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ちゃぷたーろく 『今日と昨日と』

 それは、ある朝のこと。

 朝食も終わり、優雅なティータイムでも楽しもうかとしたところ、弟子がはてと首を傾げる。

「……あれ。師匠、茶葉が切れました」

「買ってきて」

「はいっ」

 ……ん? 何か変じゃなかったか?

「師匠、師匠が何時も買ってくるお茶っ葉で良いですか?」

 俺の困惑をよそに、弟子は台所からひょっこりと顔を出してきた。

「……いや、まてまて」

 俺は眼鏡を押さえながら弟子に顔を向ける。

「冗談だぞ?」

「わたしは本気です」

 ……なんだこれ。

 あれ、どうしてこいつは街に下りる気になってるの?

「いや……いやいや……マジで?」

 こくりと頷く弟子。

「え……なんで…?」

 いや、本当に。朝だから頭が回らないのか、状況がいまいちよく分からない。そんな俺に、弟子はため息を吐いた。

「だって、買い出しは何時も師匠が行ってるじゃないですか」

「そりゃあなあ」

 何しろここは山奥の隠れ家だ。街に行くには、道すら無い道を数時間かけて降りなければならないし、少ないとはいえ、猛獣も魔物も出る。それなりに危険の伴う重労働なのだ。往復で半日以上掛かるし。

「だから、わたしがおつかいに行けたら、それだけ師匠の負担が減るじゃないですか。師匠の役に立ちたいんです」

「…………」

 ……不覚にも少し感動した。感動したが、しかし。

「ダメ」

「けちっ」

 いや、ケチっていうかな。

 うん……いや、どう言ったら良いのかわからんのだけども。

「それとも、師匠は自分の弟子を信じて無いんですかっ」

「む……いや、そんなことは」

「これも修行だと思えば良いんです。それに、何時までもここに居ても何も変わりませんし……」

「…………」

 ……それは、開放的ヒキコモリである俺に対して言っているのか?

 なんて、冗談はともかく、要するにこいつも真剣なのだ。ちゃんと自分から『一人前』になろうと、頑張っている。

「……むう」

 そんなに焦る必要も無いと思うけど、そうも真剣な表情をされると、断るのは師匠としてどうか……いや、決して俺が弟子に甘いとかでなく。

「ししょう……」

「……わかったよ」

 ……いや、甘いよ俺。

 自己嫌悪にため息を吐きながら、俺は弟子に向けて指を一本立てる。

「ただし――」

「あ、師匠は着いてこないで下さいね。意味がありませんから」

 …………え?

「いや……いや待て?」

 流石にそれは、危ないというか早計というか……。

 俺の心配も知らず、弟子は顔を綻ばせて踵を返し、

「それじゃあ準備してきますっ!」

 楽しそうにそう言い残して、部屋を出て行った。

「…………」

 残され、その場に立ち尽くす俺。……いや、いや待てよ。うん。

「……早まった?」

 なんだこの状況。




「それでは、いってきますっ!」

「……おう」

 リュックサックを背負い、元気よく飛び出していく弟子を、俺は未だに放心状態で見送った。

「……さて、どうしよ」

 思わず普通に送り出しちまったが、部屋に戻って一息入れると、色々と不安要素が頭を巡る。

 ちゃんと金は持っただろうか? 護身用のナイフは? 知らない人に着いていったりしないだろうな……。いや、着いていきそうだな……。

「あああぁあ……っ!」

 心配だっ!

 この上なく心配だ……っ!

 可愛い子には旅をさせろと言うが、別に可愛いなんて思ってないから旅なんてさせる必要無いんだうん。というかそんな危ないことさせてたまるかっ!

「……よし。よし、落ち着こう俺」

 眼鏡を押さえながら一息。……よし、落ち着いてきた。

「……とりあえず、まともに着いて行くのは……なぁ」

 あいつのことだ信用されて無いとか思って、勝手に落ち込んでしまうだろう。

「だからといって尾行するのもな……」

 そういった類は苦手だ。

「……はぁ」

 ソファに座り込んで、肩を落とす。

 ……そりゃあ、いつまでもここに居させるわけにもいかない。

 俺だって、そんなに時間があるわけではない。それに、何時までもここに居るのでは、あいつにとっても良くない事だ。……ここは、俺みたいなはみ出し者の楽園だから、あまり慣れすぎると、元の世界に帰れなくなる。

 いつかあいつはここを出て、一人で生きていかなきゃならない。

 そして、あいつが一人で生きていく上で、買い物くらいは必要なスキルだろう。

 ……しかし。

「場所が場所だからな……」

 いくら平和な方とはいえ、山中はやはり危険だ。魔物も多い。せめてもう少し、あと三ヶ月は魔術を仕込んでからにしたかったんだけど……。

「でももう行っちゃったしな……そうだ」

 要するに、俺だと悟られずに、あいつを尾行できれば良いわけだ。 うん。だったら良い方法がある。

「そうと決まれば……」

 俺は立ち上がると、一応ローブを羽織って外へ出た。

 複雑な儀式をするわけでもないし、誰に見られる訳でもないが、これを着てないと気が乗らない。寒いし。


「さて」

 小屋には、周囲に外敵から身を守るための結界が張ってある。この山に住まう魔物程度ならまず進入できない程度の結界。俺は、そこから一歩脚を踏み出して、右手に持った生肉を足元に放って、その場にしゃがみこんだ。

 ……数分程して、臭いを嗅ぎ付けた一匹の黒猫が現れる。

「おし、きたきた」

 ……いや、『猫』と呼ぶのは正確ではない。赤黒い毛並みと赤い瞳が印象的なその猫は、正確には『魔物』に分類される生き物だ。……まあ、面倒くさいし、未だ子供のせいか、見た目には猫と変わらないので、そのまま猫と呼ぶが。

「おう猫、そのままで良いから聞け」

 にゃあと食いながら答える猫に、俺は語り掛ける。……なんだか馬鹿みたいだが、一応唯の猫ではない。知能はそれなりに高いはずだ。


「お前に普段、飯をやってる女の子、覚えてるな?」

「にゃあ」

 答えた。あいつはどうも、俺に隠れて餌をやっていたらしいが……まぁ、師匠である俺に隠し事など十年は早いってことで。

「で……だ。その子について話というか頼みがある」

 尖った耳をぴんっと立てて、顔を上げる猫。

「よしよし、さすがに食い付きが良いな。いや、飯の事じゃない。食うのを再開するな」

 俺は猫の身体を両側から掴み、前足の下を持って抱え上げる。

「今から、お前と回線を繋げて視覚共有する。ついでに俺の声も聞こえる筈だ。お前はあいつをさりげなく尾行し、何かあったら俺の指示通りに行動しろ。オーケィ?」

「にゃあ」

「……よし」

 ……どこまで理解できたのかはわからないが、その声を了承ととって、俺は猫の頭に額を付ける。

「GemeinramerBesitz=『Stromkreis』──」

 魔術を使い、魔力を猫に流し込む。暫くして、俺の瞳に見慣れた自分の顔が写った。上手く共有出来たらしい。

 本当は、意識ごと転換した方が一番楽な気はするが、そこまでする魔力は今の俺には無いし、何より、猫の精神が入った俺の身体とか、想像するだにおぞましい……。

 ……ともかく、これで準備は整った。

 手の内から解放した猫に、命令を言い渡す教官のように俺は指を差して。

「ミッションスタート。速やかに弟子を尾行、その障害を排除せよ」

「ニャア」

 俺の命令に応じる声は、頼もしく聞こえなくも……無かった。

 ……にしても。

「……お前、随分目付き悪いのな」

 ……引っ掻かれた。




 森を抜けると共に、見慣れた街並みが視界に広がる。本来なら魔物が街に降りてきただけで大問題だが、コイツは見た目猫だから問題は無い。我ながらナイスチョイス。

「……にゃあ」

 ……む。そうだな、弟子の尾行をしないとな。茶葉はこの先に店がある筈。とりあえずそこまで進んでくれ。

「にゃあ」

 俺の思考に返事をして進む猫。……にしても、流石は猫視点。視界が低すぎて落ち着かねぇ……。

「にゃあ」

 ん……? あ、弟子だ。

「にゃあ」

 俺の視線の先には、街中が珍しいのか、周囲を見渡しながらフラフラと歩く弟子。やたらと危なっかしくて見てられない。

「にゃあ」

 そうだな。……というか、思考に返事をするな。頼むから。ワケわかんなくなるだろ。

「…………」

 黙りやがった。……とりあえず、今の俺達に大切なのは回線共有の問題点ではなく、弟子の追跡だ。さあ、猫よ進めっ!

「…………」

 無言で歩き出す猫。猫は足音も立てずに弟子の足下に付くと、挙動不審に歩き回るあいつの背後にピッタリと張り付いた。

 ……尾行のプロだなコイツ。……さて、このまま何も無ければ良いが……。

 あ、因みに今弟子は短パンなので、この視点で仰ぎ見ても楽しいことにはならない。……残念ながら。

 ……って、残念ってなんだ俺。

「…………」

 ……おいこら、沈黙が痛いぞ猫。


 そんなこんなで、危うげな足取りの弟子は、それでもどうにか目当ての店に到着した。

「あ、あの……」

 消え入りそうな声で店主を呼ぶ弟子。

「はいよ、なんだいお嬢ちゃん」

 その声を聞いて、奥から一人の老人が出てくる。皺くちゃになった肌とは対照的に、ぴんと背筋の張った、年の割に元気な婆さん。少し前に買出しに来たときには、『あたしもそろそろお迎えだねぇ』なんて愉しい会話をしていたが、そんな冗談を笑っていえる間は、迎えがくる事は無いだろう。

「あ……あの、お茶葉を……」

 弟子は身体を竦ませながら、震える声で言った。……そういや人見知りだったな、こいつ。

「茶葉ね。どれだい?」

 婆さんは弟子の様子に苦笑しながら、商品の並べられた棚を指差す。俺……もとい猫は、こっそりと隣の棚に飛び乗って商品を見た。

「……あれ?」

 弟子が首を傾げる。

 ……? それは俺も同じだった。

「どうしたんだい?」

「いえ、あの……無いです……」

 普段買ってる茶葉が無い。ここの婆さんに勧められた茶葉で、安いし美味いしで割と気に入っていたんだが……。

 慌てて顔を上げた弟子が、店の奥に詰まれた荷物を見て、目を見開いた。

「お婆ちゃん、それですっ!」

 唐突に、今までに無く大きな声を上げて、後ろの荷物を指差す弟子。その中に埋もれるように、ひとつだけ、何時もの茶葉の袋が積んである。

 婆さんは、弟子の指の先を追うと、「ああ」と小さく頷いて、楽しげに口元を歪めた。

「これに目を付けるとは、お嬢ちゃんやるねぇ。これは北国産の高級品だよ」

 …………。

 ……婆さんの言葉に、俺は一瞬思考が止まる。……こーきゅーひん? 普段手頃な価格で買ってるのですが……?

「でもダメだね。先約があるのさ。ひとりね」

「あの、先約って……?」

 意地悪な笑いを見せる婆ちゃんに、弟子が聞いた。

 婆さんは、その目を細めると、普段の温厚な婆さんからは信じられないくらいに冷たい声で、

「山の上の魔術師……とでも言えば良いかね?」

「――――」

 まるで、聞くものを恐怖させるかのように、ニヤリと笑って言った。――が、俺の弟子は、

「あ……わたし、その魔術師さんの使いですっ!」

「――は?」

 その婆ちゃんを、更に驚愕させたようだ。細い目を見開いた婆ちゃんは、カウンターから弟子へと身を乗り出すと、その顔をまじまじと見つめた。

「……ほんとうに?」

「はいっ!師匠がお世話になってますっ!」

 他人から俺の話が出たのが嬉しいのか、未だ動揺する婆ちゃんに弟子は満面の笑みで答える。

「…………」

 婆ちゃんは、真偽を確かめるように弟子の顔を暫く見つめていたが、その瞳に偽が無いことを確信すると、苦笑にも似た笑顔を見せた。

「……そういや、手にかかる弟子が居るなんて言ってたわねぇ。……やれやれ、だったら早く言いなさいな」

 呆れたように肩を竦めて、後ろの荷物から茶葉の入った袋を掴むと、弟子の手に乗せる。

「ありがとうございますっ! あの、お代は……」

 リュックサックから財布を出す弟子に、婆ちゃんは良いよと手を振ると。

「今日はサービスにしとくよ。可愛いお弟子さんに会えたからね」


「ありがとうございました」

 弟子は礼を言うと、踵を返して店から出て行った。

 ……。

 …………。

 ってそっち逆方向なんだがっ!?

 慌てて後ろを追い掛けるが、うちの教え子は何を根拠にか迷わず(迷っていることに気付かずに)街中を歩き続け――。

「……ここ、どこ?」

 思いっきり迷子になった。

 きょとん。なんて擬音が似合いまくりな呆け具合で、辺りを見渡す弟子。……言わんこっちゃない。だから親同伴にしとけば良かったんだ。

 仕方無しに、猫に声を掛けさせようとすると、

「……ねぇ、君迷ってるの?」

 親切なオッサンが声を掛けてくれた。

「あ、はい。そうみたいです……」

 未だ状況が掴めてないらしく、首を傾げる弟子。

「よし、オジサンが送って上げよう」

 ……訂正。親切そうで下心丸見えな中年野郎だった。

 テメェそれで騙してるつもりかこの野郎。笑顔の下が丸分かりだ、騙されるわけ無いだろうが。

「わぁ、ありがとうございますっ!」

 ……俺には。

 ただでさえ人間関係に縁の薄い弟子は、今の婆ちゃんの一件で、『人間=良いもの』なんて単純な方程式が成り立ったようだ。なんて良い子なんだちくしょう。場が場でなければ褒めてやりたい。

「じゃあこっちに……」

 野郎が弟子に触れようとする。その瞬間、俺の中で何かが弾けた。

 ……テメェ、なに汚い手で、コイツに触わろうとしてんだ。

 魔力を通す。変換するは炎。猫を通して男にそれを――

「お待ちなさいな」

 ――ぶつける前に。店の婆さんが、男の腕を止めていた。

「な、なんだよ婆さん……俺はただ親切心で、この子を送ってやろうかと……」

「――山の魔術師までかい?」

 その婆さんの一言と共に、男の顔が一気に青ざめていく。

「な……何の冗談だよっ! あ、あんな得体の知れない奴の所になんて…っ」

 …………。

「本当だよ。この子はあの魔術師の唯一の弟子さ。ね」

「あ、はいっ!」

 婆さんに笑いかけられて、元気良く答える弟子。それを見て、男の顔はますます青ざめていく。

「あ、あり得ない……アレの弟子……? 気持ち悪い……ち、近付くな……っ!」

「え……?」

 腰を抜かし、脱兎の如く逃げていく男を、弟子は呆けた表情で見送った。

 ……まぁ、街での俺の評判はもちろん知っていたし。俺の件は、今さら傷付きもしないんだが。

 でも、それはコイツには関係無いことだ。あの野郎、顔は覚えた。覚悟しとけよ。


 ……何時からか現れた流れ者。

 出身も不明。所属も不明。あえて山の中なんて物騒な所に居すわり、おまけに無愛想。

 フリーの魔術師ってだけでも相当いかがわしいのに、その上ひねくれ者の偏屈っていうなら、周囲の評判は、そりゃあ決まってくる。

「時々山から降りてきては、いつも怒ってるような顔で物を買い込んで、また怒ってるような顔で戻って行くんだよねぇ。街のみんなは、あの子がくる度に、魔物が降りてきたかのような反応を見せたもんさ」

 公園のベンチに座り、空を見上げながら、婆さんは隣に座る弟子に話をする。

 ……他ならぬ、俺の話を。

「誰も何も言わないけどね。あの子が怖いから。今の男の反応を見ただろう?あれが山の上の魔術師の、この街での立ち位置さ」……つまりは恐怖の対象。

 魔物とか、悪魔とか、そういう類いと変わらない。人は異物を恐怖するものだ。……まあ、人間として、当然の反応だよな。

 俺が苦手とするものの、一番がガキだったりする。

 ちなみに、二番は人間。じゃなきゃ世捨てなんてやっちゃいない……。

「あの……」

 静かに聞いていた弟子が、不意に口を開く。

「お婆ちゃんは、どうなんですか……?」

 ……嫌な問いだなおい。

 聞きたいような、聞きたくないような、微妙な感情が俺の中を駆け巡る……つうか、ダメだ。やっぱ聞けない。

 さっさとこの場から退散するため、こっそりと猫に踵を返させると、

「あの子は良い子だよ」

 穏やかな、でも、ハッキリとした口調で、婆さんは答えた。

「そういや、あの子と出会った時の話を聞かせて無かったね」

 婆さんは弟子に目を向け微笑むと、その口を開いた。

「最初に噂の魔術師が来たときにはね、流石の私もビビったもんさ。『例の奴だ』ってね。でも、そこで圧されるようじゃ、商人として負けだなと思った。だからね、大きな声で聞いてやったのさ、『何をお探しだいっ』てね」

 何に負けるのかは知らないが……確かに、あの時の婆ちゃんは、今よりも元気で気風が良かった。

 ……2年も前の話だ。俺だって詳しく覚えてない。なのに、俺よりも俄然年寄りの婆さんは、まるで昨日の事かのように言葉を紡ぐ。

「魔術師は一瞬驚いて、その後で苦笑して言ったんだ。『何だ、陰気なだけの街じゃ無いんだな』って。この言葉だけで、私の所に来るまでに、この街であの子が取られた態度がわかったね」

 ……我ながら、口が悪いにも程がある。婆さん、何でそんな言葉に、そんなに懐かしそうな表情をするんだ。

「それでね、私はその魔術師に興味が湧いたから、家に招いたんだ。彼は私の家を見て、眉を潜めた。当時の私の家は酷かったからね」

 雨漏り七箇所。床抜け十五箇所。支柱の曲がりは三十度。……だったか。婆さんの言葉を聞いてふと思い出した。

「唐突にその魔術師は私に振り返った。そして面倒くさそうに言ったんだ。『釘と木材。大工道具はあるか』って。無いって答えると、そいつは本当に面倒くさそうに舌打ちをすると、そのまま外に飛び出していった」

 ……そんな事も、あったか。

「帰ってきた不機嫌そうな魔術師は、不機嫌なままで部屋に落書きを始めた。止めたんだけど、黙ってろって一蹴されたよ。酷い話だよね」

 婆さんは、頷く弟子を見て満足気に微笑んだ。

「でもね、その落書きが完成すると、びっくりな事が起こったんだ。木材や工具が宙に浮いて、勝手に家を修復しだしたんだよ」

 熱の篭った婆さんの語りは、未だその時の気持ちを覚えているかのようだ。

「私は暫く呆然としていたけど、すぐ我に返って魔術師に言ったのさ。『こんなことしてくれなくても良い』って。でもね、あの子は不機嫌なままで、『死にかけの婆さんを放って置くのは、流石に寝起きが悪い』って。酷いだろ?」

 頷く弟子。……というか、俺そんなこと言ったのか……?思い出すと、口が悪いというより、性格が悪い。……いや、それは今も変わらないか。

「お礼をしようとすると、魔術師はそれを嫌がった。感謝されるのが苦手みたいだね。で、結局家を完全に修復した魔術師は、疲れたのか、そのままソファで爆睡。目を覚ました時に飲ませたのが――」

 ――あの紅茶。安くて美味いお気に入り。本当は、婆さんが淹れるともっと美味い。

「それ以来さ。あの子は私の所で、あのお茶を買って行くようになった。……本当は売り物じゃなくて、私個人のモノなんだけどね。だからあの子にしか売らないのさ」

 それは……知らなかった。

「……お婆さんは」

 俺が衝撃の事実に閉口していると、不意に弟子が口を開く。

「お婆さんは、師匠の事を大切に思ってくれてるんですね」

 その言葉に、婆さんは失笑した。

「子供も家を出たきり行方が知らないし、相方にも死なれたからねぇ。私にとっては家族みたいなもんさ。ぶっきらぼうで、でも優しくて。時々帰ってきては皮肉を言うような、もうひとりの息子みたいなもんかね?」

 ……家族か。

 久しく聞いてない言葉だった。郷愁なんてもんじゃ無いが、婆ちゃんの言葉には不思議と胸が詰まる。

「――――」

 同じく……いや、俺以上に家族に縁の無かった少女が、穏やかに語る婆さんを不思議と遠い瞳で見ていた。

 婆さんはそんな少女に、笑顔を向けると、

「もちろん。今日から貴女もね。まったくあいつは、こんな可愛い子を隠しているなんて」

 その頭を優しく抱き締めた。

「――――」

 唐突な出来事に、少女は息を飲んだ。声が出ないらしい。……いや、感情そのものが、未知の感覚に戸惑っているのか。

 少女の様子に気付いた婆さんは、より強くその身体を抱き締めた。

「いつでも会いにおいで。あの子と一緒でもいいし、ひとりででもいい。私に会いたいなら、何時でも構わない。むしろあんまり来ないなら、私から訪ねちゃうかもね」

 婆さん、それは無理だろう……。

 ……でも婆さんは、少女を抱きしめながら、「孫が出来たみたい」なんて、嬉しげに微笑んでいた。


 ……久しぶりの感情に、戸惑っているのは俺も同じだ。

 記憶が溢れてくる。都に出てから会っていない。そしてもう、永遠に会えない、誰か。婆さんと少女の姿に、何時かの彼女と、何時かの少年の姿が重なった。

 ……もしまた、田舎に帰れたら。

 老けたんだろうな。

 怒ってるんだろうな。

 ……でも、きっと。

 今の光景のように、抱きしめてくれるんじゃないかって。そんな叶わない夢を、白くぼやける光景と重ねていた。


「お弟子ちゃん。私のうちに来るかい?」

 腕を離して婆さんは弟子に聞く。

「え……」

「紅茶を淹れるのはね、私の方が上手いんだ。どうかなお弟子ちゃん。それに、色々と聞かせてほしい話もあるしね」

「……はい」

 その言葉に頷く弟子。

「良いんだよ、そんなに堅くしなくて。私は貴女のお婆ちゃんなんだから」

 苦笑する婆さん。まぁ慣れていないだろう弟子は、口の中でぽそりと、「お婆ちゃん……」と呟くと、

「……はっ……うんっ」

 ぎこちなくも、はっきりと頷いた。

 …………。

「……にゃあ?」

 ……さて、帰るか。これ以上俺が覗き見るのは、はっきり言って野暮ってものだ。

 それに、これ以上無駄な感傷に浸りたくもない。……俺の脳裏の光景は、当に叶わない夢物語だ。

「……にゃあ」

 ……あぁ、そうだったな。

 ありがとうな猫。後でなんか飯をやろう。

「……にゃあ」




 日も暮れ始めた頃。

「ただいま帰りましたー」

 能天気で上機嫌な、弟子の声が家に響いた。

「ん、おかえり」

 俺は特に上機嫌になる理由もなく。むしろセンチな気分で、リビングのソファにもたれながら返事をする。

「はい……って師匠、その猫……っ!」

「うん……? ああ、コイツ?」

 俺の膝の上で寝息を立てているのは、今日の功労者たる猫。家に帰ってから飯をやったら、何でか上に乗って寝始めたので、俺は動くことも出来ずに今に至る。なつかれたのだろうか。

「自分は遊んでたんですね」

 弟子の不満そうな眼差しが俺に突き刺さる。

「まて。まてまて。別に遊んでなんか無いぞ」

 だからといって、何かをしていたわけでもないが。

「むぅー」

 猫ばりの唸り声を上げる弟子。……が、唐突に気持ち悪いくらいの笑顔になると、手を後ろに組んで俺の前まで近寄ってきた。……なんだか、少し怖い。

「えへへ、ししょう?」

「な、何でしょう」

 殺られる?

 弟子がその両腕を、ゆっくりと俺の首に近付け、

「えいっ」

 そのまま、俺の頭を抱き寄せた。

「……なにしてる」

 弟子は、「んー」と少し唸って、

「……幸せの、お裾分け?」

 バカみたいな答えを口にする。

「……別に、いいけど」

 特に反抗する気にもならない。……特に今は。

 ……全く、お前は天才だな。

 それはお前だけのもんだ。すげぇじゃねぇかこんちくしょう。弟子のくせに生意気だ。

 弟子に上手に出られるという、師匠としては失格かもしれない状況に、俺は身を任せていた。

「次は、師匠がわたしにやってくださいね」

「……御意に」

 ……まあ。たまには、下手に出るのも悪くはない。

 膝の上の猫が、眠そうにあくびをした。



『今日と昨日と』

おわり。


次回更新は9月21日、20時予定。

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