ちゃぷたーにじゅういち 『後始末』
「あの……師匠?」
「動くな。気が散る」
「あう……」
所在無さげに身体を動かす弟子に注意すると、弟子は顔を伏せる。いやだから、動かれると困るんだよ。
「ほら、顔上げろ。見えん」
「……はい」
「ああ、違う。その角度じゃない。……そうそう」
弟子の格好に満足して、一筆、鉛筆を走らせる。まったく……そんなに時間は無いんだから、手間取らせるなっての。
「ししょうー」
「……なんだよ」
「どうして急にその絵にやる気になったんですか?今までは思い出したときに少しづつとか……最近になったら、全然やってなかったじゃないですか」
弟子は椅子に座ったままで、退屈そうに俺に問う。
「……うるさいな。良いだろ、別に」
ぶっきらぼうに答えながら、俺は、いつだったか、完成させようと思っていた絵に、鉛筆を走らせた。
まあ、最近まったく手を付けていなかったのは、例のごとく俺が忘れていたから。
急に作業を進め始めたのは、今完成させないと――もうその日はこないと思ったから。
……要するに、これは後始末なんだ。身辺整理と言っても良い。
遣り残したことが、無いように。
こいつが、俺のことなんて気にしないで、俺の元から、飛び立てるように。
「……不安すぎて、本当は飛び立たせたくないんだけどな……」
「何か言いましたか?」
「なんでも無い……お前がいつまでも半人前だから、いつになったら一人前になってくれるのかなってさ」
「酷いっ……!? 実は気にしてるんですよ……っ!?」
「はは……っ」
笑いながら、キャンバスに筆を走らせる。そういう思いも、塗りこむように。
「ししょう」
「あん……?」
暫く筆を走らせていると、弟子がまた口を開く。暇か、暇なのか。……まあそうだよな。
「で、なんだよ」
「うん……師匠が皆と仲良くなってくれて、良かったなぁ。って、思ってたんです」
ああ、そのことね……。
「……そんなに嬉しいのか?」
「はいっ」
はにかむ弟子。……良い返事しやがって。
「はいはい……どうせ俺はひねくれ者の意地っ張りだからな。こんな奴と仲良くなってくれて、皆ありがとうだよ」
「むー……違いますよ、師匠」
俺が大人気なく皮肉を漏らすと、弟子は不満げに口を尖らせた。
「……なんだよ」
「わたしは、師匠が凄い人だってこと、皆に知って欲しかったんです。……だから、ね?」
「……まあ、お前の前では、凄い人だけどな」
一応、だめだめでも師匠だから。頼りがいのある男を演じてますとも。……演じてる……よな?
「でも、他の奴にとってはそうでもないだろ。『山に住む得体の知れない魔術師』が……『山に住む変わり者の魔術師』に変わっただけさ。正体が分かった分、そりゃちっとは距離は縮まったかもしれないけどさ……」
何にせよ、俺は凄い男なんかじゃない。ちっと意地っ張りで見栄っ張りの……死にぞこないの魔術師だ。
だって言うのに……。
「師匠は、凄い人ですよ」
……なんて、こいつは笑いやがる。
「それに自分で気付けないような、凄い人なんです」
「……それ、結局大して凄くないんじゃないか?」
「そんなこと無いです。……そんな、師匠だから、わたしは――」
「……?」
後半、聞こえなかったぞ。おい。
「今、なんて言ったんだ?」
「……なんでもないですっ!」
凄い勢いで首を振って否定する弟子……いや、そんなに大声出さなくても聞こえてるから。何でそんなに顔が赤いんだテメエは。
「……まあ俺も、お前に友達が出来て良かったとは思うよ。ほら、あの娘……」
苦笑しながら話題を変える。
「――――」
……いや、どうして急に真顔になるんですか。
「……どうしたよ、仲良くしてたろ?」
「……アレを、仲良くしてたと見るんですか、師匠は」
「おう」
なんていうか、普通に仲の良い姉妹みたいな雰囲気はあったな。
「……はぁ」
弟子は、しばらく真顔で沈黙し続けていたが、急に大きくため息を吐いた。
「……なんだよ」
「別にぃ……たぶん、師匠がそんなんだから、わたしたちも仲良く出来るんです」
弟子は、呆れたようにため息を吐くと、それじゃあと顔を上げる。
「師匠。あのですね……もしもわたしのこと、好きだって言い寄ってくるような男が居たら、どうしますか?」
「はあ? 何だそいつ。ぶっ殺すぞ」
「…………」
「…………」
…………即答しちまいましたよ。
「……いや。違う。その……な? 俺はお前の師匠としてさ……まあ、なんつうの……お前には未だ、そういうのは早いんじゃないかなっていう? ……ほら、俺、お前の保護者じゃん」
「ししょうー……例え話ですから。そんな人居ませんから」
「……あ、そう」
その言葉を聞いて、やけに安心する俺が居る。 ……でも、そっか。
考えてみたらこいつも、そういうことに関心が出てくるお年頃だしな。未だ遠い話だと思っていたけど……もしかしたら俺が存命中に、そんなことが在り得るかもしれないって事か?
こいつ、普通に可愛いし。
そういや以前、こいつに言い寄ってくるオッサンとかも居たな……。
……え、俺って、いつかこいつが男を連れてくるのを、見守らなきゃいけないのか?
え……なにその状況?
いや……師匠としては、弟子の成長を喜ぶべきなんだろうが……。
……いやいや、絶対無理っ。変な男ならぶん殴る。絶対ぶん殴る。俺。つうか変じゃなくてもぶん殴りそう……っ!
「あはは……っ。もう良いですよ、ししょうっ」
妙に安心したような顔で、苦笑する弟子。むう……こいつにそんな顔をされるのは、なんだか癪に障るな。
「何なんだよ……はっきり言え馬鹿弟子」
「言いません言えません言いたくありませんっ」
頑なに拒否。……いや、そんなに拒否られる心配になるだろうが、こら。
「んと……じゃあ、わたしが、師匠に一人前って認められたら、言います」
「なんだい、そりゃ」
弟子は、頬を赤く染めながら、はにかむ。
……しかし、一人前。ね。
「だから……それまで、待っててくださいね。ししょう」
「……ああ。待ってるよ」
本当に、心から……さ。
「……ところで、弟子よ」
「はい?」
「その……本当にそんな男はいないんだよな?」
「……はぁ」
ため息を吐く弟子。……何さ。
「…………」
「…………」
何となく会話も無くなって、俺の鉛筆がキャンバスを削る音だけが響く。
「……髪切る前に、完成させときゃよかったな」
キャンバスの中の弟子と、俺の前に座る弟子は、髪形が違う。
「むぅ、師匠が切ったんじゃないですか」
「そうだったな」
唇を尖らせる弟子に苦笑する。
「でも、お前だって俺の髪切っただろ。ほら、どっちもどっちだ」
「むー……師匠は男の人だから良いんですっ! わたしは、これでも、女の子なんですよ!」
「ああ、はいはい……」
髪は女の命ってことね。
「良いだろ、どうせ俺に切られることなんてもう無さそうだし。記念記念」
「微妙に嫌な記念です……残りませんし……」
確かに、髪の毛って伸びるもんな……。既に髪型変わってるし。
形に残る記念ね……。
「……んじゃ、まあ。これでどうだ」
俺は、羽箒でキャンバスの表面を払うと、そのまま台から持ち上げる。
「……師匠?」
椅子に座ったまま呆ける弟子の下に歩み寄って、その手に、キャンバスを握らせた。
「完成……。形に残る記念。ってことで、どうだよ」
描かれたのは……椅子に座る、あどけない少女。俺が何より大切な――その一瞬を、切り取った風景。
……記念には、ぴったりだろ。
「……あの、うわぁ」
弟子は、さっきから俺と絵を交互に見比べている。
苦笑しながら、優しく弟子の頭の上に、手を置く。
「…………」
弟子は、顔を赤らめながら、無言で俺を見上げてきた。
「……なんだ。もしかして、気に入らなかったか?」
さすがにそこまで反応がないと、ちょっと不安になるんだが……。
「い……いえっその……っ」
弟子は急に俯くと、手元の絵を再び見つめ始める。
「ししょう……わたし、こんなに可愛く、ありません」
……なんだそりゃ。
「どう思おうが勝手だけどな。少なくとも、俺は見えたように描いただけだぞ」
「……あぅ」
今度は耳まで真っ赤にして、決して顔を上げなくなってしまった弟子。
「……おーい。どうしたんだよ」
「いえ……その……嬉しくて……」
そう言って、再び顔を上げる弟子は、顔を真っ赤にしたままで、困ったように笑っていて……。
「おいおい……っ!? どうして泣いてんだよお前……っ」
「……うぇ、わたし泣いてますか……?」
弟子は自分の目元に指をやり、ホントだなんて、他人事のように呟いた。
「あ……あはは……あう……あの、なんていうか……嬉し過ぎて。その……すいません」
「いや、謝られても困るんだけどな……ったく、泣き虫は、未だ治ってなかったんだな」
少しは強くなったのかと思えば、まだまだか……。
「あう……ごめんなさい」
「はぁ……顔赤いわ、急に泣き出すわ、風邪でも引いたのかと心配しただろ」
ぽんぽんっと、頭に置いた手で軽く叩く。そうしたら弟子は、顔をキャンバスで隠しながら、上目遣いで、
「……風邪引いたら、また看病、してくれますか?」
……なんて、聞いてきやがった。
「……そういや、そんなこともあったな」
「あーん……してくれますか……?」
「風邪、引いてたらな」
……というか、よく覚えてたな、そんなこと。こいつもこいつだが、俺も俺で。
「でも風邪引いてないし、良いだろ? 別に」
「うう……」
俺が画材を片しに踵を返すと、弟子が、控えめに、裾を掴んだ。
「……どうした」
弟子は、俯きがちに、視線を逸らしながら、口を開く。
「じゃあ……そ、添い寝……して下さい」
――吹き出しました。
「うぁっ! 笑うこと無いじゃないですかっ!! これでも結構勇気出して言ったんですよっ!?」
「くっ……悪い悪い。いや……まあ、別に良いよ。それくらいさ」
なんていうか……男がどうこうみたいな話をしたけど、なんだかんだで、未だ子供じゃんか。
「……なあ、弟子よ」
「はい?」
俺の裾を掴む弟子に、振り返らないままで聞く。
「俺との生活――楽しかったか?」
「はいっ」
……ありがとよ。即答してくれて。
これで、心残りは無い。後は……こいつを無理やりにでも、巣立ちさせるだけだ。
――ほのぼのした優しい時間は、そろそろ終わりにしよう。
「……つうか、腹減ったな。飯にするか」
「たまには、一緒に作りましょうっ」
「……そうな」
『後始末』
おわり。
次回更新は11月3日、20時予定。




