたし、余裕のある時に強めておく必要がありそうだ。
「セルフィ、あきれたんじゃない? 見習いとは言え、魔法使いが魔物を見て悲鳴をあげてばかりで。こんな人間が協力者なんてしてるんだから」
「平均的な魔法使いがどんなものか。それがわかる程、私は魔法使いとやらに会ったことがないのでな」
言いながら、セルフィは身体にかかった泥の雨を振り払った。それを見たレリーナが、セルフィに結界を張る。
「私に結界は必要ないぞ」
「わかってるわ。泥よけよ。影響がなくても、気持ちいいものじゃないでしょ」
「……泥は雨以上に重いからな」
セルフィはおとなしくされるがままになるつもりのようだ。
「確かにレリーナはよく悲鳴をあげているが、自分がやれることはやっている」
「……そう?」
「考え、自分の力を使ってその場を切り抜けようとしただろう。悲鳴をあげて、そのまま逃げる奴よりいい」
レリーナに言わせれば、その場から逃げることさえできずにいるだけなのだが。
「口ばかりで何もできない奴は、カロックにも大勢いる。悲鳴をあげたいなら、あげるといい。もっと大きな悲鳴をあげる奴など、いくらでもいるからな」
つまり、気にするな、ということだろうか。そう思うと、少し心が軽くなる。
「ジェイ、あの辺りの盛り上がり、ちょっと気になるんだけど。動いてないか?」
ラディの声で、レリーナはそちらを見た。
この辺りは森に入って最初に歩いていたエリアのように、苔がほぼ地面を覆っている。その中で、所々に土が顔を覗かせている部分があった。その土の部分が確かにこんもりと盛り上がっているのだ。泥が結界の表面を流れて視界を悪くしているため、少し離れているとちゃんと確認できない。
「あー、あれってスライムっぽいな」
泥が降ってスライムが発生……したように見えるが、元々そこにいるらしい。泥の雨がその身体に当たることによって微妙に動き、存在をわからせたのだ。
「確か、この辺りの奴って血を吸いたがるんだっけ」
「それってヒルみたいなもんじゃないか」
「ヒル? 薄暗いけど、確かに今は昼間の時間帯だな」
「いや、そのヒルじゃなくて。まぁ、いいや。とにかく、普通に通り過ぎるのは難しいってことだよな」
「うん」
またまた簡潔な返事である。
「かけらのある方向へ向かうのはもちろんとして、このエリアを最短で抜けるルートは?」
「ここを真っ直ぐ突き抜けるのが一番かな」
迂回ルートでもいいような気はするが、迂回したらしたで新たな魔物が現れる可能性は非常に高い。だったら、吸血スライムのいるエリアを突っ切って早くかけらを見付ける方が得策だ。
「あのスライム、どう動くんだ?」
ジェイがラディの耳元近くまで行き、こそっとささやく。
「殻から出た殻回りくらい。割とのたのたしてる」
ラディにだけ言ったのは、レリーナを怖がらせないためだろう。
「じゃあ、手前から順番につぶしながら道を作れば、遠くにいる奴が近付いて来るまでにここを抜けられるって訳だ」
「そうだな。ここはさっきみたいに爆裂を起こした方がいいぞ。氷の槍を突き刺すのも手だけど、凍り付く前に分裂されて迫られるのも面倒だしな」
氷を突き刺して動きを封じても、動ける部分が本体から切り離されたら。動きを止めるつもりが、数を増やすことにもなりかねない。
「レリーナ、爆裂は習ったんだよな。いい練習場に来たぞ」
振り返ったラディに、レリーナはえ? という顔をする。
これから自分達が通るルート周辺にいるスライムを爆裂で吹き飛ばし、その間を抜けると聞いてレリーナは頷いた。セルフィは吹き飛ばされる以外のスライムを、冷気で凍らせて動きを封じるように頼まれる。
「よし、いくぞ」
まずはラディが一番近くのスライムを爆裂で飛ばした。結界の表面を流れる泥で目標が見えにくいが、少し大きめの爆裂を起こしたことで確実に吹き飛ぶ。レリーナもそれにならって呪文を唱えた。習って間がないが、それなりに練習している。そんなに頑丈な身体ではないので、レリーナの力でも魔物は吹き飛んだ。
「レリーナ、いい感じだぞ。じゃ、オレも」
ジェイも同じように爆裂を起こし、魔物がいなくなった空間ができる。こうやって進行方向にいるスライムを順に吹き飛ばした。少し離れた場所にいる別のスライム達は、獲物が近くを通っているとわかっているが、セルフィが冷気で凍らせているので動きがとれない。結果、目の前をエサが通り過ぎるのを見ているだけ。
やがて、泥の雨も降らず、スライムがいないエリアまで進んだ。
「服や身体が汚れた訳でもないのに、どろどろになった気分だな」
結界が薄く茶色に汚れたような気がする。
「そのうち雨で洗い流されるって。そう気にするな」
そういうジェイは、結界を張ってもいないのにきれいなものだ。単に元々の色が茶色っぽいからわからないだけだろうか。
「ねぇ、ジェイ……最初に会った頃とくらべて身体の色が変わってない?」
「ん? そっか?」
「前はもっと濃い茶色だった気がするけど」
「垢抜けてきたってことかな」
そう言って、ジェイは笑う。そんなふうに言われると、気のせいなのかしら、とレリーナはそれ以上突っ込まなかった。
ジェイが言うように、また雨が降るエリアで泥は流された。結界はきれいになるものの、雨が降っていると視界があまりよくないのは変わらない。ここへ来て二時間か三時間は経っているだろうか。太陽がとても恋しい。
小雨になったと思ったら、その雨もやんだ。落ち着きのない天気である。さらに進むと、今度はうっすらと白っぽいものが降り始めた。
「雪……じゃないわね。それに、少しピンクがかってるみたい」
「これ、花びらじゃないのか?」
新たに降ってきたものを見て、ラディは空を見上げた。同じようにレリーナも降ってくるそれを見る。地面に着いた途端に全てが吸い込まれるので明確な形はわからないものの、宙を舞うのは確かに花びらだ。
「花が咲いてる木はないみたいだから……これも降ってきてるのか」
色々降るとは聞いたが、まさか花びらが降るとは。
「きれい。こんなにきれいなのに、地面に落ちた途端消えるのって少しもったいない気がするわね」
「レリーナ、言っとくけど結界は解くなよ。それに触れると、たぶん二人の肌が切れるからな」
「え……ええっ? そんな危険な花びらなの?」
ジェイもセルフィも、身体は固い鱗に覆われている。だから、花びらがいくら当たってもこれといって支障はない。
だが、人間の二人は鱗もなく、剛毛が生えているでもない。柔らかな肌だ。ロネールの制服を着ているものの、顔や頭、手首から先はむき出しの状態。ジェイはそこに花びらが当たると切れると言うのだ。恐ろしい事実に、レリーナは青ざめた。
「切れるってことは、カミソリが降ってるようなものかしら」
「もしくは、ものすごーくゆっくりな風の刃かな。紙だって、角度によっては切れたりするから、それに近いのかも。触ってみたいけど、切れるって言われるとやっぱり手を出すのはためらわれるよな」
「ダメよ、ラディ。思った以上にケガするかも知れないでしょ。それに血が出たりしたら、余計な魔物を呼び寄せるじゃない」
「言われなくても現れたようだが」
「ええっ」
セルフィに言われてそちらを見ると、巨大なカメのような姿の魔物が二匹現れていた。甲羅の大きさは、レリーナが身体を丸めたよりも大きい。人間一人くらいなら、余裕で乗れそうだ。
もっとも、その表面には短くも鋭いとげがびっしりついている。まさに動く針山だ。甲羅はもちろん固いだろうし、頭や短い手足の肌は見るからに頑丈そうで、この花びらが触れても影響はまったくないに違いない。
「まさか、あいつらも甲羅を転がして突進してくるのか」
とげがついている分、当たれば大ダメージを食らう。それでなくても、さっきの殻回りより大きいから衝撃も相当のはずだ。
「いや、あいつらは早く移動できない。降るものを利用するんだ」
「降るものを利用……この花びらをってことか?」
こんなひらひらしたものを、と思ったが、これは普通の花びらじゃない。舞い落ちる刃物だ。それを利用するということは……。
ラディはレリーナや自分に張っている結界を強化する。色々な場所で衝撃を受け止めていた結界は弱まりつつあったが、ラディの呪文で強さを取り戻した。
その直後、魔物が吠える。途端に風が渦巻き、花びらがその風に巻き込まれた。花びらを交じらせた風は、勢いを付けながらラディ達に向かってくる。風の力だけでなく、同時に斬り付ける攻撃をしてきたのだ。刃物が回転しているみたいなもので、普通に風の刃を向けられるより怖い。
ラディは防御の壁を出し、セルフィはその風に水をぶつけて対抗する。もう一匹も同じ風を起こし、ジェイが風をぶつけて力を相殺させた。風の力を失った花びらは、その場にひらひらと美しく舞いながら地面に落ちて消える。
「花びらが降る限り、武器は制限なしね。エコなカメだわ、まったく」
レリーナは攻撃に集中していた魔物の下で、爆裂を起こした。
固そうな殻や身体に氷の槍なんて効きそうにないし、元々動きが遅いのなら吹雪で動きを止めるのも意味がない。魔物が果てしなくカメに似ているのであれば、きっと効果があるだろう方法を試してみた。
つまり、真下で爆発を起こして魔物を吹っ飛ばし、ひっくり返す、という方法を。魔物も手足は短いようなので、一度ひっくり返れば攻撃どころではなくなるはずだ。
果たして、レリーナの起こした爆発は魔物をひっくり返した。真下で爆発させるつもりだったが、わずかにズレている。むしろそのおかげで半身が浮き上がり、うまくひっくり返ったのだ。
「おー、レリーナ、やるじゃん」
ジェイが小さな手で拍手する。
「少しは役に立てたかしら」
「少しどころじゃないだろ。ほら、今のうちに行くぞ。こいつらとまともに張り合ったら、こっちが疲れるからな」
短い手足をばたばたさせている姿は、普通のカメと全く同じ。うまく勢いをつけるか、誰かに助けてもらわなければ元には戻れないだろう。移動がゆっくりということは、元の体勢になって追い掛けても追いつかれる心配はあまりない。余計なバトルはしないに越したことはないのだ。
急いでその場から走り出し、気が付けば花の変わりにまた雨が降っていた。
☆☆☆
霧のような雨のエリアに来た。結界を張っているので影響はないが、そのままで歩いていたら雨粒がまともに当たってないのに服がしっとりする、という状態になるだろう。前方も何となくかすんでいる。
「この近くだな。ラディ、雷を頼む」
ジェイに言われ、ラディは手の平でまた小さな火花を起こす。
「こっちだな」
ある木へ近付き、ジェイはふわふわと上の方へ向かう。枝葉の間に入り、しばらくごそごそしていたかと思うと、その手にかけらを持って顔を出した。
「あったぞー」
ジェイは見付けたかけらを持って、ラディ達の元へと降りて来る。
「それ、なのか?」
セルフィの反応に、レリーナはくすっと笑う。
「そう、これなのよ。みんな、セルフィみたいな反応するのよね。こんな小さな物を探していたのかって」
「まさに同感だ。それが試練の内容なのか」
一応、来るまでにこういうことをしている、という説明はするのだが、どの魔獣もかけらのサイズに「何だ、それは」と思うのだ。
「かけらの大きさどうこうより、見付けるまでに自分だけでは無理だってことを思い知れってことなんだよな。成長した大竜がおごらないようにって」
ジェイならこんな試練をしなくても、偉ぶったりしないと思うのだが、これは大竜達がみんな通る道なのだ。
「ラディ、復元よろしく」
「わかった」
袖に同化させていた地図を取り出すと、ラディはジェイが今見付けたかけらを受け取って復元の呪文を唱える。小さな石のかけらのようだったそれは見ている間に薄くなると、これまでに復元させた地図に同化していく。すぐに継ぎ目がわからなくなった。そのサイズを見ていると、そろそろ残りの角の部分が出てきそうな気がする。
「ずいぶん戻ったな。順調、順調」
「ジェイ、来る前に話していたけど、この地図も紙よ。本の材質とはちょっと違うみたいだけど」
本の表紙からジェイが現れた時、本のことがよくわかってないようだった。それを思い出し、レリーナは紙の説明をする。
「そっか。地図って名前の物としか認識してなかったからなぁ」
よく「地図」という概念があったものだ。きっと昔から続いてきた試練のおかげでか、名前とどんな代物かということだけはわかっていたのだろう。
「そういった物を人間が作っている、というのは聞いたことがあるが、私も現物を見たことはない。カロックで知っているのは、ほんの一握りだろう」
「そうだな。オレのじーちゃんばーちゃんくらいなら、あれこれ知ってそうだけど」
ジェイの言葉を聞き、ふいにラディはジェイの本当の年齢はいくつなんだろうと思った。以前、ジェイが人間の姿になったらどんな感じなんだろうという話をレリーナとしていたが、それはあくまでも「人間の年齢」であれば。
だが、カロックと自分達の世界では時間の流れ方が違うようだし、教えられても無意味な気がして尋ねるのはやめておく。
「とにかく、今回も無事見付かった。ラディ、レリーナ、お疲れ。セルフィもありがとな」
「これが大竜の試練の一端か。思ったよりあっさりしたものだな」
「セルフィにとってはあっさりでも、あたしにとっては大変だった。この森、もう来たくないわ」
言ってるそばから、びちゃっと音がした。レリーナの肩がびくっと上がる。その横で、ラディはため息をついた。
「この森、現れる数はそんなに多くないけど、どこにいても常に魔物がいる感じだな」
まとめてかかって来られるのも困るが、ひっきりなしに現れるのも気が休まらない。
音をさせたのは、ヒレが手足のように変化している魚のような魔物だった。泥の中から現れたらしく、本来の身体の色などはわからないが、もう知る気にもならない。
ジェイが帰るための扉を出した。
「こんなの、相手にしなくていいからな」
「しろって言われても、断るわよ」
当分、雨は見たくなかった。とは言っても、自然現象はどうにもできない。自分達の世界で晴れが続くことを祈るばかりだ。
ラディとレリーナはセルフィに礼を言い、ジェイに「また今度」と言ってほぼ同時に扉を閉めた。その途端に扉は消える。
「人間の魔法使い、か。あの程度の魔力でどうなるかと思ったが、弱いという訳ではないようだな」
「そりゃそうさ。何たって、オレの協力者だぞ」
自分で選抜した訳でもないのに、ジェイはえっへんと胸を張る。
「……大竜が自分達の試練に他の種族を巻き込んでいるにも関わらず、悪い評判が立つことがないのは協力者のおかげか?」
「うん、そうかもな。っと、そろそろ行くか」
魚の魔物が水を吐き出してくる。それをジェイは器用に避けた。
「ああいう奴らなら、また会ってもいい」
「そっか? 来るとしたら、ああいう人間ばっかだよ。じゃ、機会があったら、また頼むなー」
そんな約束を軽くかわし、魔物の攻撃もかわしつつ、ジェイとセルフィはそれぞれその場を飛び立ったのだった。





