ちゃぷたーにじゅうに 『師匠』
今まで俺がやってきたことは、意味があったんだろうか。なんて、少しだけ思うこともある。
俺は結局、こいつを甘やかしただけなんじゃないかって。
……でも、そんなこと、無いよな?
お前は……強くなったよな?
そう、信じさせて欲しい。
……だから、さ。
♪
「ほら、手が止まってるぞ」
「うぅ……師匠ー……急にやる気になって、どうしたんですか?」
「……別に。いいから手を動かせ」
妙に懐かしい気がする、魔術の修行。俺は魔術師として、こいつに魔術を教え込む。『生きるため』に。
それが、俺がしなければいけないこと、だったのに。……どうしてこんなに、甘くなっちまったんだろう。
忘れちゃいけない。俺は、『魔術の師』で、こいつは『弟子』だ。
家族じゃない。
何を今更って感じだが……俺はあくまで、こいつに他人として接しなきゃいけなかった……んだよ。
「そこ、印がずれてる」
「ふぇ……?」
「ああ、ほら……早く直せ」
「は、はいっ……!」
「魔術印は速度と正確さだぞ。ちゃんとした形をすばやく描けなきゃ意味無いからな」
浪費した時間を取り戻すように、とにかく教え込む。それくらいしか、今の俺には、してやれることが無い。
「ししょう……ま、待って……」
「十分待ったぞ。ほら、早く」
ふらふらになる弟子を急かす。
……俺がこいつにするべきことって、こんなことなのかよ。
……少しだけ、そんな思いが心をよぎった。
「うー……」
「日も暮れてきたな……そろそろ終わるか」
どうも、こいつも限界みたいだしな。
「ほら、立て。さっさと飯にするぞ」
「は……はい……」
ふらふらと立ち上がる弟子。……まあ、スパルタだったことは、否めない。
「すぐにご飯にしますね」
「……おう」
それでも、そういって笑う弟子に、少しだけ、心が揺らぐ。
……駄目だ。揺らぐな、ボケ。そんなんだからヘタレなんだろうが、俺は。
「ごちそうさまでした」
「……ご馳走様」
今日の当番は俺だったなと思いながら、食器類を纏めて、台所へ向かう。すると、弟子が笑顔で、俺の元へとやってきた。
「師匠、手伝います」
「…………」
まあ、今までの俺なら、喜んで賛成しただろうさ。
「……馬鹿言うな。さっさと風呂に入って来い」
「……え?」
「いいから」
弟子の提案を完全に無視して、俺は皿洗いを再会する。
「……は、はい」
弟子は、少し顔を伏せて、風呂場へと向かう。
「…………」
俺は一人で、皿洗いを再会した。
「師匠、上がりました……」
リビングで読書をしながら休んでいると、風呂から上がった弟子が、俺に控えめに声をかける。
「おう。お休み」
俺は特に目も合わせずに本を伏せ、風呂場へと向かう。
「その……師匠?」
「ん?」
「お風呂から上がったらその……お話とか」
「……ふう」
俺は一度ため息を付くと、弟子の頭に手を置く。
「あ……」
「寝ろ。明日も早いからな」
「……はい」
一瞬、顔を輝かせた弟子は、俺の言葉を聞いて、直ぐに顔を伏せて、部屋へと戻っていった。
「…………」
風呂から上がる。
リビングに弟子は居ない。
家の中に、俺以外に起きている人の気配は、しなかった。
「大人しく寝た……みたいだな」
あの時の弟子の顔を思い出すと、少し、胸が痛む……。
だけど、さ、大切なのは、魔術の練習だけじゃない。こいつがこれから生きていくためには、俺から離れていかなきゃいけない。
……望もうが、望むまいが。俺が死んでも生きていけるように、なってもらわなきゃ、いけない。
その為だったら、さ。
「…………っ」
ほんの少し眩暈。
「……最近調子良かったから、忘れそうだったんだけど。な」
なんだかんだで、時間は進んでいる。俺の時間は、そう長くは無いのだから……。
「頼む……俺を安心、させてくれよ……」
もう、望みはそれだけ。その為なら……これでいい。後始末――心の整理は済んだのだから。
俺は、誰でもない……ただ、あいつの師匠として、あいつに向かう。
嫌われても……構わないさ。
あいつが強く……生きてくれるなら。
――次の日も、俺は弟子に、毅然とした態度であり続けた。
次の日も。……その、次の日も。
「……師匠」
「なんだ? 印を描く手を休めるなよ」
……毎日、表情の曇り続ける弟子に心を痛めながらも、俺はあくまで、そっけない態度を取り続ける。
「師匠……わたし、師匠を怒らせましたか?」
「別に……」
何でお前が俺に気を使うんだよ馬鹿。むしろ、お前が俺に怒るべきだろうが。
さっさと幻滅して……ただの師弟関係だって、割り切れよ。
「……師匠、あの……ね? わたし……」
「無駄口」
「……はい」
「…………」
どれだけ突き放しても、めげずに着いてくる弟子に、全て冗談で済ませてしまいたい俺が居る。
「……揺れるな。ヘタレ」
結局、お前が招いた種だろうが。
「……師匠、やっぱり怒ってますよね?」
「怒ってねえよ……」
「嘘です。師匠、さっきからずっと、怒ってるじゃないですか……」
違う……怒ってんのは、たぶん、自分自身にだよ。
「師匠……何か、言ってください……わたしが悪かったのなら、謝りますから」
「だから……違……」
……ここで、思った。
そうだよ。嫌われたいなら、思い切って言ってしまえば良いじゃねえか。
……思いっきり、嘘を。
「……ああ、確かに怒ってるよ。俺は」
「やっぱり……」
力なく呟きながら、顔を伏せる弟子。……でも、こいつは、それくらいじゃめげないでやがる。
「じゃあ師匠、何が悪かったのか教えてください! わたし……その、がんばって直しますからっ! ……なかなか出来ないかもしれないけど……」
「それだよ」
本当に、なんて良い弟子なんだろうか、こいつは。
……本当に、なんて最悪な師匠なんだろうか、俺は。
「お前さ……なんで出来ないんだよ。俺がこれだけ教えてるのにさ」
「え……」
「いや、確かに俺も悪いよ。今までの俺の教え方も悪かったと思ってる。無駄な事にばかりかまけてきたもんな」
「え……え、師匠……?」
「でもさ、お前も物覚えが悪すぎるんだよ。一回言われたらそれくらい覚えろよ。馬鹿。これくらい俺なら出来たぞ? 何で出来ないんだよ」
「え、……し……しょう……?」
困惑する弟子に……俺は、あくまで真顔で、言葉を続ける。……こいつにとって最悪な、言葉を連ねる。
「このまま俺にへばりついてりゃいいとでも思ってんのか。迷惑なんだよ、そういうの。何で俺が、いつまでもお前の世話なんかしなきゃいけないんだ。俺はな、お前にさっさと出て行って欲しいんだ。邪魔なんだよ。お前。……だっていうのに、いつもいつも、嬉しそうに俺にへばりつきやがって……しかも出来は悪い。……迷惑なんだ。つくづく」
「…………」
弟子は……俯いたままで、決して顔をあげようとしない。よく見れば、泣いているようだった。
「……泣いてちゃわかんねえだろうが。何か言えよ、こら」
「…………」
……沈黙。口を開ける筈も無い。こいつは……そんなに強くは無い。
「……言うことが無いなら、修行を続けるぞ」
俺は一度息を吐いて、顔を伏せる。
……さすがに、やりすぎたかもしれない。
「……ししょう」
「……ん?」
弟子は、顔を伏せたままで、静かに、口を開く。
……正直、驚いた。泣き虫のこいつが……まだ何か言えるなんて、思わなかった。
「……師匠、さっき言ったのこと、本当ですか……」
「あ……?」
表情が見えない。その声には、抑揚が無い。
「今までずっと……師匠は私のこと、そう思ってたんですか……?」
……馬鹿か。
そんなの、大嘘に決まってんじゃねえか。
「そんなの、当然に決まってんじゃねえか」
「…………」
「そもそもな……俺はガキが嫌いなんだ」
「…………」
「……だから、俺は、」
――俺は。こんな最悪な俺とは、関係の無いところで。
お前には、最高に幸せになって欲しいと。そう思うんだよ。
「……わかったなら、さっさと修行を続けるぞ、とんま」
「…………」
弟子は、俯いたままで、震えている。……分かっていたけど。今日はもう、修行は無理なんだろうな。
「……ば……」
「……あ?」
ぼそりと、弟子が呟くが、小さすぎて、よく聞こえない。
「…………?」
何故か、周囲にぱちぱちと……火花? ……なんて、俺が冷静に思った瞬間。
「……っばかぁああああああああああああっ!!!」
「っ!!?」
爆発した。
精神的にも、物理的にも。こいつの馬鹿みたいに強大な魔力が、こいつの感情に併せて爆発しましたよ――ていうか危ねぇよオイ。
椅子ごと後ろに吹っ飛んだ俺の前に、弟子が立つ。
「おまっ……!」
「ししょうの……ししょうのばかぁああっ!!」
「…………っ!」
泣きじゃくりながら、叫ぶ弟子。
ああ……そりゃあ、こいつが泣き虫だって事くらい、知ってるけどさ……。こんなにも感情を爆発させながら泣く姿は、初めて見た。
「ちがうもんっ!!」
「何が……」
「わたしのししょうは……そんな人じゃないもんっ!!」
そんな人じゃないって、おい。……その本人が否定してるのに、何なんだよお前は。
「わたしのししょうは……わたしのししょうはっ!! 意地悪で! いじめっこで! でも、すごく、すごく優しい人なんだもんっ!! わたしの大好きなししょうは……そんなんじゃないもんっ!!!」
……だから、なんでそんなに俺を信じてるんだよ。お前はさあっ!
「ししょうは……ししょうはぁ……っ!」
「……あ、おいっ!」
泣きじゃくり、叫び散らした弟子は、そのまま踵を返して俺から逃げていった。
「…………」
とりあえず、椅子を元に戻す。それから、壁に寄りかかって、一息。
「……あいつ、本気で泣きやがって」
泣き虫な奴だから……泣き顔だったらたくさん見てきた。
……なのに、今見た泣き顔は……今までで一番、辛そうで。
……なんだありゃ。
あいつにあんな顔させるような奴、ぶん殴ろうと思ったら、自分だった。
「……馬鹿野郎」
壁に頭を、思いっきり叩き付ける。痛みで少しは気が紛れるかと思ったが、全然紛れない。だから、もう一発、叩きつける。
「……何やってんだ、俺は」
あんなこと言ったら、傷つくに決まってんだろ。
大切にしたいのと……幸せを望むことが。
上手い具合に反比例していて、どうすりゃいいのか、分からなくなる。
「……これから、どうしよう」
……つうか、本当に何してんだ、俺は……。
『師匠』
つづく、
次回更新は11月4日、20時予定。




