49話 囮作戦
「こいつは……」
アレクの顔が青ざめている。キールも普段から表情が変わらない方だけど、あれはビビってるな。暑くもないのに汗が流れ落ちている。かく言う俺も、この状況は予想外……と言うか、ここまでのピンチは想定していなかった。
「とにかく、まずは一般人の避難が最優先だ」
俺は、改めて2人にミッションの優先順位を伝える。目の前には絶望的な状況、そこからローザさん達を逃がして、更に自分たちの命も守る。これがベスト。
「……いや、違うな。ローザさん達を逃がして、俺達も無事生き残る。これが最低ラインだ、いいな2人とも」
「……そうだな。それくらいできないで、何が冒険者だ。俺は、ここを生き残ってCランク冒険者の仲間入りを果たすんだ!」
アレクさん、それフラグっす。ここで言うのは、マジで止めて……。
「俺も、こんなところで死ねない。折角恋人ができたのだ、この程度の危機乗り越えて見せる」
キールもフラグ乱立させるなよ…………って言うか、え!?
「……あの、キールさん?今、恋人って聞こえたんですけど……」
「そうだ。この戦いの中で離れてみて、改めて大事な存在だと気付かされた」
「おい、それって……」
まさか、こんなところでカミングアウトなんて……マジ止めて。これ、本当に死亡フラグじゃねえかよ。
「知らなかったよ、お前と……」
「ああ、俺とミランダは付き合っている」
「そうか、エミr……え、ミランダ?」
「そうだが、何かおかしいか?」
あ、アレクがすっげえ安心した表情をしている。なんだ、こいつらパーティ内で上手くやってんだな。それにしても、ミランダか……あいつ、いつも俺に絡んでくるのを何とかしてほしいんだけど。
「キール、帰ったらミランダに言ってくれよ。もう少し、穏やかに接してほしいって」
「……すまんな」
え、それで終わり!?いや、もうちょっと頑張ろうよ。アレクを見ると、首を横に振っている。え、ダメなの?もう、なんか死亡フラグとかどうでも良くなった……。
「とにかく!俺達3人で、あの魔物たち全てを惹き付けるぞ。そうすれば、ローザさん達があそこから動くことができる」
「……そうだな」
「わかった」
剣を抜いて構える2人。俺は改めて、頭上に留まるモスマンを見据える。恐らく、こいつらはこれ以上降りて来ないだろう。そこにいれば、自分たちが攻撃されることは無いと嵩を括っている。その油断を利用させてもらう。
「アレク、キール。2人には周りにいる魔物を任せる。あのモスマンは、俺が受け持つ」
「大丈夫なのか?俺もキールも空中にいる相手に対しての攻撃方法を持たないから、役に立てないが……」
「大丈夫だ。今のあいつらは油断している。その隙を突いて、何とか数を減らす」
最後に、チラッとローズさんたちの方を見る。大丈夫だ、みんな走る準備をしてくれている。これなら、こっちの動きに合わせてくれるだろう。
「……よし、行くぞ!」
3人同時に、それぞれ魔物たちに向かって駆けだす。ここを凌げば、ギルドまでは後少しだ。周りに人が居ないのが気になるけど、今は目の前の脅威に集中しよう。
同時に動き出した俺達に対して、魔物たちは余裕をもって対峙している。アレクもキールも飛び道具の類は持っていない。その状況で空中の敵と戦うためには、屋内に引き摺り込む必要がある。かなりギリギリの作戦になるけど、あの2人には少しずつ建物内に魔物を誘き寄せるようにお願いした。危険な、それこそ命に関わる大怪我をする可能性もある作戦だけど、2人とも了承してくれた。その期待に応えるためにも、俺は目の前のモスマンで足踏みする時間は無い。
「解るぞ、お前たち今笑ってるだろ……」
見えるモスマンの表情、複眼に触覚と虫の特徴を残しつつ、フサフサした顔はどこか可愛さすら感じさせる。その表情の読めない複眼、だけど間違いなく笑っている。その視線を向けられた俺だから解るのか、こいつらは俺をバカにしている。
「いいぜ、その油断を後悔しやがれ」
鱗粉を吸わないように、呼吸を止める。そして、跳躍のスキルを発動。一気にモスマンたちの中央に躍り出た。
「キィキィィ!?」
へえ、蛾って鳴くのか。そんなどうでもいいことを考えながら、範囲にいるモスマンに攻撃する。右手、左肘、左膝、右足……使える部分は全て使って浸透を発動する。
手応えを感じて、残り1匹の頭を掴んで地面に引き摺り倒す。
グシャ!
地面に叩きつけられたモスマンは、頭を失ってもまだピクピクしている。こういうところは、やっぱり虫なんだな。なんて生命力をしてるんだよ。
着地と同時に、地面を蹴って更に跳躍。未だに何が起こったのか、理解できずに混乱しているモスマンを更に攻撃。ここでも4匹を倒して着地する。頭上からは、すでに死んでいるモスマンの死骸が降ってくる。それを浴びないように、後ろに飛んで距離を取る。
「ふぅ~……」
距離を取ったことで、大きく呼吸をする。今の一瞬で9匹を倒せた。これも攻撃手段が無いと油断していたからこそできたことだ。ここからが、本当の戦いだ。
「へっ、驚いたか?」
空中にいるモスマンたちを見れば、やっと状況が理解できたのか、しきりに『キィキィ』鳴いている。あれって、本当に鳴いてるのか?蛾の生態なんて知らないから、判断のしようがないな。それでも、その表情はさっきまでと違って、明らかに怒りを滲ませている。よし、とりあえずモスマンのヘイトは稼げた。これで、ちょっとやそっとじゃローザさん達の方には向かないだろう。
「後は、アレクとキールだけど……」
顔を動かさないように、視線だけでアレクとキールを確認する。2人とも、空からの攻撃に苦戦をしている。なんとか、致命傷になるような攻撃は避けているけど、すでに身体のアチコチを切り裂かれている。
「アレクの方にいるのは、ガーゴイルか?石でできてそうだけど、本当にあんなのが飛ぶんだな」
アレクが纏わりつかれているのは、猿のような顔をしたガーゴイル。その数5体。空中からの爪による攻撃を、何とか剣や鎧で防いでいる。あれなら、致命傷を負う前に何とかなりそうだ。
「キールの方は……あれは、ハエと……ダンジョンで見た蜂の魔物か」
キールの方も、今は何とか耐えている。周りをブンブン飛び回られているけど、そもそも対して攻撃力がある訳でも無いのか、今のところは上手く回避している。とりあえず、2人とも少しずつ建物に近づいている。
2人に気を取られていると、空中から『キイィイィィ』と何かを擦り合わせるような音と共にモスマンが一斉に飛びかかってきた。9匹を倒したからと言って、まだ10匹以上いる相手だ。油断は全くできない。
「更に、ここからは鱗粉を吸い込むことを覚悟しながら戦うしかない状況だしな」
人はいつまでも、息を止めて動くことはできない。できるだけ早く倒しきりたいけど、その前に絶対息継ぎが必要だ。その時に吸い込む鱗粉の量によっては、身体が動かなくなる可能性がある。それまでに、少しでも数を減らしたい。
「ふぅ~……よし!」
深く息を吸い込んで、襲い掛かって来るモスマンに向き直る。ここからは、最小限の動きで、できるだけ息を無駄にしない。俺に向かって飛び込んでくるモスマン。見れば羽は折りたたんで、速度が出そうな形をしている。くそっ、ちょっとカッコいいって思ってしまった。あれは、体当たりしてくるのか?
「キイキィィイィ!」
ぶつかる直前に、少し左足を下げて身体を横向きにする。そのすぐ傍を風の塊が通り過ぎていった。思ったよりも早い、だけど避けられないほどじゃない。そう思って、別のモスマンに向き直ろうとしたとき……。
ブシュッ!
「……えっ?」
突然、右腕が肩のあたりで切り裂かれた。結構深く入ったのか、血飛沫が飛ぶ。そして、思わず声を出してしまってから気付いた。
「しまった、鱗粉が……」
そう思った瞬間、身体がズンっと重くなるのを感じた。自分の思ったように身体が動かない。重いと言うよりも、脳からの指令に対してラグが発生している感じだ。これが、鱗粉の毒か。
「くそっ……いきなり、シナリオが狂った」
次々と襲い掛かって来るモスマン。普段の俺なら間違いなく避けれる、そんなタイミングでも毒に侵されたことで思うように身体が動かない今では避ける事も難しい。襲い掛かるモスマンたちを、何とか避けていくけど、その度に血飛沫が舞う。しばらく攻撃を受けていて気付いた。
「……あの触覚か」
モスマンたちは、頭についている触覚を鞭のようにしならせて俺を攻撃している。重い身体を動かして、何とか打点をずらすことで最初の攻撃程のダメージは受け無くなったけど、それでも小さく無いダメージが蓄積される。これでは、遠くない未来に動けなくなる。
更に、問題はそれだけじゃない。
「……まずい、目も霞んできた」
度々の裂傷に、荒い呼吸。傷からも口からも、モスマンの毒が体内に入る。最早モスマンたちは、止まる事無く俺の近くを飛び回っている。まるで、勝利の舞のように鱗粉を輝かせて踊っている。
霞む目でアレクとキールを見る。2人とも、無事に建物内部に入ったみたいだ。後は俺だけか……。後になればなるほど動けなくなることが目に見えているので、ここで行動を起こすことにする。
「う、うわぁぁぁ!」
モスマンたちから逃げるように駆け出す。なりふり構わずに、叫びながらローザさん達がいるのとは逆方向に走る。勝利の舞を踊っていたモスマンたちは、俺の足掻きを見ながら追いかけてくる。よし、距離が開いた。俺は横目でローザさん達がいる方を見る。
ローザさんと目が合った。苦しそうな表情をしながらも頷くローザさん。そして、周りに何かを言いながら他の仲間たちを急き立てる。カメリアとポロンが最後まで抵抗していたけど、何とか一緒に逃げてくれた。
「……よし、これでみんなは大丈夫」
自分の身体なのか疑わしくなるほど、重い身体を引き摺ってモスマンたちから距離を取る。モスマンたちも、俺が最後の足掻きをしていると解っているので付かず離れずで付いてくる。そして、この逃避行の終着点。
「ここまで来ればいいだろう……」
崩れた建物を背に、モスマンたちに向き直る。正直、もう一歩も動きたくない。まさか、ここまで毒がきついとは思わなかった。完全に想定外だ。だけど……。
「……お前たちは、絶対に倒す!」
震えながらも、何とか両腕を上げてファイティングポーズを取る。もはや11R戦ってボロボロになったボクサーみたいだ。モスマンたちは、俺を半包囲する形で周りを囲む。
「さて、ファイナルラウンドだ。しっかり付き合ってくれよ……」
ここを凌いで、アレクとキールと合流する。それだけを考えて、俺は覚悟を決めた。




