44話 空を覆う黒雲
「ダッジさん!」
「おうホクト、お前らも無事だったか」
周りを見れば魔物の死体、死体、死体。この人どれだけ、ここで暴れたんだよ。他にも冒険者たちがいるけど、ダッジさんの周りに転がる死体の数が一番多い。
「これ、全部ダッジさんが?」
「まあ、司令官としては失格なんだろうがな。ここで前線を支えていたら、気付いたら結構な数を倒してた」
頬を掻きながら苦笑するダッジさん。いやいや、これ100や200じゃきかない数の魔物がいますよ?俺やソウルも、結構倒してきた自負はある。だけど、今目の前に転がる死体の数を見たら、背筋を冷たい汗が伝い落ちる。
「俺、初めてダッジさんが本気で戦ってるところを見たかも……」
ソウルも、若干冷や汗をかきながら周りを見ている。俺だってそうだ。普段、訓練場で俺を扱いてくれているから、ダッジさんの強さってのは身に染みて解ってる……つもりだった。今、目の前で無傷で笑っているダッジさんは、間違いなく化け物クラスの冒険者だ。しかも拳闘士のダッジさんが倒した魔物たち、一滴の血も流していない。これってつまり、内部だけを破壊して臓器を傷つけていないって事だよな……こんなこと、今の俺には到底無理だ。
「ダッジさん、後進の育成とか言ってないで、もう一度てっぺん狙ってみたらどうですか?」
俺としても、師匠が強いって言うのは鼻が高い。そんな師匠に教わっている俺が、DやCランクで燻っていられないと駆り立てられる心境ではあるけど、それでもあの背中を追っていきたいと思う。
「なんだ、もう勝ったつもりでいるのか?」
そんな、高鳴る気持ちに水を差してきたのはリザードマン。こいつ、まだ続ける気なのか?
「この状況を見ても、まだ戦う気でいるお前がすげえよ」
ソウルも呆れ顔でリザードマンを見る。俺から見ても、これは詰み状態に見えるけど……。
「お前は、これが戦争だと言った。ならば、指揮官として引き際を見誤っているのではないか?」
「引き際?……ククッ、面白い冗談だ。俺達はまだ負けていない。それに……」
「それに?」
何だろう、目の前のリザードマンから嫌な気配が漂ってくる。俺は、今までに何回もこういう盤面がひっくり返る様な気配を味わって来た。地球にいるとき、野球の試合で9回2アウト、7点差で勝利目前。後1人と言う場面。誰もが勝ったと思ったあの時、俺は今と同じ気配を感じていた。結果は、まさかの逆転サヨナラ負け。味方のエラーで3アウト目を取りこぼしてからは、あれよあれよと言う間に点を取られ、気付いたら試合が終わっていた。
「……ダッジさん、俺今すげえ嫌な予感がしてる。信じてもらえないかもしれないけど、この嫌な予感は当たるんだ」
「……奇遇だなホクト。俺にも、お前が感じている嫌な予感に似たものを感じているよ」
「はっ?ここまで来て、まだ何があるって言うんだよ。こいつのハッタリに決まってんだろ?」
ソウルは感じてないみたいだけど、ダッジさんは俺と同じように嫌な予感を感じている。目の前のリザードマンは、まだ何かを隠している。そして、それに絶対の自信を持っているんだ。
「気を付けろ2人とも。まだ気を許して良い状況じゃない!」
改めてダッジさんが拳を構える。それを見て、俺もソウルも戦闘態勢を取る。でも、一体何が……。
「ホクト!」
そこに、カメリアとターツさんが合流した。これで、いよいよ戦力差は決定的になってきた。リザードマンを守る魔物は100匹いるかどうか。それも、そこまで強い個体はいないように見える。
「さて、これでもお前は俺達に勝てるって言うのかよ」
ソウルがダッジさんに並ぶ。こいつも、こういう所では目立ちたがりの血が騒ぐのか、いつも誰よりも前にいく。
見れば、後ろからも後衛組が徐々に周りを取り囲んでいる。アサギもいる、カゲツグも姿が見える。まさに盤石の構えだ。だけど、それを見ても嫌な予感は消えない。それどころか、徐々に気配が強くなっていく。
「あいつを倒せば、今回のスタンピードは終わりだな」
「残りがどれだけいようが、この面子で囲んじまえば負けようがない。アタイが一騎打ちをやってもいいぜ?」
ターツさんにカメリアも、すでに終わった気でいるようだ。2人とも緊張の糸が緩んでいる。聞こえてくる後衛の冒険者たちも、すでに戦いは終わったつもりでいる。今この瞬間、リザードマンに脅威を感じているのは俺とダッジさんだけかもしれない。
「ククク……ようこそ、冒険者の諸君。態々俺のために、よくもここまで集まったものだ」
リザードマンが、周りをみて語りだす。あたかも舞台で朗々と語る演者のようだ。その瞬間、俺はひとつの事実に気づいた。
「……誘い込まれた?」
俺の一言で、ダッジさんが驚愕の表情を浮かべる。そうだ、今ここにいるのは今回戦闘に参加した精鋭たちばかり。これだけのメンツが集まる事もそうそうない。そんな冒険者たちが、今ここに集まっている。それは、つまり……。
「しまった!町が!?」
「もう遅い。この戦い、俺が死のうが最終的に魔物が勝てばいいのだ。お前たち冒険者は強い、あれだけいた我が軍は見る影もなく蹴散らされた。そして、調子に乗ったお前たちは、のこのここんなところまで来てしまった。さて冒険者の諸君、君たちは不思議に思わなかったか?今回のスタンピード、なぜ今まで一度も空を飛ぶ魔物が現れていないのかを……」
「なっ!?」
「えっ!?」
言われて気付く。そうだ、これまで戦って来た魔物は全て地を這う魔物の群れだけだ。俺が知ってるだけでも、ハーピーとか羽を持つ魔物は結構な種類がいる。だけど、今回のスタンピードでは一度も姿を見ていない。
「……まさか」
「ククク……ハァハッハ!これが、逆転の一手だ!」
両腕を空に伸ばし、笑い声をあげるリザードマンは、まさに演者に相応しく人々の視線を釘付けにした。そして、そのリザードマンの後ろから黒い雲が徐々にリーザスの町に近づいてきているのに、今更ながらに気づく。
「……おい、あれ」
俺以外にも、気付いた冒険者が何人かいた。指をさす冒険者を他の冒険者が不思議そうに見る。そして、その指さす先に視線を向けると……すべての冒険者の表情が驚愕に変わる。
「……嘘だろ、あれ……全部魔物か?」
黒い雲に見えるもの、それは無数の空を飛ぶ魔物たちだった。いや、あれ何匹いるんだよ。
「お前たちは、まだあれほどの軍勢を残していたのか……」
ダッジさんがリザードマンに視線を向ける。その表情は、色がないと表現するのがピッタリなほど白くなっていた。
「お前たちは、随分景気良く魔物を殺してきた。さぞや気持ち良かったことだろう。だが、ここはいささか町からも離れていると思うがいかがか?」
リザードマンがそう言った瞬間、全てを悟った。俺だけじゃない、周りの冒険者全員が罠に嵌められたことを知った。
「まずいぜ、ダッジさん!ここで、あの魔物を全部撃ち落とさないと……」
「……無理だ、数が多過ぎる。少なくない数の魔物たちが、町を襲う」
まさか、自分を餌にして俺達を罠に嵌めるなんて……魔物が、そこまで知能があるなんて誰も思ってもみなかった。そんな、人間としての慢心がこの事態を招いた。
俺達は戦争をやっているつもりでいたけど、魔物たちは違った。こいつらの目的は、如何に魔物を町の中に入れるかだけを考えていたんだ。最終決戦だなんて、思いあがっていた人間を罠に嵌めた今の心境は、さぞや気持ちの良いものだろう。
「ダッジさん、とにかく魔物を迎え撃たないと。このままだと、町にどれだけの被害が出るか……」
「無論、ここで迎え撃つ。既に町に戻るだけの時間は無い。ここで、少しでも魔物の数を減らして、少しでも町への被害を食い止めなければ」
見る見る間に、黒い雲は俺達に近づいてくる。1000や2000じゃきかない。一体、このリザードマンはどこからこれほどの数の魔物を集めたのか。
「後衛組は、魔法の詠唱を始めろ!とにかく広範囲に効果のある魔法を優先して使え!」
ダッジさんに言われて、慌てて後衛組が魔法の詠唱を始める。これは、厳しい。今ここにいる後衛だけで、どれだけの魔物を抑える事ができるか。それに、そもそも時間的猶予がない。詠唱が間に合わない可能性もある。
「前衛と中衛は、最低限後衛を守る者だけを残し、急いで町に戻れ!俺はここに残る、この後の指示は涼風の乙女のアマンダ……はいないのか?こんな時に……では、お前だ。お前は前衛と中衛とともに町に戻り、空からくる魔物の迎撃態勢を整えろ」
「わ、わかった!」
ダッジさんは、近くにいたBランク冒険者に声をかけるとリザードマンの方に向き直った。
「やってくれたな。だが、それでも勝つのは我ら人間だ!」
「クク、お手並み拝見と行こう。俺は、一足早く地獄から見学させてもらうがな」
そう言って、リザードマンが突然ダッジさんに向かって駆けだした。慌てて間に入ろうとすると……。
「ここはいい!ホクト、お前も一刻も早く町に戻れ。そして、町のみんなを守ってやってくれ」
まるで、罠に嵌った事を自分の事のように悔いるダッジさん。司令官ってのは、全ての権限がある代わりに、失敗した時の全責任を負う。悔やんでも悔やみきれない、そんな表情をしながらダッジさんが俺に命令する。頼むと。自分の代わりに町を守ってくれと。
「……ダッジさん。俺が、俺達が必ず町を守って見せます!だから、後は任せてください!」
そう言って町向って駆け出す。ソウルも、カメリアも俺について走り出す。他の前衛と中衛の冒険者も、競うように町に向かって走り出した。俺達がここにいても、やれることはない。なら、一刻も早く町に戻って空からの侵入者に備えるべきだ。
「ファイヤージャベリン!」
「ウィンドカッター!」
「ウォータースプラッシュ!」
後ろで後衛組が一斉に魔法を撃ち始めた。恐らく、後衛の魔法が撃てるのは一度が限界だろう。それ以上は、向かってくる魔物に魔法を当てる事はできない。
「天狐、全て焼き払って!」
アサギの声が聞こえる。今一番威力のある、広範囲殲滅魔法を使えるのはアサギだろう。これで、どれだけの魔物が落とせるか。結果は、見なくても解っているけど必要以上に期待してしまう。
「アサギ、頼む……」
そんな、俺の空しい期待を嘲笑うかのように、頭上を黒い影たちが追い抜いて行った。向かう先はリーザスの町。俺の帰るべき場所、今そこが戦場になろうとしていた。




