恐怖の記憶
「数匹が相手なら何とかしようもあるけどさ。あそこにあった卵、百や二百じゃきかなかったと思うしな。孵化したての子どもでも、相手にしてらんないよ。ただでさえ身体がデカい分、力もあるしな」
「ああ。今回は時期が悪かったな。場所が悪かったと言うべきか。見境のない奴はこれだから面倒だ」
リジオルならさっきのような炎で一掃することもできなくはないが、一つの孵化場を完全に消去するのはさすがに疲れる。それに、そこまでするのは不必要な殺生だ。
「あのサラマンダーに飛行能力はないのね。よかった」
飛行能力がなければ、空を駆けるリジオルが追われることもない。周囲に迫られた時はどうなるかと思ったが、炎獅子の背に乗る二人はようやく一安心できた。
「あたし、初めてサラマンダーを見たけど、あんな怖い習性を持ってたのね」
「授業では生態まで習わないけど、仲間でも容赦なしなのか。他にもああいう奴がたくさんいるんだろうな」
ブラッシュのように、主に魔物退治を仕事とする魔法使いは魔物の生態をしっかり勉強しているのだろう。見習いのラディはまだ魔物の名前と大まかな姿を覚えるだけでも精一杯だ。
「さて、とりあえず適当に飛んだが、どこへ降りればいい?」
まだジェイにはかすかにかけらの気配が感じられるようで、リジオルに降りる場所を指定した。何が違うんだろうと思うくらい、さっきまで歩いていた場所と代わり映えしない所だ。
これまでと同じように、かけらを求めて歩き始める。光景がほとんど変わらないので、スライム系やサラマンダーなど似たような魔物達がまた現れてはラディ達に消された。
かけらの気配を探るための水魔法を使うと、やはり敵が侵入したと思う魔物が多いのだろう。単にテリトリーを守るために現れる魔物には悪いが、命を狙ってくる以上はこちらも遠慮できない。
周囲から迫ってくる魔物も多いが、通り過ぎた火だまりから突然姿を現す魔物もいた。不意打ちを狙っているようだが、見習い魔法使い達は結界を張っているのでいきなり攻撃されても傷付くことはない。結局は返り討ちだ。
「だいぶ近くなってきたぞ」
ジェイのその言葉で、ラディとレリーナは少し気分が軽くなる。似たようなことばかりやっていると、やはりマンネリになってしまうもの。もう少しだと思えば、新たなやる気も出て来るというものだ。
足取りもやや軽くなった時。リジオルの固い声が危険を知らせた。
「近くに何かいるぞ」
足を止め、二人は周囲を見回す。これと言って、何か現れたのでもない。空を見たが、飛行系の魔物の姿もなかった。
しかし、リジオルが魔物の気配を見誤るはずはない。
「お、出て来たぞ。中に潜んでたんだな」
周囲に点々とある火だまりから、この山へ来てから何度か見たスライムのような魔物が現れていた。待ち伏せていたのか、こちらがテリトリーに入って来たから現れたのか、それはともかく。
暗い赤色をした火だまりから、似た色をした不定形の魔物。ラディが風の刃を放ってみたが、骨がないのか切られてもぐにょっと一時的に形が変わるだけでまた元に戻ってしまう。
「焼いて溶けかけたマシュマロみたいだな。やっぱり土でいくしかないか」
リジオルに爪で斬られると、元には戻らない。やっていることは同じはずだが、やはり威力の違いがこうして出ているのだろう。こういう光景を見ると、もっとかんばらなければ、と思わされる。
レリーナも土で魔物を攻撃した。たき火の残り火に土をかけて消してしまうイメージだ。土の山がまだ動こうとするようなら、さらにその上へ土を落とす。一度でダメなら、二度三度とやるしかない。
今は一人ではないのだし、自分の目の前にいる魔物を確実に消す方が、中途半端な攻撃のために生き残っていた魔物に反撃されて……ということもなくなる。地味で地道だが、それが今のレリーナにできることだ。
そうやって魔物に攻撃しているうちに、レリーナは知らず少しずつ移動していたらしい。
気が付くと、目の前にこれまでより大きな火だまりがあった。自分の部屋にあるベッドを一回り小さくしたくらいのサイズだろうか。
それでも、他がテストの的とさして変わらない大きさなので、その火だまりはひどく大きなものに感じられた。
赤い液体がたまっているように見える火だまり。その中央が盛り上がった。来る、と思ってレリーナは身構える。恐らく、今まで見た魔物より大きなものが出て来るだろう。自分だけで無理だと思ったら、すぐにラディ達を呼ばなくては。
そんなことを思いながら、レリーナは盛り上がった火を凝視する。顔だが腕だかを出したところへ土を降らせようと身構えた。
「え……」
他の火だまりから現れた魔物は、だいたいみんな似たような不定形。ラディ曰く、溶けかけたマシュマロだった。
しかし、目の前に現れた魔物は他と少し違う。どろどろとした輪郭ではあるが、人の頭のような形を作ろうとしていた。
へこんだ部分が影になり、目や口のように見える。肩から腕、肘から手首、そして指までもが現れた。まるで火で出来た人間が現れたようだ。
やだ……何、あれ。
その姿を見て、レリーナはぞっとする。さらに、魔物がこちらへ腕を伸ばそうとするのを見た途端、身体が動かなくなった。何か術をかけられた訳ではなく、恐怖で足がすくんでしまったのだ。
やだ、気持ち悪い。……怖い。
こちらへ手を伸ばす魔物。レリーナを捕まえ、喰おうとする魔物。
ラディ……ラディ、助けて。
目の前にいる魔物が、記憶の一部と重なった時、レリーナは悲鳴を上げることさえできなくなっていた。
「レリーナ! 何をしているっ」
リジオルの怒鳴る声が聞こえた。でも、まだレリーナは動けない。
そのままでいれば、魔物が伸ばした手は本当にレリーナを掴んでしまう。
そんな彼女の前に、影が立ちはだかった。さらに、その影の前に見えない壁が現れ、魔物が伸ばした手はそこで遮られる。跳ね返され、手の形をしていたものが火花となって周囲に飛び散った。
その直後、火だまりから上半身を出してレリーナを捕まえようとしていた魔物は、上から降ってきた大量の土に埋もれてしまう。大きかった火だまりそのものも、土で完全に埋められた。
「レリーナ、何を突っ立っていた」
こちらを振り返った影は、リジオルだった。魔物が伸ばした手の前に飛び出し、彼女を魔物から守ろうとしたのだ。
「あたし……」
魔物の姿が目の前から確かに消え、助かったと理解して何とか声は出たものの、まともな言葉にならない。
「レリーナ、無事かっ」
ラディの声に振り向き、その顔を見た途端に涙が浮かんできた。
さっきレリーナと魔物の間に現れたのは、ラディが出した防御の壁だ。リジオルのように素早く動くことはできなかったが、魔法なら間に合う。ラディの壁はしっかりとレリーナを守ってくれたのである。
「ラディ……」
そばへ駆け寄って来たラディにしがみついたレリーナは、小さく震えていた。
「レリーナ、ケガしてない……よな?」
「うん……」
ラディは安心したように大きく息を吐いた。
「レリーナ、もう心配いらないぞ。そこの火だまりは全部埋めちまったからな。そう簡単に出て来られない。ま、さっきの奴が中でまだ生きていたらの話だけどな」
あの大きな火だまりを完全に埋めたのは、ジェイだ。レリーナの様子がおかしいのを見て取り、最優先で埋めたのである。ちなみに、他の火だまりは新手が出ないとわかれば放ってあった。この先で何が出るかわからないため、力は温存するに限る。
「レリーナ、どうしたんだ? 他より大きくて怖かったのか?」
落ち着かせようと、ラディはそう聞きながらレリーナの背中を軽く叩く。ラディにしがみついたまま、レリーナは小さく首を振った。
「怖くて動けなかったというのではないのか。だが、あのままだと確実にやられていたぞ」
レリーナの異変に最初に気付いたのはリジオルだ。彼の声でラディやジェイもレリーナの様子がおかしいことに気付いた。
リジオルが言うように、誰もレリーナが動けなくなったことに気付かなければ、魔物に捕まっていただろう。いくら結界を張ってあっても、火そのものに近い魔物の手にいつまで持ち堪えられるかはわからない。結界を破られてしまえば、レリーナの身体はすぐに焼き尽くされてしまう。
「……がうの」
「ん? 何?」
かすれたようなレリーナの声に、ラディが聞き返す。
「大きかったから怖かったんじゃないの。思い出して……」
「思い出す?」
これまでにあんな火の魔物と遭遇したことがあっただろうか。
「一つ目巨人に似てたように見えて……」
「あ……あいつらか」
首を傾げるリジオルに、ジェイがこそっと説明する。
かけらを捜す道中、一つ目巨人に遭遇したことがある。その時、レリーナは捕まりそうになったのだ。もちろん、相手にとってレリーナは獲物。だが、事なきを得て一つ目巨人も退治できたのだ。
さっきの魔物はレリーナに手を伸ばした。その時の姿が、手を伸ばしてレリーナを捕まえようとした一つ目巨人を彷彿とさせたのだろう。
「そっか。レリーナはまだ怖いと思ってたのか。もうずいぶん前のことだと思ってたんだけどなぁ」
カロックで一番強い魔力を持つジェイには、想像はできても恐怖という感情を実感することは今後もないだろう。
「ジェイにとっては何日前の話か知らないけどさ、俺達にすればまだ一ヶ月も経ってないんだ。強い恐怖が消えるには、まだ時間が必要だよ」
レリーナを捕まえようとする一つ目巨人に怒りを覚え、ラディは普段使ったことのない力でその魔物を焼き尽くした。レリーナもそれは見ている。おかげで自分は助けられ、生きているのだと実感できた。
しかし、やはり強い恐怖を抱いた体験には違いない。幸い、これまで夢に見ることはなかったものの、今のように似たようなことが起きると思い出してしまった。
ラディが背中や肩をそっと叩いたことで、レリーナも少し落ち着きを取り戻しつつあるようだ。震えも止まっている。
「一ヶ月……そっか、カロックとでは時間の流れ方が違うもんな」
レリーナはずっと忘れられないままでいた、という訳ではない。ただ、あのような状況になってしまうと、やはりつらいものがある。
「ごめんね、みんな。迷惑かけちゃって……」
「そんなふうに思わなくていいよ、レリーナ。お互いができることを協力してやっていけばいいんだから」
「そうそう。みんなで補えばいいだけの話なんだしさ」
「あの程度の火、俺様には大したダメージにもならん。それ以前に、ラディが壁を出したから触りもしてない。結果だけを言えば、何もしてないようなものだ。強いて言うなら、立ち位置を変えただけだな」
「ん……ありがとう」
レリーナは涙のあとを手でこすった。
「レリーナ、歩ける? この近くからかけらの気配がしてるんだ。あと少しだから」
「うん、平気よ」
腰を抜かしたのではないから、歩くことに支障はなさそうだ。でも、一人で歩くのは何となく怖い気もする。
「ラディ……あの、腕に掴まってもいい?」
「いいよ。しっかり掴まって」
前回も暗い洞窟の中で、レリーナはラディに掴まりながら歩いた。正直なところ、ラディはこういう移動の仕方は少し気恥ずかしい気もするのだが、まだ青ざめているレリーナを一人で歩かせる訳にはいかない。
「ジェイ、本当にあと少しか? そろそろ体力も魔力もきついんだけど」
「ああ、かなり強く感じてるから。もう少しだけがんばってくれ」
自分で気配を感じられない限り、ジェイの言葉を信じるしかないのだ。
ジェイが進み始め、ラディ達もその後を続いた。
☆☆☆
その後はこれまでと似たような魔物が出るばかり。大きな魔物や面倒な魔物が現れることもなく、そういう意味ではスムーズに進むことができた。
「んー、この辺りかな」
光景だけで言えば、これまで歩いて来た所とほとんど同じ。最初にリジオルが降り立った所との違いを述べよと言われても、ラディとレリーナには答えられない。
黒く焦げたような地面には大小の火だまりが点在し、火が少し大きく揺らめいているものもある。同じような火だまりに見えても、エネルギーの大きさが違うのだろうか。割れ目が赤い線となって地上を走り、この周辺の地下にも火のエネルギーが間違いなくあることを示していた。
そんな場所で、ジェイは一つのとある火だまりの方へと近付く。ゆらゆらと火だまりからは湯気のように火が揺れていた。あの火だまりを一つか二つ持ち運べたら、キャンプなどで大活躍するだろうな、などとラディは妙に平和的なことを考える。同じ景色ばかりなので、危険な場所だという感覚が麻痺してきたのだろうか。
ジェイは近付いた火だまりの中を覗き込んだ。水たまりとは違って絶対に火の熱気が立ち上っているはずだが、ジェイが気にする様子はない。
「お、あったあった。やっぱりここだ」
その言葉に、ラディとレリーナはほっとする。どうやら無事に目的地到着だ。それにしても、火の中を覗き込んで見えるものなのだろうか。
「えっ……お、おいっ、ジェイ!」
二人がほっとしたのも束の間、ジェイは何のためらいもなく、その火だまりの中に手を突っ込んだのだ。それを見たラディは驚き、レリーナも小さく悲鳴を上げた。
だが、当のジェイは涼しい顔で手を火だまりから抜き出す。その手の先には、見慣れた地図のかけらがあった。やけどをしている様子はない。付け加えるなら、火の中にあったにも関わらず地図のかけらはまるで焦げている様子もなく、これまでのものと変わらない状態だ。
「ちゃんと取り出せたぞー。底の方でなくてよかった」
笑うジェイに、ラディとレリーナは深くため息をつく。その横でリジオルが不思議そうに二人を見ていた。
「お前達、何を慌てているんだ? ジェイがあの火だまりごときで焼き尽くされるとでも思ったのか?」
火に属するリジオルよりも、大竜は火に強い。だから、サイズは小さくてもジェイがどうかなるなんてリジオルは思わない。それなのに、ジェイがどういう種族か知っているはずの二人が驚き慌てるのを見て、リジオルは首を傾げたのだ。
「えっと……何ともないって頭ではわかってるよ。だけど、俺達にすれば突然のああいう行動って普通じゃないから驚いたんだ」
「前回は地底湖の魚に食べられるし……心配する必要がなくっても、ジェイを見ているとすっごくはらはらするわ」
火に手を入れたり、魚に食われたりすれば、普通の人間の感覚として驚く。目の前でそんなことをされるのだから、とんでもない衝撃のシーンだ。実際に無事だとわかっても、しばらくはどきどきが止まらない。
「そっか? 驚かすつもりはなかったんだけど。んじゃ、次から気を付けるよ」
ジェイの軽い口調を聞くと、本当に気を付けてくれるのかな、とちょっぴり疑いたくなる。こんな衝撃シーンを見せるのは、今回までにしてもらいたい。
「ラディ、復元を頼むな」
「わかった」
ジェイに言われ、ラディは制服の袖に同化させている地図を取り出した。ジェイは火だまりから拾い上げたかけらをラディに渡す。
「そんな小さな物か。よく見付けられるものだな」
小さなジェイが持つとそれなりだが、ラディの手に渡るとかけらは手のひらの半分くらいのサイズ。今回はいつもより少し小さめだ。どちらにしろ、リジオルから見ればとても小さい。
「協力者の魔法があってこそ、オレにも見付けられるんだ。オレだけでこの山からこれを探し出せって言われても、んなの絶対無理」
いくら魔力の強い大竜でも、この山全体から探し出すのは確かに大変だろう。
落ち着ける場所ではないので、ラディは急いで復元の呪文を唱えた。ジェイから渡されたかけらは見ている間に薄っぺらくなり、紙に戻るとすでにある地図の一部と同化する。まばたきする暇もなく、継ぎ目は見えなくなった。
「よし、復元終了。これで半分……んー、まだそこまではいかないのかな」
「元々がどんな大きさの地図だったか、ちゃんと見られなかったもんね。でも、かなりいい感じになってきたと思うわ」
一辺の長さは二つの角ができたことで確定されたのだが、残りの角はまだ見付かっていない。このまま延々と伸び続け……ることはないと思いたい。
今回のかけら探しもどうにか終わりだ。色々あったが、誰も傷付かずに済んでいる。
「リジオル、今日はありがとう。助かったよ」
「他の見習い魔法使いという奴がどんなものか知らんが、少なくともお前達は悪くなかったぞ」
「はは……ありがとう。リジオルみたいに強い魔獣に言われると嬉しいよ」
よかった、とまではいかなくても、悪くない。今のレベルのラディとレリーナには、十分な賞賛と言えるだろう。
「リジオル、さっきは守ってくれてありがとう」
「さっき? ああ、動けなかった時のことか。あれくらい、どうということはない」
「嬉しかったわ。あなたにとっては大したことじゃなくても、あたしにとってはすっごくありがたいことだもん。さっきは頭の中が混乱してちゃんと考えられなかったけど、かばってもらったんだって。本当にありがとう、リジオル」
そう言って、レリーナはリジオルの首に手を回して抱き締め、その頬にキスをする。
「……それは人間の感謝の仕方なのか?」
「え? んー、誰もがこうするって訳じゃないけど」
「そうか。……まぁ、今のも悪くないな」
その様子を笑いながら眺めていたジェイは、帰りの扉を出した。
「ラディ、レリーナ、お疲れ。ゆっくり休んでくれ。また次も頼むな」
「ああ……っと、また魔物が現れたぞ」
もう水魔法は使っていないが、獲物の気配を感じたのだろうか。スライムのような魔物が火だまりから出てこようとしている。
「もうあいつらの相手は必要ないからな。早く戻れ」
ジェイに言われ、ラディとレリーナは急いで自分の世界へ戻るための扉を開ける。
「ねぇ、リジオル。もし機会があったら、あなたの子ども達に会わせてくれる?」
一度閉じかけた扉をもう一度開け、レリーナが尋ねた。
「ああ、構わないぞ。だが、来るなら早く来い。チビどもが巣立つ前にな」
「うん、楽しみにしてるわ」
二つの扉が閉じ、そして消えた。
「大竜の試練ってのも、悪くないだろ?」
「ああ、そうだな。さて、新手の相手は面倒なので、もう行くぞ」
現れた魔物達は、徐々にジェイとリジオルとの間合いを詰めている。だが、彼らにはもうこんな魔物と戦う気などない。
「ありがとな。んじゃ」
リジオルが地を蹴って宙を駆けて行くのを、ジェイは小さな手を振って見送った。
「さ、オレも帰ろっと」
近付いて来た魔物にまるで気付いてないかのように、ジェイはふわふわと宙に浮きながらシイアの山を下りて行くのだった。