えぴろーぐ
――なあ、奇跡って、信じるか?
「――――」
――瞳を開ける。しばらく使っていなかったせいか、視界はぼやけて、白く濁った世界を俺は見つめた。
……季節は、どうやら春らしい。
穏やかな暖かさと陽光。その中で、俺は……どうやら椅子に座っているようだ。
「――――」
瞳だけ動かして周囲を見渡す。
視界の端に、人の姿を捉えた。
栗毛色のくせっ毛を、背中辺りまで伸ばして。
背は……少し伸びたのかな。
立ち上がれたら……測れるのに。
「……んしょ。と」
そいつは、どうやら掃除をしているらしい。相変わらず手際がいい。
本当に……この手際を、せめて魔術のほうにも生かすことが出来たら、良かったのになぁ……。
「――――」
さて。いつまでも見てばかりでは、つまらない。
「――ぉ」
おい。と言おうとしたつもりが、小さな呼吸の音のようにしかならなかった。……そうか。口も、しばらくつかってなかったんだもんな。
「…………」
だが、こいつは、それに気付いたらしい。
まったく。目敏い奴だ。
「……その、今の、もしかして」
そいつは、信じられないような顔で、俺のほうを見る。
あー。……よし。どうにか話し方を思い出した。
俺は、本当に、久しぶりに、こいつに……、
「――よう。馬鹿弟子」
……そう言って、笑った。
声も擦れていたし、笑顔も上手くできたかはわからない。それでも……それでも、こいつは――
「し……しょう……? 師匠……っ!!」
「……抱きつくな。馬鹿」
――思いっきり、俺の胸に飛び込んできやがりました。
「ししょう……ししょうぅう……」
「ああ……はいはい。泣くな。少しは成長したかと思ったのに……ちっとも変わってないな、お前は」
弟子の頭を撫でながら、苦笑する。少しは顔立ちも大人びてきてるのに。俺の胸で泣いているこいつは、全然、前と変わらない、こいつのままだ。
……まあ、色々と聞きたいことはあるが。その前に……。
「……馬鹿弟子。背は伸びたか?」
「はい……」
「髪なんて伸ばしやがって……また俺が切ってやろうか?」
「止めてください……」
「いま、どこに住んでる?」
「お婆ちゃんの家に……」
「……寂しかったか?」
「はい……っ!」
もう一度、俺の胸に顔を埋める弟子。あー……、まったく。
俺は、いつかのように、優しく、こいつの頭を撫でた。
「ししょう……ししょうぅ……」
「はいはい……」
苦笑を漏らすしかない。
……本当に、悪かったな。
何年も、寂しい思いをさせて。
「……なあ、あの後、どうなったんだ?」
「はい……街の人が、やってきて、あの人たちを、捕まえて……」
「なんとまあ……」
……まあ、自治区みたいな街だったからな。国も大して干渉は出来なかったか……。
「でも……師匠が倒れて……っ! 目を覚まさなくて……っ!! それで、ずっと……」
「……悪かったよ」
正直、俺はあの時、死んだと思った。
実際、今でも未だ生きているのが、信じられない。
「でも、師匠が……目を覚ましてくれて……えへへ。……本当に、良かった……です」
「……そっか」
笑う弟子を、もう一度抱きしめる。つくづく……俺は、こいつが大切なんだなぁと、実感した。
……だから、まあ。
ちゃんと、やっとかないとな。
「……なあ、弟子」
「はい……」
白くぼやける視界の中で、弟子の顔を見る。
ああ……もう。可愛いなあ。こいつは。
少しずつ薄れていく視界の中でも……俺は、最後まで、こいつを見続けよう。
「なぁ……お前は、奇跡って信じるか?」
「……奇跡、ですか?」
弟子は、少し首を傾げると、首を縦に振った。
「……どうして?」
「だって、師匠が、目を覚ましてくれたんですもん……」
「そっか……」
弟子の答えに、俺は苦笑しながら、
「俺は、信じない」
そう答えた。
「え――?」
「だからな、弟子……。これは、お前の手柄だよ」
全く、お前は天才だな。
こんなこと、俺にだって出来やしない。
それはお前だけのもんだ。
凄いじゃねえか。
うらやましいぞ。こんちくしょう。
「師匠……?」
「あー……おう」
急激な睡魔をどうにか耐えながら、俺は、手を伸ばす。
せっかくこいつがくれた時間だ。
伝えないと……大切なこと。
こいつを、胸を張って、送り出せるように……。
だから、俺は――こいつの頭に、手を置いて。
「……よくやったな。免許皆伝だ」
そう言って、もう一度、撫でた。
「……え?」
「わかんねえかな……もう、俺からお前に教えることは、何もないって事だよ……。いままで、よく頑張ったな」
その言葉を、弟子は理解できないように、俺を見上げる。それに、俺は笑顔を見せた。
「……本当にさ。いままで、ダメダメな師匠で、ごめんな」
「え……師匠? ししょう、待ってください……何言ってるんですか……?」
「ありがとうな……最後に強くなったところ、見せてくれて」
「最後って……最後って何ですか!? 師匠……っ!!」
わけが分からないといった様子で叫ぶ弟子。
「何言ってるんですか! わたしなんて……まだ全然ダメで……師匠に教えて欲しいこと……沢山あるのに!!」
「……悪いな。中途半端な師匠で」
「嫌だ……いやだいやだいやだいやだっ!! ししょう……いやです……っ!! 違うの! 関係無いの……わたしはただ、ずっと、一緒に居たいのに……!!」
弟子は、子供のように駄々をこねながら、俺の胸に顔を押し付ける。
「師匠……生きてるじゃないですかぁ……! どうして、そんなこというんですか……っ!!」
「ゴメンな……だから……最後くらい、ちゃんとした師匠で、居たかったんだけどな……」
弟子に手を回して、抱きしめる。
……大きくなりやがって。
でもさ……そんなに、悪くない気分なんだよ。
見ることは無いと思ってた……こいつの成長した姿、見ることが出来たんだから……。
「あのな……お前が弟子で、俺、本当に良かったよ」
「…………」
もう、弟子は答えない。ただ、俺の胸で、泣きじゃくってた。
「初めは……ただの師弟のつもりだったのにな。まったく……お前が悪いんだぞ。お前が可愛すぎて、大切にし過ぎたんだぞ?」
「……ぅ」
「本当に……なぁ……こんな大きな子供、居るような歳でも無えのに……。お前と一緒に過ごせた時間は、楽しくて、本当に幸せだったよ」
「……っ」
「俺はな……料理作ってたお前が好きだ。修行してるときのお前が好きだ。俺と遊んでいるときのお前が好きだ。怖くて俺と一緒に寝てたときのお前も好きだ。……何より、お前の笑顔が、大好きだ」
「ししょう……」
「だからな……出来たら笑っていてくれ。お前が怒ると俺は困るし、お前が泣くと俺も悲しくなる。……でも、それでも大好きだけどな」
「ししょう……っ!」
より強く抱きしめる。……だから、泣くなって。本当に、泣き虫は治らねぇなあ……。
「わりぃな……最後まで、注文ばっかり付けて。師匠失格だよな。俺」
「そんなことないですっ!!」
急に、弟子が顔を上げた。弟子は、顔中涙で濡らしてるくせに。まだ、呂律も上手く回らないくせに――
「ししょうは――師匠は、誰よりも素敵で……っ誰よりも格好良くてっ……私が一番大好きな……世界一の師匠です……っ!」
――そう言って、笑った。
……それは、本当に……俺が、この世で一番綺麗だと思う、笑顔だった。
「……ありがとう。悪かった……」
その顔が、泣き顔に変わる前に、抱きしめる。
「う……うぁ……あぁああっ……」
涙は、もう止まらない。ずっと、俺にしがみ付いて、泣いてる。
「……ゴメンな。最後まで……頑張らせて」
こいつと過ごした半年間を思い出す。
……本当に、思い出しても、ろくな師匠じゃない。結局、頑張ってたのは、今も泣いてる、こいつだけだ。
……最初に、出会ったときも泣いていた。
その時のことは……今でも覚えている。
その思い出だけは――誰にも語らない、俺とこいつだけの思い出だ。
あの日――俺がこいつに手を差し伸べた時から、ずっと、泣いてばかりいて……それでも、頑張って、前に進み続けてきたんだよな、こいつは……。
「……じゃあ、最後くらいはな……」
動かない手を、無理やり動かす。抱きしめたまま、弟子の頭に手を置いて……出来る限りの笑顔を作って。
「弟子……っと……もう……弟子じゃ……ないんだった……な」
全く……最後まで決まらないな。俺は……。
呆けた頭のままで、思わず苦笑する。
全く呼んでなかったけど……それでも、名前は、覚えてる。
俺の……何より大切な奴の……名前なんだから。
だから……な。世界で一番、愛してるから……。
睡魔を振り切り、口を動かして……。
せめて、最後くらい――
「……幸せに……な。 」
――俺は、こいつの良い師匠でいられたのだろうか――?
『くらうん Love you most in the world』
おわり。




