花の森
カロックの地形もわからず、時計を持っていないので時間の感覚もない。聞いた話では、ロック鳥は一度羽ばたく度に飛ぶ距離は十里とも百里とも千里とも言われる。ちゃんとした資料がないからあいまいなものだが、とにかく一気に距離が稼げるということだろう。
そのロック鳥の翼を持ってしても、目的地にはすぐ着かない。それだけカロックは広いのだ。
己の感覚だけで言うなら、一時間を過ぎた頃だろうか。ようやく前方に白っぽいものが広がっているのが見え始めた。
「ジェイ、もしかしてあれが花の森なの?」
「そ。時期によって花の色は変わるけど、今は白みたいだな」
近付くにつれ、白い絨毯が敷き詰められているように広がりを見せる花の森。ここが今回の目的地であるグラワーだ。
「白いたんぽぽみたいに見えるわね」
恐る恐る下の景色を見たテルラがつぶやく。咲いているのは、花びらの多い白の花だ。二重三重にはなびらがあり、一番外側の花びらは完全に開いているが、それより内側の花びらはまだ咲きかけのようにすぼみがちのものが多い。おしべの花粉であろう黄色がとても鮮やかに見えた。
「……ねぇ、ファルザス。ここって結構高い所よね?」
「レリーナの高いがどれくらいか知らないけど、低くはないな」
「高い所なのに、どんな花が咲いてるかよくわかるってことは……」
小さい花なら、高い所から見ればその形もはっきりとはわからないはず。色が判別できる程度だ。しかし、眼下に広がる花畑の花にどういった形の花があるかわかるということは、それだけ大きいということになる。
「ジェイが言った、花には違いないって、こういう意味か」
上から見れば、花畑。確かにそんな感じに見える。だが、その花に近付き、花の下に降りれば、大きすぎてそれが何なのかわからなくなる。花には違いないが花に思えない、と話していたジェイの言葉の意味がこれではっきりした。
「それじゃ、あの花は私達より大きいってこと?」
「俺より大きいぞ。あの花より大きいのって、大竜くらいだろ」
「え……だって、ジェイはこんなに小さいじゃない」
「それは試練中だからっ。ちぇっ。人間くらいのサイズなら、小さいって言われずに済むのに」
テルラの「小さい」発言に、ジェイは拗ねる。いつも「小さい」と言われると拗ねるので、かなり現在のサイズに不満があるようだ。本来のサイズではないのに小さいと言われると、プライドが多少なりとも傷付くのだろう。
「それで、どの辺りまで飛べばいいんだ?」
ここから先がグラワー、と明確に境界線があるのではない。だいたいこの周辺がそう呼ばれている、という所まで来ても指示がないので、ファルザスがジェイに尋ねた。
「んー、もうちょい先かな。適当な所で下に降りてくれ」
「わかった。わかったけど……もうちょい先? いいのか?」
「ま、仕方ないさ」
「ジェーイ、今の会話は何だよ」
意味ありげなファルザスとの会話に、ラディが突っ込む。
「んー、まぁ、そういうことで」
「ったく……どうせわかるんだから、にごすなよな」
「な、何なの?」
今度はジェイとラディが意味ありげな会話を交わし、テルラが気にする。
「俺達がカロックの説明をした時に言ったろ。出るってことだよ」
「ええっ」
隠しても仕方がない。ラディがジェイに言ったように、どうせわかることなのだ。かけらへ近付くまでに、魔物有り、である。
ほぼ間違いなく出る、と聞いていたものの、出ないことに一縷の望みをかけていたテルラはがっかりした。いや、そんな簡単なものではない。地の底まで落ち込みそうだ。
「テルラは自分で結界を張れるだろ。俺、自分よりレベルが上の奴を守るような余裕はないからな」
「う……」
次は進級テストではなく、魔法使い認定試験を受けるテルラ。しかも、すでに二度受けている。つまりは不合格だった訳だが、修学部で習うはずの魔法は全て習っているのだ。当然、ラディより魔法の技も威力もあってしかるべきなのである。
「ラディ、そうもいかないと思うぞ」
「そうもって……どういう意味だよ」
「テルラはお前より弱いし」
「な、何よ、それ。私、上級2のクラスなのよ。中級のラディより弱いはずないじゃない」
ジェイの言葉に、テルラは憤慨する。上級2と言えば、修学部では最高レベルなのだ。正規の魔法使いまであと一歩、見習い魔法使いの中でも一番上である。
ラディは中級2だ。上級1ですらない。二つもレベルが違うのだ。それなのに、格下のラディよりテルラが弱いと言われれば、いくらこの状況に戸惑っていても気分を害するというもの。
「何だ、それ。何かの順番?」
ファルザスが質問する。カロックの魔獣には、当然ながら人間の学校のクラス分けなどわかるはずもない。
「この魔法ができたらこのレベルって、分かれてるんだ。で、テルラは俺より上のレベルの所にいるってこと」
「は? 何でそうなるんだ? お前らがどれだけの魔法を知ってるのか俺にはわからないけど、ジェイが言うようにラディの方が強いのに」
そう言えば、カロックへ来た時にジェイが相手の魔力の強さを感じ取ることができると話していた。魔力の強い魔獣にもそれが可能である、ということも。
だから、ジェイにもファルザスにも、ラディとテルラの強さが感じ取れるということなのだろう。その感じ取った結果、ラディの方が強い、となったのだ。
「ど、どうしてラディの方が強いのよ」
テルラは納得がいかない。レベルが上なら、強さも上のはずだ。
「どうしてって言われてもなぁ。ジェイ、わかるか?」
「んー、どうだろ。たぶん、鍛錬の差じゃないか」
カロックで魔物と対峙するために、魔物からレリーナや自分自身を守るために、ラディはこの世界へ踏み込んだ時から必死に魔法の練習をするようになった。練習を重ねれば、魔力は高まる。その差がここへ来て現れたのだ。
テルラも認定試験をパスするためにそれなりの練習はしているが、ここ最近のラディの鍛錬がテルラよりずっと上回っているのである。
「練習で……そんなに変わるものなの?」
「オレ達は種族によって、生まれながら持てる魔力の量ってのがだいたい決まってる。生まれてすぐはさすがに使い方がなっちゃいないけど、それは成長するにしたがってうまくなるんだ。人間の場合、ある程度の上限はあるだろうけど、やり方によっていくらでも力を増やしたり強くしたりできる……みたいだな。未知数って奴か。カロックには人間がいないから断定はできないけど、色んな奴の話を聞くとそんな感じみたいだぞ」
だからこそ、他のどの魔獣でもなく、人間が協力者として選ばれたのだ。
「オレ達は自然に魔力を使うから練習だの何だのをする必要はないけど、人間はそうもいかないんだろ。普段から使うようにしておかないと弱るらしいしさ。そういう意味で、ラディはテルラより魔法を使う時間が長いから、強くなってるんだと思うぞ」
「……」
テルラに思い当たる部分は十分にある。毎日のように遅くまで練習をして帰って来る弟。一方、自分は授業だけで満足していた。そのくせ、伸び悩んでいるかのように考えていたりもして。魔法使いになれなければ、本当に自分がしたい仕事の勉強ができないのに、先の楽しく思えることばかりに気を取られ、今するべきことをやろうとしていなかった。
「ねぇ、何か変な音が聞こえるんだけど」
「あ、レリーナにも? ってことは、だいぶ近付いて来たかなー」
自分の考えに沈みかけていたテルラは、ジェイの言葉にふっと現実に戻った。
「どうするんだ? あいつら、数で来るぞ」
ファルザスの言葉に、テルラは背中に冷たいものが走った。今の意味はつまり、こちらへ向かって来る非友好的な存在が近付きつつあるということではないのか。
それから、耳をすませてテルラも気付いた。空気を細かく振動させているような音がしている。カロックでなくても、あまり聞きたくないような音だ。
「ジェイ、あいつらってどんなのが来るんだ。もったいぶらずに教えてくれ。この音ってまさか」
「蜂の魔物」
ジェイの答えに、テルラだけでなくレリーナもぞっとする。蜂の大群なんて、見るのも嫌だ。しかも、こういう場所に現れるからにはきっと大きい、もしくは数が想像より多いと予想される。あるいは、その両方。
「きゃあっ。ま、まさか……あれなの?」
振り返ったテルラが悲鳴をあげた。後方に黒い点が無数に見える。それがこちらに向かっているのだ。
「ああ、そうそう」
ジェイの答えは軽い。だが、そんな軽い相手ではないはずだ。
「ジェイ、あいつらの弱点はっ?」
「火だけど、この辺りで使うと花に影響が出そうだよな。土か水、もしくは氷でいこう」
「わかった。あいつら、どれだけの数なんだよ……」
「百は超えてるな。でも、二百まではいかないってところか」
「あんまり慰めになってないわ、ジェイ」
苦笑するレリーナだが、その顔は少し青くなっている。虫は見るのも嫌、という程ではないものの、蜂が得意な人はそういないだろう。そして、彼女より青くなっているのはテルラだ。
「テルラ! 結界はできるだろ。自分にかける時、レリーナにもかけてくれ」
一応、出発する時にラディはレリーナに結界の魔法をかけてある。だが、二人分の結界があれば、何かあっても少々のことなら簡単には傷付かないはずだ。それに、レリーナ自身も少しずつ練習をしているから、三人分になる。
ラディは素早く結界を自分に張ると、飛んでいるファルザスの背中を後方に移動する。その後をジェイも続いた。ファルザスの背中はほとんど揺れがないので、移動は思ったよりも簡単だ。
「スピード、上げるか? その気になれば、蜂くらいは振り切れるぞ」
ロック鳥の飛行速度に追いつくことができるのは、大竜くらいだ。今は蜂の魔物が次第に近付いているが、これはファルザスが本気で飛んでいないから。じきに花の下へ降りるつもりでいたから、蜂の魔物でも追いつけるスピードしか出ていない。
「いや、振り切っても俺達がこの周辺をうろうろしていたら、また現れる。全滅させるか、俺達に近付いても損だって思わせないと、ゆっくりかけらを捜せないからな」
「ラディ……あんた、蜂の魔物を相手にするつもりなの?」
「やらなきゃ、生きて帰れないだろ」
少し風は感じるが、立っていてもファルザスの背中は安定している。ラディは次第に蜂の姿がはっきり見え始めた魔物に向け、氷を放った。氷が当たったらしい魔物が、地面へ落下していく。
「なぁ、ジェイ。あいつらってどれくらいの大きさなんだ?」
「んー、ファルザスと似たような感じかな。もう少し小さいくらいか」
「そんなにっ?」
思わず聞き返したのは、ラディではなくテルラだ。
「道理で、落ちる数が少ないはずだよな。もう少し氷を大きくしないと、ダメージが少ないか。今まで小物が多かったから、いきなりデカい奴を相手にするって勝手が違うんだよなぁ」
「あたしもやるわ」
「レリーナにはちょっときついぞ」
「あたしもそう思う。だから、ラディの援護をするわ。ラディが氷を飛ばして、あたしがその氷を風でさらにスピードを上げるの。そうすれば、同じ氷でもダメージを多く与えられるはずよ」
「お、レリーナ、賢い。ラディ、それでいこうぜ」
ラディがまた氷を後方に放つ。その直後、レリーナが風を起こした。先の尖った氷は矢尻が飛んでいるようなもの。それに当たると、魔物達は落下していく。さっきよりも数が増えたように思えた。やはり風に乗った分、当たった時のダメージが増えたのだ。
「お、いい感じだな。……あ、ヤバ。ファルザス、上昇!」
ジェイの声に従い、ファルザスが飛ぶ位置を高くする。さすがに揺れがあり、ラディとレリーナはバランスを崩しそうになった。
「何だ? あいつらも飛び道具?」
それまでファルザスが飛んでいた位置に、魔物が何かを放ったのだ。ジェイがいち早くそれに気付き、よけられるように指示を出したのである。
「毒針だ。すぐに死ぬことはないけど、身体が麻痺して動かなくなる。そこを襲われたら、逃げられないからな」
それを聞いて、三人はぞっとなる。結界を張っていても、どこまで防げるものなのか。
「俺がそう簡単にやられる訳ないけどさ。けど、あんまり調子よく上昇や下降を繰り返してたら、ラディ達が落ちかねないからなあ」
いくらファルザスの背中が揺れにくいと言っても、さっきのように急上昇だと危ない。座っていれば危険はぐっと減るのだが、そうすると今度は攻撃がしにくくなる。
「テルラ」
「え……え、何?」
呆然と状況を見ていたテルラは、いきなりラディに自分の名前を呼ばれて我に返る。
「今度攻撃されたのが見えたら、ファルザスの後方に防御の壁を出してくれ。俺は攻撃に集中するから」
まさか弟に魔法の指示を出される日が来るとは、夢にも思わなかった。
しかし、ここで拒否はできない。魔法が全く使えない一般人ならともかく、じき認定試験を受けようという見習い魔法使いが危険な状況を見物する訳にはいかなかった。
とは言え、恐怖と緊張で混乱している中、いつものように魔法が使えるかどうか。
ファルザスが上昇したのを見て、蜂達もそれを追って上昇してきた。
「やーっぱ、全滅させないとダメみたいだな。今度はオレも氷を出す。ラディ、同時にやればレリーナの援護の風が一回で済むぞ」
「ああ。いくぞ」
さっきより倍以上の氷のつぶてが、魔物に向かって放たれた。





