レリーナがんばる
下を見れば、かすんで地形がよくわからなかったり、それまでいた場所のようにくっきりしていたり。局所的に霧が出るとジェイが話していたがその通りだ。
「今から行く所も、モッドの森の一部なの?」
「そうだ。ミネスの実を付ける木は、森であれば少なくとも一カ所以上は存在する。森に棲む者にとっては大切な薬のような実だからな」
「貴重な実なのね」
彼らにとっては、薬局のようなもの、ということだろう。
「もっとも、弱い者はそれを手に入れる前に命を落とすことも多い」
「そこへたどり着くまでに力尽きるってこと?」
「それもあるが、弱って動きが悪いところを他の奴に襲われるからだ」
獣や魔物も、生きることは大変なのだ。
「あまり離れた場所でなかったのは、幸いだな。時間をかけずに済む」
「そうなの? あたし、ジェイが場所の説明をしてくれてもさっぱりわからなくて」
「カロックの者であっても、行動範囲が狭ければわからない。まして、レリーナは異世界の者だから、わからなくて当然だ」
「うん……」
シュマにすれば事実を言っただけなのだが、レリーナはちょっと慰めてもらったような気がして嬉しかった。
「シュマがいてくれて、よかった」
「いてくれて? 呼び出したのはお前達だろう」
「実際に呼び出したのは、ラディよ。あたしね、本当のことを言うとシュマとふたりで行くのが不安だったの。あたしはまだ魔獣を呼び出す力はないし、カロックに来てなきゃこうして大きな魔獣に会うこともなかったわ。呼び出したラディもジェイもいなくなってあたしだけになったら、シュマはあたしのことなんて放ったらかしにしないかなって」
「バカか、お前は」
「え……」
背中に乗っているので「面と向かって」ではないが、こうもはっきり誰かから「バカ」と言われたのは初めてだ。
「呼び出したのは確かにラディだが、オレは大竜の試練込みでお前達に付き合ってやると言ったんだ。術者にのみ協力するというのであれば、ラディが流されていなくなった時点で術者がいなくなったからと帰っている」
「そ、そうなの?」
「とりあえず、ラディがジェイの力やミネスの実でどこまで復活できるか、見物だからな。少なくともそれまでは付き合ってやる」
要するに、ラディのことが心配のようだ。少なくとも、気にはなっている。シュマはこんな言い方をしているが、ちゃんと力を貸してくれているのだ。
「ありがとう、シュマ」
「ど、どさくさにまぎれて首を絞めるな」
「絞めてないわよぉ。ちょっと抱きついただけじゃない」
「じっとしていろ。バランスを崩して落ちるぞ」
「はーい」
レリーナが礼を言いながら抱き締めたことで、シュマはうろたえたらしい。大きくてクールなイメージが定着しつつあったシュマだが、レリーナはその様子にかわいいと思い始める。さっきまでちょっと怖く感じていたのがうそみたいだ。
「着いたぞ。降りるからな」
「うん」
シュマは旋回しながら目的地へと降りて行く。降りた場所は、やっぱりさっきまでいた場所と代わり映えしない景色だ。本当に移動したのかと思えてしまう。
「この先をもう少し行くと、ミネスの実がなる木があるはずだ。ジェイの記憶が正しければだがな」
「正しくなかったら、戻って聞き直さなきゃいけないってことね。ジェイのことだから、大丈夫よ」
シュマから降りると、レリーナはぬかるみに足を取られないよう、地面から盛り上がったツルの部分を飛び移った。
「あれだ」
少し歩いていると、シュマがそう言った。足を踏み外さないように下を向いた状態で移動していたレリーナは、その声で顔を上げる。
そこはちょっとした広い空間だった。周囲はツルの木が伸びてアーチを造っているので薄暗いものの、これまでいた所よりは開けている。
その中央に、太い木が立っていた。ツルが絡み合って木になったのではない、ちゃんとした本当の木だ。久しぶりにまともな木に出会えた気分である。
恐らくレリーナが三人くらいいて、何とか囲める程の太い幹。枝振りもしっかりしたものだ。くすんだ緑の葉は、茂っているとは言いがたい。晩秋から初冬にかけての落葉樹レベルの数といったところか。しかし、枯れたりしているようではないから、この程度の葉しかつけない木なのだろう。
「ミネスの実、なってる?」
「茶色くて丸い実がなってるぞ。見えないか?」
まだ少し距離があるため、レリーナにはすぐに見えない。だが、言われて目をこらすと、確かに茶色の丸い物が枝からぶら下がっている。大きさはリンゴくらい、だろうか。枝から落ちないまま、腐ってしまった……ような。
「あれなの? 復活させる実だから、もっと……何て言うか、元気さをイメージできる赤やオレンジ色の実かと思ってたんだけど」
「場所によって、姿が異なる。目立つことを好まない実だ」
「だから、ぬかるんだ地面と同じような茶色なのね。おいしそうに見えないから、知らないと取る気になれないわね」
今はおいしさを求めているのではなく、その実が持つ復活の力だ。
「三つだっけ。早く取って、ラディの所へ戻らなきゃ」
「待て、レリーナ」
レリーナが木の方へ歩き出そうとした時、シュマが止めた。その直後、木とレリーナ達の間に何かが落ちて来る。
「きゃああっ」
その正体を知って、レリーナは思わずシュマにすがりついた。現れたのは、レリーナよりも大きな身体のカエルだったのだ。背中にいくつもこぶらしきものがあるから、イボガエルといったところか。暗い緑やら茶色やらがまだらになった表面だが、本当の身体の色はどれだろう。茶色は泥かも知れない。とにかく、大きすぎて不気味な姿だった。
レリーナは、触れないが見るくらいなら平気だ。しかし、ここまで大きいカエルだと、見ているのもいやになる。魔法使いを目指す者であれば、どんな醜悪な魔物と遭遇するかわからないから好き嫌いなど言っていられない。しかし、本能的に近付きたくない対象というものもある。目の前の巨大なカエルがまさにそれだ。
「何だぁ、お前らは。ここに何の用だ」
予想通りのガラガラ声だ。
「あ……あたし達はミネスの実を取りに来たの。そこ、通してもらえない?」
カエルはレリーナ達の行く手を阻む位置にいる。こちらが横に移動すれば、同じように移動しそうに思えた。だいたい、この位置に現れること自体、意図的だ。
「ミネスの実を取る? それは許さん」
カエルはゲロゲロと鳴き声とも嗤い声ともつかない音を出しながら言う。これもまた予想できた答えではあった。
「あたしの友達が弱っていて、あの実が必要なの。お願い、取らせて」
「だーめだ。実は渡さん」
「あの木はお前のものではないだろう」
「わしはここに棲んでおる。わしの住処にある木だから、わしのものだ」
「そんなの、勝手すぎるわ」
シュマにすがりついていたレリーナだが、カエルの言い分には納得できずに言い返す。
「あの木は自然の中で生えてるでしょ。だったら、誰が取ってもいいじゃない。独り占めなんてひどいわ。死にかけたら自分だけあの実を食べて復活するつもりなの?」
「まだ死にかけたことなどないが、そうなった時はたらふく食らうさ。他の誰にもあの実をやるもんか」
鳴き声はやっぱり嗤い声に聞こえる。レリーナは腹が立ってきた。カエルの言い分にも、こんなカエルにびっくりして怖がってしまった自分にも。
「あたしはあの実が必要なのっ。絶対にもらって行くわ」
「けっけっ、取れるものなら取ってみろ」
カエルが言った途端、舌が伸びてきた。シュマがレリーナの襟首をくわえてその場から逃げる。
「当たったら飛ばされてツルの木や地面に叩き付けられるぞ」
「あ、ありがとう、シュマ」
ピンクを通り越して、毒でも含んでいそうな赤紫の舌。太いムチみたいだ。
「どうしたぁ? 威勢がいいのは、口だけか。まぁ、わしの前に来る奴なんざ、みんな似たようなもんだがな」
「自分が一番だと思っているらしいな」
「あたしは急いでるの。そこをどいて。あたしだって、手加減しないわよ」
正確には「しない」のではなく「できない」のだが。まだコントロールができる程に器用ではない。攻撃魔法の練習では、むしろ力が足りないくらいだ。だから、いつも目一杯な状態でやっている。今はそのやり方でやるべきだろう。
「わしから離れておいて、大きな口を叩きおる。だったら、全力がかかってこい」
カエルが挑発し、泥のつぶてを向けてくる。レリーナとシュマは、そばのツルの木の陰に隠れた。泥は大きな音をたてて、ツルや地面に当たる。その音からして、かなり勢いがありそうだ。当たればかなりのダメージになってしまう。
「そうやって、今まで実を独り占めしてたのね。そんなことばっかりしていたら、いつかしっぺ返しがあるんだからっ」
「わしにそんなことができる奴がおれば、の話だがな」
「何よ、あのカエル。ほんっとうにかわいくないっ」
「レリーナ、ここで火は使うな。木が弱る。木が弱ったら、実を落として使い物にならなくなるぞ」
落ちた実を拾っても持ち帰れない、ということだ。
「わかったわ」
「けっけっ、火以外でわしに勝てるかのぉ」
会話が聞こえたらしい。そのしゃべり方がいちいち癇に障る。火は弱点のようだが、あの木がある限り安全だと高をくくっているのだ。カエルを倒しても実が手に入らなければ意味がないから、こいつらは絶対に火を使わない、と。
「何よ。ここがカロックだろうとどこだろうと、あんたが両生類には違いないじゃない」
火がダメでも、攻撃魔法は他にもある。レリーナは氷結の呪文を唱えた。カエルの周囲に吹雪が舞い、突然の寒さにカエルはぎょろりとした目を白黒させる。この森で霧が漂うことはあっても、ここまで気温が下がることはない。カエルにとっては初めての経験だ。
レリーナは氷結の魔法が得意と言える程のレベルではない。しかし、前回カロックから戻って来て自主練習はしていたし、今はカエルに対する腹立ちもあるせいか、うまく発動していた。
「この……小娘が」
「小娘だってあなどるからよ」
レリーナはさらに氷の呪文を唱え、カエルの周囲に氷の棒を立てた。先が地面に刺さり、カエルは氷の檻に閉じ込められた形になる。地面がぬかるんで柔らかいのが幸いしたようだ。地面が固ければ、刺さる前に折れてしまう。本当ならもっと太い氷柱が落ちたような状態になるはずだったが、今のレリーナにはそこまでできる力がないのだ。氷の棒そのものは細いが、それでも吹雪で動きがにぶっていたカエルはどうすることもできない。氷に触れれば、さらに動きが悪くなってしまう。
「ほう、やるな」
「シュマ、今のうちにお願い」
「ああ、乗れ」
レリーナが背に乗ると、シュマは木に向かって飛んだ。木の下に来ると、レリーナは手を伸ばして実をもぎ取る。
「おのれぇ、小娘。実は渡さんぞ」
カエルが氷の棒の間から舌を伸ばし、レリーナの邪魔をしようとする。しかし、その舌の動きもさっきに比べればゆっくりしたもの。こちらへ伸びてきた舌を、シュマは軽くはたき返す。途端にカエルは悲鳴を上げてのたうち回った。軽くはたいたシュマの脚先には、鋭い爪が出ていたのだ。はたかれただけでなく、爪で傷付けられてまともに動かすこともできない。転げ回ってレリーナが出した氷の棒は折れてしまったが、氷に触れたことでまた動きも鈍る。しかし、カエルはそれどころではなく、攻撃された痛みに泣いていた。
その間にレリーナは急いで実を手に入れる。
「三つ取ったわ。こういう実でなきゃいけないって条件、ないわよね。熟れ方がどうとか」
「ああ、その実なら問題はない。しっかり掴まれ。さっさと戻るぞ」
「うん」
まだのたうち回っているカエルは放っておき、ミネスの実を抱えたレリーナを乗せてシュマはその場を後にした。