最終話 結局どちらが勝ったのか
人々はその瞬間、奇跡を目の当たりにした。――天空に突き抜ける、眩いほどの光。
閃光と爆発は数度に分けて起こった。やがて一際大きな光が弾け、静かになった。
誰かが呟きを漏らす。
「――聖女様が救ってくださった」
人々は涙を浮かべ、聖女メリンダ・グリーンに感謝した。
***
三百年前、勇者は全てのことに辟易していた。
彼が何より気にかけていたのが、病弱な妹のことである。しかしその弱みを有力に利用され、理不尽に酷使され続けた。そして実はその妹こそが、彼を便利に利用していた事実を知ってしまい、何もかもがどうでもよくなっていた。
妹は苦労知らずの娘で、自分自身にとても甘かった。だから兄の安全よりも、自らが心地良くいられる暮らしを取ったのだ。それはもしかすると生物としては正しい選択なのかもしれなかった。
やがて魔王の待つグィネヴィア山に辿り着いた時、勇者は死に場所を求めていた。――仲間も大勢死んだ。中には気の合う人間もいたと思う。彼はただただ疲れ果てていた。
対面した魔王はなんだかおかしなやつだった。性別がないのか、美しい少年のようにも見えたし、中性的な雰囲気の謎めいた少女のようにも見えた。
闇よりも艶やかな黒髪に、海の底を思わせる青い瞳。なんだか気の毒そうにこちらを見てくるその視線が、妙に癇に障った。
破れかぶれに剣に魔法を纏わせて斬りかかると、柳のように柔軟に押し返される。
魔王の魔力は氷系統なのに、どこかあたたかみがあった。受けていておかしな感じがした。
透き通っていて美しい。氷が砕けて眼前で散る。
ああ――なんて綺麗なのだろう。
幾度目かの激突のあとで、魔王が唐突に口を開いた。
「私も死ねないんだ。たぶん強すぎて」
馬鹿かと思った。何を寝ぼけたことを。
「俺が殺してやるさ」
睨み据えると、やつは気が抜けたように笑った。
「ふぅん、そいつは面白そうだ」
いい加減にしろと思う。ふざけるのもいい加減に――
「では、そろそろ本気を出す。私もお前を殺してやるよ」
一段階魔力の圧が増した。すごい、圧倒的だ。負けるかもしれない。
勇者も全力を振り絞る。拮抗する二つの力は、互いを高め合い、たやすく次元の壁を越えて行った。
まるで長いあいだ旅に出ていたような感覚だった。しかし時間にしたら、ほんの一瞬の出来事だったかもしれない。次が最後の一撃になることが、勇者には分かっていた。おそらく魔王にも。
荒んで投げやりだった勇者の瞳が、ふと和らぐ。激突の刹那、彼は笑み交じりに告げた。
「――来世でまた会おう」
どうしてそんなことを口にしたのか分からない。それに対して魔王が答える。
「いいだろう。――その時はお前が私を探せ」
どこまでもふざけたやつだった。
力が激突する。爆発的な光に包まれた。死を迎える瞬間、勇者は魔王の腕に包まれたような気がした。
魔王につき従っていたイフリートが圧力に耐えきれずに、氷を纏いながら青く小さく収縮する。それを横目で眺め――
それきり何も分からなくなった。
***
それから三日間ヴィクトリア・コンスタムは眠り続けた。
眠りに眠って目覚めた時、色々なことが胸の底から突き上げてきた。お腹も空いていたし、気も立っていて。
――どうして自分は知らないあいだに婚約させられてしまったのだろう。ヴィクトリアが気に入らないのはまずそこだった。
考えてみると、クリストファーがしたことは、卑怯な騙し討ちばかりだったように思う。最終局面で親切に助けてくれたような雰囲気になっていたが、その直前の茶会では、ヴィクトリアはやつの指示で荷馬車に放り込まれたのだし。
――納得がいかない。
食事を終えたヴィクトリアは、ギスギスした気持ちを抱えて王宮を訪ねた。クリストファーと喧嘩をするつもりで。
もしかすると聖女と闘った興奮がまだ残っていて、ヴィクトリアは好戦的な気持ちになっていたのかもしれない。幸い仲間は皆無事ではあったけれど、イフリートの炎でデズモンド市民に犠牲が出たこともあって、本当は深く傷ついていたのかも。
ヴィクトリアを迎えたクリストファーは、初めはドSぶりをどこかに仕舞って、丁寧に応対してくれていたのだが、ヴィクトリアが『婚約はなかったことにしたいわ』と言い出したことで、何かのスイッチが入ってしまったようだ。
ガーデンテーブルを挟んで座りながら、
『聖女、町を救う』
と書かれたゴシップ誌を見せて、ヴィクトリアの神経を逆撫でしてきた。
彼が意地悪モードになると、ヴィクトリアのほうはもっと意固地になる。それで散々可愛くない態度を取って、喧嘩別れするようにその日は家に帰った。
「……お嬢様は何がしたいのですか」
侍女のペギーが呆れたように言うので、ヴィクトリアは子供のようにムクれ、枕を放り投げた。
「知らないわよ! 私は悪くないもの」
「殿下に嫌われてしまっても、よろしいのですか?」
「別に構わないわ。婚約はなしにする! 絶対、なしにするから」
ヴィクトリアは癇癪を起して、そのままふて寝に入った。
――そして翌日。彼女はふたたび王宮を訪ねた。
***
クリストファーは玉座に腰かけていた。――現王は体調が芳しくないとのことで、少し前から療養に入っているとのことである。
ヴィクトリアは背筋を伸ばし、クリストファーのほうに近づいて行く。
こうして見るとやはりクリストファー・ヴェンティミリアという男は、呆れるほどに見目が良い。艶やかな黒髪に、涼しげな瞳が印象的で。精悍なようでいて、しなやか。男らしい色気もあるけれど、顔立ち自体は繊細で優美だ。
彼は黙ったままこちらを眺めている。ヴィッキーは怒ったように彼を見上げながら口を開いた。
「――私に何か言うことはないの?」
すると驚いたことにクリストファーは、質問に質問で返してきたのだ。これはマナー違反だと思う。
「君のほうこそ、僕に何か言うことはないのか?」
「何かって、何よ」
「僕は気持ちをきちんと伝えた。だけど君から返事はない」
「そんな要求は男らしくないと思うわ」
文句を言いながら、玉座へと続く階段を上がって行く。クリストファーは尊大に構えて、彼女の悪態を突っぱねた。
「君はまったく可愛げがないな」
「どの口が言うの」
「見えているだろう」
すぐ目の前で足を止めると、彼が自然な動作で手を伸ばして来て、ヴィクトリアの腰に手を添え、そっと引き寄せる。
ヴィクトリアは青い瞳を見おろしながら、彼の太腿に膝を置き、囁きを落とした。
「私は可愛げがない?」
「さぁ、どうかな。僕は嘘つきだから」
「嘘はよくないわ。喧嘩のもとよ」
「それについては同感だ」
「素直にあなたから愛を乞うなら、キスしてあげる」
ヴィクトリアが頬を撫でながらそう言うので、彼は眩しげに可愛い恋人を見上げた。
「やはり君が愛していると言うのが先だ」
「馬鹿みたい」
さて、求めたのはどちらが先だったのだろう。
ヴィクトリアは彼の膝に腰を下ろして、瞳をそっと閉じた。――唇が重なる。
恋人同士の触れ合いはなんだかくすぐったく感じられて、ヴィクトリアが思わず笑みを漏らすと、彼もまた微かに笑った気配がした。
「まだ認めない気か?」
「一生言わないわ」
ヴィクトリアの唇が美しい弧を描いているのを見て、クリストファーはそろそろ本格的に降参しようかと考えていた。彼を屈服させることができるのは、この世界広しといえども、ヴィクトリア・コンスタムくらいのものである。
「――だけど結婚はしてあげる」
彼女の悪戯な言葉を聞いて、これはもうどうあっても勝ち目がないと悟るクリストファーなのだった。
――魔王と勇者、転生したのにまた出会い――(終)