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ちゃぷたーはち 『存在証明』

「……ん?」

 夜、何もいないはずの屋根裏から、何かが動くような物音がした。

「……猫?」

 視線を下ろすと、ソファの上には何時かの黒猫が横たわって寝息を立てていた。あの日からこいつは図々しさが増していて、いつの間にか普通に我が家に出入りしている。

「猫じゃないとすれば……」

 俺が思考したところで、再び聞こえる物音。そして、何かが弾けるようなラップ音。

 ……まさか?

 ある確信と共に、俺は部屋を出て、廊下から屋根裏へ続く梯子を落とす。

「ここに出るとは思えないけどなぁ……」

 呟きながらも、梯子を登り、埃っぽい屋根裏を覗く。案の定。そこには何も居なかった。

 ……何もいない。というのは、肉体を持った生き物は、という意味だ。

「……珍しい。大学にはうようよ居たけど」

 俺達以外に人がいた筈も無い上に、一応結界の張ってあるこの家で、そんなものが出現すること自体本当はありえないのだが……大方、先日弟子がお使いに行った時、街から憑いてきたのだろう。俺はともかく、アイツはこの手の類を引き寄せるだろうから。

「……害は無いだろうけど、一応払っとくべきか」

 とりあえず、塩でも巻いとこう。

「あれ、師匠? なにしてるんですか?」

 と、丁度良いところに弟子が来た。

「お。悪いけど、塩持ってきてくれるか」

「……? なにに必要なんですか?」

 俺を見上げながら、不思議そうに首を傾げる弟子。そりゃあ、屋根裏を覗きながらそんなこと聞かれるなんて、まずあり得ない状況だ。

「いや魔除け。どうも、居るらしい」

「――――」

 一瞬だけ、弟子の動きが止まる。

「……ねずみですか?」

「あぁ、まあ近い」

 暗がりに潜むって点では。

「でも違う。ほら、幽れ」

「ねずみですよねっ!?」

「…………」

 視線を下ろすと、梯子の下に立つ弟子が青ざめて震えていて、見上げてくる顔は、微妙に涙目になっている。

 ……そんな姿を見ると、つい嗜虐心が、こう……。

「……こんな体勢で何だが、授業をしよう」

「……ぇ、ええ……?」

「問い1、肉体を無くし魂だけになった存在の名称を──」

「わわわわっ!!」

 弟子は俺の台詞を遮るように手近なものを揺らして音を――て、梯子を揺ら……っ!?

「う……うわぁああああんっ!!」

 声を上げながら、脱兎の如く走り去る弟子。

 ……珍しい。ああもアクティブなアイツも、声を張り上げるアイツも、めったに見ない。

「……っていうか、師匠を落とすなよ」

 さすがに天井近くから床へのダイブはキツい……。痛む身体に鞭打ちながら、どうにか立ち上がる。

「……さて」

 気をとりなおして、もう一度梯子を上り屋根裏を覗く。

「ぬお……居なくなってる」

 まあ、下であれだけ騒げば当たり前か……。

 何が目的で憑いてきたのかは知らないが、やっぱり払っておくべきだと再確認する。だってほら、アイツが怖がるし。

「ここから出れば嫌って程に見るんだろうけどな。アイツの魔力感知、強いし」

 なにより、魔性は魔を惹き付ける。結界の外に出れば、アイツは嫌でもこういった存在と関わることになるだろう。

「今回のは予行ってことにしとこう。どちらにせよ払わないと、俺も気味が悪い」

 梯子をしまい、天井の蓋を閉じながら、俺は一人頷いた。

 ――と、同時。

「きゃぁあああっ!!」

 悲鳴。廊下を走る音。向かってくる弟子。ボディタックル。

「――って、がっ!?」

 お、俺の胸に、ダイブしてきた弟子の、頭が、俺の、み、鳩尾を抉――っごほ。

「し、ししょうっ!! なにか、なにか居ましたっ!!」

「ど、……どこに」

 あー……。意識飛ばなかったの奇跡だな。

「ぼやっとしないで下さいよぅ……っ!わた、わたしの部屋に、白いなにか、誰かがーっ!」

「わかった、わかったから落ち着け」

 胸を叩くな。痛いから。

 痛む胸を押さえながら、小さくため息を吐く。

「……はぁ。倉庫から、塩持ってこい」

「い、嫌ですっ。離れたくありません……っ」

 俺のローブを固く握り締める弟子は、決して離れようとしない。下手に離すとまた泣き喚きそうだ。

「……わかった。一緒に行くか」

 もう一度ため息を吐いて、弟子を引き摺りながら台所へ向かった。

 ……にしても、そこまで苦手なのかよ。


「な、なにか居ますか……?」

 俺の後ろから顔だけ覗き込む弟子が、震える声で聞いてくる。

「いや、居ない」

 俺はその姿に肩を竦めながら答えた。どうやら、俺たちがコントをやっている間に、また何処かに移動したらしい。

「し……ししょぉ……」

「……分かってるよ」

 涙目でローブの裾を握り締める弟子。その頭をくしゃりと撫でる。

「……まぁ、さっさと成仏してもらうか」

 そうでないと、また半狂乱になったコイツから予期せぬ一撃を喰らうことになる。これ以上自らの弟子からダメージを喰らうのは、師匠として情け無い。思ったより痛かったし。

「何にせよ、いつまでも彷徨い続けるのも、哀れだろうしな」

 もしも話が出来たら、未練を聞いてやるくらいなら良いかもしれない。なんてこと思いながら弟子に微笑みかけると、弟子が俺を見上げ――青ざめた。

「――ししょう、うしろ」

「……む」

 肩に違和感。どうやら居るらしい。

「…………なぁ」

 俺が首を向けようとした瞬間、

「きゃぁあああっ!!」

 弟子が塩の入った袋に手を突っ込むと、手のひら一杯に掴んで、それに思いっきり投げつけた。……つまり、俺に向けて。

「…………」

 肩から気配が消える。効いてるのだろうか?

 ……にしても、だ。

「……しょっぱ」

「ご、ごめん…なさい……っなんか、混乱して……っ」

 ……何か、目に染みる。


 砂っぽい身体に不快感を覚えつつ、俺達は捜索を開始した。

「……服の中がじゃりじゃりする」

「すいません……」

 や、別に良いんだけどさ……。

「効率的には二手に別れて──ってのは、無理なんだろうな……」

 二手の『ふた』と発音した時点で、弟子のローブを握る力が強くなる。

「無理です無理です絶対無理です……っ」

「わかったから、落ち着けよ」

 俺は眼鏡を押さえて、この家の中で幽霊の好みそうな場所に思いを巡らせる。

「……暗くて狭い。よし、多分あそこだな」

 該当箇所発見。

「よし。こっちだ、付いてこい」

「言われなくても、ひとりで待つなんて絶対に無理ですっ」

 素晴らしいほどに断言する。他のことにも、それくらい自信を持ってくれたらなぁ……。


「ほら、当たった」

 家の奥にある、いつも落ち込んだコイツが逃げ込む倉庫。その扉を少しだけ開けて中を覗けば、ぼんやりとした白い影が蹲っているのが見えた。

「うえぇ……もうここに逃げ込め無いじゃないですか……」

「そりゃ結構」

 軽口を叩きながらも、俺は考える。

 ……さて、どうしよう。

 ぶっちゃけて言えば、このまま入っても間違いなく逃げられる。説得にしても力ずくにしても、それは好ましく無い。

「……はぁ。取り敢えずは情報収集だな」

 覗き込む。姿の曖昧な白い影。どうにか位置や大きさは判別出来るが、俺ではそれが限界だった。

 ……となれば。

「……おい」

「はい?」

 俺のローブを掴みながら俯いて何も見ないようにしている弟子。そんな様子や、ローブから感じる震えを思うと、ちょっと気の毒に思うが、しかし、

「お前、あれの姿を見てみろ」

「は、はいっ?」

 顔を上げる弟子。

「騒ぐなよ。俺じゃ良く見えないんだ。お前なら多分見えるだろ」

 魔性に近いこいつなら、俺よりは輪郭がはっきり見えるはずである。

「む、無理ですっ! 見れません! いや、見えませんっ!」

 声を潜ませながらも大きく首を振る弟子に、俺は指を差しながら口を開いた。

「……あのね、そうでないと何も出来ないの。お前にしか出来ないんだよ。このままアレと生活するか?」

「――――やります」

 約二秒。動機がどうあれ、決断が早いのは良いことだ。

「…………」

 唇を噛み締め、決してローブからは手を離さないようにしながら、弟子は倉庫の中を覗く。

「どうだ……?」

「……女の子です」

 顔は倉庫の中に向けたまま、小さな声で答える弟子。

「……子供か?」

「はい。黒髪長髪の……俯いたまま体育座りをしてます」

 ……子供かぁ。

 知っての通り、俺は子供が苦手だ。それが幽霊だとしても。

 さて……どうしたものか。

「……あの子、どうして――」

 俺が思案している時に、ぼそりと呟く弟子。

「さあ……こんな時代だからな。そんな子供は、沢山居るだろ――」

「――――」

 ……口に出してから、失言だったと気付く。

 コイツの出生、この山に来ることになった過程を、俺は知っているのに。

「……悪い」

 自分の馬鹿さ加減に愛想が付きながらも、俺は素直に謝った。

 ふるふると首を横に振る弟子。その顔は、後ろに立つ俺からは見えない。

「師匠に出会えたことをわたしは感謝してます。師匠が居なければ、きっとわたしも、ああなっていたから」

「…………」

 ……少し前。俺達が出会った頃、人と魔物の、戦争があった。

 世界中を巻き込んだ大戦は、双方に甚大な被害を残して。

 ……例えば、コイツや。

 例えば、その少女の霊。

「……師匠、あの子のところに、わたしが行っても良いですか?」

 あれだけ怯えていたというのに、もう、ローブを握る手は、震えていない。

「……大丈夫か?」

 振り向いて頷く弟子は……いつもより、頼れるように見えた。

「…………」

 ローブから手を離すと、恐怖に負けないように身体に力を入れて、倉庫に足を踏み入れる弟子。

「……頑張れ」

 俺は、弟子には聞こえないくらいに小さく呟いた。

 手は出さない。これは、コイツに必要な事で……何より、珍しく、アイツが自分から、やると言ったことだ。それを止めたりは、しない。

「……あの」

 弟子が控えめに少女の霊に声をかける。

 成る程。言われてから見れば、少女に見えてきた。

 少女が、顔を上げた。

 右目は抉られたようにぽっかり穴が空いている。唯一残った赤い左目が、弟子の顔を虚ろに捉える。

 赤……赤い瞳だって?

「成る程……ね」

 誰にでもなく、小さく呟いた。

 赤い瞳……それは、魔物の証だ。

 魔物の中でも特殊――人と変わらぬ知能を持ち、国を作り、しかし人間以上の魔力を持つ。学名を『巨人』。一般的には『魔物』と呼ばれる存在の、人間との明確な相違点。

 彼女が生粋の魔物なのか、それとも弟子と同じ半端者の類いなのかは、右目が無いために分からないが。

 どちらにせよ、それで少女の理由が、大体は分かった気がする。……あまり、分かりたくも無かったが。

『……貴方も、ワタシを苛めるの?』

 声が響く。ひゅーひゅーとした枯木の声。弟子は一瞬怯えたように身体を震わせるが、すぐに微笑みを浮かべた。

「……ううん。わたしは、貴女を救いに来たの」

『……救い?』

 頷く弟子。少女は虚ろに、穴の空いた瞳で弟子を見上げる。

『……ワタシは、何もしていない……』

 少女の痩せこけた口が、枯木の声で言葉を綴る。

『ワタシは、何もしていない。こんな瞳かんけい無いの……』

 自分の赤い瞳を、瞼の上から触る少女。

『みんなが死んだのは、お前達のせいだって。お前がその眼を持つなって。右目を奪われて』

 ……つまり、彼女は弟子と同じ。巨人でもあり、人間でもあり……そのどちらでもない、ふたつの狭間で揺れる者。

『お母さんと同じ、青い瞳を抉り出されて。ワタシは、魔物にされて、死んだの』

 虚ろに語る少女。死んだ……いや。きっと、もっと能動的な外的要因が働いたのだろう。

 少女の未練。勝者から敗者への圧迫と差別、その犠牲に、下らない優越感の当て馬となった、両方の架け橋になる筈の、混血の少女。

「……俺じゃ、何も出来なかったな」

 俺には何も出来ないし、何も言えない。

 色々あって、魔物への差別なんて糞くらえな俺だが、所詮はただの人間。

 彼女に何を言ったところで、何にもならない。所詮、そこに立てない俺では、彼女の絶望は本当には分からない。

『…………』

 全てを語り終わった少女は、再び俯いた。

「――――」

 弟子は何も口にはしなかった。

 当たり前だ……それは、アイツの闇でもある。

 一つ間違えれば、アイツもまた少女と同じく、誰にも知られずに死んでいったのだから。

「…………」

『……お姉ちゃん?』

 ――弟子は、少女の身体を、そっと抱き締めた。

 ……真似事だ。実体なんて無い亡霊の少女。抱き締めているように見えているだけに過ぎない。

 ……でも。

『……あったかい』

 その思いは、伝わったのか。

 少女の顔は、穏やかに、残った赤い瞳が、儚げに揺れる。

「……あなたには、こうしてくれる人が、居なかったんだね」

 俺からアイツの顔は見えない。……でも、その声からは、優しさが伝わってくる。

 ……アイツの優しさが。

「……だいじょうぶ。わたしがいるから。わたしがあなたを覚えているから……だから」

『……あったかくて……なんだか……』

 少女の瞼が、ゆっくりと落ちていき――

「おやすみなさい――」

 ――その姿は、闇に消えた。

「…………」

 少女が救われたかどうか、俺には分からない。

 ……いや、救いどうこうを問えるのは、生きている間だけの話だ。

 彼女は救われなかった。少女は無惨に、世界なんてものに潰された。

 ……それでも。

 その残像が消える直前。穏やかな表情を浮かべていた少女の最期が、せめてその時だけは、安らかであったと願いたい。


「…………」

「……おかえり」

 倉庫から出てきた弟子を迎える。弟子は無言で、俺に抱きついてきた。

「…………」

 俺はそれを抱き止めて、頭を撫でる。

「……怖かったか?」

「…………」

 頷く弟子。顔は胸に押し当てられている為、見えない。

「……そりゃあ、怖いよなぁ」

 トラウマを突き付けられたような、もんだからな。

「…………」

 泣いてるかな。……泣いてるんだろうな。

 震える頭をよしよしと撫でさする。

「……ししょ」

「ん……?」

「わた……し。なにも出来なかった……」

 悔やむような、弟子の声。

「……んなこたねぇよ」

 それを、俺は否定する。

 少なくとも、あの娘は安らかだった。

 世界中、きっと今でも増えている、そういった子供達の中でも、彼女は救われた方だろう。

 ……そしてそれは、コイツがもたらしたものだ。

「世界は広いんだ。ひとりに出来ることなんてたかが知れてる。……救われない子供は、絶対に世の中にいる。――でも、お前はそのうちのひとりでも救えたんだ。それは凄いことだぞ?」

 言いながら頭を撫でる。俺の服に引っ付いて泣いてるもんだから、思いっきり汚れてるよこれ。

「まったく……もし、それでも誰かを救いたいなら、一人前になった時、その力を誰かに使え。それでも助けられなかったなら。せめて、その顔を覚えておけ」

 助けられなかったならせめて、その在処を覚えておこう。

 誰にも気付かれないのは、誰にも覚えてもらえないのは、世界で一番寂しいことだから。

 弟子はよりいっそう、泣きじゃくり、

「わた……っし、ぜ……っぜったい……わす、忘れな……いです……っ。……あの娘……っの、こと……っ」

「……ああ、それが良い」

 その泣きながらの決意に、俺は頷く。

 それなら、あの娘も本望だろう。

 ……彼女が憑いてきた理由はきっと、自分を、誰かに気付いて欲しかった、だけなのだろうから。

「忘れるな。覚えていろ。俺も、覚えているから。……ああもう。泣け泣け。その涙の分、誰かの涙を掬ってやれ」

 ……言ってから、自分の台詞の臭さに失笑した。


 ……何時か、ひとりの少女に会った。

 それは本当に偶然で、運命なんてカッコ良く呼べるものでは無かった。


 ――その光景を、覚えている。

 震える小さな手を、覚えている。

 その物語は、俺が最期まで。誰にも語りたくはない、そして、最期まで忘れはしない、今の俺の一番深いところにあるもので。

 だから俺は、コイツの為に在り続けようと。

 その名前を聞いた時からずっと、決して忘れはしないと、誓ったのだから――



『存在しない存在証明』

おわり。

次回更新は9月23日、20時予定。

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